暁子
2015-10-21 00:46:06
3173文字
Public ユニカSS
 

子世代妄想シャルロット


 母譲りで癖の無い真っ黒な髪をゆらゆらと揺らして、シャルロットは大きくて豪奢な扉の前に立った。王女の来訪に扉の両脇に佇んでいた近衛兵はにわかに緊張し、これ以上無いくらい背筋を伸ばす。
 ほどなくして父の秘書官でもある侍従長がシャルロットの訪ねてきたことを察知し、相も変わらず含みのある笑みで彼女を執務室の隣室へ通してくれた。
 陛下は直にお見えになります。
 囁く侍従長に頷き返し、シャルロットは紫紺の絨毯の上を進んで窓辺に居所を定めた。
 庭園で、それぞれが女王のように匂っていた秋の薔薇が終わろうとしていた。瑞々しさを失い、先を黄色く枯らした見苦しい葉と、老婆の髪ような残りの花びらが、雪の気配に怯えるように項垂れている。
 父母が出逢ったのはもう少し先の季節か。
 雪深いシヴィロ王国の冬。彼らの運命は雪が溶けるとともに、まるで地中での眠りから目覚め、生きていることを思い出したスイセンの新芽のように外界へと伸びていった。
 らしいが、シャルロットは二人の出会いから婚姻までの詳しい話を、巷で流布する小説を通してしか知らなかった。夫婦そろって美しい当代の国王と王妃の物語は波乱の大恋愛として大いに脚色されており、人々の心を掴んでいる人気のお話であるのは結構だが、真実を求める年頃の少女の冷徹な部分を不快にさせるばかりだった。
 当の父も、母も、互いに愛し合っていることは確かであるのに、さてその馴れ初めや婚姻に至るまでの話は聞かせてくれない。何か触れてはいけない禁忌があるのだ。そしてそれなしでは語れないのが二人の関係。
 思い当たることがないわけではない。母は貴族の生まれではない。エルツェ公爵家の娘として王家に嫁いだ母だが、もとは王国南部小さな村で育った、グラウン家の導師の娘であったことは周知の事実だ。しかし今更、誰もそれを指摘したりはしなかった。
 歳を重ねるごとに人間離れした美しさを極めていく母は最早『救療の女神ユーニキア』そのものとして崇められているし、またその女神の愛を得、南の国境を着々と圧し下げて先王が決して踏み出さなかった領土拡大を実現している父の威光も、臣下が王妃の出自をとやかく言うことを許さなかった。
 シャルロットは、そのすべてを淡々と見つめてきた。豊かな王国、美しい父母、武辺を誇る上の兄、賢く思慮深い下の兄。すべてがすべて、幸福の源であるかのように完璧だった。
 ただその中に空いた小さな穴に、シャルロットは気づいていた。
 父母の幸福の真ん中、いや、その根元に。
 その場所を埋めていたいくつかのピースが失われたことで、時々二人の笑みが寂しく翳るのだ。
 なくなったもの。二人が一緒になくしたもの。得たもの。シャルロットが生まれる前から今日までの間に埋められてしまった短い歴史。いつか王家の伝記の一頁とにもならない日々。
 シャルロットは、右手に握りしめていた、母から貰ったスピネルと真珠の髪留めを見下ろした。
「シャルロット」
 そのとき、上機嫌な父の声が部屋へ入り込んできた。
 冬を前に戦の手を止め王城へ戻ってきた父は、窓辺に佇んでいたシャルロットを喜んで抱きしめた。シャルロットも懐かしい父の胸の中に収まり、背伸びをしてその頬にキスをする。届かなくて顎に唇がくっついたが、父は鷹揚に笑って額にキスを返してくれた。
「お仕事の途中にごめんなさい、お父さま」
「いや、いいよ。お前から訪ねてきてくれるなんて珍しいじゃないか。元気にしていたか」
 シャルロットがこくりと頷くと、父は青緑色の瞳を細めて笑った。近頃、今までにも増して背が伸び始め、ますます美しい母に似てきたと言われるシャルロットの成長ぶりに父は満足しているようだった。
 その瞳がシャルロットや母を慈しむときに見せる優しい光は決して嘘ではないと分かっていたが、同じ瞳でトルイユの将兵を憎み殺しているのが父であるということも、シャルロットは知っていた。
 そこに失われたピースが関わっていることも。
「お父さまにお願いがあって参りました」
「お願い?」
 他愛もないおねだりだとでも思ったのだろう。娘に視線の高さを合わせるために屈み込む父は相変わらずにこやかだ。その期待を裏切り、シャルロットは真っ直ぐに父を見つめて言った。
「大学院へ入りたいの」
 父は一つ大きく瞬き、娘が口にした言葉を理解するためにしばし考え込んだ。
「大学院?」
 何故、という言葉が出る前に、シャルロットは更に続けた。
「学びたいわ」
「何を」
「歴史」
 父の目が黒く翳る。暴かれたくない秘密の隠し場所を探し当てられた不安が覗く。シャルロットは、まだその部屋の鍵を持っていないにも関わらず。
「歴史の教師なら用意しよう。大学院で教えている博士をお前のために呼ぶよ。それではいけない?」
「初めはそれでもいいわ。でも、いずれはわたし自身の力で書物をひもとけるようになる? 論文を書くことは出来る?」
 王家の姫君に必要なのは、外交上重要な歴史の概要の知識のみ。そうでなければ普通の女は歴史を学ぶ必要すらない。こと貴族にとって女――娘とは、政略の駒であり、自らの意思を持つ必要すら無いものだった。
 その風潮は、先王が二人目の妃を迎えた頃から変わる兆しを見せているが、やはり女は家を繋ぐため、継ぐための胎であり、社交の場においてのみそのお喋りの得意さを発揮すればよかった。
 父も、彼が認めた幾人かの女性――勿論母を含む――を除いて、女はそうあるべきと思っている節がある。
 それを善い悪いで判断することをシャルロットはしないが、父の思想に従うつもりもない。
「お父さまの治世の礎となったものを知りたいのです。知る必要は無いだなんて仰らないで下さい。わたしがただ知りたいと思っているの。お父さまとお母さまが二人で分け合ってもなお悲しいこと、辛いこと、だからお二人が国を豊かに出来る理由。お父さま、わたしはお二人の娘として秘密を暴くのではなく、まだ新しい、少しだけ古い歴史の中から自分で答えを見つけたいと思っています。そしてこれを、本当の持ち主のところへ返してあげたい」
 シャルロットは、右手に載せた髪飾りを父の前に差し出した。翳るばかりか、まるで古い傷を刃物で抉られたような苦悶が父の目に浮かぶ。
「お父さまとお母さまの代わりに、わたしが返しにゆくわ」
 だから学ぶ機会を、鍵を探す許しを。
「ユニカはなんと?」
 髪留めごとシャルロットの手を握り、父はうつむいた。諦めと、最後の抵抗がせめぎ合う胸の内を示すように、その手はかすかに震えている。
「お父さまにお許しを貰いなさいと」
 そうか、と頷きながらも、目を逸らす父はすでに別の景色を見ているようだった。
 枯れかけた秋の薔薇。冬が来て、春が芽吹き、夏が衰えたその先のこと。零れ落ちて、失われたピース。
 少し考えたいと言って、父はこの話を打ち切った。シャルロットは従容とそれに従い、執務へ戻る父を見送った。必ず是という返事を貰えることを確信しながら。

 それから三年ののち、十六歳を数えた王女シャルロットは王族として初の学籍を王立大学院に得た。女性が学生の身分を得ることも学院の創立以来初めてのことだった。
 彼女は大学院でシヴィロ王国の外交史を学び、メヴィア公爵家に嫁ぎながらも十四年をかけて卒業資格を得、次兄ユリウスが国王に即位したのちの対外政策を支え続けた。
 同時に貴族女子の大学院入学を支援し続け、生涯を通して数々の女性官吏や博士を育て上げたことでも名を残す。

 彼女が父母の若かりし日々に繋がる扉の鍵を見つけたのかどうかは、誰にも伝えられていない。

読んだよ👏

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