テスカトリポカの、整髪料のにおいが微かにするプラチナブロンド。それを薄明の光、あるいは天使の梯子の一筋のようだと思う。太陽の光だ。惑星に生きるすべてを育む豊穣の祝福にして、地を這うあまねくものを枯らす死の試練。およそ一億と五千万キロメートル先から降り注ぐ、蒸発するほどの熱に似ている。
そんな美しい金髪と、それに見合う無瑕の肉体の持ち主は、まるで凡人のようにソファに陣取ってザッピングしていた。指先がボタンの上を踊るたび、遠い国の紀行番組、過去の天気予報、無音のドラマが液晶の中を入れ替わる。くじ引きで決めたような番組表だ。物理法則の世界とは位相が異なる冥界で、電波をどのように捕まえているのかは知らない。役目を終えたもの、死者としてここへ流れ着くのだろうか。地球人の放った電波は、SFのように宇宙の果てを旅しないのだろうか。
探し物を持ってリビングに戻り、ソファで寛ぐテスカトリポカを視界に入れた途端。そんなことを考えた。この、思考が無軌道に飛んでいたことに気がつく感覚に、オレはまだ慣れていない。こういうとりとめのない思考は、生前はほとんど漂白の最中に手放した。またそういうことを考えていると、テスカトリポカがオレを見とめて、テレビの電源をオフにする。
「探してたディスク、見つかったか」
「見つかった。いちいち取りに行くのが面倒だから、リビングに全部積んでおきたいんだが」
「それは駄目だ。リビングは共有スペースだからな。賭けてもいいが、オマエは絶対散らかし放題にする」
「そんなことはないし、ここはオレの家じゃないのか?」
「半分間違いだな、オレも住んでいる」
オレの要望を、テスカトリポカはぬけぬけとそう突き返す。住み着いているの間違いだろう。とはいえこの家のキングサイズのベッドも一人暮らしには多すぎる食器も、認知した時点でテスカトリポカが何を企んでいるのか十分理解できたのに、オレはやめろとは言わなかった。つまりテスカトリポカがここに居るのは少なからずオレが許したことで、ヤツは迎え入れた戦士にサービスを提供しているに過ぎないのだ。
テスカトリポカとテレビの間を横切って、ディスクを再生機器に吸い込ませる。たぶん最新の薄型液晶に、旧懐すら覚えるチープなメニュー画面が映し出された。
「コーラは?」
「冷蔵庫で冷やしてる」
「わかった」
テスカトリポカの言っていた通り冷蔵庫の上段で眠っていた二本のコーラを取り出し、ソファに腰を下ろすと、テスカトリポカがカップに山盛りのポップコーンを差し出す。目から胸やけしそうな量でも、二人で食べるからこのくらいで丁度いい。甘ったるいにおいはキャラメルフレーバー、オレが一番好きな味付けだ。
オレの生前に余暇の記憶がほとんどないせいか、白昼からテレビの前に居ると、少年の夏休みの日々の記憶が蘇る。それはこの瞬間によく似ている。外から差し込む光をレースカーテンが柔らかに拡散し、部屋全体を薄明るくしている。今にも鳥の囀りが聞こえてきそうな陽気、敗者の静寂であり安穏の象徴。鼓動をやめた心臓から湧き上がる、微生物の活動すら凍結するほどの冷たさにさえ目を瞑れば——ここが冥界であることを忘れてしまいそうだ。
コーラの蓋をあけて、ぐっと一口あおる。今日はすこし暑い。脳天を走り抜ける冷たさと舌下で爆発する炭酸の刺激をかき分けた先で、常軌を逸した甘さが喉奥を覗き込んでいる。暴力的に過剰な糖質と熱量、堕落の味だ。瓶を置いて、右手でポップコーンを口に運びながら、まだべたついていない左手でリモコンを操作して、再生を始める。見慣れた冒頭。昔、家にディスクがあったから、何度も観た映画だ。何度も再生を繰り返して展開を覚えきってしまった映画。久しぶりに観たいと思って、二階の自室、クローゼットまで探しに行った。
配給会社のロゴを挟んで、映画が始まる。キャラメルフレーバーのポップコーンと冷えたコーラと思い出の映画。完璧な休日。ずっと夏休みが続いてしまっているような、長閑さが余って不安に転じさえしそうな日々を送っている。戦士らしからぬ日々だ。全能神とやることが、スライス・オブ・ライフじみた休日の享受か、とも思う。それでも心の底からもう十分だと言える日まで、テスカトリポカは付き合ってくれるだろう。偽りなく、誠実に、全霊を以って戦いの代価を与える。テスカトリポカはそういう神格だ。
テスカトリポカの、艶のある黒に彩られた鱗のような爪が、横から伸びてきてポップコーンを摘まむ。「ん、うまくできたな」小さくつぶやいた。
嫌いな食べ物、快適なマットレスの硬さ、贔屓の映画監督、好きなポップコーンのフレーバー。テスカトリポカはオレのすべてを覚えている。物語にたびたび現れる甲斐甲斐しい恋人とやらのように、もしくは執念深いシリアルキラーのように。しかしテスカトリポカにそのような意図はない、オレはそう認識している。なぜなら、神霊の正しい運行に用いられる熱量はヒト一人程度の情念など容易に凌駕するからだ。楽園の管理者として、そうする必要があるから記憶する。簡単な話だ。
たとえ、次のオレがここを訪れることはないとしても。そういうことがあったとして、次のオレがデイビットと同一性を保たないものであっても。今ここに居るテスカトリポカの、おおむねヒト規格の疑似人格が廃棄されても。北の楽園が役目を終える瞬間まで彼は全て覚えているに違いない。これまで彼が認めたあらゆる戦士のように。
画面の中では、もうすぐ数奇な運命に巻き込まれてしまう主人公が、うららかな日差しのもと恋人と笑いあっている。その光は地上の全てに等しく投げかけられているのにもかかわらず、画面の中の陰影は、まるで彼らのための光であるかのように調和している。
レースカーテンが透かした外の光、まわる天井のシーリングファン、映画を一緒に観てくれるオレの元サーヴァント、彼の全てがオレに降り注ぐ。一度、陽光のような金髪が視界の端にあるのを確認して、オレは映画に視線を戻した。
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