隣でふらふらと覚束ない足取りを披露する中也を眺めながら、太宰はいい気分に浸っていた。中也と飲みに行った帰りだった。空には大きな丸い月が浮かんでいて、ヨコハマのネオンサインに負けずに煌々と輝いている。酒精で火照った身体には冬の冷たい風もちょうどよい酔い覚まし程度にしかならない。
中也とは、時間が合えばこうしてたまに飲みに出る。お互い不規則な仕事をしているから頻度はまちまちだ。
言ったことはないけれど、中也と飲みに出るのが好きだった。家で飲むのと違って中也も羽目を外さないよう適量で抑えるし、その中也と会話もなく並んで歩く家への道のりは太宰たちには珍しく穏やかだ。会話がないので喧嘩もない。ただ、2人仲良く歩くだけ。
何もないこんな時間は貴重だ。何も言わないけれど、中也もきっと気に入っている。
歩行者用の赤信号が見えて歩みを止めた。住宅街は夜になれば人通りはほとんどなくて、人も車も自転車も、太宰たち以外には誰もいない。なのに律儀に信号を守っているのはなんだか滑稽な気がするけれど、お互いに何も言ったことはない。急ぐ理由もないから、定められた通りにきちんと止まる。
押しボタンを押した手に、中也の手がするりと伸ばされた。手を繋ぎたいのかと思って握り返すと、中也のやたらと真摯な瞳とかち合った。甘さを帯びた瞳に絡め取られる。
「俺と付き合ってくれ」
穏やかな空気がかまいたちのように切り裂かれた。中也はそれに気づいているのかいないのか、太宰の返事を静かに待っている。
「やだ!」
腹が立って、反射的に否定の言葉を返す。沸々と沸き上がってくる怒りに付き従って、手を振り解いた。タイミングよく信号が青へ変わったので、中也を置いてさっさと歩き出す。中也も予想外だったのかショックだったのか、一瞬反応が遅れたが、すぐに後をついてくる。
気遣ってやる気になれなくて、中也の歩幅を無視してどんどん前に進む。斜め後ろからの視線がうるさい。言いたいことはなんとなくわかるのだが、察してやるつもりはない。
せっかくいい気分に浸っていたというのに、それも台無しだ。
中也にとって、今までは『付き合っている』に含まれていなかったらしい。定期的に2人で飲みに行って、週の半分以上を同じ家で過ごして、セックスする仲だというのに。太宰がそんなことを他の凡百の人間に許すとでも思われていたと思えば、甚だ遺憾である!
苛立ちに任せて、家に着くと自分の私室に引き篭もった。中也はしばらく途方に暮れたように扉の前に佇んでいたが、やがて諦めたように去っていった。
◇ ◇ ◇
とはいえ、中也との喧嘩は基本的に時間が経てばどうでもよくなるものである。顔を合わせている間中喧嘩し続けているような相手とのあれこれをいちいち引き摺っていては関係はすぐに破綻する。
昨晩は当然セックスするつもりでいたのに、怒りに気を取られて機を逸してしまった。そろそろシたいと思っていたしたぶん中也も同じだから、リベンジすべく翌日もまた中也の家に上がり込んだ。
仕事を終えて帰ってきた中也を出迎えると、理解できないものを見るような顔を向けられた。心当たりは当然昨日のあれだが、いつもの喧嘩のつもりだったのは太宰だけだったのだろうか。
ソファに寝転がって端末を眺めていたが、どうにも無言の視線がうるさい。その視線を振り払うようにごろりと寝返りを打つと、中也が近づいてきた。顔が近づいて、確かめるように唇を触れ合わせる。その拍子に被ったままだった帽子がぱさりと床へ落ちた。気にも留めていないように2、3度角度を変える。離れていこうとするのに合わせてぺろりと唇を舐めた。
「シたいの?」
「俺、振られたんじゃねぇの?」
元々そのつもりでもあったので、面倒な気配を察して先回りした。けれど中也は誤魔化されてくれなかった。
焦点が合わないほど近くで両目を覗き込まれる。瞳の奥の奥、脳の中まで探られるような気がした。
太宰からしてみれば、とっくに付き合っているつもりだった。中也はそうではなかったのだと知ってがっかりしたぐらいだ。そんなことを言ってしまえば調子に乗るのがわかりきっているから、絶対に教えてやらない。
「なんで付き合いたいの?」
「俺が付き合いたいから」
間髪入れずに返ってきた返事に、一瞬思考が止まった。
「付き合いたいんだ……」
あまりにも予想外で、つい復唱してしまった。脳に血流が巡るようにゆっくりと言葉の意味が浸透していく。
なるほど、付き合いたいのか。付き合いたいのか、中也が、私と。わざわざこんな風に迫ってまで。
中也は急に弱気になったのか、不安げにこちらの様子を窺っている。それが太宰の気分を浮上させた。ふわふわと風に流れる風船のように、どこまでも高く。
「君、私と付き合いたいんだ」
「なんか文句あんのかよ」
「んーん、なんにも? つまり、中也は私のことが好きだと」
「そうは言ってないだろ」
「じゃあなんでそう思ったの?」
それは、その、と急に言葉を濁し始めた中也は、最高に格好悪くて可愛い。こういう姿はほとんど太宰の前でしか見せないことを知っているから余計に。
目の前に爆弾でも突きつけられたかのように、ゆっくりと太宰の鼻先から遠ざかっていく。太宰もそれを追って起き上がると、更にじりじりと距離を取ろうとする。流石に面白くないので追うのをやめると、そこで止まった。
中也はごにょごにょと長らく言い淀んでから、「それでいい」と言った。その顔はほんのりと赤く染まっている。
「なんて?」
「だからそれでいいって」
「聞こえなーい」
もちろん聞こえているけれど、そんな曖昧な言葉で納得してあげるつもりはなかった。だってはっきり言葉にしたがったのは中也の方なのだ。だったら最後まで責任を持つべきだろう。
追い詰められた中也があんまりにも可愛くて、頬の筋肉と口角はずっと上がったままだ。
中也がヤケクソのように叫ぶ。
「『好きだから』でいいから付き合ってくれよ!」
その答えに嬉しくなって、衝動のままに抱きついた。勢いを殺しきれなかった中也が背後に倒れ込む。この家のラグは毛足が長くてクッション性が高いから、このくらいなら大したことはないだろう。
「いいよ! そんなに言うなら付き合ってあげる!」
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