ななき
2023-11-29 19:45:03
5902文字
Public 吸死
 

これは食欲ですか?( はい/いいえ )

(ドラロナ)鈍すぎる吸血鬼の話。
没箱から発掘。が、どうして没だったか思い出せないもの。もしかするとどなたかの作品と展開が被っていたのかも。問題あれば下げます。

 悩みを聞いてほしい。ちょっとした悩みだ。

 最近、ロナルド君がおいしそうにみえる。気がする。
 彼をみていると空腹に似た感覚に襲われる。が、似ているだけで異なる気もする。具体的には、鳩尾のあたりがキュッとなって牙がムズッとして喉が乾く。そわそわと落ち着かなくて、心拍数が少し上がる。目を離したくない。その一方で見ていることに気づかれたくない。
 食欲……吸血欲なのかと、胸焼けで死ぬくらい牛乳を飲んだり血液パックを空けたりしてみたが治まらない。生来低燃費でエコな身体なので、こんな度々起こる食欲もこんな奇妙な空腹も経験したことがない。かなり困惑している。どうしたものか。

「で、どう思う?」
…………
 相談相手に選んだ金魚の吸血鬼は、たっぷりの無言の後に、質問で返してきた。
……それは本気で言っているのか」
「本気だが? あとはもうロナルド君からガブッと一口貰ってみるくらいしか思いつかん。でも百遍殺されて燃えるゴミに出されてしまう気がするんだが」
「そうだろうな」
「さすがにいやだ」
……使い魔」
 急に、ジョンに呼びかける渋い声。
「ヌン!? ヌー……
 その一言だけで何が通じたのだろうか。私とキンデメを交互に見て、ジョンは困ったように首を横に振る。
ヌンヌヌ、ヌヌヌシイヌヌ ヌンには、むずかしいかな……
 ぐぶぶ、と泡がひとつふたつみっつ。
「回答を控える。我が輩を巻き込むな」
 体色をゆらゆら変えながら水槽の奥で背を向ける「これ以上聞かん」の体制である。これはもう、つついても泡しか出んな。それなりに真面目に相談しているというのに薄情モノめ。

 キンデメに突き放されてしまうと相談先のアテは薄い。死のゲームは肉体的な空腹がわからないというし、VRCには頼りたくない。親族は間違いなく余計な騒ぎになるし、新横ポンチ吸血鬼どもも別の騒ぎにしてくれそうだ。……様子をみるしかないか。

 顎に手を当て思案していれば、ちょいちょいとマントが引かれる。視線を下せば、ジョンが、憂いと慈愛の混ざった瞳で私を見上げていた。
「なんだい、ジョン?」
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌ、ヌンヌヌヌヌイシヌヌヌヌヌヌ それは本当においしそうなのかな
「そうだと思うんだけどねぇ……
「ヌー……
 世界一の丸が、つっかえながら(つまり、何か思うことはあるが思慮深く優しいこのひと玉は直接私に言うのが憚られるのだろう。それは尊重したい。)言うには、もっとどんな時に『おいしそう』か、逆に『おいしそう』と思わないのはどんな時か観察してみてはどうか、というような提案をくれた。
 ふむ。さすが私のジョン。やってみよう。

 ◇

 ジョンの言う通り、その後しばらく観察してみて分かったことがある。

 まずそれは、ロナルド君が馬鹿馬鹿しい騒ぎに巻き込まれて百面相している時にやってくる。珍しくシリアスな捕り物で赤い外套を翻している時にも。ギルドで、ショットさんと雑談する彼をぼんやり観察していたら、うっかり目があってしまった時にも。仕事中の彼を見ているときは結構高頻度で『おいしそう』だと感じるらしい。
 それから、家の中。ご機嫌で私の料理を食べてる時だとか、ジョンとじゃれてふやけた顔をしている時。ソファでぼけっとテレビをみている後ろ姿にも来たりする。
 脈絡がない。しかし、概ね健康であることが見て取れる場面と言える。たしかに、食餌としてはその方が魅力的であることは間違いない。ただ、私の本来の好みは若い女性の血だ。出会った当初の痩せた野良猫がムキムキゴリラに進化して、味が大幅に改善されているだろうとはいえ、ロナルド君の血は暑苦しい筋肉にふさわしいクドさに違いなく、好みの範疇ではないはずなのだが。

 そして奇妙なのは、どんな時にやってこないかだった。ロナルド君が怪我をしたとき、あの『おいしそう』はやってこない。
 退治人の擦り傷切り傷は日常茶飯事。ロナルド君が血のにじんだ傷をそのままに帰って来るのは珍しいことではない。俺は強いから大丈夫だとグズる五歳児の手当てをしてやることも。そういう時、食料を前にした時の本能的な感覚はゼロではない。人間でいえばワインを目の前に置かれたときのような感覚、だろうか。
 しかし、あの身体が浮き上がるような高揚感を伴う『おいしそう』は一度もやってこなかったのだ。傷から啜るなど高等吸血鬼の矜持に関わるのでしようとは思わない。思わないが、もっと欲しくなってもよいのでは、と我がことながら釈然としない。

 本当に、なんだというのか。
 観察を重ねて新しい発見はあったが、『おいしそう』の正体は相変わらずわからない。わからないというのは気持ちが悪い。ストレスだ。そして私はストレスが大嫌いである。……仕方がない。そろそろ最終手段に頼るべきだろうか。
「ねぇジョン。私のこれ、念のためお父様か御真祖様に相談してみようと思うのだけれど」
「ヌァッ!?」
 小さく飛び上がるくらい慌てたジョンが、必死に止めてくる。私の体のことであればいつだって心配してくれるジョンが必死に。
……もしかしてジョンは、これが何かわかってるのかい」
「ヌ、ヌー……
 たぶん知ってるヌ。でも、それはドラルク様が自分で気づかないといけないとヌンは思うから。
 昨日も丁寧にブラッシングしたおなかのフワフワした毛を、迷うようにもぞもぞとかき混ぜながら、ジョンはそう言った。
「ジョンがそこまでいうなら、観察続行としようか。ゴリラをじっくり眺めるのも悪くないしね」
……ヌヌ!」

 最愛の使い魔の言う「それ」。
 私が、それを理解する日はそれほど遠くなく、特別な日でもなく、ただ日常の続きだった。 



「なあ」
「どうした懲りずに締切に追われルド。コーヒーならさっき淹れたばっかりだろ」
 リビングに入ってくるなりロナルド君は、ソファに掛けてゲーム中の私に右手の人差し指を突きつけた。
「やる」
 良く知る香りがする。近すぎる指先に、強引に目の焦点を合わせれば、赤い線に浮く、ぷくりと膨れた赤い玉。
「紙で切った。もったいないから」
 ほれ、と差し出される指先。連日の観察で既に分かっていることだが、やはりロナルド君の血をみても『おいしそう』はやってこなかった。
「いらん」
 素っ気なく返すと、ロナルド君は面白くなさげに顔をしかめた。くるりと振り返って水槽に声をかけた。
「じゃキンデメ」
「いらん。やめろ。我が輩を巻き込むな」
 面倒臭さの極みといいたげに、水槽の奥で背を向ける赤い姿。
「死のゲ……
「遠慮します! 巻き込まないでください!」
 テレビ前の充電ポイントから喰い気味の拒否が飛ぶ。魚類どころかデータにすら素気なくされたロナルド君はといえば、不満げに口を尖らせていた。
「ジョンは?」
「フットサルだよ。というかジョンは血は飲まんぞ」
 だよな、と言いながらじわじわ大きくなる赤い玉を眺めている。
「ああほら垂れる! 消毒薬出しといてやるから洗ってこい」
 染みになったら自分で落とせないくせに!
 仕方なく腰を浮かせてティッシュを手渡してやるが、傷を押さえようともしない。
「ほんとにいらねぇの」
「いらんと言ったらいらん。そんな怪我から啜るなんぞ高等吸血鬼の美学に反する」
……って言うわりには視線が釘付けだぜ、高等吸血鬼さんよ」
 しかたないだろ、これは本能だ。だからニヤニヤすんなゴリラ。なんでちょっと嬉しそうなんだゴリラ。腹立つ。
「やかましい」
 早く洗ってこい……と続けようとした言葉は強制的に途切れた。
 突っ込まれたので。口に、指を。ずぼっと。

 じわりと香りが広がって、つい、その発生源に舌を這わせてしまう。
……うっ」
 傷にあたったのだろう、小さい呻きが聞こえた。
 舌先に触れる指と血液の甘い鉄の香り。太い手首と腕、さらにその先には銀の睫に縁取られた青い瞳とへの字になった口。初めてみる表情だ。そう思ったら鳩尾がキュウと締めつけられた。

 時間にすればほんの数秒。突っ込まれたときよりは幾分そっと、指が引かれた。自分でしでかしたことのくせに、なぜか驚いている青い瞳と無言で見つめ合う。唾液を飲み下せば、熱が喉を滑り落ちていった。
……
……洗ってくる」
 バタバタと洗面所へ向かう足音を聞きながら、私の身体はつま先から崩れて塵になる。
「何死だ、それは」
 呆れた声は玄関横から飛んできた。
「味、わかんなかった死……
「なんだそれは」
 私も聞きたい。
 まっすぐこちらを刺した青のせいで、全身が焼けるようだった。

 なんとか身体を再生し、救急箱を用意したところで、所在なさげにウロウロしている若造と目が合う。が、青い瞳が気まずげに揺れて逸らされた。なんとなく、何かやらかしたような気はしているらしい。
 仕方ないのでソファの隣を示してやればロナルド君はおとなしくそこに収まった。
「ほれ、手だせ」
 さっきのこともあるし自分でやると言うかと思ったが、指は存外素直に差し出された。
 人差し指にうっすら走る傷に消毒液をかけて、絆創膏を巻く。ただそれだけだが、じっと見ている顔は神妙で、いつもにも増して幼げにみえて何だかおかしい。私の繊細な手の二倍は厚さのあるそれは、あたたかくて熱いくらいだ。人間の子供は体温高いというしな。
「おこちゃまは何でも触ってみたい時期かね。あちこち指突っ込むんじゃないぞ。コンセントの穴塞いで回るのはごめんだからな」
 ほら終わったぞと付け加え、退治人兼作家の値万金だろうそれを軽くはたいて仕上げとする。

「だって、お前だし」
 救急箱は100均で買ってきた白い半透明のプラケースだ。その蓋を閉めたところで、ぽつ、とロナルド君から言葉が返ってきた。別に返答を期待した言葉でも無かったのだが。
 うつむいて指先をみているから、表情がよく見えない。
「お前らじゃなきゃ血をやろうなんて思わないし、お前じゃなきゃ触らせたりだってしな、い」
 はたと上がった顔が、じわじわと紅潮していく。柔らかな肌が透かす、芳しい液体の色。ああ、なんて『おいしそう』。クラリとして慌てて腹に力を入れる。牙が出てしまいそうだった。目の前の存在を今ここから逃がしたくない。衝動のまま、名を呼んだ。正しくは、呼ぼうとした。
「ロナル……
 私は果たして何を言おうとしたのか。自分の言葉をつかみそこねる。一撃、風切り音と共に拳が飛んできて死んだので。
「クソ雑魚だから! 怖くもなんともないからだからな!」

 私を塵にしたロナルド君が、足音も荒く事務所へ戻っていく。
 一方。置いて行かれた私。
 ……今の、私はなにも悪くなくないか? 暴力ゴリラめ。まて、もしかして牙ちょっと出てた? 出てなかったと思うんだが。セーフセーフドラちゃん悪くない。
 なんだか面白くなくて、このまま塵でいてやろうか、と再生を止める。あ、ソファの下、埃がある。掃除したーい。
「師匠ぉー、いつまで拗ねてんですか」
「二百歳児だな……
 しかたなく体を再生する。デスリセットのおかげか、例の空腹も落ち着いていた。重畳。

 同居吸血鬼達の白けた視線は知らないふりして、咳払いをひとつ。横には出しっぱなしの救急箱。定位置は事務所のキャビネットだ。戻しておいてやろうと取り上げる。どうせ、またすぐ傷をつくるのだから必要になる。

 ◇

 ドアを、音を立てないようにこっそり開けたことに深い理由はない。またサボってるなら現場を押さえて遊んでやろうか。そのくらいのつもりだった。まあ現役退治人相手に無駄だと言われればそれまでだが。

 ドアの影からのぞいたロナルド君は、パソコンを見てはいなかった。見ているのは……指先? さっき私が突っ込まれた指、絆創膏を貼ってやった人差し指をじっと見つめていた。照明の白い光がうつむいた銀髪に散っている。
 光の輪を載せた彼は、そっと絆創膏を撫でて、そろりと口元に。大事なものに触れるようにそこに口づけを落とし……落と……落と、さなかった。 代わりにゴンッという音。ロナルド君が両手で顔を覆ってそのままデスクに突っ伏した音だ。ふわふわと跳ねるプラチナの間からのぞく耳はさくらんぼのように赤い。

 私は息をするのも忘れてそれを見ていた。
 それ。それは。IQ二億のドラドラちゃんでなくてもわかる、その仕草、その向こうにある感情は。伏せられた瞳の色の意味は。耳があんなに赤い理由は。……感情の、向いている先は。

 『おいしそう』、いや、『おいしそう』だと思っていたものがやってきた。それも過去最大の波でだ。
 キュウウと鳩尾と胸が痛んで苦しくなる。トクトクと自分の心臓の音がする。牙が疼いて喉が乾く。このままずっと彼をみていたい。でも焼かれるほど眩しくて見ていられない。欲しくてしかたないのに手を伸ばすのが怖いし手に入らないかもしれないことが怖い。苦しいのに幸福で、フワフワするのに斬られるように重い。
 胃の底、それよりも奥へ、火傷するほど熱くてドロドロに甘い何かがおちていく。

 わかった。わかってしまった。知ってしまった。
 彼の気持ちも、私のこれが食欲なんかではないことも。
 ああ、ジョン! 知っていたのか、君は!

 そうっと後退りしてドアから離れかけたとき、不意に声がして驚きで塵になる。
「おぬし、さてはアホほど鈍いのか」
 声の主は察しの良すぎる吸血金魚。完全に呆れている。
「それ以上余計なことを言うなら私が死ぬまでつつきまわす」
「つつかなくても死んでいるではないか」
 うるさい。無自覚五歳児ハンサムゴリラの攻撃力が高すぎるのが悪い。こっちは自覚と勝利のファンファーレが同時で次のアクションを考えるのに忙しいんだ。……ということにしてほしい。

 私は塵のまま、動けなかった。恥ずかしさともどかしさと色んなもので悶絶するなんていつぶりだろう。
 いや、本当に、父や祖父に相談したりしなくて良かった。だって、さすがの私でも恥ずかしい。いぃいいーー!ってなる。

 恋のときめきを、そして愛しさを、食欲と取り違えていましたなんて。

 止めてくれたジョンに最大級の感謝を。特大パンケーキ進呈だ。
 パンケーキの後は、会議を開こうじゃないか。あの若造の攻略会議だ!