氷紀
2024-05-06 22:50:23
4792文字
Public 雨の日はきみを待つ
 

雨の日はきみを待つ 02

高沢。高くんの世界へ訪ねてくる沢くんの話。
6期のほうこう回のネタバレがあります。
例によって設定等は公式ではありませんのでご留意ください。

 二度あることは三度ある。
 沢城くんと三回目に会ったのは、春の終わりの頃。

 今年は一足早く梅雨が来てしまったのか、ここ数日はずっと雨が降り続いていた。今日の昼下がりくらいから少しずつ雨足が落ち着いてきて、預かり物が心配じゃのう、という父さんに、様子を見てきますよと留守を預けて家を出た、まさにその瞬間。
 雨雲を透かすあかね色が彼の気配に染まったのが分かって、僕は駆けだしていた。

 件の隠れ家の扉を開けると、予想通り沢城くんの姿があった。ただ、床に倒れているのは予想外だった。一瞬だけ頭が真っ白になって、その間にもやっぱり体は勝手に動いて、気がつけば僕は彼の傍らに駆け寄っていた。
 首元に触れて脈を確かめる。呼吸もしっかりしているから、ただ気を失っているだけらしい、と感じて少し落ち着いた。それでやっと頭が回り始める。彼に一体何があったのか? 前回と同じく、下駄もちゃんちゃんこも身につけていない姿を見て、鼓動が騒いだ。
 そういえば前に来たときも、この格好だった。あのときは彼の世界の泥田坊を殺したと言っていた、もしかして今回も――人間を守る為に妖怪の誰かと戦ったのか。ご先祖様の守りを失った結果がこれなのか、それとも、……ご先祖様すら放り出したいような気持ちでいる、のか。

 僕は彼を抱え上げると、昼寝用の長椅子の上にそっと寝かせた。昼寝のときにたまに被っている、毛布代わりの柔らかな麻布――もとい、数枚の麻布を重ねて縫い合わせた、元々は術の仕掛けをしまうための大きな袋だったものをかけてやって、軽く息をつく。僕と彼の体格はほとんど変わらないから、まあ薄がけ扱いでいいだろう。
 その動きの間に、気を失っている彼の呼吸が少し乱れたのと、無意識のままでも一瞬だけ、腹をかばうような動きをしたのが、引っかかった。服に目立った汚れはないし、血の匂いもしないけど、相当やられてるなと直感する。幽霊族がいくら頑丈でも、痛みを感じない訳じゃない。

 隠れ家に持ち込んでいたランプと五徳と薬缶で、お湯を沸かす。大がかりな料理を作るには頼りないサイズだけど、お茶くらいならこれで充分だ。
 換気の為に窓を開けて、ついで棚のどこかに、砂かけ婆から分けてもらった薬草茶があったはず、とごそごそやっていると、沢城くんが目を覚ました。
「あ、……あれ?」
 僕とおそろいの片目を数回瞬いて、彼はゆっくり身を起こした。数秒掛けて状況を把握したらしく、僕の姿に気づいて息をのんだ。
……先輩、僕」
「休んでて。体、辛いだろう?」
 目当てのものをやっと探り当てて、彼の側に戻る。紐付きの不織布の小袋に入った薬草茶を、ぷつぷつと音を立て始めた薬缶の中へ放って、僕は床に放置していた座布団へ腰を下ろした。沢城くんの寝ている長椅子へ寄りかかったら、とんと小さく響く音がする。
 やがて、薄荷を中心にした、つんと透き通った香りが部屋に満ちた。この薬草茶は砂かけ婆曰く、体全体の気の通りを良くして、傷にこもった熱を散らしてくれる配合だとか――だから殴られたときの傷にはかなり効いてくれるって、僕は体験で知っている。
「お見通し、ですか?」
……腹をかばってるな、とは」
 泥田坊を一撃で灼き尽くせる彼を、そこまでの目に遭わせる奴なんて……と考えてみて、僕は違和感に気がついた。
 沢城くんの手足にも、顔にも傷はない。あったのかもしれないけど残ってない。なのに腹にだけ痛みが残るなら、……つまり、腹だけ選んだように深くやられる状況、とは。
「沢城くん。話したくなければ、無理に話さなくてもいいけど……自分から、殴られに行ったのかい?」
 揺れるランプの火を見つめながら、問いかけた。
 かなうなら否定してほしかった――不意を打たれただけだとか、ただの事故だとか。でも、背後から聞こえてきた沢城くんの答えは、僕の想像より遥かに残酷だった。
……それで済んでくれたら、どんなに良かったか」
「えっ」
「そういえば、ほうこう、ってこっちの世界では見ませんね。……その方がいいのかな。人と出会って、殺し合いになってしまうくらいなら」

 薬草茶を煮出す間、沢城くんはぽつぽつと語ってくれた。
 僕たちよりずっと年上の楠に住んで、土地を見守り続けてきたほうこうが、人間に住処を奪われた怒りで暴走したこと。楠が斬られたのは、とある人間が、その楠の素晴らしさを広めたのが原因だったこと。……楠を見ようと日々集まり続ける人間たちを、迷惑に思った土地の持ち主が、木を斬ってしまった。それがほうこうの怒りの発端だった。
 沢城くんは、ほうこうの怒りを収めたくて身を投げ出して殴られて、でもそれでは終わらなくて、怒り狂ったほうこうは人間の街に放火して――だから結局殺すしかなかった、と。

 彼が語り終えて数秒、薬草茶の匂いが少し柔らかいものになった辺りで、僕はやっと口を開いた。
「そう、だったんだね。……僕がその状況だったら、きっと、きみと同じようにするだろうな」
「先輩でも、……他にどうにもならない、ですか?」
「うん。封印したところで、まず間違いなく繰り返すだろうと思うし……街に放火するなんて、いくら怒っていたとしてもやりすぎだ。自分が住処を奪われたからといって、関係ない人間の家を壊していいわけがない。……街まるごと、なんだろう? 街の人間たちからしたら、いきなり空襲に遭ったようなものじゃないか」
「でも……ほうこうは、一方的に住処を奪われたのに」
 少しだけ戸惑ったような声が、聞こえた。僕は茶葉を取り出して絞り、適当にくずかごに放りながら続ける。
「確かに、そのほうこうって妖怪は何も悪くないよね、放火する一瞬前までは。……住処を奪われたら困るし、怒り狂うのは当然だ。でもそのあとがまずすぎる。木を斬った人間や、全ての原因になった人間の家を壊すか奪うっていうなら分かるし、かわりに住める木を寄越せって言うなら、それは協力するべきだと思うけど」
 近くの棚から、湯のみひとつ手に取った。割とよく使うものなので、ホコリは被っていない。何の変哲もない、薄灰色の陶器だ。
 窓から差し込む夕暮れの光が、つるりとした表面を縁取っている。
「怒り狂って関係ない人間の家に放火するのは、ただの八つ当たりだ。憂さ晴らしの暴力だよ。……直接見てないから言い切れないけど、かなりの数の建物が燃えたんだろう? 人間のもろさを考えたら、何人か死んでるかもしれないよ」
「それは……そう。人間だって、元々誰も悪くなかったはず、ですよね。最初の人にしたって、すてきな木を誰かに教えたかっただけで」
「そうだね、その気持ちは決して悪いものじゃない。ただ、……そのすてきなものを支えているのが誰なのか、多くの人に知れたらどうなるか、考えてなかったんだろう。……なんだか、この人間たちも全員、ほうこうと一緒だって気がする、かな」
「一緒?」
 湯のみに薬草茶を注ぐ。緑茶よりずっと淡い、澄んで柔らかな緑色だ。
 ふわりとあがる湯気の温度と、注いだ陶器越しの温度もちょうど良さそうだ。
「最初の人間は、すてきなものをすてきだと言いたかった。集まってきた人間たちは、すてきなものを見たかった。木を斬った人間は、集まってくる人間が迷惑だった。ほうこうは、住処を奪われて怒った。……全員、自分の気持ちの都合以外、何も見えてなかった。そこにきみが関わって、この全員の分を引き受けてしまったのかな、って思ったよ」
 僕は湯のみを持ったまま、沢城くんの隣に座った――マットを敷いた長椅子のサイズには、充分すぎるくらい余裕がある。僕が彼の横に並んで寝ても、まず落っこちることはないだろうなと思う程度には。
「だとするなら……きみがあくまで人間を守りたいなら、ほうこうを殺すしかなくなるよね。僕もきみの立場ならそうするよ、人間のせいとか妖怪が悪いとか、そういうんじゃなくて、壊れるものが一番少なくて済む選択だろうから。……苦しい、けどね」
 言いながら、薬草茶を沢城くんに差し出した。戸惑ったような表情は変わらない。それでも、湯のみは受け取ってくれた。
「これは?」
「薬草茶だよ、殴られたときの怪我にいいんだ」
 沢城くんは湯のみの水面を覗き込んだ。柔らかな湯気と香りを、彼はどう感じているだろう。
……きみの痛みが、少しでも軽くなればいいと思って。あ、薄荷の匂いが苦手だったらごめん」
「いえ。ありがとう、ございます」
 小さく笑って、沢城くんは薬草茶を一口含んで――薬草茶の中ではかなり飲みやすい部類の味だったからだろう、大丈夫、と言いたげに彼は一つ頷いた。
「優しい味ですね」
「良かった」
 吹き出されたらどうしよう、とかちょっと思ってたんだけど。
 湯のみの中身をちびちびと舐める口元に、またあらぬ気持ちが騒ぐ。開けちゃいけない扉の鍵だ、という気がして、僕は無理矢理沢城くんから目を逸らして、窓の外へ目をやった。雲の切れ間から、真っ直ぐに夕日が差しているのが見える。
 それで、ふと思い当たった。前に来たとき、彼は雨と一緒に――
「そういえば沢城くん、いつも雨の日に訪ねてくるよね。雨止んじゃったけど、大丈夫?」
「空気の中に水がしっかり溶けているときほど、軽い力で渡れるってだけです。晴れの日でも、別に渡れない訳じゃないので……でも晴れの日だったら、日の入りの時間帯がやりやすいかな。あとは朝でも、霧が出ているとき」
「そうなんだ。じゃあ、冬は? 雨じゃなくて、雪だったら」
「冬も霧が出ていれば、わりと楽ですね。あと雷が来ているときが、どの季節でも一番楽です」
 湯のみを傾けながら、沢城くんは答えてくれた。
 僕は再び窓の外に視線をやって、続ける。
「ふーん……不思議な術だね。僕も覚えたらできるかな」
「先輩一人ならできるでしょうけど、……その、胸の中に抱えてるモノが、ちょっと重すぎるので」
「やっぱり、分かる? コレ」
「正体までは、分かりませんけど……いろんな種類の力を限界まで固めてつくった、猛烈に強い磁石みたいなものが、先輩に同調してくっついてるな、って」
 沢城くんに鍵のことを話した覚えはないけど、まあ、だいたい気配で分かるだろうなとは思っていた。だから僕から出たのは、驚きの声よりも、納得のため息だった。この鍵を抱えたまま違う世界に行ってしまったら、多分閻魔大王からめちゃくちゃに怒られる。
……いろいろ事情があってね。コレ、当面手放せそうにないからなあ」
 僕が軽くぼやいたところで、沢城くんはごちそうさまでした、と言って空の湯のみを差し出してきた。それを受け取って、薬缶に残っているお湯で軽く流して、棚に戻して、……そこで耐えきれなくなって、もう一度彼の方を振り向くと、窓から吹き込む風の中、栗色の髪がふわりとなびくのが見えた。
 白い耳がちらりと覗く。鼓動が跳ねる。
 僕ととてもよく似た見た目の筈なのに、どうしてこんなにも、きれいだと思うんだろう。きれいだと思うのに、どうして無性にざわつくような気持ちになるんだ?
「先輩?」
 僕の視線に気がついて、彼が小さく首を傾げた。
 一歩、二歩。棚から彼のいる長椅子の方へ、歩きながら問いかける。
「もうすぐ、夕日も沈むけど。帰るには、まだ体が辛いかい?」
 彼は小さく頷いた。
「迷惑でなければ、ここで休んでいっていいですか」
「もちろん」
……すみません。一晩だけ、お借りします」
 そう言って、彼は再び長椅子の上に寝転がった。毛布代わりの麻布を首元に引き寄せて、目を閉じる。
 沢城くんが眠るときうつ伏せになるのを、僕はこのとき、初めて知った。