舞踏会が終わったから、ミハイルに施した反ミーム処置を解いていく。こういうことは『神秘』の奇跡に触れる機会の多かった俺が一番うまくやれるから、なんとなく俺の仕事みたいになっている。
反ミーム状態をうまく解除するコツは、重いコートとぶかぶかの靴を脱がせるような感覚を掴むことだ。無意識と凡庸をつぎはぎした時計屋の変装、何者でもない人間が俺のよく知る姿にもどっていく。星雲の広がりを思わせる滑らかな髪、実体化した憶質のごとく深遠な輝きをたたえた瞳。豪奢な礼服に身を包んだ男があらわれる。とうに見慣れた彼の姿は、身なりを整えて歳を重ねても時計屋なんて大仰な名前とはずっと結びつかないもので、ちょっとした悪戯心が沸いた。
「……『その身なりはまさか、かの有名な時計屋では?』」
からかいたい気持ちでそう口にした後、俺はすこしおかしくなって吹き出した。釣られるようにミハイルも笑いだし、ひとしきり笑ったあと、彼はふと取り直して俺に聞いた。「それはダンスの誘いと受け取っていいのかな?」、と。
「そうだとしたら?」
「もちろん、喜んで受けるとも!」
彼はそう言って俺の手を取った。『時計屋』とは夢の中の夢、だからあの問いは既に陳腐な誘い文句に変貌していて、俺たちは手と手を取って衣装室の狭い床の上へ躍り出る。靴が床を叩く音すら置き去りにするような熱狂、お気に入りのダンスパートナーを見つけた喜びのままに。
あいにくここには楽団もレコードもなかったから、好きな音とリズムで踊る。自由にばらけた音はやがてひとつの記憶に収束して、彼がある歌を口ずさみだす。むかし訪れた星で生きていた音楽だ。たしかイドリラ讃歌だったかな、今の俺たちには音楽さえあればいいから、音の来歴なんて気にする暇はないけど。まあ、ピノコニーのぎらぎらした踊りじゃ遠い星の音楽に対応できるはずがないから、当然ステップはめちゃくちゃになった。
遠い記憶の中でぼやけた歌はときどき音程を外して、四分の三拍子ではないリズムでときどき足を踏みあって、それでも俺とミハイルは踊り続ける。まるでピノコニーの狂騒のように。まるで永遠の夜のように。まるで赤い靴を履いたように。
——かつて、なぜ舞踏会をひらくのかミハイルに聞いたことがある。人々が遠くのロマンを追い求める姿が好きだから、とミハイルは言った。俺にはすこしわからないな。だって、誰でもない姿で名前も知らない誰かとステップを踏むより、お前と行儀作法をかなぐり捨ててくるくる回ってる今のほうがずっと気分がいい。このまま時が止まってもいいな、とさえ思うほど。黄金の刻が賑わうワケもわかるもんだ。
けれどお前はいつもすこし遠くを見ているから、俺がわからないのもたぶん当然だな。
盛り上がりはいよいよ最高潮で、解けないようにミハイルの落ち葉のように乾いた手を強く握る。銀河を繋げた旅は既に遠く、時間はめくるめく日々の間に過ぎ去った、そうだよな?
豪華なオーケストラの代わりに、ハミングが夢の中へと溶けていく。ダンスホールの煌びやかなシャンデリアの代わりに、薄暗い電灯が俺たちを照らす。空気はぱちぱちと弾けて甘く、ひりつく後味だ。高揚と情熱の味。
この瞬間だけ、夢の中に永遠がないことを忘れる。
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