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暁子
2014-08-17 04:04:00
2360文字
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その他
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つきかりが完結した二十数年後、こういう話があるかも知れない
父王・斎英への挨拶を終えた斎祥は、足早に宮殿の中を歩いていた。
これから自邸へ戻り、支度を整え次第、慶暁(大宗国の都)を発つ。もう十年近く、彼はそんな暮らしを送っていた。
そのせいか、斎祥にとって都はよそよそしい場所だ。ここで生まれ育ったのは間違いないというのに。
子供として気ままに過ごした十四年より、父王から与えられた領国を統治するために、神経を尖らせて過ごした十年の方が遙かに濃密だからだろう。
けれどここ数年、都は徐々にきな臭くなっている。その変化だけは敏感に感じ取ることが出来た。年に一度戻ってくるだけのこの土地は、重苦しく、目に見えない瘴気の海に沈んでいっているようだ。
例えてみたものの、おかしい、と自分の中で一笑に付す。斎祥には、神や妖霊に類する力を感じ取ることは出来ないはずだった。邪視の神に愛されている父王の力を斎祥は一片たりとも継いでいない。恐らく。
けれど時折、脳髄を直接つつかれるかのような、どうしようもなく不快な予感に駆られることがある。
ぞわぞわとうなじを這ったその“予感”に、斎祥は顔を上げた。
「おや、祥。領国へお帰りかや?」
歳に見合わず愛らしい声が、庭園に建てられた月見楼の上から降ってきた。
斎祥の見上げた先には、高欄にしなだれかかり、気怠げな様子で腕を宙に投げ出す女がいた。二十歳そこそこにしか見えないが、彼女はもうじき三十路に達する斎祥の異母姉だ。
「月見にはまだ早い刻限かと存じますが」
目を細めて笑うのが、遠目にも分かった。夕焼けの空を映し込んで、彼女の金色の瞳はいつにも増して燦めいているせいだろう。風になぶられる艶やかな黒髪を手ぐしで梳きながら、彼女は無言で斎祥を見下ろしてくる。
王の娘は、嫁ぐとき以外後宮から出るはずがない。しかし“彼女”は特別だった。斎祥が物心ついたときから、彼女だけが特別だった。
異母姉・乙羽
――
またの名を斎煌という
――
は、斎祥より三つ上の、父王にとっては最初の子だ。正室・珠妃(アコヤ)が産んだ娘であり、父王と同じ邪視の神の寵愛を受けていた。そればかりか、珠妃を加護する予言の神までもが、乙羽に恩寵を授けた。
乙羽は特別だった。幼いうちに後宮を出るようになり、珠妃とともに神に仕える身となった。そして男としての名も与えられ、今や斎祥と並ぶ大王位の継承候補だ。
神の囁く声が聞こえるとは、どういう気分なのだろう。幼い頃、それを姉に聞いたことがある。しかし彼女は不気味な笑みを湛え斎祥を見つめてくるばかりで、答えをよこさなかった。今のように。
「父上様は、そなたを領国へお返しになるのかや」
「東の商路を守るのが、わたしの役目でございますゆえ」
「父上様のお側におって差し上げては?」
「何故、そのようなことを仰るのですか、姉上」
ふふ、と、小鳥のさえずるような声が返ってくる。やはり答えではない。
「揺らがぬな」
謎めいたその言葉も、答えではなかった。
乙羽はいつも謎めいていた。ひらひらと左右に揺れながら飛ぶ蝶のような女だ。斎祥には掴むことが出来ない。
昔はそれに苛立ったものだが、姉を理解することを諦めてしまえば気にならなくなった。斎祥が心を砕き、理解して、受け入れるなり打ち砕くなりすべき事柄はほかにごまんとある。彼女に大きな関心を寄せる余裕など、若い彼には無かった。
「東国は、母上様の国があった場所よな。そなた、鶸の川を見たことがあるか? 美しい色をしていると、よく聞かされたが」
「わたしは行ったことがございませんが、諸人に聞いた話では、まことに鶸色をした水が流れいるそうです」
「妾も見てみたいものじゃ。そなたが連れて行ってくれればよいのに」
「
……
姉上こそ、父上のお側にいて下さいませんと」
少女のように愛らしく強請る姉を見上げ、斎祥は眉を顰めた。わけが分からない会話だ。そして、己が口にした言葉に不安を覚える。
不安。何に対する?
『父上のお側に
――
』
首の後ろから脳をつつかれている気分だ。しかし原因が分からない。
難しい顔をする弟の様子を見て、月見楼の上でくつろいでいた乙羽はけたけたと笑い出す。
「ああ、揺らがぬ! 本当に、どうしようもない。祥、東国への道中、気をつけるが良いぞ」
不穏に響く哄笑をその場に残し、彼女は立ち上がった。
ずるずると長い衣裳、とりどりの玉飾りを引き摺るようにして、乙羽は楼閣の中へと姿を消してしまう。
時を同じくして、陽が沈んだらしい。空の端に赤々と燃える色を残しながらも、あたりには闇の気配が漂い始めた。
落日の炎を横目に、斎祥は先を急ぐ。
そして、領国へ帰還した彼を追うようにもたらされたのは、異母姉・乙羽
――
いや、斎煌が、父王・斎英を幽閉し大王に即位したという報せだった。
『揺らがぬな』
そう呟いて微笑んだ彼女は、斎祥との問答で何かを占ったのだ。
恐らく、神の告げた未来が、どれほど確かなものであるかを。
報せをもたらすなり泣き崩れた使者の背を見下ろしながら、斎祥は握った拳を震わせた。
あのとき、もし「鶸の川が見たい」と言った姉の言葉に、斎祥が頷いていたら。彼女を都から連れ出し、父王から引き離していたら。
その選択肢がまったく思い浮かんでいなかったあたり、これはやはり神が導いた現実なのだ。
ならば、斎祥が口にするこの言葉も
――
?
「逆賊・斎煌を討つ」
既に予言の神が、彼女の耳許に囁いているのかも知れない。
しかし未来が彼女の手の内にあるのだとしたら、斎祥は奪い返す。
それが、彼の生き延びる唯一の道であるから。
直に差し向けられるであろう姉の軍を迎え撃つため、斎祥は刀を手に立ち上がった。
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