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千代里
2024-05-09 08:29:33
12572文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その3
「やっと着いたー!」
びょうびょうと吹き付ける寒風に負けないほどに大きな声が響く。それにあわせて、ヤルマルの両腕が、灰色の空を穿つように突き上げられた。
「いやいや、ヤルマル。ここ、別に目的地でも何でもないだろ」
間髪入れず、ゴールに到達したかのようなヤルマルの物言いに、ルーシャンがツッコミを入れる。
眼前に聳え立つのは、まるで定規で引いた三角形を並べたような尖塔群。石造りの壮麗な建物や、統一感のある荘厳な街並みは、如何にも雪原を乗り越えた旅人の目的地
――
のように見える。実際、ノエたちを運んでくれたキャリッジの目的地はこの街だ。
キャンプ・ドラゴンヘッドを旅立って、さらに一週間近く。ノエたちは、クルザスの中央高地を行きつ戻りつした末に、ようやくイシュガルドに繋がる門を潜り抜け、彼の国で最も大きい街
――
皇都に到着した。
普通の旅人なら門前払いだっただろう検問は、ノエの父親からの伝達のおかげで、あっさりと通り抜けることができた。ノエの指輪を確認した騎士たちは、一行の人相だけ確認すると、入国を許可してくれた。
皇都に続く長い橋を渡り、ようやく辿り着いた街。そこは、ノエにとっては嘗ての思い出を宿す地だ。同じくイシュガルド出身のルーシャンや、彼の従者であるサルヒもどこか感慨深げに皇都の街並みを見つめている。
一方で、イシュガルドにきた経験があるはずのヤルマルは、まるで観光客のように歓声をあげていた。もっとも、この振る舞いは沈みがちなノエの心情を慮ってのことかもしれない。
オランローとオデットは、初めて目にするイシュガルドの街並みに、ただただ圧倒されているようだった。
「ここが、イシュガルド
……
」
思わずといった様子で、オデットが声を漏らす。
ノエに出会うまでの記憶を失っているオデットにとって、イシュガルドはグリダニア以外で初めて見た大きな街だ。そのうえ、グリダニアとはまるで違う様式の建物が連なり、今まで見たこともない服装の人々が行き交っている。彼女があちこち視線をやってしまうのも無理もない。
「オデット。この景色に見覚えはあるだろうか」
ノエの質問に、オデットは小さく肩を跳ねさせる。
この旅路はノエの父親に再会するという目的もあるが、同時にオデットの記憶の手がかりを探す旅路でもある。今まで考えようとしていなかった事柄が話題として振られ、彼女は戸惑いを浮かべつつ、
「
……
見覚えは、ないです」
記憶のことについては、ノエとすでに一度話はしている。記憶を得ようとするのが恐ろしいと思うオデットの気持ちを、全てを取り戻したオデットが自分から離れてしまうのではないかと感じたノエの不安も、互いの心情は全て打ち明けあっている。
だからといって、記憶を得て、今の自分が知らない自分が戻ってくることに対する不安が消えたわけではない。オデットの顔には、先の見えない未来に対する懸念が明確に浮かんでいた。
「似たような作りの建物は、見たことがある
……
ような気もします。でも、全く同じというわけではなさそうです」
「そうか。じゃあ、オデットは皇都に行ったことはなかったのかもしれないな」
そこまで言葉にしてから、ノエは不安げなオデットの頭を防寒着のフード越しに撫でてやる。たとえ何があっても、自分は彼女の隣にいると示すかのごとく。
「オデットはイシュガルドの出身の可能性が高いって話だったからね。イシュガルドの建物は石造りのものが多いし、そうなると皇都以外の街に手がかりがあるんだろうか」
皇都以外にも、イシュガルド各地に赴いたことがあるヤルマルが別の可能性を提示する。彼女やオランローにも、オデットの過去の情報についてはある程度共有している。
ディアヌが教えてくれたオデットの幼少期や、彼女に『兄』と呼ぶ人がいたらしいということ。救貧院を出た後のオデットが、教会が主導した開拓事業に従事していたらしいことは、皆の知るところとなっていた。
「お嬢ちゃんの手がかりの話もいいが、そろそろ移動しないか? こんな所で団子になっていたら、通行の邪魔だぞ」
ついついその場で話し込みかけていた一行は、ルーシャンの言葉に促されて各々顔を上げる。彼の言う通り、ノエたちは今、イシュガルドの出入り口である門の脇に固まっていた。
通用門には商人のチョコボ車が停泊していたり、騎士団が物資を運ぶための幌をはった荷車がいくつも行き来している。そのような所でいつまでも立っていたら、確かに迷惑だろう。
「ノエ。この後の予定はどうなっているんだ?」
「手紙によると、上層に宿を手配してくれたようです。そこの受付に手紙を見せるように、と」
「よし、それなら上層に向かおうか。ほら、お嬢さんたち、荷物を持った持った」
首が痛くなるほど高い尖塔群を見つめているオデットやヤルマルを促し、ルーシャンはノエに代わって先頭に立つ。彼にとって、皇都イシュガルドは初めてではない。幼い頃に来たきりの自分よりも街の構造も把握しているのだろうと、ノエは先導を彼に任せることにする。
ルーシャンの後に続くようにして、五人は緩やかな坂道を上っていく。
ちらちらと舞う雪と、灰色の石で作られた建物たち。天蓋は雪雲の鉛色が延々と続き、どこか沈鬱な空気が拭いきれない。特に、あちこちに見られる建物の修復跡は、ただの経年劣化を修繕しただけとは思えない物々しさがあった。
「兄さん、あちらの建物なんですが、どうしてあそこだけ色が違う石を組んでいるのでしょう」
オデットが指さしたのは、皇都の建物の中でもとびきり古そうな家屋だった。
すでにかなり前の修繕なのだろうか、どちらの石組みも風雪を浴びて相応の風格を得ている。だが、初めて来たオデットにもわかるほどに、その建物の石組みには不自然な部分があった。
「ああ、あれは多分
……
」
「あれは、昔ドラゴン族が建物を襲撃したときの名残だと言われておるよ」
ノエが説明をする前に、横から嗄れた声が響く。坂道の途中にあった小さな邸宅の庭先から、その声は聞こえた。視線をやれば、寒冷に耐え忍ぶ木々の中、老齢のヒューランの男性が会釈を返してくれた。どうやら、庭いじりをしている途中だったようだ。その手には、植木鉢と剪定鋏があった。
「ドラゴン族
……
」
「ああ。お嬢ちゃんたちは、もしかしたら外から来た人かね。皇都では珍しいこともあるもんだ」
老爺はノエたち一行をちらりと見やる。如何にも旅装姿のルーシャンやノエに加えて、アウラ族の二人は目深にフードをかぶっている。そのような姿をしている者は皇都の中では他になく、確かに一行は街中では浮いて見えた。
「どういう理由があって来たのかは知らんが、よその人なら今は長居はしない方がいいだろう。二十年ぐらい前から、邪竜の活動が活発になっておるからな」
そう言われて、ルーシャンとノエの表情に厳しさが混じる。
一方、オデットにとってドラゴン族の存在は、あくまで伝聞に過ぎない。今ひとつピンと来ていないのだろうと気がつき、老爺は生徒に指導をする先生のように目尻を細め、オデットに合わせて腰を屈めてみせた。
「ドラゴン族というのは、とても恐ろしいものだ。吐き出す炎の息で街は焼け、氷の息は街そのものを全て凍り付かせる。あの建物の石組みが不自然なのは、建物の大部分をドラゴン族が破壊したせいなんだよ」
老爺は説明をしながら、先だってオデットが目に留めていた建物を指差す。
そのように説明を受ければ、オデットにもありし日の惨劇が想像できる。色が変わった部分の石組みを視線でなぞれば、そこが爪で抉り取るようにして大きく色が変わっているとすぐに分かった。もし、その通りの破壊が起きてしまっていたのなら、きっと建物の中にいた人の多くは命を落としたであろう、ということも。
「どうして、ドラゴン族はそんなことをするのですか
……
? 彼らは、他の魔物のようにすぐに倒せないんですか?」
オデットが持った疑問は、この国で暮らす子供ならすぐに思いつくことだ。そして、そんな若者に向けて、大人はいつも首を横に振ることしかできない。
「ドラゴン族の厄介なところは、奴らの強靭な体力と破壊力だ。確かに、弱いドラゴン族や知性の低いドラゴン族なら、騎士が集まれば討伐は不可能じゃない」
説明を引き取ったのは、ルーシャンだった。彼は色が変わった石組みを睨むようにしながら、
「だが、ドラゴン族の親玉ってやつは、そんな簡単に倒せる相手じゃない。今まで、何人もの竜騎士やら騎士が仕留めようと挑んだが、どれも上手くいかなかったって話だ」
「おまけに、奴らはただ暴れているだけじゃない。明らかにわしらのようなヒトを狙って攻撃しているものもいる」
魔物の中でも、知性の低いものの行動は獣とほぼ同等であり、行動のパターンも読みやすい。
腹が減ったから獲物を求める。良い住処を求めて、各地を渡り歩く。その結果、偶然ヒトの生活圏と重なってしまったが故に、魔物とヒトとの間に衝突が生まれる。
だが、知性のある妖異や魔物ではそうはいかない。彼らは、明確に意図を持ってヒトを襲う。手に入れやすい食料を得たいと思ったがゆえの行動の場合もあれば、己の退屈を慰めるための娯楽による襲撃の場合もある。どちらにせよ、力を持たない人々はなす術もなく蹂躙されるしかない。
「二十年前の邪竜による山村の襲撃など、その筆頭だとわしは思っておるよ。その後から、ドラゴン族どもの活動が活発化しておる。わしの孫も、いつドラゴンどもに八つ裂きにされるかと思うと
……
いや、これは年寄りの愚痴だな」
やれやれと、自嘲を交えて老爺は首を横に振った。おそらく、目の前の老爺の孫はドラゴンと戦う仕事に従事しているのだろう。
彼の憂いを感じ取り、オデットは唇をきゅっと引き結ぶ。
「何の用事があって来たのかは知らんが、わしはイシュガルドへの長居は勧めんよ。もっとも、皇都はいくらか安全だろうがな。遠方から来たんなら、大聖堂や四大貴族のお歴々が住まわれている住宅街にも足を伸ばしてみるといい。イシュガルド独特の建物は、きっと珍しく映るだろうて」
せっかく観光に来たのに、暗い話ばかりを子供に聞かせるものではないと思い直したのか。老爺はいくらかは声の調子を上げて、坂道の先に続く建物を指さしてみせる。
彼の言う通り、坂道の向こう側に続く壮麗な建物群は、グリダニアの素朴な木造の建物を見慣れているオデットにとっては珍しいものとして映った。
「ありがとうございます。オデット、そろそろ行こう」
「はい、兄さん」
オデットは丁寧に老爺に一礼してみせる。老爺も、静々と頭をさげてから、
「どうか、皆さんの旅路に戦神ハルオーネの導きが在らんことを」
向けられた祈りの言葉は、ただの儀礼以上の真剣さを帯びているように聞こえた。
しかし、今のオデットにはそれに返す言葉を見つけられず、オデットはお返しにいつもより深く頭を下げたのだった。
*
「兄さん、一つ気になったことがあったのですが」
「なんだい、オデット」
老爺と別れて、更に一行は坂道を上っていく。途中、騎士団が物資移送のチョコボ車を走らせる場面に遭遇し、巻き込まれないように一行は道の端をゆっくりと上っていた。
「あのおじいさんのお話を聞いてから、疑問に思っていたことがあるんです」
「ドラゴン族の話のことかな」
「はい。ドラゴン族とイシュガルドの方々が長く戦って来たのは分かりますが
……
どうして、皆さんはこの地に居続けるのでしょうか」
オデットの素朴な問いかけは、完全にノエの虚をついていた。彼は小さく瞠目し、しばし言葉を無くしてオデットを見つめ返す。
「だって、兄さんのように国を出れば、ドラゴン族に追いかけ回されることもなくなるんですよね。外にも魔物はいますが、この場所で暮らすよりはずっと安全ではありませんか」
「あー
……
オデット。その質問、あのお爺さんにしなくて正解だったね」
どう返すか言葉に迷っているノエよりも先に、イシュガルドに関わりを持っていないヤルマルが、オデットの質問に応じた。常のように軽妙な足取りで少女に近づき、
「確かに、ボクみたいな旅人から見たら、こんな不便な場所に居座る理由なんてないんじゃないかって思うよね。ひょっとしたら、昔の歴史を遡れば、この地に移り住まなくてはいけない理由があったのかもしれないけれど、それは昔の話だ」
ヤルマルは一度足を止め、半ばを登った坂道の中間点からイシュガルドの街並みを見下ろす。眼下を行き来する人々の流れを見つめる横顔は、いつも見せている軽快な雰囲気が鳴りを潜め、彼女が百年以上の時を生きたヴィエラの一人だということを思い出させる。
「
……
でもさ。ここが、彼らが生まれ育った街で、生きてきた国なんだよ。どれだけ不便で、住みづらいと思っていても
……
危険なドラゴンが襲ってくるって分かっていても。やっぱり、故郷ってやつは特別だ」
ヤルマルは目を細め、家々の一つ一つを見つめていく。窓の向こうにいる、数多の人々の営みを思い浮かべるかのように。
「ボクは、自分の故郷が正直好きじゃない。でも、帝国が故郷の近くに進軍したって聞いたら、流石に落ち着かない気持ちになったさ。ボクがただ興味本位で森を飛び出しただけの者だったなら、故郷に戻っていたかもしれない。生まれ育った所っていうのは、そういうものなんだ」
その場に居続けたところで、利益などない。そう分かっていてもなお、踏みとどまってしまう場所。どれだけ嫌悪の情があったとしても上書きできない感情の一つに、郷愁というものもあるのだろう。
「それに、外に出たくても出られないって人もいるのだろうね。オデットのように魔法が使えない人にとって、違う都市に行くだけでも一苦労だ」
先日、イシュガルドから越してきた親子でさえ、引っ越しの時は勤め先の貴族の助けを得ていた。裏を返せば、そうでもしなければ、力を持たぬ者にとって都市間を行き来するのは容易ではないことの表れでもある。
「引っ越した先の家とか生活とか、考えなくちゃならないことも多い。現実的な部分を考えると、いつ来るか分からないドラゴンの襲撃の脅威こそあれど、そうそうに故郷を出るとはいかないのだろうね」
「それに、仮に国をあげてこの土地を捨てたところで、ドラゴン族どもが追いかけてこないとも限らないしな。地の果てまで追いかけられた日にゃ、ことは俺たちだけの問題だけじゃなくなっちまう」
ヤルマルが現実的な生活の話をした後に、今度はルーシャンがより大局から見た理屈を添えてオデットの疑問に答える。
ドラゴン族が人々を襲う理由は、実際のところ明確にはなっていない。建国時の神話には、王がエレゼン族たちを連れて約束の地に赴いた際、邪竜に襲われ、それを討ったとしか記載されていない。
「それに、始まりがどこにあるかなんて、今は大した問題じゃないんだよ。あいつらがヒトを殺し、街を壊し、俺たちを苦しめている。今を生きている俺たちにとって大事なのは、それだけだ」
ルーシャンはそう告げると、ヤルマルのように眼下に広がる皇都を見つめる。
ペン先を並べたような尖塔に、石畳を敷き詰めた丁寧な作りの街。どれも、一朝一夕で作られた建物ではないのが見てとれる。
「イシュガルドで生まれ育ち、何百年もかけて創り上げたものがある。それを、どうして俺たちを苦しめてる連中のために捨てなくちゃならないのか。まあ、つまりはそういうことだな」
ここには、自分たちのご先祖さまが築き上げた建物がある。街がある。社会がある。歴史がある。
なのに、理不尽にもこちらを苦しめるための存在に、今の場所を明け渡す
――
などというのは、イシュガルドの国民にとっては到底受け入れがたい選択肢のはずだ。
「戦ってきた歴史の数だけ、積み重なった屍がある。そうなっちまったら、もう引くことはできないもんだ」
ルーシャンの言葉は、イシュガルドという国に向けた一般論というには、いくらか感情が乗り過ぎているようにも聞こえた。しかし、彼の言葉がある種の真実を突いていることは、オデットにも十分に分かった。
「
……
わたし、イシュガルドの人がドラゴンと戦っているということ、軽々しく捉え過ぎていたのかもしれません」
「オデットの意見が間違っているとは思わないよ。この国を出ていくことを選んだ人も、少なからずいるだろうから」
自分の判断が軽率だったと俯くオデットに、ノエは彼女の考えをフォローする言葉を送る。実際、形はどうあれ、ノエもこの国を出ていくことを選んだ側の人物に当てはまる。
「だけど、この国に残り続けているからって、それが愚かな考えだとは思わないでほしい。オデットなら、そんな風には考えないと思うけれどね」
「
……
はい。それに、わたしも
……
この国にいたのかもしれないんですよね」
オデットにとって、灰色の街並みはどこまで行っても見慣れぬ街並みに過ぎなかった。どこか既視感こそあるものの、それはぼんやりとした思い出の残像と重なっているだけで、実感を伴ってはいない。
「わたしは、この国を
……
出て行きたいと思っていたのでしょうか。それとも、お母さんが眠るこの場所に、居続けたかったのでしょうか」
自分はどう思うべきなのだろうと考えてみても、答えは出てこない。お母さんという単語すら、どこかよそよそしくて口に馴染まないような有様だから、仕方ないのかもしれないが。
(お兄ちゃんもお母さんも、この国の大地に眠っている。そこまで分かっているのに、わたしはまだ、この国に親しみを覚えられない)
グリダニアの穏やかな陽だまりや、ノエと過ごしたカフェの方がずっと親しみを覚えてしまう。そんな自分が薄情なのだろうかと思いかけたとき、オデットの手がとられる。顔を上げれば、そこにはいつもオデットを安心させてくれる『兄』の顔がある。
「自分はこうするべきではないか、と答えを急がなくてもいいと思う。いつか、全部繋がったときに君の感じた想いに、素直になればいいんだ」
ノエの言葉は、いつもオデットに安心をくれる。その場凌ぎではない、彼の心の奥底から湧き出た言葉だからだろうか。オデットは彼の手を握り返し、「はい」と頷き返した。
「宿はもうそこなんだっけ? そろそろ室内に入ろうよ。ボクの自慢の耳が凍っちゃう!」
「ヤルマル、宿はまだ歩かないといけない。でも、眺めは綺麗だと思う」
「ボクは眺めよりも、暖かいかどうかの方が気になるなあ」
「イシュガルドの防寒設備は一級品。ヤルマルも、きっとすぐに温まる」
イシュガルドの空のように重くなりがちだった空気を、ヤルマルの陽気な一声が払拭していく。彼女の気遣いを察してか、サルヒもすぐにそれに応じる。
二人に促されて、オデットとオランローも宿に向かって再び歩き出す。ヤルマルらに向かって走っていく少女を見送り、自分も歩き出しかけたノエは、そこで足を止める。
「ルーシャンさん?」
宿に向かう面々とは対照的に、ルーシャンが坂道の中途で足を止めて、街並みをじっと見下ろしていたからだ。
「
……
何か、ありましたか?」
「ああ、いや。別に、なんでもないんだ。久々に来たなと、思っただけでな」
ルーシャンはイシュガルドの貴族の出身だ。養子であるとはいえ、皇都の上層部にも来たことはあるのだろう。
だが、彼は郷愁とはやや異なる顔で街を見つめているように見えて、ノエはすぐに踵を返すことができなかった。
「ルーシャンさんは
……
この国を出て行くことを、どう思っていましたか」
だからだろうか。つい、先ほどのオデットがしていた話を蒸し返してしまった。
「それを聞くなら、先に若人の意見を聞きたいもんだな。年寄りの話はその後にさせてもらっていいか」
逆に質問を返されて、ノエはしばしの逡巡を挟む。
ノエ自身、イシュガルドという国から完全に距離を置いたのは、オデットと出会ってからだ。それまでは、ウヴィルトータと共に、イシュガルドが擁するクルザスの地を彷徨っていた。ドラゴンと相対する機会も、一度や二度ではなかった。
だが、あの老爺のように常にドラゴンの脅威が心に黒い影を残していたかというと、それもまた違う。ノエにとってドラゴン族とは、野営の際に姿を見せる魔物と同じように、偶発的な脅威の域を出ていなかった。
自分の人生全てに対して重い影を残すような敵ではなく、あくまで偶然襲いくる存在。それが、ノエにとってのドラゴン族である。
イシュガルドという国そのものに対する感覚は、もっと曖昧だ。国という囲いを自覚する前に、家から放逐されたノエにとって、自分の周囲だけが己の世界だった。それ以外の要素を考える余裕などなかった。
(僕は
……
やっぱり、この国を出て行っていたことになるんだな)
今まで自覚していなかったわけではないが、今ここに戻ってきたからこそ、己はイシュガルドという国から完全に切り離されていたと再確認させられた。
だったら、自分は国を出たことをなんと思っていたのか。
(僕にとっていい思い出がある国じゃない。それは確かなんだが、せいせいしたかって言われると、それも少し違う
……
)
それらの迷いを十数秒で片付け、ノエは口を開く。
「完全には、切り離せない
……
。そんな言葉になると思います」
父親と国の存在は全く別だ。より俯瞰してイシュガルドという国を見下ろした結果、ノエの意見はそんな形でまとまった。
「僕にとって、国は僕の家族とほぼ同義でした。ですが、あの方の話を聞いてそうではなかったと気がつけたように思います」
「若人の気持ちは、分からんでもないけどな。国だなんだって考えられるのは、偉い身分の連中だけだ。誰だって、自分の一番そばにいるやつが大事で、そいつを包んでるのが国って組織だったってだけの話だろ」
ルーシャンの言う通り、幼い頃のノエの感覚は家族に依存していた。そこから乱暴な形で切り離された分、ノエの中には国と家族がより強く結びついたままになっていた。
「僕にとって、国を出るという感覚はすごく曖昧で、それがどんな風に自分の心に影響するかというのも、きちんと考えられていなかった。それが、今の僕の答えになるのでしょう」
この後、父親と再会すれば、また違う感慨を得るのか。それはまだ未知数だ。
自分の回答を終えたノエは、同じように国を出た元貴族の男に問う。
「ルーシャンさんも、そうなのですか」
彼から聞かされた話を繋ぎ合わせれば、ルーシャンは自分を養ってくれた家族を、不慮の事故で失っている。おそらく、彼の口ぶりから察するに、遺産はニヴェール家
――
先だってのディアヌ母子の一件で糸を引いていた家の者が回収してしまった。
ルーシャンは家族の思い出を引き取ることもできず、貴族の養子としての地位から、ただの平民に逆戻りしたことになる。
「確かに、俺も国がどうこうってことはあまり考えたことはないな。俺の家族とか身内の連中とか、そっちの方を重視してるのは間違いない」
だったら、彼の結論も同じなのではないかと、ノエが思いかけた時だった。
「だけど、親父はそうじゃなかった。親父は根っからの貴族だったし、自分の務めもきっちり理解していた」
この国の貴族のルーツがどこにあるのか、などと小難しいことを考えるまでもない。高い地位や安定した生活と共に与えられた教養や技術が何のためにあるのか、父は知っていたとルーシャンは語る。
「高貴なるものの責務(ノブレスオブリージュ)ってやつだな。貴族として生まれたからには、領地や国を守るために全力を尽くす。貴族の家っていうのはそのためにあって、美味い飯も温かい布団も、崩れそうな本の山の数々も、結局は一つの目的のために帰結する」
「
……
邪竜を、討つこと」
長らくイシュガルドの民を苦しめてきた、ドラゴン族の存在。中でもとびきり強力でとびきり邪悪なドラゴン族の首魁
――
それを人は邪竜と呼ぶ。
貴族が領地を守るためにドラゴンを討つのが仕事であり目的であるなら、国の目的はドラゴンの首魁を討ち、恒久的な平穏を得ることだ。
「俺は、そんな大層な考えは持てなかった。今だって、見ての通りの風来坊だ。それでも、ドラゴンどもが領地で暴れ回った時には、お抱えの騎士と共に討伐に駆り出されたことは何度かあったさ」
直に刃を交えずとも、領地の各所を巡る義父についていく間に、ドラゴン族の襲撃の爪痕を見る機会は何度もあった。
ドラゴンによって、破壊された家屋を見た。失われた家族に涙する人を見た。明日への不安に震える子供を見た。
「だけど、そういうのをどうにかする力は、今の俺にはない。親父の地位も、今じゃ別の誰かのもんだからな。だから、俺は親父みたいな務めだから領民を守らなきゃならないとか、そんな立派なもんは考えられなかったさ」
国を出ていくことに、どう思うか。その問いへの答えが、不意にノエへと戻ってくる。
「だから、どう思ったかって訊かれたなら、イシュガルドに残っている連中には悪いが、今は自分のことで精一杯だって回答になるか」
それでも、ルーシャンは『残っている連中には悪い』と言った。
先だって、ドラゴン族について説明するときも、彼は『俺たち』という言葉を使った。
(ルーシャンさんは、自分がイシュガルドの人だという感覚を持っているんだな)
それは、ノエには根付かなかったものだ。そして、この先、根付くかどうかも分からない。
だが、その感覚はノエにはなくとも、これから会うノエの父親には備わっているものだ。ルーシャンは、貴族の義父が己の責務に自覚的だったと語っていたが、それはノエの父親にも同じことが言える。
「ノエ。お前、また面倒なこと考えてないか?」
ノエの思索がそのまま顔に出ていたのだろう。ルーシャンに指摘されて、ノエは気まずげに顔を逸らす。
「僕のことではないのですが、僕の父親もルーシャンさんのお父様のように、この国でやるべきことをしていたのだろうか
……
と、そう思っていたんです」
「そりゃ、お前の親父さんが今でも貴族なら、そうなんだろうな。お前が放り出されてここまで大きくなるまでの間、親父さんだって遊んでいたわけじゃないだろう」
ノエにとって、家を出た後に体験したことは、振り返るまでもなく記憶に根付いている。だが、その間に父親が何をしているか、などとは考えたことはなかった。
ノエの中で、自分を見捨てたという部分で父親の時は止まってしまっている。彼が続く十数年の間、どのように日々を過ごし、何を考えているかなどと、そもそも思考の俎上に載せたことすらなかった。
「
……
僕は、その点も考えるべきなのでしょうか」
「そいつはお前次第だな。立派に領地を守って、領民に慕われていて、ドラゴンの迎撃のために日々努力している。そいつは確かに立派な貴族様だ。でも、それは若人の感情を埋めなくちゃならない理由にはならないだろうさ」
「そう、でしょうか」
「お前、自分でお嬢ちゃんに言っていたじゃないか。自分がどうすべきかなんて、無理に決めなくてもいいってよ」
先だってのノエ自身の言葉を引用し、ルーシャンは眉尻を下げて肩をすくめる。
「そりゃ、どっかで折り合いはつけなきゃやってらんないだろうからな。お前が、親父が立派に務めを果たすために、自分を切り捨てるのは正当だったって思って納得できるなら、それはそれで一つの選択だろうけどよ」
ルーシャンに示した解は、確かに一つの答えだった。そのように考えられる者も、きっといるだろう。自分の父親への嫌悪や憎悪を、責務のためならばと押し込められる聞き分けのいい息子も、このイシュガルドのどこかにはいるのかもしれない。
けれども、現地で生きる者の声や考えを聞いても、父親の務めを改めて見つめ直しても、己の思考のどこかに濁りは残る。それでも許したくないという声を、消すことはできない。
「
……
僕は、間違っているのでしょうか」
「何が?」
「あいつがルーシャンさんのお父様のように、真っ当に領主としての務めを果たすために、僕らがいては邪魔だったと考えても
……
やっぱり、あいつを許せないって気持ちがあるんです」
他者を憎悪するなど褒められることではないと、ノエは常識的な感覚で理解している。けれども、ノエの中に残り続ける濁りは、そんな綺麗な言葉で濾過できるようなものではなかった。
「いいんじゃないか、別に。それでも許せないっていうんなら、そいつがお前の答えだろ。さっき、嬢ちゃんに言った言葉をもう一度俺が言ってやる必要があるか?」
「ですが
……
こんな形で憎しみを抱え続けているのは、本当に正しいのかとも思うんです」
「綺麗な感情だけで世の中回ってりゃ、そいつは素晴らしいことだろうさ。だけど、現実はそうじゃない」
傷つけられれば、怒りが生じる。失うものがあれば、憎しみが湧き上がる。
「あくまで俺の意見になるが
……
そういう『悪いもん』を全部否定するのが若人の正しさなら、そいつは若人にとっちゃ随分と窮屈な生き方だろうな。自分で自分の首絞めて楽しいか?」
ノエの肩を軽く叩いて、ルーシャンは先に行ってしまった四人の後を追う。横を通り過ぎる際に、あまり気張りすぎるなよ、という声がノエの傍らで響いていた。
残されたノエは、改めて眼下に広がる灰色の街を見下ろす。
この国を守るために、自分の父親は妾に伸ばしていた手を引っ込めたのかもしれない。正妻が竜へと堕ちたという醜聞が広まれば、他領からの信頼を損なう。それは、自領が窮地に陥った際の生命線を失うことになる。最悪、父自体が異端者として吊し上げを喰らっていたかもしれない。
だから、彼自身と彼の領民の生活を守るためにも、妾とその息子を切り捨てたのは理に適ってはいるのだろう。
――
高貴なる者の責務。
それが、家族を切り捨てる正当な理由になるのか。
もし、これが自分とは全く関係ない人間の話だったなら、ノエは両方の意見に耳を傾けて天秤の針の均衡に頭を悩ませていたかもしれない。
だが、自分のことになった瞬間、天秤の針は『許さない』の方向に傾く。どんな理由があったとしても、父親を許してなるものかという意見に偏ってしまう。
(
……
良いことではないと、分かっているんだけどな)
憎悪を抱え続けているのは、己にとっても負担になるとは承知の上で、それでも心の中では暗い炎が燃え続けている。
小さくかぶりを振り、ノエは灰色の街並みから眼を逸らして、先を歩いていたルーシャンの後を追う。今は、イシュガルドという国そのものの大きさに飲まれまいとするかのように。
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