ゆい
2024-05-11 22:36:46
7284文字
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【宗みか】袋小路に傘は咲く

大学生しゅうくんと獣人🐈‍⬛みかちゃんの出会いの話。仲良くさせていただいている仮眠さん(@nmnm_nb)のイラストを元に書きました。


 酷く重苦しい雨の降る夜だった。
 授業終わりの草臥れた鞄が肩に食い込み、いくら注意していても一歩毎に裾が色濃く濡れていく。撥水加工されている筈のロングコートも心無しか重みを増した気がして気分まで冷たく塞いだ。昨日から続いた雨風は昼頃にやっと峠を越え、灰色に沈む夜の入口を静かに烟らせている。まだ慣れないビニール傘から仰ぐ空にはうんざりする程に分厚い雲がひしめき合い、ニュースが伝えた三日月はきっと夜明けまで隠されたままだろう。青葉も散らす長雨は確かあと数日は続くようで、昨日の暴風で壊れた愛用の長傘が修理から戻って来るまでは止まないらしい。安っぽい手触りと半透明の視界に今日何度目かも分からない溜め息が漏れる。だけど、この憂鬱な雨の中をわざわざ傘をさして傘を迎えに行くのはもっと忌々しい。親元と地元を離れた独り暮らしは気儘で新鮮で愉快だが、些事を肩代わりしてくれる者が居ない不自由さと寒々しさにはまだ慣れない。己が選んだ芸術を突き詰めるまでは戻らないと飛び出してきた生家に要らぬ心配や隙を与えぬよう、家事も学業も一人で全てこなしてきた。進む道は細く険しく、目指す頂は果てしなく高い。だけど、僕だけが尊ぶ理想でこの世界を塗り替える為ならば、あらゆる苦難も受けて立とう。いつか僕の芸術に全ての命と光が平伏す。その日が来るまで足を止めることは許されない、どんな血反吐に塗れても存在を示し続けることが美に選ばれた僕へ課せられた業だ。
 街路樹から落ちた雫が旋毛辺りのビニールを派手に叩き、尽きることのない独白まで大仰に揺らす。いくら大それた夢を語ろうとも、余白としての生活は否応無く続く。来月に迫ったグループ展や三日後のゴミの日を思えば、譲れない理想も一旦ショーケースごと頭の隅に寄せておく必要があった。提出まで一週間を切ったゼミ発表に至っては、未だテーマすら決まっていない有り様だ。普段であれば思索と日常の中からその時の自分に相応しい題目が自然と湧き出るものだが、何故か今回に限って琴線の水面は全く揺れなかった。惹かれる分野や閃きに出会っても心奪われる程の質感は無く、闇雲と手当たり次第を繰り返しては募る熱を持て余して。焦る気持ちが無いと言えば嘘になるが、己の芯となる部分で一片の妥協はしたくない。運命だとすれば一目見た瞬間に分かるだろう、あらゆる偶然を必然と言い張る気概が無ければ芸術なんて突き詰められない。
 大学を後にした時から一向に変わらない雨脚に顔を顰めつつ、更に歩幅を広げて水溜りを足早に避ける。大々的に降る雨は勿論憎たらしいが、霧と静寂を真似て堅実に濡れ重なる雨も身の置き所が無いから不快だ。図書館に寄ったせいで何時もより暗い家路は擦れ違う人影も無く、一人の道も侘しく濡れて黒く光る。こんな鬱鬱しい夜は、適当に買い置きのパンを齧って熱いシャワーを浴びたら早々に寝てしまうに限る。五分後には脱ぎ捨てる予定の衣類も一応気にしながら、雨音ばかりの家路を急いだ。いくら閑静な降り方だとは言っても、傘には絶え間無く花弁のような雨粒が当たり、耳を澄まさずとも世界が泥濘む音が聞こえてくる。これ以上滅入っては明日からの運命探しにも支障を来たしそうで、取り成すようにハンドルを握り直せば、不意に足元で柔らかく異質な音が鳴った。

「‥猫?」

 思わず足を止めて見下ろした先には、細い横道の始まりに背筋を伸ばして座るもう一つの夜がいた。少し雨に濡れた毛並みは月も無いのに黒々と光を弾き、若草色の瞳が脇目も降らずに真っ直ぐこちらを見詰めている。普段であればたとえ何が鳴いたとしても、目的地以外で立ち止まることは無い。毎日の通学路にこんな薄暗い脇道があることも初めて知ったし、正直言えば明らかに不正解の道や無関係な命など視界に入れたくはなかった。だけど、だらだらと何時までも降り続くこの雨に濡れて、警戒心が少し溶けてしまったらしい。向き合うように再度まじまじと眺めた黒猫は所々に綿埃がついていて、水溜りを器用に避けた地面へ前脚をきちんと揃えている。首輪も無いし、腹の辺りの痩せ方を見ても野良猫に違いない。あまり関心を寄せて懐かれでもしたら厄介だ、そう頭で理解していても何故か心が動かない。三日月を思わせる切れ長の眼差しがあまりに澄んで見つめ返してくるから、こちらも瞬きを耐えて息を呑む。だが、夜の欠片は突然大きな欠伸を一つ零し、永遠にも似た瞬間は無粋な形で終わりを告げる。呆気に取られる僕へ黒猫はまた短く声を残し、靭やかに身体を反転させると背後の暗がりへ歩み出す。えっ、と堪えきれず漏れた声に黒猫は一瞬だけ立ち止まり、首だけ捻ってこちらを向くとにゃおんと気怠い別れを吐く。いくら朴念仁の僕だってここまであからさまに振る舞われれば、眼差しの意図には流石に気付く。何故、とか。何処に、だなんて堅苦しく考えている暇は無かった。理性が形ばかりの警鐘を鳴らすより早く、手は素早く傘を畳み足は水溜りを少し踏んで一層の闇ヘ進んでいく。物言わず付いてくる僕に一瞥をくれて今度こそ路地裏を往くピンと立った尾を追って、人ひとりがギリギリ通れる幅の小道を辿る。何時もは決してしない選択の連続に、良くない類の胸の高鳴りを覚えている。古いビルとビルの隙間、雨は薄汚れた屋根達に遮られてひび割れたアスファルトが埃っぽく乾いていた。街灯も届かず殆ど勘を頼りについていく僕は、倦んだ日常にそろそろ疲れ出している。この先に運命などきっと無い、そんなことは分かっていても道を踏み外すことが止められない位には。
 蜘蛛の巣や羽虫の戦慄きを無我夢中ですり抜ければ、不意に小道が膨らんで大人二人が大きく手を広げた位の空間に突き当たった。まるで行き止まりを祝福するかようにどこかの隙間からいきなり今夜初めての月が落ち、場末のステージを丸く照らす。急に開けた夜の中央には大きさも厚みも異なるいくつかの命。砂利を踏み締めた気配を聞きつけた猫達が一斉に首を回す。予想外の連続に立ち尽くす足の横を全ての毛色がするりと抜けて、僕の代わりに日常へと戻っていく。それからちょうど一拍遅れて、一人残されてしゃがみ込む一際大きな黒がくるりと僕へ振り向いた。

「んあっ、もうどこ行っとったん、よ‥」

 ――運命、が。もし、巷に溢れる陳腐で凡庸なその言葉が人の形を模するとするならば。こちらを仰いで無防備に固まる「彼」こそが、僕の為に用意された「それ」だった。舌足らずに揺れる声は明度の低い洋服から覗く華奢な手足と不釣り合いに低く、琥珀と瑠璃を嵌め込んだ瞳が僕を捉えて大きく跳ねる。艶めいて月に伸びる長い睫毛も、雪より白く輝く痩せぎすの頬も、不用意に笑みを浮かべて凍った唇すら、今まで見たどの美しさよりも鮮烈だった。そして、濡羽色の癖のある髪から生えた二つの黒く端正な耳。どう見ても尻尾と呼ぶべき毛並みが裾の長いジャケットを押し上げるように天に向かって揺れている。――獣人。考えるよりも早く、目の前の命へ与えられた蔑称が脳裏を過ぎる。それは、長年秘境と呼ぶべき最果ての地でひっそりと生き永らえていた、人とも動物とも相入れぬ生物。人に良く似た見目形を取りつつ、動物の姿と能力をその身に宿した異端の者達が白日の元に引き摺り出されてから、まだ数十年程しか経っていない。保護だ調査だと国は居住区まで作り共生を謳っているが、その実情が囲い込みと人身売買の温床であることは大抵の国民が知っていた。生まれつき見目麗しい者が多いそれを鑑賞や趣味の玩具として好事家や富裕層は欲しがり、命は金に変換されて散り散りの鳥籠に消えていく。人権と動物愛護の狭間で弄ばれる立ち位置に同情はするが、正直言って僕には対岸の火事より遠い存在だった。だから、家人が話す差別もパーティーで遠く見かけた愛玩の姿でさえ、どこか他人事のように感じていたのに。
 衝撃に言葉を失う僕と呼応するように、彫刻として固まった相貌から転がるように色が抜けていく。あまりの顔色に体調でも悪いのかと思わず口を開くが、声になる前に眼下の黒はばっと身を屈め、細い両腕で頭を守るように隠れてしまう。

「ごっ、ごめんなさい‥!ちゃんと帰るからっ、痛いのは‥!」
「‥誰と間違えているのか知らないけれど。僕は暴力が嫌いなのだよ」
「‥‥‥お迎えに来たんと、ちゃうの‥?」
「初対面の君を、どこに連れていけば良いのかね」

 出来るだけ感情を込めず、素っ気無さを意識して返事をすれば、数秒かけて封じた腕から色違いの星がこちらを覗く。僕が先程の位置から一歩も動かずにいることをそっと確かめ、僕のあちこちへ忙しなく視線を飛ばした後、おずおずと両腕が元の位置へと下りていく。そこでやっと、彼が小さな箱を足元に隠していることに気付く。ホールケーキが入る程度の薄汚れた箱には蓋が無く、夜に紛れてよく分からないが何かが隠れているようだ。僕の視線を察したのか、整った頬がさっと翳り、頼りない厚みの掌は中身を隠すように箱の上を抑える。だが、慌てて手を被せたせいか箱は不安定な音を立て、中から絹を引き裂いたような高く短い声が鳴る。あっ、と鋭い息継ぎを漏らして泣きそうに口元を歪めた横顔があまりに痛々しくて、なるべく音を立てないように彼の近くまで足を運ぶ。

「失礼。隣に並んでも構わないかね?」
「‥‥ええよ」
「ありがとう。それは、‥仔猫かい」
「‥おん。隠れとったら見つけた」 

 よく耳を澄まさなければ聞き逃してしまう答えを一つずつ拾い集めれば、少しずつ傍らの痩せた肩から力が抜けていく。隣にしゃがむ許可にすら怯えた目を見張り仰ぐ程、人との交流が乏しいようだ。すぐに外された眼差しの後、猫一匹分の距離を開けて並んだ僕に黒がよく似合う彼は、時々言葉や視線に詰まりながらも最低限の会話に付き合ってくれる。視線はまだ箱の中で騒ぐ命達へ注がれ、努めて僕を捉えないようにしているのがバレバレだけど不思議と嫌な気分にはならなかった。僕自身、雑談や無駄口が得意な人間では無い。だけど、隠し切れない柔さを残す小さな声が紡ぐ言葉なら、どれだけぎこちなくとも最後まで聞いていたいと思う。一方通行の会話すら途切らせないよう必死に話題を選び続けてしまう、青い焦りにも似たこの飢餓感は何だろう。星を乗せた睫毛が震える度に舌が絡まって、薔薇より端正な唇が笑みの形をなぞるだけで思考が縺れて堪らない。ぴったりのモチーフを見つけた時、とびきりのインスピレーションを得た時とはまるで異なる胸の高鳴りに、自然と体温が上がっていく。せめて相槌に徹する眼差し位は冷静を保ちたくて眉間に強く力を込めた瞬間、ずっと俯いたままだった星がほんの少しだけ面を上げる。

「‥あの。おにいさんって‥ええひと、やろか」
「‥‥善き者で在ろう、とは常々思っているよ」

 幼気な眼差しに完全に不意を突かれて、殆ど睨むように答えてしまったせいだろうか。頼りない肩は言葉と裏腹の険しい表情に容易く跳ね、眦に薄い涙の影がよぎる。勿論すぐに澄まして素知らぬ顔を作ったけれど、ここで怯えて立ち去られでもしたらきっと死ぬまで悔やんで終わるだろう。身体中の緊張感はそのまま、それでも僅かに弛んだ警戒心の隙間を縫って上目の猫が遠慮がちに口を開く。

「あんなぁ、この子達を病院に連れて行って欲しいんよ」
「‥一応聞くが、君が行けば良いのでは無いかね?」
「おれやと保険、証?が無いから無理なんやって」    

 施設で盗み聞きした感じやと、そうみたい。瞬間伏せた瞳でさらりと寂しげに呟き、またぱっと僕を見上げた色に心臓が派手な軋みを鳴らす。彼が大事に触れる箱が指の形に凹んでいるのを視界の隅に見て、目の前の緊張がうつったみたいに傘を握る手に汗が滲んだ。

「‥病院にかかって健康を確認出来たら、どうか優しいひとに貰われて欲しい。きっと、野良でいるより幸せになれるから。‥だから、お願いしますっ、会ったばかりのひとにこんなん頼むのおかしいとは思うんやけどっ、他に頼めるひとおらんから‥!」
「こらっ!地面に膝をつくのは止めなさいっ、君が汚れるのは違うだろうっ!とりあえず立ちたまえ!」

 硬い声が上擦り始めたと思えば、突然箱ごとこちらを向いてめり込むように頭を下げるものだから、制止の声は情けなく裏返ってしまった。いくら雨の死角とは言え、湿度の高い土に服まで汚して続く懇願をこれ以上聞いていられない。きっと、ここで肩でも腰でも抱いて立ち上がらせてやるのがスマートな振る舞いなのだろう。だけど、目が合い肌が近付くだけで怯え退がる姿を目にしてしまった以上、無駄な接触は僕の方がしたくなかった。言葉だけを尽くし身を起こすように何度も請う僕の必死さに気圧されたのか地に伏しかけていた頭は少しずつ元に戻っていく。そのまま急かすように立たせてようやく向き合った彼は僕より少し背が低く、丸い背中も相まって本物の猫のようだった。頭上の耳は震えながら伏せられ、反対に尾は毛が立ち太く揺れている。かかえた箱の中では三つの僕の掌にも満たない灰色の命が突然の高さにうろうろと鳴き、僕と彼を値踏みするように見比べていた。何とか汚れきらずに済んだことへ密か息を吐く僕に、揺れて歪な視線が真っ直ぐに刺さる。生き物なんて飼ったことも、飼いたいと思ったことすら無かった。他者を自室へ招くことさえ嫌なのに、言葉の通じない仔猫なんて考えただけで倒れそうだ。僕は僕の求める芸術へひたすら真摯に一途でありたい。寄り道も道連れも勿論不要、誰にも邪魔されず正道を歩み続けることだけを望んでいた、――けど。

「‥‥里親が、見つかるまで。僕が関与出来るのはそこまでだ」

 脳内を嵐のように駆け巡っていた理想は結局一文字も音になれず、渋々絞り出された声が告げたのは茨の道への案内だった。僕の提案に彼は一瞬ぽかんと口を開け、すぐにぱっと花が咲いたように顔中綻ばせる。無邪気に輝く瞳を見つつ、もう後戻りは出来ないのだと強く奥歯を噛む。僕には生き物を養う自信もスキルも無い。唯一あるのは今手放せば二度目は来ないという、息苦しいまでの確証だけ。

「ほっ、ほんまにええの‥!?」
「ただし、僕は生き物を飼育した経験が無い。正直、猫の手も借りたい状況だ」
「んあっ、そやねっ、はじめてって分からんことばかりやもんな。全然っ、おにいさん一人で抱え込んだりせんで、色んな人に助けて貰った方がええよ」
「加えて日中は大学もある。部屋を必要以上に汚さないよう気を付けてくれれば、ある程度の自由は認めよう」
「おん!猫は賢いから、説明すれば聞いてくれるで」
「すぐに合鍵は用意出来ないが、早めに作っておく。寝具を揃えるまで、多少手狭だがソファーで過ごしてもらうよ」 
「‥‥おれ?」 

 張り詰めた糸が切れたように淀み無く溢れる関西弁を聞きながら、注意深く必要なことを伝えていく。綿菓子のように笑いながら流していた会話の全ての照準が自分に向いていたことに彼が気付いた時にはもう、言質はあり余る程に取れていた。獣人は施設か特権階級の元に集められ、それ以外の場所で生きることは許されていない。それでも、重過ぎる罪に追い付かれるまでは巷間に忍び、人と暮らす獣人がいることもまた事実だ。恐らく彼もそのような選択を見聞きしたことがあるのだろう、分かりやすく狼狽える姿を眺めつつそんなことを思う。口に出してしまえば案外心は穏やかで、困っている隙にと類稀なる美をまじまじと盗み見る余裕すらあった。どうせ道を踏み外すならば、これだと決めた相手と跡形も無く盛大に。僕の言葉を懸命に噛み砕いて少しずつ心を傾けて始める姿に、隠し切れずに口角が上がりゆくのを感じる。

「何度でも言うが、一人ではこの仔達を預かることは出来ない。君も行く当てが無いようだし、丁度良いだろう」
「‥迷惑や、無いの?」
「先に誘いに乗ったのは僕だよ。君さえ嫌でなければ、どうか僕を手伝っておくれ」

 嘘ではないが本音でもない言葉が踊るように舌を回して、ゆっくりと彼の退路を断っていく。陰鬱な日々を厭い、施設か屋敷から逃げ出して来た美しき異端者。恐る恐る黙り込みながらも不揃いの瞳は一呼吸ごとに輝きを増すから、うっかりこちらも不用意に距離を詰めたくなる。倦んだ日常の空気を深く吐き切って咽せるくらいに息を吸えば、烟る雨に混ざって嗅いだことのない匂いがした。それが目の前の彼から放たれたものか、これから始める運命にまつわるものなのかは、今はまだ分からない。

「交渉成立だね。僕は斎宮宗。共に暮らすことになるのだから、名前くらいは聞いておきたい」
「‥みか。影片みか、です。不束者やけど、お願いします」

 まるで見合いの席のようにぎこちなく頭を下げる彼に合わせ、腕の中から色とりどりの返事が上がる。こちらこそ、よろしく頼むよ。強いて冷徹に返した筈の自分の声は存外に弾み切っていて、雨上がりにここまで浮かれたのは子供の時以来だとぼんやり思う。二人共、罪の意識は不思議とまだ無い。この出会いにありきたりな名前を冠するにはまだ何もかもが早すぎる。自分の荷物で満載の手を何とか一人分空けて、まだ完全には緊張の解けない瞳へ指先まで意識しながら差し出す。数秒惚ける顔をしてからやっとこちらの意図に気付いたらしい影片が、僕を真似て反対の手を急いで伸ばして来る。お互い少しずつ歩み寄って形だけでも握手を交わせば、今までで一番近い距離で照れたように星が笑う。ただそれだけのことで君以外のあらゆる選択肢を捨て去る覚悟を決めてしまう僕がいる。僕の人生を無邪気な通り雨のように濡らし、やがて美しい霖雨となって汚し尽くしてくれる筈の君よ。いつか僕の運命となること前提に、今はシャボン玉のような共犯関係から始めておくれ。