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ななき
2023-06-15 23:35:12
2618文字
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吸死
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埋める
(ドラロナといいはる)
紫陽花の下に埋めにいく話。暗いです。
雨が降り始めた。針のような雨粒を全身に受けながら、男は穴を掘っている。
濡れた土は黴臭いような、饐えたような臭いがしていて嘔吐きそうになる。自分の荒い呼吸音の間を、紫陽花の葉を雨粒が叩く音が埋めていく。溺れそうだった。
紫陽花。紫陽花である。男は紫陽花に囲まれて穴を掘っていた。人里も離れたこんな山の斜面に誰が植えたのか、人の頭ほどもある花をつけた紫陽花が一面に生えている。紫陽花は皆、赤い色で、ところどころに青い花をつける株が見えていた。
男が穴を掘っているすぐそばにも、赤い紫陽花が咲いている。スコップで土を穴の外に放り出す度、ぶつかる土くれでゆさゆさと揺れている。
その様が自分を笑っているようで、男は恐ろしくなった。紫陽花に、見られている。
そんなはずはないと自分に言い聞かせ、男はまた、穴を掘る。
雨は激しくなるばかりだった。男は視線を黒い土に向けたまま、濡れた髪をかき上げる。
視線は上げられない。視界の縁に入る物を、この穴に入れるためのものを、はっきり見たくなかった。
丸太のような形の、青いビニールシートに包まれて
――
包んだのは男だが
――
ロープで雁字搦めにされた物。その傍には、場違いにつやつやとした黒い男物の靴を履いた脚が佇んでいる。
「それくらいでよくないかね」
靴の上方から、穴の底の男に声が降ってきた。男は戸惑った。穴は、まだやっとビニールシートが納まるかどうかだ。
「でも、まだ」
「いいのさ、そんなに深くしなくたって」
キッチンで卵の混ぜ方でもアドバイスするような軽さで声は言う。
「どうせここは私の一族の持っている土地だからね。他人はそう簡単に入って来れやしない」
それは包みの中身の処遇に困り果てた男に、声の主がこの場所を勧めてきたときにも説明されたことだった。一族の私有地で、不思議の術で人払いがされている、と。
「さっさと済ませて私たちの家に帰ろうじゃないか」
それは雨に濡れて土の臭いに溺れそうな男にとっては、何より甘美な誘いだった。
抗いきれず、男は穴から這い上がる。震える腕でビニールシートの包みを抱え上げたが、包みは真ん中からくの字に折れ、男の腕から穴の底へ滑り落ちていった。
「おや、もう柔らかくなってきたんだね」
バターの加減をみるような声。
腕には抱え上げたときの感触が残っている。汚れるのもかまわず、男は腕を掌で擦った。そんなことをしても感触は消えはしなかったが。
「ふむ、手間が省けたな。ほら、もう一息だ、がんばりたまえ」
声に励まされたわけでもないが、男はもう一度スコップを手に取り、今度は穴に土を戻していく。
赤い紫陽花は、まだ笑っている。雨は、止みそうにない。
スコップを止めたとき、黒々とした地面は包みの分だけ、掘る前より盛り上がっていた。掘り返され、埋め戻された草や、巻き込んでちぎれた紫陽花の葉が突き出ている。土の臭いは、相も変わらず男を溺れさせようとしていた。
「やあ、意外と時間がかかったな。退屈で死んでしまうかと思った」
死、という単語に男がひるんだことに敏感に気づいた黒い靴の主は、黒い服からのぞく白い手袋で男の肩を軽く叩いた。
「大丈夫。さ、帰ろう」
男は思い出した。そうだ、帰りたかったのだ。よく知る、あの場所へ帰りたかった。だから、今もガクガクということを聞かない腕で土を掘り返したのだ。
しかし、それが叶わないことも思い出してしまった。ビニールシートの包みを埋めた自分は、埋める前の自分ではない。同じ顔をして、帰るわけには、いかない。
立ち尽くす男に、黒い靴の主はあきれたように軽く息をついた。
「こんなところ、誰も来ないよ。紫陽花しかない。
……
ああ、じゃあ教えてあげよう」
そうではないと声に出せなかった男の視界を白い手袋がよぎる。一番近くの紫陽花を指さした。
「この土地はアルカリが強くてね。手を加えずに紫陽花を育てると赤くなる。でも、ところどころ青くなっているだろう」
斜面のところどころ、ぽつんぽつんと見える真っ青な紫陽花を白い指先がなぞっていく。
「あそこは土が酸性になる肥料が『埋まっている』んだよ」
それは。
「今日、私たちが埋めたのと同じに」
男は、久方ぶりに声の主の顔をみた。その赤い、紫陽花などよりよほど赤い、血のような瞳をみた。
声の主、見慣れた同居人であるはずの男の、にこりと笑う瞳をみて
――
出会ってから初めて恐怖した。
「ね、実績があるわけだ。だから大丈夫、」
男の恐怖を知ってか知らずか、幼子に言い聞かせるように言う同居人。その言葉を遮って、震える唇からやっとのことで絞り出した声は、乾ききってひび割れていた。空気も土も葉も、男も、ぐっしょりと濡れているのに。
「かえれない」
「うん?」
「どんな、顔して
……
俺はどんな顔をしていたか、わからない
……
どうやって話してたか、おもいだせない
……
」
赤い瞳が、すこしばかり、困ったように細められた。
「まぁ君、嘘はつけなさそうだしな。でもいいんだよ、嘘つかなくて。ただ黙っていればいい。それだけで、今日のことはだぁれも知らない話になる」
そうだろうか。ひゅーひゅーと風が五月蠅いと思ったら、その音は自分の喉からしていた。
もう一度、言葉を絞り出す。
「お前が、知ってる。俺と、お前が」
「そりゃぁ、私は共犯者だからね」
何が楽しいのか、口元に白い手袋の手を当ててクスクスと笑いだした相手を、男は茫然と見ていた。これは、本当に同居人だろうか。昨日も隣で一緒に馬鹿をやっていた男なのだろうか。
頬を伝う雨が、首筋へ、背中へと入りこんでくるのを感じていた。この雨に自分も溶かされて紫陽花を青くするのだろうか。
「ああそれとも。かえりたくないのなら、」
いいことを思いついた、と楽し気にいう目の前の何か。
「君を隠してやろう。誰にも見つからないところに。私の大事なあの子すら知らない、私と君しかいない所に」
白手袋の手が、男に向かって差し出された。かえりたい。かえれない。でも、この手の持ち主が一緒にいてくれるのなら。
いうことを聞かない腕を持ち上げて、貼り付いて動かない指を伸ばして。白く滑らかな手袋に、男は汚れ切った自分の手を重ねた。白を、泥が汚していく。
赤が満足げに弧を描く。
「また来年、青い紫陽花を見に来ようじゃないか」
男の消息は、杳として知れない。
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