g_g_i_i_e_e
2024-05-11 00:06:31
3944文字
Public
 

えもの

ししさめ突発短文 ☔兄の本名バレ


 客観的に見て、村雨一希は魅力的な男であった。
 彼は太陽のように笑い、炎のように怒り、他人と共に嘆き、また楽しむことができる男だった。彼の周囲には人が絶えず、弟である村雨礼二の目には、一段明るく輝いてすら見えた。
 彼はまた、よく他人に利用された。裏切られ、挫折し、うずくまり、そこから立ち上がってまた歩いた。そんな彼がやがて一人の女性を視界に入れたとき、村雨礼二は当然の事実として、こう思った。兄はこの女性と結婚するだろう、と。

 兄がその女性に見せるバイタルサインは、それまでの「歴代彼女」の誰に向けたものとも違っていた。その違いがどこから来るものなのか、村雨礼二にはよくわからなかったが――彼の目から見た彼女たちはどれも大差なく見えたので――、少なくともその女性が、近い将来、村雨礼二にとって義姉と呼ぶべき人になるべきことは予測がついた。
 兄がその情熱を一心に傾けて、抗える女性などこの世に存在するはずがない。
 村雨礼二にとって、兄はそういう人であった。客観的に見て、そうだと言い切ることができた。
 ただ、そんな村雨礼二のことを、兄がいかにも楽天的に、「お前にもいつかいい人が現れる」と言い切るのは、さすがに納得のいかないことだった。
『もしそういう人が現れたとして』
 ある日、村雨礼二は辟易とした顔で言った。
『相手の方が僕に見向きもしなかったら、何の意味もないだろう』
 自分はお世辞にも、他人に好かれる性質の人間ではない――そもそも一部の多少敏い人間には、人間かどうかさえあやぶまれている。それをよく知る村雨礼二の言葉に、しかし、兄はまったくひるむことがなかった。
『その心配はないさ』
 輝くような笑顔で、何のためらいもなく兄は言った。
『お前が本気で誰かを好きになれば、その誰かだって絶対お前に夢中になる』
 お前はそういうやつだ。
 ――わけがわからない。
 そう思いながらも、兄のその言葉は、無数のカルテの一枚の如く、確かに村雨礼二の記憶に残った。

 だから獅子神敬一が視界に確かに入ったとき、村雨礼二は、きっとこの男は私に夢中になるだろう、と思った。兄は馬鹿ではないし、恋愛に関しては確かな先達者でもある。村雨礼二は自分が恋愛をしているという自覚がなかったが、獅子神敬一は今までの誰よりもいい匂いがしたし、見た目も美しく、料理が上手く、意識が高く、そしてそれ相応に毒気も強かった。
 だから村雨礼二は獅子神敬一の周りをうろちょろし、ちょっかいをかけては彼を怒らせ、気軽に押しかけては面倒を見させてやり、そして、ときどきぺたりとその身体にくっついた――驚くべきことにこの男は、手触りもまた最高だった。
 獅子神敬一から放たれるバイタルサインに、かっかと燃える怒りこそあれ、嫌悪や悪意が決して浮かばないこともまた、村雨礼二の図太い態度に拍車をかけた。まとわりつかれるときの獅子神敬一からは、興奮や発情のサインも混じるようになったので、村雨礼二は兄の正しさを確信した。
 ある二人きりの夜、獅子神敬一はサンルームのソファにどかりと座り――その隣には既に村雨礼二が座っていた――、オレをからかってんのか、と肝の据わった低い声で言った。村雨礼二はうきうきとして、もちろんからかっている、と答えた。獅子神敬一の、火花のような怒りが村雨礼二は大好きだった。それは夏の夜にパチパチと爆ぜる手持ち花火のように、美しいものに思えたのだった。
『そうか』
 獅子神敬一は――それも村雨礼二の大好きな声だった――、威嚇する獣のように唸った。
『じゃあお仕置きしてやる』
 そして村雨礼二の身体はソファから抱え上げられた。


……?」
 浅く弾みつづける己の息の音を聞きながら、村雨は知らない部屋の天井を見上げていた。身体中がひりひりして、耳の奥では血管がどくどく脳を叩きつづけている。
 知らない部屋、といっても、ここがどこであるのかは知っている。特に何も言われはしなかったが、部屋の匂いや調度品、間取りから推測することはできる。あのソファから抱き上げられてここまで運ばれてきたので、ここが獅子神の自宅内であることは確かだし、下ろされた寝台は獅子神が日常的に使っているものだとすぐにわかった。
 隣には獅子神の大きな身体が、同じように仰向けになって眠っている。じりじりするような熱が左隣から伝わってきたし、規則正しい寝息にも嘘は含まれていなかった。
「???」
 村雨は呆然とまばたきをする。涙の名残がぱちぱちと睫毛の周囲に散った。
 ベッドに放り込まれて、大きな身体がのしかかってきて、なるほど我々はセックスをするのか、と確かに村雨はわくわくしたはずだった。経験はないが、獅子神とすることなのだからきっと楽しいのだろう、と確信もしていた。獅子神のバイタルサインは何だって気持ちよかったし、村雨は本当に獅子神のことが欲しいのだから、きっと今夜まさしく――少なくとも性的には――手に入るのだろう、とも思っていた。
 そして村雨は服も脱がされぬその前から――
「う」
 ずくん、と腹の奥がうずいて、村雨は思わずうめき声を漏らした。
「う、ン、……っ♡、……んんんっ♡♡、??」
 腹の深部筋肉が勝手に蠕動する。足先からかきむしるような感覚がせり上がってきて、アッ、ととうとう悲鳴が漏れた。
「~~~~~~~っ♡♡♡」
 じぃん、と身体中が――性器の奥が、腸の周囲が、へその中が、乳首の先が、喉が、鼻が、頭の裏側が、炙られるように弾けていく。ぴん、と爪先が伸びてびくびくと動き、おそらく――あくまでおそらく、村雨は絶頂した。
「あッ、や、やだぁっ♡なにっ♡やぁあっ♡」
「ん……
 憎むべきことに、獅子神の覚醒はゆるやかだった。太い両腕がゆっくりと――いかにも「別にびっくりするべきことでもない」とでも言いたげに――伸び、じたばたする村雨の身体をぎゅっと抱き寄せて、背後から抱え込むように押さえ込んだ。
「よしよし、イイコだな、余韻気持ちいいな……よしよし」
「んんん~~~~っ♡」
 耳朶に触れんばかりの距離で囁かれて、目から涙が勝手にぼろぼろとこぼれる。びくん、びくん、と揺れている身体をぎゅうと抱きしめ、寝起きの熱い手で腹をやんわりと撫でながら――それがまた村雨をひくつかせた――、獅子神は訳知り顔で言葉を継いだ。
「いっぱいイこうな、怖くねえからな」
「いっ♡いぁ、や、やぁ……っ♡」
「嫌じゃねえだろ、明日休みだよな? 大丈夫」
「ぁ、~~っ♡」
「そう、上手にイけたな、イイコイイコ」
 最中にはさんざん「いけない先生だな」と言っていたのに、いけない子の時間は終わり、今はいい子の時間であるらしい。低くかすれた声はその「いけない先生だな」や「へえ、ここも好きか」を脳の中に無限再生し、密着した全裸どうしの肌は村雨が汗をかき始めたせいで、あのぬるつきを思い出させていた。
「も、もうっ♡やああぁ……ひぐっ♡」
 泣きじゃくる村雨をなだめるように撫でさすりながら、獅子神はひたすらに「大丈夫」「いいこ」を繰り返す。
 ――どうしてこんなことに。
 決して強姦などではない。最初のキスの後に全身を撫で回された時点で、村雨の五感はもう獅子神の与える刺激に全降伏していたし、後は何をされてもその口からは、べそべそ泣きと獅子神の名前以外では、「きもちいい」「すき」「やめないでいい」の三つしか出てくることがなかった――後半になると獅子神に教え込まれた通り「いく」と「いきます」がそれに加わることになるのだが。
 つまり村雨の身体は自律する性的同意の塊と化しており――その結果がこのていたらくである。
 ――どうしてこんなことに……
 何かこう、ふわふわした、あとペロペロとかシコシコとかヌルヌルとか「あっ」「んっ」「いいっ」ぐらいの何かが始終行われるものだと思っていたのだ。こんな「あーーーーっやらぁまたっ♡またぁっ♡くるっ♡おっきいくるっ♡あたまこぁえうっ♡やだぁごあえうううっあーーーーーっ♡♡♡」みたいなことをされるなんて、夢にも思ってはいなかったのである。
 ひっくひっくと泣きながら、村雨はせめて獅子神の、ケロイドになって敏感であろう右手の甲をつねろうとする。だがその手がいとも簡単につかまり、ひどくやわやわとした手つきで揉まれるに至って、とうとう「うええええ」と声を上げて泣き出した。
「んー……もうちょっと疲れたら、たぶん眠れるからな……お前敏感だもんな、刺激全部拾っちまってるんだな」
 ならなぜこんなねっとりした撫で方をするのだ! と爆発したくても腹に力が入らない。獅子神は事後に精液やゴムや潤滑剤のにおいが残っていてさえいい匂いで、そして、布団の中はいまいましいほどにあたたかかった。
 いい加減絶頂するのにも、情緒をめちゃくちゃにされて泣くのにも疲れてきて、村雨はすんすんと鼻を鳴らす。
 ――どうしてこんな。
 獅子神の四肢は村雨の身体にむっちりと絡みついたまま、決して彼を離すことがない。とろけたような甘い声が「そろそろねんねか」と囁いて、鼻面をうなじにすり寄せた。
「これからよろしくな」
 ――なにを。なにをどうよろしくされるのだ。
 身体は甘い刺激と絶頂の余韻に、精神は狂った情緒と未知への不安に満たされて、村雨の意識は再びとざされていく。挨拶の続きのように、おれのかわいいせんせい、という声が聞こえた気がしたが、それについて考える努力を、村雨はいっさい放棄して浅く眠った。

 鍛え上げられた、その太い両腕に捕まったままで。