照りつける朝の光を感じて、ぼんやりと意識が覚醒に向かう。まだ寝ていたい。しばらくは抗おうとしたが、次第に耐えかねて目を開いた。普段カーテンは閉めっぱなしにしているはずだが、何の気まぐれで開いてしまったのか。
起きあがろうとして、頭の重さに気づく。ついでに身体もなんとなく怠い。この感覚には覚えがある。二日酔いだ。昨晩は太宰と2人で呑んでいた。そこまでははっきりと覚えているが、それからどうしたのかはあまり覚えていない。
まずは水でも飲もうと起き上がったところで、その部屋が俺の部屋でも太宰の部屋でもないことに気がついた。
「おはよう」
俺が状況を把握するより先に、太宰の声と共に何かが飛んできた。反射で受け取ってからそれが水のペットボトルであることに気づいて、ありがたく頂戴することにする。生ぬるい水が喉を滑り落ちていき、臓腑に染み渡る。半分程を飲み干してから声の方を確認すると、太宰はソファに座っていた。
応接セットと呼べる程立派なソファとテーブル、俺のいるベッド。それから大きな鏡と小さな冷蔵庫。見慣れない部屋はホテルのようだ。だが、家具も壁も装飾が豪華で、帰るのが面倒で入ったにしては随分とクラスが上に見える。
「ここ、どこだ?」
「本部内のVIP用客室」
「なんで?」
「さあ? ここなら変な小細工しなくても君がそう簡単に壊さないと思ったからじゃない?」
「どういう意味だよ?」
「僕たち、閉じ込められたみたい」
うんざりとしたように笑った太宰の説明によれば、太宰も気がついた時にはここにいたらしい。
VIP用客室とはいってもいつ裏切りや内通があるともしれない裏社会だ。内鍵とは別にいざという時に閉じ込めるための外鍵付き。外鍵は電子錠なので鍵穴はないし、中から開けられないように様々な細工がしてあって、太宰でも鍵なしで開けるのは容易ではない。さらにご丁寧に電波障害まで起こされているらしく、助けを呼ぶのも一筋縄ではいかないようだ。
「マジかよ」
「信じられないなら確認してみなよ」
言われるまま端末を確認すると、確かに圏外と表示されていた。次に扉に向かうと、内鍵は開いているのに、扉には鍵が掛かっているようだった。
ただ、閉じ込めたにしてはあまりにも杜撰だ。俺も太宰も拘束されてはいないし、異能は問題なく使えそうだ。
「なあ、普通に異能使えっから、壊せるけど」
「そしたら始末書は君ね」
「は?」
「当たり前でしょ。VIPルームなんだから」
そこでようやく太宰の言った「そう簡単に壊さない」の意味がわかって、俺もうんざりとした気分になった。
仕方なく他の出入り口を探して部屋を徘徊する。窓は嵌め込み式で、開くようにはできていない。通気口は俺や太宰が通るには小さすぎる。いずれも壊すことは簡単そうだ。
けれど待っているのはやっぱり始末書で、すぐに実践しようという気にはならない。例えば夜になってもこのままなら壊すだろうが、その前にせめて他の手段を試したい。
部屋を点検しながら、様々な可能性を模索する。
「叫んだら外に聞こえたりしねぇの?」
「場所が場所だからあんまり期待できないかな」
太宰の説明によれば、確かに滅多に人が立ち入らない場所だった。道理で俺がこの客室の存在を知らなかったはずだ。何故太宰が知っているのかは深く考えないようにする。
「手前はなんか案ねぇのかよ? 俺より先に起きて色々調べたんだろ」
扉と窓の点検を終え、他に確認すべきはバスルームぐらいか。望み薄だが、一応確認すべきだろう。
そう思って鏡台の横を通り過ぎようとしたところで、その上にある不自然な紙片に目を留めた。はがき大の大きさの、少し厚めの紙。白地にベーシックなフォントで無機質に印字された黒文字。――キスしないと出られない部屋
はっとして太宰の方を見ると、目を逸らされた。
「お前、これ、気づいてたのか」
「そりゃあね」
気まずい沈黙が流れる中、俺の脳裏を過るのはひと月程前の出来事だ。
太宰にキスをしようとした。無理矢理ではない。頬に添えた手は振り払われることはなかったし、俺が顔を寄せると、太宰は応じるように目を伏せた。受容された、はずだった。
なのに、唇が触れる直前になって突然胸を押し返された。仕方なく目を開いて離れるが早いか、俺を置いて走り去った。何かを言っていたようだが、はっきりと聞き取れなかった。
それからずっと、俺は太宰に触れることを躊躇っている。
「心当たりは」
「あるわけないでしょ。こんなふざけた催し」
「なら閉じ込められる心当たりは」
「52分後の取引がパーになったら、準幹部の何人かはこぞって僕のことを槍玉にあげるだろうね」
太宰は馬鹿馬鹿しいとばかりに肩を竦めて見せた。平気そうにしているが、こんな姑息な手段に嵌って良いようにされたと知れれば、今後の太宰の立場は危うい。
タイムリミットは、52分後。いや、移動時間を考えればもっと短いか。迷っている時間はそうない。
「扉、壊すか」
「それ、せめて試してみてからでもいいんじゃないの」
ぶっきらぼうに示された「それ」は、先程見つけた紙片だ。
1度拒否された“それ”を、俺は再び実行するつもりはなかった。だから即座に選択肢から除外した。けれど、もう1度チャンスが巡ってきたのだと理解すると、正直な身体はどくりと大きく脈打った。声が掠れる。喉が乾く。
「いいのか、キス、しても」
「嫌なら初めから提案しないけど」
「わかった」
躊躇いつつも、離れていた太宰との距離を1歩ずつ詰める。前回より、なんならファーストキスよりも、遥かに緊張している。意識して大きく深呼吸をする。
肩に手を置くと、服越しに太宰の体温が感じられる。反対の手を頬に添えた。滑らかな頬の感触は、あの日と同じだ。閉じられた瞳の上で睫毛がふるふると震えている。朝日に照らされた顔がほんのりと赤らんでいるように見えて、一際強く心臓が胸を打った。
あまりにも煩くて、太宰に聞こえるんじゃないかと思いながら、そっと唇を合わせた。
今度は、拒絶されなかった。
その事実に、ただ歓喜した。そのまま深く貪りつきそうになるのを必死で我慢して離れる。唇を合わせたというただそれだけで、胸が熱くなるようだった。顔が熱い。太宰の唇の隙間から細く吐き出された息が、唇にかかる。柔らかな唇の感触を思い出して、すぐに離れてしまったことを後悔した。随分ともったいないことをしてしまった。もっと味わいたい。1センチも離れていない唇を再び合わせようとして、肩を押された。
「開いたよ」
太宰の意識が扉へと向かったのに釣られて、俺も視線だけそちらへ向けた。見た目では解錠されたかどうかはわからない。解錠音でもしたのかもしれないが、太宰とのキスに気を取られていた俺にはわからなかった。
それより、目の前の太宰の方が重要だった。まだ離れたくない。ソファに乗り上げようとして、太宰の左手がポケットに入っているのが視界の隅に映った。この状況で、ポケット? そこは中身に合わせて少し膨らんでいる。
俺がそれに気を取られている間に、太宰は俺の隣をすり抜けて行こうとしていた。それを手首を掴むことで引き留める。
そもそも今日の太宰は全体的におかしかったのだ。
いつもなら、俺への状況説明もそこそこにここを出るための指示をして、犯人特定に勤しむはずだ。扉を壊す以外の方法があるなら最初からそれを指示するし、ないなら始末書如きでうだうだと悩みはしない。上手いこと言い包めて俺に押しつけるのは奴の常套手段だ。
だから、太宰は最初からこの状況に持っていくつもりだったはずだ。俺とキスするつもりがなかったなら、あの紙片を隠して俺に扉を壊すように指示すれば良かったのだから。
太宰の先程の台詞が脳裏を過ぎる。「嫌なら初めから提案しない」そうだ、その通りだ。
ならこの状況で、メリットのある人間は?
「離してよ」
太宰が振り払おうと暴れるので、引っ張って抱き寄せた。暴れようとする太宰を押さえつけて、近づいた太宰の耳に唇を寄せる。
「なあ、これ画策したの、手前か?」
目の前の肌が赤く染まったのと、股間にガツンと大きな衝撃が走ったのは、どちらが先だったのか。一拍遅れて激しい痛みが襲いかかり、耐えきれずに膝をつく。
この状況を作り出した張本人は、その隙をついて今度こそ腕を振り払い、扉へと一直線で向かっていった。先程は鍵がかかっていた扉は、案の定あっさりと開いた。
追いかけていきたい気持ちはあったが、股間にガンガンと響く痛みで諦める。この野郎、後で覚えてろよ。負け犬さながらの捨て台詞が口をつく。痛みに悶えている所為で、それはほとんど声になっていなかったが。
太宰が嫌に丁寧に扉を閉めるのを、若干涙目になりつつ見つめた。と、
ピー ガチャッ
俄かには信じられない音が部屋に響き渡った。
俺は少しずつ落ち着いてきた痛みを堪えながら扉に向かい、ノブを捻る。それは予想通り、つい数分前に俺が確認した時と同じ状態だった。つまり、鍵がかかっている。
くそったれが! 始末書がなんだってんだ!
俺はあまりの怒りにそのノブを引きちぎった。
あれから何分経過したかはっきりとは覚えていない。だが、取引までまだ40分はあるはずだ。それまでに捕まえて一発殴って、それからもう1回キスしてやる! 俺はそう心に誓って、太宰の後を追った。
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