夜明 奈央
2024-05-06 14:15:13
2515文字
Public 中太SS
 

迎え

雨でも傘を持って行かない太宰を迎えに行く中也の話 煤音ことはさん作の中太に10のお題より
2024年3月9日初出

 中也の家の玄関には、傘が8本ある。そのうちの1本は中也のもので、至ってノーマルな紳士用の傘だ。残りの7本は全てビニール傘で、傘を持たずに出掛けた太宰が雨に降られる度にコンビニやらスーパーで増やしてくるものだ。
 天気予報を見れば事前に予想がつくのだから、家から傘を持って行けばいいだけのはずだ。なのに太宰は一向にそうしようとしない。天気予報はニュースと一緒に毎日チェックしているはずなのに、何故なのかはわからない。中也が「今日は傘持って行けよ」と声を掛けたところで無駄だった。
 物に執着しないことは知っているから、別にちゃんとした傘を買えだなんて思っていない。既にたくさんあるビニール傘を常用すればいい。けれど捨てもせず、どこかに置き忘れてくるでもなく、増やし続けるのはどうにかしてほしい。この家の玄関だってスペースは有限なのだ。
 今日も雨が降っていた。薄々嫌な予感はしていたが、案の定帰宅した太宰の手にはビニール傘が握られている。帰宅時にビニール傘が7本あることは確認していたから、持っているのは8本目の傘のはずだ。
「は? 手前また傘買ってきたのかよ」
「雨だったんだから仕方ないでしょ。まさか濡れて帰ってこいって?」
「今朝持ってけって言っただろうが! もういっそ濡れて帰ってこいよ!?」
「濡れて帰ったらそれはそれで怒るくせに」
「手前が廊下を水浸しにするからだろうがっ!」
 中也がいくら主張しても、太宰には全く効いている風がない。今に始まったことでもないが、どうにかならないものだろうか。

***

 フロントガラスにぽつり、と1滴の水が落ちた。続けてぽたぽたと水滴がまばらに視界を埋め尽くし始める。雨だ。天気予報で夕方から雨だと言っていたし、少し前から空が厚い雲に覆われていたから、そろそろだろうと思っていた。最近は春雨前線の影響か、やたらと雨が多い。
 時刻を確認すると、ちょうど太宰が中也の家に向かっているだろう時間帯だった。ああ、これでまた傘が1本増えるのか。脳裏に浮かんだ考えに、自分でも辟易した。
 太宰が中也の家に私物を持ち込むのを、基本的には好意的な気持ちで見ていた。1つ増える度に、太宰がここに居着こうとしているように感じた。けれどビニール傘はどうにもいただけない。増えるばかりで使っているところを見たことがなかったし、最近では中也の家の玄関をゴミ箱か何かと勘違いしている気がしてきた。勝手に捨てたってどうせ怒りはしないだろうが、傘は分別が面倒なのだ。
 雨を特別に好きだとも嫌いだとも思ったことはなかった。マフィアにとって雨はどちらかといえば都合のいい存在で、仕事上では雨が降って幸運だと思ったことが何度もあった。それがどうだろう。今や雨が降る度に、どこか憂鬱な気分が忍び寄ってくる。
 気がつけば、自宅の最寄り駅近くまで来ていた。目の前の高架を、電車が徐々に速度を上げながら走り去っていく。太宰が真っすぐ中也の家に向かったとして、乗るのはもう少し後の電車だろう。
 急ぐ用はない。普段より早い帰宅だが、特に何をしようという予定もない。ここでしばらく時間を潰したところで、何の不都合もなかった。

 コンビニに入り、ぐるりと店内を1周した後、雑誌コーナーに陣取った。特に買う物もないコンビニで時間が潰せるような場所は他になかった。暇つぶしにペラペラとページを捲る。すぐ隣の傘コーナーは盛況なようで、数分の間に何人かが買っていった。まさか太宰だけとも思っていなかったが、太宰のようにずぼらな人間は少なくないらしい。日によっては売り切れることもあるかもしれない。そう考えていると、見知った気配が近づいてきて、顔を上げた。
「何してるの」
 太宰の疑問は最もだった。ここは自宅からも離れているし、近くに駐車場もないから通りがかったとしても寄りづらい。100メートルも進めば車が駐められる別のコンビニがあるから、周辺に数あるコンビニの中でも利用頻度の低い場所だ。通常なら中也がいることはまずない。
「これ以上うちの玄関に傘増やされたらたまったもんじゃねぇからな」
 腕に提げていた傘を少し上げてアピールしながら答えた。すぐに何か言い返してくるかと思っていたが、何かを言い淀んだように妙な間が開いた。不思議に思いつつ、然程興味もなくページだけを捲り続けていた雑誌を棚に戻す。太宰と合流できればここにはもう用もない。さっさと歩き出すと、太宰もそれに倣ってついてきた。すぐに横に並んで、すっと傘を奪われる。
「こういう時は、傘はもう1本持ってくるものだと思うよ」
 出口に差し掛かると、太宰がパッと傘を開いた。そこでようやく、太宰の言う通り2本必要だったことに気がついた。急に思い立ったので気づいていたとしても車に傘は1本しかなかったのだが。
 数十センチ先では今もなお大粒の雨がぼたぼたと降り続いている。駐車場まで大した距離はないので全身びしょ濡れとまではいかないだろうが、それでも多少躊躇われる。気に入りの愛車のシートを濡らしたくもない。
 思いつきで行動してしまったことを後悔する。太宰を待たせて車を回して来るべきだろうか。
しかし中也のことなど無視して行ってしまうかと思われた太宰は、くるりとこちらを向いた。
「入らないの?」
 見れば小さくだが傘が左に傾いている。先程まで中也が歩いていたのは、太宰の左側だ。
身を寄せるようにして傘の中に入ると、太宰がそれを待っていたかのように歩き始めた。
「いくら君が小さいからって、もっとくっつかなきゃ濡れちゃうよ」
「小さいは余計だっつの」
 減らず口に応戦しつつ、雨を避けるようにして太宰との距離を詰める。歩く度にあちこちが触れ合うような距離でも、左の手足が当たり前のように濡れる。きっと太宰は反対に右側が濡れていることだろう。
 帰ったらまずはシャワーだろう。濡れた服を脱いで、身体を温めて、それから――
「今度から買う前に連絡しろよ」
「気が向いたらね」
 たまにはこんな日も、悪くない。くすくすと笑う太宰も、あながち満更でもなさそうだった。


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