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千代里
2024-05-07 14:07:35
18067文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その2
◇◇◇
イシュガルドに向かうと決めたところで、かの国は一日二日でたどり着けるほど近くにあるわけではない。ノエたちが滞在しているグリダニアは比較的イシュガルドに近い位置にあるものの、それでも一週間以上はかかると見込む必要がある。
更に、イシュガルドは温暖な黒衣森とは真逆の、年中雪が降っているような寒冷な気候である。かつては太陽が降り注ぎ、涼やかな風が緑を揺らすこともあったようだが、第七霊災を境に急激に寒冷化。結果、季節を問わず雪が降る厳しい環境が生まれたのだった。
そのような旅路を徒歩で踏破するのは無理だと判断し、ノエはルーシャンと相談してイシュガルド行きのチョコボキャリッジの手配を進めた。
かの国は鎖国的な政策はとっているが、全ての旅人を拒んでいるわけではない。商人のように品物を売り買いしにきた者や、国内の人物が招聘した者ならば、入国自体は可能だ。そのため、イシュガルド行きのキャリッジも数こそ少ないものの、一定数が運行されていた。
移動手段を確保できた後に、次に必要になったのは防寒具だ。黒衣森より遥かに気温が低い場所で過ごすには、通常の防具だけではなく、更に着込む必要がある。幸い、今回出立する面々は全員がクルザス地方の豪雪を体験しているので、防寒具の重要性は肌身で理解していた。
必要なのは、厚手の上着だけではない。凍傷にならないように武具の持ち手を覆う皮や、武具の材質そのものの見直し、燃料代わりにも使えるクリスタルの確保、体内の温度を上昇させる錬金薬の準備などを細々と進めていくうちに、あっという間に二週間が経過していた。
ちょうど、折よくその頃にノエが父親宛に返した手紙の返事がやってきた。
ノエは、来訪について検討していることと、入国の際は便宜を図ってもらいたいという要求を、できる限り感情を込めない淡々とした文章で綴っておいた。
そんなノエの心情を知ってか知らずか、父親もいくらか感情を押さえ込んだ事務的な文体で、ノエの来訪を待っていることと、入国の手続きをしておくこと、皇都に到着後に迎えをやることを記していた。
かくして、イシュガルドに向かうための準備が整った。しかし、キャリッジはまっすぐにイシュガルドに向かうわけではない。商人の荷運びも兼ねている便であるために、彼らは度々道中の集落で休憩を挟んだ。多くは名もない小さな村々だったが、中にはアドネール占星台のように、ドラゴンの襲撃を見張るイシュガルドが国境沿いに用意した施設もある。
そして、今、ノエたちが休息をとっている『キャンプ・ドラゴンヘッド』もその一つだ。彼らが検問のために暫し時間をかけていたのも、イシュガルドの国境を守る要所であるからこそだ。
「それでは、本日はこちらの部屋をお使いください。出立は明後日の早朝で間違いないですか?」
ノエたちを宿泊用の部屋に案内した騎士は、テキパキと一行に問いかける。
「はい。ヒューゴさんという方のキャリッジに乗っていたので、彼の出立とあわせて旅立つことになります」
「分かりました。では、狭い部屋ですが、ご自由にお過ごしくださいませ。困ったことがありましたら、敷地内の騎士に声をかけていただければ、何か手伝えると思います」
この駐屯地では、旅人に数日の宿を提供するのが常態化しているようで、案内の騎士の説明も宿屋の従業員のように澱みなかった。
ヤルマルたちが使う女性陣の部屋と、ノエたちが使う男性陣の部屋。それぞれの部屋の案内と、部屋の中にある備品の使用方法。食事が必要かどうかの確認と、注意事項のいくつかを説明してから、騎士は一礼して部屋を出ていこうとした。
「あの、本当にこんなにもゆっくりさせてもらっていいんですか」
そこに、ノエが思わずそんな声をかける。大きな街の宿屋ならいざ知らず、ここまで気持ちを落ち着けられる接待を旅の途中にある駐屯地で受けられるとは思っていなかったからだ。
旅の途中で泊まる宿の多くは、休む場所を提供する代わりに労働を課したり、先払いでお金を渡しておかなければいけなかったりと、何らかの対価を求めてくる。そのような対応が宿にとって必要なことだと分かっているので、旅人たちも不満を口にすることはない。それが不文律であると、ノエだけでなくここにいる者の殆どが知っていた。
しかも、この場所は本来国境警備やドラゴンの迎撃のための駐屯地だ。旅人専用の宿ではない。
しかし、騎士は平然とした顔で、
「ええ。お金はいくらか頂きますが、それも出立のときで構いません」
「随分と太っ腹なんだな。いっそ、裏があるんじゃないかって若人が疑いたくなるのもわかるってもんだ」
「僕は、別に裏があると思っているわけではありませんが
……
」
ルーシャンはからかい半分でそう言ったものの、ノエも気持ちとしては似たようなものだった。そんな疑い混じりの視線を向ける冒険者たちに、騎士はからりとした笑顔を見せて、
「この駐屯地を統べている方は、クルザスの雪原を乗り越えて旅をしている冒険者を歓迎するのが好きなんですよ。ただそれだけなんです」
「そう
……
ですか」
邪気など微塵も感じさせない物言いに、これ以上疑いを持つほうが失礼になりそうだと、ノエは言葉の矛先を収める。
騎士が一礼して出ていくのを見送ってから、ノエたちは毒気が抜かれた顔で、各々の荷物を広げ、暫し旅の疲れを癒したのだった。
*
管理者が冒険者たちを歓迎するのが好きと言われるだけあって、ノエたちは久々にゆっくりと腰を落ち着けて、暖かな食事を口にすることができた。特に、一番年少のオデットは駐屯地に詰めている騎士たちに気に入られたようで、『小さいのに頑張っている』とあれこれ食事を勧められて目を白黒とさせていた。
ヤルマルとルーシャンは持ち前の明るさで場を盛り上げ、サルヒとオランローがそれを静かに見守っている。時々オデットとオランローが話の渦に巻き込まれ、苦笑を交えながらも散らかりがちな話の整理をしていく。それは、グリダニアでもしばしば見かけた団欒の光景だった。
「
――――
……
」
本来なら、ノエもその中に加わって、他愛もない話に声をあげて笑っているはずだった。けれども、どれだけ暖かな空間が提供されていても、久々に柔らかな布団の中で眠れると分かっていても、ノエの心は晴れてくれない。その理由は、わざわざ語るまでもない。
「すみません。少し疲れているみたいなので、今日は先に休みますね」
そう一言言い残して、皆が盛り上げた空気を冷やさないように、ノエは極力気配を殺して食堂から外へと出る。
食堂では、暖炉の炎が赤赤と燃え上がり、部屋の中は少し汗ばむほどに暖かかった。だが、一歩外に出れば、そこは外の寒冷な空気の残滓が行き交っている。微かに吐息が漏れた唇からは、ふわりと白い息が溢れた。
(
……
何してるんだ、僕は。イシュガルドに行くって決めたのは僕なのに)
覚悟は決めたつもりだった。だが、イシュガルドに近づけば近づくほど、胸の奥が苦しくなる。呼吸一つとっても、意識して行わなければできていないのではないかと不安になるほどに。
そうやって、廊下の途中で立ち尽くして、意味もなく漏れ出る白い吐息を眺めていると、
「ノエ」
己に呼びかける声に、意識が現実へと引き戻される。振り返った先にいたのは、ノエにとって、他の面々よりも気軽に話せる相手
――
オランローだった。
「どうしたんだ、オランロー。まだ寝るには早い時間じゃないか?」
彼の相棒であるヤルマルだって、まだ食堂にいるはずだ。普段の彼ならまず間違いなく、彼女の隣に居続けていただろう。
「どうしても、周りの騎士たちの目が気になってな。ヤルマルは、知り合いがここにいたらしいから、あのまま置いてきた」
アウラ族の中でも黒い鱗を持つオランローは、イシュガルドの騎士にとって長年の敵である竜を思わせてしまう。鱗はただの身体的特徴の一つに過ぎないのだと説明はしているものの、やはり騎士の何人かは平常心を装いきれなかったらしい。
同じ種族であるサルヒは、そんな視線すらも全て無視しているようだが、オランローは彼女と同じようには振る舞えなかったようだ。落ち着きなく揺れる尻尾が、彼の心情を代弁していた。
「夜食として、いくつか軽食を持ち出しておいた。あんたも食べるか」
「そうだね。少しいただこうかな」
言葉だけなら常と変わらない応対であるものの、ノエの表情は明らかに暗い。今も、どこか上の空で答えているのが、オランローにはすぐに分かった。
「
……
やはり、気が進まないのか」
「
…………
」
声を押し殺し、オランローはノエの心情に一歩踏み込む。
オランローは、ノエがどうして里帰りに消極的なのか、その理由の全てを知っているわけではない。ヤルマルから概要は聞かされているが、込み入った事情についてまで把握してはいない。
「でも、僕が決めたことだから」
「そうだったとしても、あんたがそんな顔をするくらいだ。よほど、気乗りしないことなのだろうとはわかる」
顔に出ていると、オランローはいつぞやのヤルマルやオデットと全く同じ言葉を口にする。今度ばかりは、ノエも自分の顔に触れるような真似はしなかった。そんなことをせずとも、己の表情なら容易に想像できたからだ。
「
……
オレはあんたではないから、あんたの気持ちの全部が分かるとは言わない。だが、今ぐらいは、少し肩の力を抜いたらどうだ」
「肩の力を、抜く?」
「ああ。あれこれ考えるから、これから向かう先で起きることが余計に困難に思えてくる。だから、もう少し気軽に構えてみたらどうだ。あんたがピリピリしていたら、その分オデットもヤルマルも他の連中も
――
」
「
……
君は、自分の親に捨てられたことがないから、そんなことが言えるんだろう」
しん、と空気が凍りつく。
冷えた廊下に、ノエの拒絶の声は恐ろしいほどにはっきりと響いた。
数秒後に、オランローが息を呑む音が後を追う。だが、それはオランローだけではなく、ノエ自身も同じ心境だった。
自分は今、何と言った。友人がせっかく気遣ってくれたというのに、返した言葉は礼ではなく、明確な拒絶の形となっていた。
「
……
そうだな。オレの価値観で、あんたの悩みを軽く見るべきではなかったか」
「オランロー、僕は」
「悪かった。少し頭を冷やしてくる。あんたは、部屋に戻って休んでいてくれ」
アウラ族の彼にとって、部屋の中にいる方が気が休まるはずなのに、彼はノエが一人で静かに過ごす時間が必要だろうと部屋を譲ってくれた。それが分かっていてもなお、ノエの口からは立ち去る友への言葉が出てこなかった。
遠ざかるオランローの背に向けて伸ばした手は、拠り所を無くして宙を彷徨い、やがて拳の形を取り、近くにあった壁を殴りつける。
「
……
何をしているんだ」
沸き立つ苛立ちを抑えきれず、どこかにぶつけずにはいられなかった。
こんなつもりではなかったのにという後悔と、自分の今の境遇をもっと重く見てほしいと我儘を主張する感情。そして、そんな我儘な態度を取る己自身を受け入れられない反駁の気持ち。
それら全てがノエの中で渦を撒き、より彼の心を混沌としたものへと変えていく。
「
……
僕も、頭を冷やした方が良さそうだ」
このまま、オランローの好意を受け取って、おとなしく部屋に戻ることなどできない。ノエは小さくかぶりを振り、人のいない方へと歩き始めた。
***
昼間であろうと鉛色の雲が空を覆う日がほとんどであるクルザスでは、夜になっても星が見えることもない。それでも、あちこちに置かれた篝火や照明のおかげで、外が真っ暗になるということもない。まだ夕飯時ということもあって、駐屯地の主計に荷物を売りつける商人の声があちこちから聞こえていた。
ノエは外に出ると、なるべく人の気配がしない方向へと歩き始めた。巡回の騎士や、旅人たちすら見かけないような場所を求めると、自然と向かう先は一つになってしまう。ノエの足は、駐屯地を一望できる高台に繋がる階段を登っていた。
雪こそ降ってないものの、防寒具を纏っていなければ肌を打ち付ける風は冷たい。食堂に持ち込んでいた上着を羽織っておいたものの、厚手のコートに比べれば肌寒さは感じずにはいられなかった。
「オランローは、上着を持っていっているだろうか。風邪、ひかないといいけれど
……
」
ノエは寒さに慣れているが、オランローの育った環境はここよりもずっと温暖な気候の所らしい。慣れない環境で風邪でもひかせてしまったらと気になる一方で、今更様子を見に行ける立場でもないと思い返し、ノエは唇を強く噛んだ。
(本当、何をしているんだ僕は
……
)
オランローには、自分の事情を全て説明していない。庶子であるために、家から放逐されたとは伝わっていたとしても、その経緯や結末について事細かに打ち明けてはいない。
不必要に気遣われるぐらいなら、話さなくてもいい。そう判断したのは自分なのに、肝心のところで「配慮が足りない」と怒るなど、わがままにも程がある。
「憐れまれたいわけじゃない。それは、確かなんだけれど
……
」
自分の前髪に指を差し入れ、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。そんなことをしても、ごた混ぜになった思考が紐解かれるわけでもないのに。
ゆっくりと顔をあげると、眼下には荷運びのために行き来する騎士たちが目に入る。気づかない間に、ノエの体は駐屯地を囲う城壁に続く通路にあった。そこからは、キャンプ・ドラゴンヘッドの全貌がよく見えた。
たとえ夜遅くになっても、騎士たちはノエのように食堂に集まってゆっくりするわけにもいかない。高台から空を見上げて、警戒を続けている理由はノエにも想像できた。
「ドラゴンと戦うために、ずっと見張りを続けているのか
……
」
「そうだ、若き冒険者よ。ここにも、ドラゴンの脅威が迫ることがある。だが、安心するといい。冒険者や旅人が安らかに一晩を過ごせるようにするのも、私たち騎士の務めだ」
「そうですか
……
って、うわ!?」
いきなり隣から声をかけられて、ノエはその場で小さく飛び上がり、尻餅をつきそうになった。すぐに姿勢を戻せたのは、日々の鍛錬のおかげだ。
自分以外の人物の登場に、に跳ね回る心臓を宥めながら、ノエは篝火が照らし出したその人の姿を確かめる。氷のようなアイスブルーの髪に、ここでは見慣れた騎士の標準的な装い。察するに、駐屯地の騎士の一人だろうか。
「すまない。何やら思い悩んでいるような顔をしていたので、声をかけてしまった。ここのことで不便があるようなら、私でよければ相談に乗ろう。すぐに改善を
――
」
「いえ、そういうわけではないんです。皆さんには、とてもよくしてもらってます」
ノエの沈鬱な様子が、施設の不備によるものではないかと声をかけてくれたらしい。慌てて、ノエは首を横に振る。
「む、そうだったか。何か問題があるなら、至急改善の知らせを出さねばと思ったのだが」
どうやら、目の前の騎士はそれなりに階級のある人物のようだ。そんな立場にある人物にわざわざ時間を割かせたのだと思うと、先ほどのオランローの一件もあって、より気持ちが沈んできてしまう。
ともあれ、目の前の騎士に要らぬ心配をさせてはならぬと、ノエはどうにか笑顔を取り繕って、
「個人的なことで
……
少し、悩んでいただけなんです。ここの環境にはとても満足しています。料理も美味しいですし、部屋も暖かいですし、何の不満もありません」
「ふむ。そうだったか」
何気ない風を装い、ノエは話を終えようとした。
自分の悩みを軽く見ているわけではないが、自分のせいで余計な時間を使わせていると思うだけで気が引ける。オランローにあんな風に言ってしまったからこそ、尚更そう思っていた。だが、
「しかし、少し悩んでいただけという割には、今の冒険者殿は随分と暗い顔をしているように見える」
篝火に照らし出されたノエの顔を見て、騎士は虚飾なしの感想をぶつけてきた。
取り繕われたわけでもない言葉を第三者にまで言われてしまい、ノエは返す言葉に詰まる。
しかし、こればかりは身から出た錆だ。まして、ことの発端はノエの個人的な問題であり、他の誰にも責任はない。
関係ないと騎士を突っぱねても、何の問題もない。そう分かっていても、今誰かを拒絶するような態度をとったら、またオランローの時のように自分が予想もしていないような辛辣な言葉を吐きそうだった。
口篭っているノエを見て、騎士も何か思うところがあったのだろう。彼は塀に背中を預け、傾聴の姿勢をとり、
「誰にも話すことができないばかりに塞ぎ込んでしまうというのなら、私でよければ耳を貸すことぐらいはできるだろう」
「あ、いえ、話は
……
既に、しているんです。僕の、仲間に」
第三者に対して、彼らのことを説明するために自ら『仲間』という単語を使うのは、やや気恥ずかしくもある。
だが、ノエにとって今の彼らとの関係を表す最適な言葉は、他に思いつかなかった。
「ただ、せっかく僕の話を聞いてくれた人に対して、僕は八つ当たりをしてしまったんです。彼は、僕を励まそうとしてくれていたのに。
……
すみません、こんな個人的な話をしても困りますよね」
騎士の仕事は、最初に言われたように駐屯地の警備や、旅人たちが過ごしやすい環境を維持することだ。このような瑣末な愚痴を聞くのは、騎士の仕事ではない。
そう考えて、ノエが苦笑いと共に話を終えようとしたときだった。
「
……
確かに、そのような話なら、私から冒険者殿にかけられる言葉はないのだろう」
ほんの数分前に声をかけただけの相手から、贈られる言葉など何もない。それを理解した上で、騎士はノエへと向き直る。
「だが、冒険者殿には友がいるのだろう。自ら、『仲間』と呼ぶほどの」
「それは、確かにそうですけど
……
でも。僕は彼にひどいことを言ってしまいました」
「うむ。それでも、冒険者殿は、その人物を『仲間』と呼んでいる」
騎士からの指摘を受けて、ノエは咄嗟に己の口元に手をやる。
「それは、冒険者殿が築き上げた仲間との信頼が、己の失言一つで揺るぐような脆い関係ではないと、自らそう信じている証拠ではないか?」
だからこそ、八つ当たりをしたという一点だけで、そのように激しく落ち込む必要はないと騎士は言いたいようだった。
実際、ノエはごく自然に、オランローとの再会を念頭に入れていた。彼との縁が完全に断たれたなどとは、微塵も思っていなかった。
「
……
おっしゃる通りです。だからこそ、顔を合わせづらくもあるのですが」
ノエの拒絶を察した瞬間の、オランローの顔。それを思い出すたびに、ノエの心はちくちくと針を飲んだように痛む。
「個人的な悩みを聞いてもらった上に、あんな拗ねた子供みたいな言葉を口にするなんて
……
いくら仲間といっても、限度というものがあります」
「では、冒険者殿は、彼らを置いて旅立つ予定なのか?」
「いえ、そんなつもりはありません」
その質問には、すぐに否定の言葉が飛び出た。
仲間に頼りたいから、そんなことを言っているわけではない。彼らが自分を案じ、共に行きたいと願ってくれた。その願いを受け止めたからこそ、共にいたいとノエの方もそう思っている。
たとえ、行く先が気の進まない場所であろうと、そうでなかろうと、一人で突っ走るような選択は彼らへの裏切りそのものだと、彼は心底からそう思っている。
目の前の騎士にそこまで己の思いを語ったわけではないが、決意の幾らかは伝わったのだろう。彼はふっと表情を緩めて、
「私が言葉を弄せずとも、既に答えは出ているようだな」
騎士は塀越しに眼下に広がる広場を見やり、続けて再びノエへと視線を戻す。
「ならば、今の私に出来るのは、君の背中を押すことぐらいだ。冒険者よ」
彼が掌で指し示した先
――
高台のほぼ直下にある地点を見るために、ノエは塀へと近づく。
石積みの城壁の下には、松明を持った長身の影があった。影のそばには、ヴィエラ特有の長い耳の影や、一際小柄な少女の影もある。
「みんな
……
」
「冒険者殿は、良い仲間と共にいるようだな」
騎士に言われずとも、ノエの心の中には自分を探しに来てくれた五人への感謝が次から次へと溢れかえっていた。だが、同時に、そんな彼らに自分がどんな言葉を口にしてしまうかが不安にもなる。
また、要らぬ暴言を吐いてしまわないか。己の事情を説明すればと思えども、今度はきちんと分かるように伝えられるだろうかという不安がつきまとう。
躊躇が不安を生み、足が止まってしまう。そんなノエの背中が、ぽんと押された。
振り返るまでもなく、それが文字通り『背中を押してくれた』のだと分かる。
――
仲間を待たせるものではないぞ。
声に出されずとも、後ろにいる騎士はそう言ってくれたような気がした。
飛び出した一歩が続く数歩に、やがてそれは、広場に続く階段を駆け降りる歩みへと変わる。雪が薄く残る石造りの階段を下りれば、予想通り、広場にはオランローを筆頭とした四人が立っていた。
「部屋に戻ってもあんたが居なかったから、一人でどこに行ったかと探していたんだ」
「ごめん、心配かけて」
そこまで言いかけて、ノエはゆっくりと首を横に振る。今ここで口にするべき言葉は、これではない。
「
……
ありがとう。探してくれて。それと、オランロー。君は心配してくれていたのに、きつく当たってしまって、本当にすまなかった」
実際にオランローと対面すると、ノエの口からはするすると謝罪の言葉が飛び出していた。あんなにも顔を合わせるのを躊躇していたのが、馬鹿らしくなるほどに。
(あの人が言う通りだ。僕は、彼らが『仲間』であることを信じている。こんなにも、ごく自然に)
かつての自分なら、こんな風には考えられなかった。何か失言をしていたら、迷惑をかけてしまったと猛省して、いくつもの謝罪を検討していただろう。
けれども、今なら多少の欠点を露呈したところで、その程度で終わる縁ではないと信じられる。甘えているとも言えるかもしれないが、それこそが『信頼』であるとノエは知っていた。理屈ではなく、己の心がそう言っていた。
「この旅路がただの里帰りではないとは、あんたの様子を見て分かっていたはずなのに、オレも軽率だった。
……
悪い」
「いや、いいんだ。僕は君にも、ヤルマルさんたちにも、僕の事情の全てを話していなかった。だから、君と僕の間で捉え方が変わってしまうのは当然だ」
今まで黙って様子を見守っていたオデットが、ノエの発言を聞いて不安げに彼を見つめる。彼女は、ノエが何を言い出そうとしているかを察したのだろう。その末に、ノエが自分の傷を開いて、再び傷つくのを憂いてくれている。
「大丈夫だよ、オデット。皆には、ここまでついてきてもらったんだ。ならば、僕も皆への誠意として、きちんと話しておくべきだったんだ」
「先に言っておくけど、ボクらを付き合わせてしまったから、自分のことは全部話さなきゃだめだとか思ってるなら、それは違うからね」
同じく成り行きを見守っていたヤルマルは、こればかりは見逃せないと手を挙げる。
「ボクは自分の意思で、君の旅路に同行している。オランローだってそうさ。別に、君の事情の全容を知らなきゃついていかない、なんて思っているわけじゃない。その前提はわかってるよね?」
「大体の事情を知ってる俺が言っても、あまり信憑性がないかもしらんが、俺も似たようなもんだからな。お前が金払って俺たちを雇ってるっていうならいざ知らず、勝手についてきた同行者共にそこまで気を遣う必要はない」
ヤルマルに続き、ルーシャンがノエに先んじて釘を刺す。
イシュガルド行きはノエが望んだことであり、彼が決意しなければ確かにヤルマルたちはイシュガルドに行こうなどとは言わなかっただろう。だが、それはそれとして、ノエに頼まれて同行したわけでもない。自ら選んで同行を申し出た以上、その責任の全ては自分自身にあり、当然ながらノエが対価として己の事情をうち明かす必要などないと彼らは言っていた。
だが、その言葉があったからこそ
――
ノエの心情を気遣い、傷を抉り出す必要はないと言ってくれるような相手だからこそ、ノエは打ち明けたいと思えた。
「ヤルマルさんの考えも、ルーシャンさんの意見も、ちゃんと分かってます。その上で、僕が皆に話しておきたいんです」
自分が、どうして父や家を疎むのか。
どうして、イシュガルド行きにあれほど悩んだのか。
話を聞いた彼らに、何かしてほしいと思ったわけではない。ただ、知っておいてほしかった。自分が育った場所のことと、そこに向けて抱く感情の幾ばくかを共有したかった。
それもまた甘えなのかもしれないけれど、彼らが伸ばしてくれた手に自分の手を重ねることは信頼の証だと、今ならそう思えるから。
「じゃあ、話をするなら部屋に戻ろうか。まったく、クルザスは寒すぎるよ!」
「そうだな。ヤルマルが風邪をひく前に部屋に戻るか」
「旦那様、私はお茶の準備をします。一緒にどうでしょうか」
「おう。ノエ、お嬢ちゃんとヤルマルたちを連れて先に戻っててくれ」
「はい。部屋の暖炉に火を入れておきますね。兄さん、行きましょう」
手早く担当を決めて歩き始めた彼ら。宿泊している建物に向かう一行の最後尾で、ノエは振り返る。彼の視線の先には、先ほどまで自分がいた高台があった。
だが、既にそこには誰もいない。篝火が明明と夜を照らし出しているだけだった。
(あの騎士の人に、お礼を言いたかったんだけどな)
明日もここに滞在する予定になっているので、朝になってから彼を探そう。そう決めて、ノエは視線を断ち切り、皆の後を追って走り始める。
だが、彼がこの地を旅立ちまで、再び騎士と再会することはない。故に、彼が知ることもなかった。
自分に声をかけた騎士が、この駐屯地の管理者であると同時に、四大貴族に名を連ねる者であり、自分と似た立場の人物であったことは。
***
キャンプ・ドラゴンヘッドの夜は、外こそ巡回の兵士の気配がするものの、室内まで騒がしいわけではない。宿直の兵士が夜食を作る、微かな物音。それだけが、辛うじての音らしい音だ。
そんな中を、ノエは厨房の片隅の暖炉を使って湯を沸かしていた。なるべく足音を響かせないように、できるだけ慎重な足運びで、湯気を立たせているケトルを暖炉にかけていた鉄棒から外す。
素手で触れば火傷必至のそれを分厚いミトンで運び、用意していた茶葉を入れたティーポットに注ぎ、一息。細い窓の向こうから見える雪景色を眺めて、紅茶が抽出されるまでの時間を持て余していると、
「こんな所にいたのか、ノエ」
「オランロー。どうしたんだ、こんな時間にこんなところで」
「それはこちらのセリフだ。あんたこそ、部屋を抜け出したと思ったら、何をしているんだ」
明日はまだ出立の日ではないが、それでも遅い時間なことには変わりない。オランローの指摘を受けて、ノエはバツが悪そうな顔で頭を掻いた。
「
……
寝られなくて。さっき、話を聞いてもらったところなのに、何だか情けないだろう?」
「いや。
……
落ち着かない気持ちは、分かるつもりだ」
そのまま話をするつもりなのだろう、オランローは厨房の作業机近くにあった椅子に腰を下ろす。ノエは彼の分も含めた、二つ分のティーカップを食器棚から取り出した。
数時間前、ノエはオランローたちに自分の抱えている事情を全て打ち明けた。今まで曖昧に誤魔化していたところや、察してくれるだろうと口を噤んでいたところも合わせて、できるだけ鮮明に己の歩んできた経歴を語った。
ノエがイシュガルド出身の貴族であることや、庶子であることは知っていたヤルマルや、それを聞いていたオランローも、実情の全てを聞いてしばらく言葉を無くしていた。まさか、家を追放されるどころか、異端者の嫌疑で吊し上げを喰らったとまでは想像できていなかったからだ。
(だから、あんたは
……
父親と母親のことを、あんな声で呼んでいたんだな)
オランローが思い出したのは、ノエが帝国軍に捕縛されていた時のことだ。自白剤により意識が朦朧としていた彼は、夢現の中で父親と母親を呼んでいた。子供が両親を呼ぶような無邪気な呼びかけである一方で、そこにはどこか切実な感情が含まれていた。その理由が、今ならオランローにも分かる。
「聞いたオレが言うのも何だが、少しは
……
落ち着けたか」
「うん。オランローたちに話して、少しスッキリしたかもしれない。今は、君たちに余計な心配を背負わせてないかの方が、気掛かりといえば気掛かりで
……
いたっ」
言葉が終わる前に、立ち上がったオランローがノエの額を弾く。長身のノエよりもさらに背の高い彼からの、しかも遠慮のない指弾に、ノエは額を覆って呻いた。
「少しは他人に頼るのに慣れろ。あんたはいつも抱え込みすぎだ」
「
……
オランローだって、帝国軍の事件の時に、僕らに相談せずに突っ走っていたじゃないか」
「その一度だけだ。あんたの場合、数えていったら指の数が先に無くなるくらいに背負いこんでいる。違うか」
さりげなく自分の指摘を回避し、オランローはノエの無茶の回数だけを取り沙汰する。実際、彼の言う通りの部分もあるので、ノエも頷くことしかできなかった。
「殊更に、自分が不幸だったとひけらかしているわけじゃないんだろう。誰彼構わずに話して同情を引いているのならともかく、あんたの場合は必要な息抜きをしていただけだ」
「それが必要だって、誰が決められるのかな」
「聞いた側が決める。オレは、今のあんたには必要だと思った。それだけだ」
強引とも言える肯定こそが、自分への励ましなのだとノエもわかっていた。故に、彼も余計な言葉は交えずに一度頷くと、ティーポットからカップへと紅茶を注ぎ始めた。
ふわっと漂う湯気と、柔らかな紅茶特有の匂いが二人の間に流れていく。
「オランロー、砂糖入れるかい?」
「オレはそのままでいい」
「そうか。じゃあ、僕は少しだけ
――
……
」
そこまで言って、ノエは厨房の調味入れを見てふっと口元を緩める。漂う気配の変化に、オランローは「どうかしたのか」と尋ねた。
「ここの調味料入れ、砂糖だけ他と比べると大きいんだ。それを見て、何だか懐かしくなって」
「イシュガルドでは、砂糖を使うことが多いのか」
「というより、紅茶にたくさん入れる習慣があったんだよ。紅茶の味が無くなるんじゃないかってぐらい、たくさん入れる人もいた。貴族の人の中には、砂糖やミルクを惜しみなく使うことが貴族流だって考える人もいたんじゃないかな」
ノエは砂糖を少量を溶かして、ティースプーンでぐるりとかき混ぜる。琥珀色の液体には、その程度ではさしたる変化は見られない。
食堂の端に移動し、ノエはカップを並べる。ポットを持って後についてきたオランローは、机にポットを置くと、自分もまた腰を落ち着けた。
「
……
お母様は、とりわけ砂糖を沢山入れたがってたんだ」
カップをオランローの前に滑らせてから、ノエも椅子に座る。カップを手に取った彼は、思い出したようにぽつりと呟いた。
「僕は、あまり好きじゃなかったし、きっとお母様もそこまで好きでもなかったんじゃないかと思うんだけど」
「なら、何でわざわざ合わない味にしていたんだ」
「自分が貴族に見そめられたって、確かめられるから
……
だったのかもしれない」
ノエの母親は、市井の出身だ。貴族のように潤沢な嗜好品もなく、同じ茶葉を何度も煮出して、出涸らしのようなもので搾り出した紅茶を飲むこともあったのだろう。
その反動もあったのではないかと、ノエは語る。
「自分は、もう貴族の妻なんだって、昔みたいに貧しい暮らしをしなくていいんだって、自分に言い聞かせるためにも必要な儀式みたいなものだったんじゃないかって。今なら、そう思うんだ」
無論、ノエが母親から直に聞いたわけではない。全ては仮説の話だ。今は会えない母親のことを、子供ではない自分の目線から読み取ったら、そう感じたというだけのことである。
もう会えないからこそ、出来る限り輪郭をなぞってみせる。それが、ノエのできる精一杯だ。
「見栄と意地
……
か」
「小さい頃は、分からなかったことばかりだった。どうして、お母様は滅多に会いに来ない夫に、あんなにも執着できたのか、とか。どうして、僕の父親はお母様のことを嫌いになったわけでもないのに顔を見せに来ないのか、とか」
幼い少年にとって、周りの子供と異なる親の様子に疑問を呈することはあっても、その原因を探るには至らない。
問いかけても、大人たちは決まって愛想笑いと自分にとって都合のいい言葉を並べるだけだ。使用人だけでなく、実の伯父ですらそうだったのだ。
そして、裏返せばそのような態度こそが、ノエの存在があの家にとって微妙な立場であったことの証拠になる。精神的な成長を見せ、社会や制度の存在を知った今だからこそ、彼らのとってつけたような態度の全容を理解できる。
「わけがわからないままにお母様は死んでしまったし、いつの間にか異端者ってことにされていた。その日から、僕はあの男のことを父親と認めたくないと思っている」
感情を波立たせずに、当時の父親について語るのはノエにとって困難だった。先だってオランローらに話したときですら、昂る感情を沈めるのは楽ではなかったほどだ。
今もまた、さざなみだつ気持ちを落ち着かせるために、ノエはカップの中身を喉に流し込む。
「あんたの怒りの原因は、そこにあったんだな」
オランローの呟きに、ノエは首肯する。
庶子であるが故に家を放逐されたこと自体の怒りはあれど、ノエが父親に対して最も怒りを抱いているのはそこではない。
家を守るために、母親に無実の罪を被せたこと。
家を守るために、息子の声に背を向けたこと。
家族だと言っておきながら、最終的に差し伸べていた手を引っ込めて切り捨てたことは、ノエの中で黒い炎として残っている。
「だったら、あんたはその時、あんたの父親にどうしてほしかったんだ?」
「
…………
」
らしくなく口ごもる友人に、オランローは言葉を続ける。
「手紙の内容を見る限り、そいつはあんたに謝るつもりなんだろう。それを、あんたはすんなりと受け入れられるのか」
「それは、できない」
こちらの回答は明確だった。だからこそ、オランローはノエへと問いをかぶせる。
「そいつの謝辞を拒絶するなら、あんたが自分が何に怒っているかを整理しておくべきだ。あんたは見当違いな謝罪に対して拒絶するのか。それとも的外れではないものの今更謝っても遅いという、これまで沈黙し続けた時間に対しての拒絶なのか。それをはっきりさせておいた方が、あんたも気が楽だろう」
一番悪い結末は、心の整理が終わらないままに謝罪を受け取り、なし崩しのまま許してしまったときのことだ。そして、後から『許さなければよかった』などと思ってしまったら、心には一生消えない濁りが残ってしまう。
なまじっか、ノエはたいていの人間に対して好意的に接する性格であるが故に、オランローはその部分を憂慮していた。八方美人の振る舞いをした挙句、後から己の選択を振り返って悔いを感じるのは、オランローの傍らにいるヴィエラの麗人一人で十分だ。
「
……
僕が、怒っている原因」
「あるいは、怒りの原点ともいえるか。あんたは、親父さんがどう振舞っていたら満足していたんだ」
母親の死を嘆き、家も地位も擲ってノエを選んでくれたらか。それとも、正妻を娶らずに、妾である母親を正妻としていたらか。
確かに、それは美談だろう。理想的な未来の一つには間違いない。子供の頃のノエなら、そうしてほしかったと父親に駄々を捏ねていたかもしれない。
だが、精神的にも一定の成熟を見せた今となっては、そんな選択ができない理由をノエは知っている。
父親にも守らなければならない家があり、地位があり、領地がある。それらは、単に己の利欲で得たものではない。
領民は、父親にとってもう一つの家族だ。己の個人的な事情で、簡単に捨てられるものではない。彼が貴族であることを放棄すれば、領地に暮らす何万もの人が路頭に迷い、襲い来るドラゴンたちになす術なく蹂躙されるかもしれない。
愛した人が平民であったが故に、正妻とすることもできなかった。その苦悩はあったのだろうと、想像はつく。周りの反対を押し切ってそんなことをしたところで、ティエリーの母親のように周りから浮いて、心を弱らせる姿が目に見えている。
だったら、今のノエが過去に戻れたとして。父親に、いったい何を望むか。
「僕は
……
お父様に、お母様を切り捨ててほしかった。お母様が死んだ後じゃなくて、もっとずっと前から」
「あんたの母親とあんた自身は、少なからず父親の庇護下のおかげで安定した生活を送れていたと思っていたが
……
違うのか?」
「いや、違わない。あいつのおかげで、僕もお母様も暖かな時間を過ごせた。空きっ腹を抱えて凍えながら眠る日々を、知らずに済んだ」
だが、それは過ぎた夢だった。これは、何も今思いついたことではない。自分の中で深く問答を繰り返すたびに、ノエは同じ結論に至る。
「でも、そのせいでお母様は夢を見てしまった。自分が正妻になれるかもしれないって夢を。それに、僕もありもしない幻を現実だと思ってしまった」
本当は、自分は貴族の仲間入りができる立場ではないのに。自分こそが、父にとっていちばんの息子であると思い込んでしまった。
「だったら、最初から僕らを切り離してくれればよかったんだ」
「だが、イシュガルドの貧民街は厳しい生活だと聞いている。子供抱えて、女が一人生きるのは楽ではないだろう」
「それなら、それでいい。いっそ
……
僕が生まれてこなければ、お母様は今も生きているんじゃないかと思うことすらあるぐらいなんだから」
そこまで極端な思考に偏らないように、ノエはなるべくこの考えから目を逸らしていた。
そうでなければ、自分をどうしようもないぐらいに追い詰めて、自ら崖から身を投げ出すような結末になりかねないからだ。
「それは、オレが困るな」
己の感情の暗い所に埋没しかけたノエに、傍らに座っていた友人の声が響く。
「あんたがいないと、オレもヤルマルもどうしようもない行き止まりにぶつかって、途方に暮れていただろう。だから、あんたがいないと困る」
言葉少なにそう言って、オランローはノエが嵌まってはいけない深みから引き摺り出す。
彼の言葉につられるようにノエが顔を上げると、オランローはすまし顔でカップの中身をあおっていた。
「
……
ありがとう、オランロー」
「礼を言われるようなことはしていない。事実を言っただけだ」
それに、話題を振ったのはオランローの方だ。軽いアドバイス程度のつもりだったが、ノエの中からは想像以上に濃く、粘つきすら感じるほどの闇が溢れでてきた。それだけ、彼にとって己の出自というものは、軽々しく扱えないものとなって、今も彼を縛っている。
「
……
いっそ、イシュガルドには行くが、父親からの誘いを蹴るという方法もあるな。オデットの記憶探しだけをして、父親に会わないというのはどうだ」
それなら、ノエが吐き出した闇の大元に会いに行く必要はないのではないかと、オランローは提案してみる。だが、半ば予想通りの反応として、ノエは首を横に振った。
「僕が誘いを反故にしたと知ったら、当主であるあいつ自身は納得しても、周りは納得しないかもしれない」
当主に取り入ろうとして、生き別れの息子を見つけ出してきたなどという輩が現れては、ノエにとっても父親にとっても良い対面にはなり得ない。それぐらいなら、気が進まなくとも、自主的に顔を出した方が遥かにましだ。
「それに、今回のことで思い知ったよ。僕は、あいつとの関係を清算する必要がある。僕の中にいるあいつの存在を、いつまでも昔のままにしておきたくないんだ」
今のノエにとって、父親の印象は昔のままから変化していない。追放された後、父親に出会う機会がなかったがために、変化しようもなかったからだ。
幼い頃に追いかけてきた広い背中が、そのまま大きな壁となりノエの前に立ちはだかっている。圧倒的な支配者であり、同時に己を容易に踏み潰せるような存在。それが、ノエの中に残っている父親像の全てだ。優しい思い出もあるものの、やはり彼がノエよりも強大な存在であるという感覚が強い。
「僕にとって、父親は絶対の存在だった。僕じゃどうにもならないぐらい、恐ろしくて、強くて
――
……
でも、それは幼い僕にとっての父親だ」
今の自分は、幼い頃とは全く違う。背も伸びた。武芸の腕も、比べものにならない。超えてきた修羅場の数に比べれば、父親と真正面から相対することなど、命が懸かっていないだけ気楽だと言えるはずなのだ。
「今の自分で、僕はあいつに向き合って
――
その後、どうなるかは分からないけれど。でも、少なくとも、この行き場のない怒りとか、苛立ちとか、そういうものに一つ蹴りをつけられる気がする」
そして、他ならぬノエ自身がそうしたいと願っていた。だから、彼はオデットの記憶探しとは別に、イシュガルドに行って父親に再会する予定を放棄していない。
「
……
あんたは強いな」
いまだに迷いはあるものの、毅然とした面持ちだけは保っているノエに、オランローは眩しいものを見たかのような言葉を口にする。
「そうはいっても、逃げたい気持ちだってあるよ。イシュガルドに到着したら、真逆のことを言っているかもしれない」
「それでも、そう決意できただけあんたは十分強い。
……
オレは、セルウィに向き合うことから、ずっと逃げていたからな」
「でも、最後には彼と話ができたんだろう?」
「そうせざるを得ない状況になったから、というだけだ」
「僕だって、似たようなものだ。現実の方が、僕を見逃してくれなかった」
手紙が来ることがなかったら、ノエは生涯父親の元になど行かなかっただろう。今でも、手紙など来なければよかったのにと思う気持ちすらあるほどだ。
「ままならないものだな」
「
……
うん。でも、思っていたよりも酷い気持ちにはなっていないと思う」
少なくとも、手紙を受け取った直後に比べればずっとマシだ。その理由は、すでにノエの隣にいる。
故に、ノエは自分の中にあったもう一つの不安の種を友人に預けることにする。
「あいつに会って、僕がいつもの僕でいられる保証はない。だから、もし僕がこの先後悔するだろうってことをしでかしそうになったら、その時はオランローが僕を止めてくれ」
「
……
ああ。分かった」
ノエが安堵して、胸を撫で下ろしかけた刹那。「だが」と言葉が挟まれる。
「オレは、あんたが間違いを犯すようには見えない。どれだけ感情的になろうと、やっぱり、あんたはあんただと信じている」
「なんだか、重い期待だな」
言葉とは裏腹に、ノエの声は柔らかい。彼の声音に引きずられるように、オランローもふっと微笑を浮かべる。
「信頼と言ってくれ。あんたが帝国兵と一緒にいたオレを受け入れていたのと同じように」
カップの中身が空になったのを皮切りに、オランローは席を立つ。ノエもその後を追い、二人して厨房に向かう。
「オランロー。どうせなら、イシュガルド流のお茶の飲み方、試してみないか?」
「砂糖を入れるやつか」
「うん。溶け残るくらいに、たっぷりとね」
「聞いているだけで、舌が溶けそうな話だな」
二人であるこれ言いながらも、ノエはポットの中に余っていた紅茶をそれぞれのカップに移す。続けて、ありし日の母に習って、砂糖を多めに溶かしてみる。
白い溶け残りが存分に残った紅茶を見つめ、二人は意を決して中身を飲み干し
――
数秒後、両者はよく似た苦笑いと共に顔を見合わせたのだった。
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