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ひおう。
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食を愉しむ笑みの為にシリーズ
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「食を愉しむ笑みの為に フィナンシェ」
一
ぴこん、ぴこんと電子機器が通知を報せた。タケルは画面を表示させ、相手の名前を確認する。
「イオリ?」
するすると慣れた手付きでスマートフォンを操作しアプリを開いてメッセージを見た。
『フィナンシェを買った』
『食後のおやつにでもどうだ?』
簡潔な文字の並びを目で追いながら、口角が上がるのを自覚する。
あれが食べたい、これが食べたいと伝えるのはいつもタケルからだ。あり得ざる世界のとある戦いの記憶を、今生でも受け継いだ故なのか、伊織は食に興味を示さない。一人で過ごすならば、己の肉体が活動できる程の栄養を補給すれば良いと考えているし、現代にはサプリだとか、機能栄養食品だとかが充実している。だからそれを必要最低限食する日々を、タケルと共に生活するまではしていたと聞く。
記憶にある袴姿の伊織よりも細い四肢に、タケルはそのうつくしい顔に影を落としたものだ。
彼の食に対する姿勢は覚えていたし、今、伊織とタケルを繋ぎ、縛れるものは何一つ無かった。だからきっと、これからもつまらぬ人生を送るのだろうなと、落胆した矢先。
故有って二人は衣食住をともにすることとなり、伊織は、タケルと共にする食事ならば、同じ物を食した。台所に立ち現代の食事を作ってはテーブルに向かい合い、手を合わせて食べる。
記憶にある遥かはるか昔の、ひとりきりで食べる味気ない食事。心をくれた愛しい人との心温かい食事。隙間風の入る、素朴で平和な、呼び人との食事。人理最後の砦である場所で、奇跡のような一時の食事。少し前の、味のない哀しき食事。
どれも鮮明に、タケルの心に刻まれていたけれど、ただ凪のような日々での、好きな人との食事は、格別だった。
一口含み噛む度にタケルは幸せだと、笑みを深くする。それを伊織が見ては、僅かに目尻を下げて、口元を綻ばせた。眼の前の食事に夢中で、そんな伊織の微笑みにまだ気が付かない。
「夜のおやつはフィナンシェかぁ
……
ふふふ、楽しみだ」
スマホをそっとベッドサイドに置いて、タケルは机に向かう。美味しい食事のためにも先ずは大学のレポートを片付けてしまおうと、史料を取り出した。
二
静かな部屋には鍵を差し込む音が随分と響く。パソコンに向かって只管に文字を打ち込んでいたタケルが壁に掛かった時計を見て、もうそんな時間かと、背筋を伸ばした。ぱきりとこ気味の良い音を鳴らした肩は軽くなり、疲れ切った顔も少しだけ和らいだ。眼鏡を外して机に置き、リビングへ向かう。
「ただいま」
「おかえり、イオリ」
スーツ姿の伊織の手には通勤鞄の他にエコバックがぶら下がっている。入り切らなかった葱の先端が飛び出ているさまが、なんだか面白い。
「今日の夕餉は何だ?」
「親子丼だ。あとは葱と豆腐の御御御付」
「オミオツケ!」
「おまえは相変わらず、御御御付が好きだな」
ふ、と笑みを漏らしながら大きな冷蔵庫に買ってきたらしい材料をしまっていく。鶏肉、豚肉、卵に葱、玉葱と豆腐、なめこに納豆など。他の具材は明日の夕食にでもするのだろうか。そうして最後、白く真四角な、小さな箱がすっぽりと棚に納められ、ぱたりと閉まる。
「じゅるり」と涎を飲み込んで献立と、伊織が買ってきたおやつを想像するタケルに、伊織がその額を指先で弾いた。
「あいたっ
……
むぅ、なにをする」
「先に湯殿に行ってこい。まだかかる」
額を両手で抑えるタケルに、そこそこに大きな音はしたものの大した痛みは無いだろうと肩を竦めた伊織。そわそわと冷蔵庫を見つめていたタケルは渋々と頷いて、ぺたぺたと素足を鳴らす。
風呂場からは直ぐにシャワーの音が微かに聞こえ、給湯器からも湯張りを知らせる無機質な音声が流れた。
「
……
セイバーめ、下着を忘れていったな」
やれやれ、と溜め息を零しながらも、伊織はタケルの部屋へ向かうのだった。
三
「ご馳走様でした」
「ご馳走様でした!」
二人は空になった食器を前に手を合わせる。食器を重ねタケルはいち早く流しに持っていくと、そのまま洗い物をし始めた。家事は基本、伊織の仕事であるのだが、待ち切れないと慣れた手付きで片付けた食器や鍋を洗っていく。
因果というのは厄介なもので、現代という、恵まれた泰平の世に産まれたとて、歩む生は中々変えられぬらしい。仔細は聞いていないが家族と折り合いが悪いらしく、タケルは伊織と共に住むまでは一人ひっそりと慎ましく暮らしていた。
かくいう伊織も、江戸という数百年前の自分と、同じような幼少期を過ごしたものだ。おそらく、という推測の域を出ないものの、そういう過去を背負っているのだろう。
一人で暮らしていたタケルは、其実料理も、家事も一通りできる。
伊織があまりさせたがらないだけだ。聞いてもはぐらかすものだから、そういうものか、と訊くのも止めた。
「イオリ! フィナンシェはまだか‼」
「今焼いている。おまえこそ、洗い物は終わったか?」
トースターを見つめつつ、沸かしたお湯をポットへ注ぐ伊織に、「無論!」と胸を張るタケル。にこりと笑みをこぼしてから、ハンドタオルを渡した。タオルを眼前に掲げぱちぱちと瞬くタケルへ、伊織は目尻を下げる。
「洗い物は食器をしまうまでがセットだ」
「ぶー」
不貞腐れるタケルは言われるがまま、濡れた食器を拭いて、背伸びして、あるいはしゃがみこんでそれぞれの定位置へと戻していく。忙しなく動くさまは、背丈が小さいのもあってまるで小動物のようだ。
その間伊織は、仕事の繋がりで再会した、魔術師らしく、しかし魔術師にしては人間臭い女性から教わった、〝美味しい紅茶の淹れ方〟を実践していた。
丸形のポットを温めてから茶葉を入れ、熱湯をかけ、ついでにカップも温める。茶葉はポットの中で、踊るように飛び跳ねた。こうすることで茶葉が広がり、美味しい紅茶ができあがるらしい。彼女の元で振る舞われたそれは確かに市販の物より香り高く、味もしっかりとしていた。
タケルはこういった味を楽しんだことがあるのだろうか。もし無いのならば今日の紅茶が初めての味になれば良い。もし何度も味わったことがあるのならば、何気ない一つの日常として、頭の片隅にでも残してくれれば良い。
ちん、と出来上がりを告げる音にセイバーの表情が花咲くように綻んだ。伊織を見上げ、きらきらと輝く眼でトースターと視線をいったり来たりとさせる。
「ああできた。ポットとカップを持っていってくれ」
「あい解った!」
溢さぬようそっと、真白の肌が陶器を持つ。見届けて、伊織もそれぞれの分を小皿へとよそった。ふんわりとバターの上品な香りが漂い、タケルが急かすように「イオリ!」と名を呼ぶ。椅子に座り、行儀悪く足をばたつかせるのを視線で咎めれば、ぴたりと姿勢を正す様が微笑ましい。
「待たせたな。食べようか」
「うむ! いただきます」
「
……
いただきます」
手を合わせて、フォークに刺したフィナンシェをぱくりと齧り付くタケル。
口の中に広がるバターは香ばしく、外はトースターで焼かれたことによりさらにカリッと良い歯ごたえを楽しませる。中は反してしっとりと、そして適度にふんわりとした生地で、口の中で甘さがほどけるようだ。もぐもぐと咀嚼して飲み込んでから、湯気を立てるカップにふう、ふうと息を吹きかけ少し冷ます。
タケルは紅茶の香りの高さに懐かしい日々を思い出した。
美味しそうに食べる父や兄たち。同じ物を食べながら、己に向けられる視線に、味は消え去った、孤独の食事。二度と味わうことはないと思っていた、哀の感情と、記憶。
――
嫌い
……
ではないな。飢えていなかったのなら、よかった。
琥珀の翳った瞳を見て、伊織は静かに瞳を伏せる。あまり良い思い出ではないのだろうけれど、それはあくまで過去だ。眼の前にいる御仁が、過去を引き摺るような性格ではないことはよく、知っている。
「ん、美味いな。こんなに、美味かったのだな
……
」
聞かせる目的ではない言の葉は、しみじみと小さく紡がれた。反応せず、伊織はぱくりと食事を続ける。今生の幸せを噛み締めるタケルには慰めも、言の葉も必要ないだろう。ただ隣に温度が在るだけで良い。
だがこれだけはと、紅茶とともに最後の一口を胃へ流し込んで伊織は音にした。
「美味かったのなら、また淹れてやる」
「
……
! 約束だぞ!」
すかさず小指を差し出したタケルに、誂うことはせず、伊織は己の小指をそっと絡めた。
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