夜明 奈央
2024-05-06 13:02:30
2697文字
Public 中太SS
 

手のかかる子供

喧嘩の収拾を自分でつけられない中太にお節介を焼いてやる安吾
2023年3月5日初出

 太宰は扉の開閉音に反応して意識を浮上させた。中也の家で家主の帰宅を待っていたはずが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。確かに最近忙しくて満足に眠ることもできていなかった。不在とはいえ中也の気配が色濃く残る空間に緊張が抜けてしまったのだろう。
 目は覚めたが、身体は一向に眠りの淵から抜け出せない。もしも相手に敵意があればすぐに飛び起きるだろうが、そんなものは感じられなかった。近づくにつれて入室者が中也だとわかって、起きるのを諦めた。
 最近ほとんど顔も見ていなかったから少しぐらい言葉を交わしたいと思っていたけれど、身体は重くてちっとも動かないし、中也だとわかって安心したのか意識は再び沈みそうだった。
「ぅおっいたのかよ」
 中也が太宰の存在にようやく気づいたらしい。そろそろと近づいてきて、太宰の眠るソファの近くにしゃがみ込んだ。髪の毛に手を差し込まれて、親指でそっと目の下をなぞられる。
「寝てるのか」
 そこには色濃い隈が浮かんでいるはずだ。最近では自分でも鏡を見る度に顔を顰めたくなる程だった。数度往復した後、気配はそっと離れていって、すぐに戻ってきた。身体全体に軽いものが掛けられて、じんわりとした温かさを感じる。毛布を掛けられたのだろう。特に寒さを感じていたわけではなかったけれど、身体が温まるとやはり心地よい。中也の匂いが染みついているのもいい。
 きっと知らず頬が緩んでしまったのだろう。中也が赤子にでもするように頭を撫でた。それからさらに近づいてきて、唇に湿った柔らかいものが触れた。まさかそんなことをされるとは思っていなくて、驚いた拍子にあれだけ重かった瞼がパッと開いた。意識もばっちりと覚醒した。
 唇に触れたものは、太宰の予想通り中也の唇であったのだろう。至近距離でこちらを見つめる中也と真正面から目が合った。状況を認識するなり中也の目は大きく見開かれる。
 あまりの事態に咄嗟に言葉が出てこない。1秒程見つめあって、太宰がようやく言葉を発しようとしたところで、中也は脱兎の如く駆け出した。
「ちょっと!」
 慌てて追おうとしたが、動転した所為か、毛布を踏んですっ転んでしまった。もし追いかけることができたとしても、中也の足に追いつけるとはとても思えなかったが。
 扉が閉じるのを見送って、追いかけるのはすぐに諦めた。代わりに先程の感触を思い出す。あれは紛れもなくキスだった。照れて逃げ出すなんてなかなか可愛いところもあるらしい。
 中也が自分に好意を持っているらしいことには気づいていた。太宰の方も満更ではなかったが、このふわふわとした甘酸っぱい関係もそう悪くはないと思っていたので、関係を進展させるのは先延ばしにしていた。もう少し楽しんでからにしようと。ただ、中也の方から動くなら別だ。「好きです。付き合ってください」とでも言わせてやろうじゃないか!

***

「今度は中也くんに何したんです?」
「何もしてない」
「そんなわけないでしょう」
「本当に何もしてないよ! なんで友達の言うこと信じてくれないの!?」
「日頃の行いでしょう」
 安吾がしれっとした顔でグラスを口に運ぶ。それを恨みがましい目で見つめるが、慣れた安吾には効果はなかった。いつものバーだった。今日は織田の姿はない。

 あれから2週間は経過していたが、太宰と中也の間には一切の進展がなかった。それどころか徹底的に避けられていて、あれ以来顔を合わせることすらしていない。
 本部のあちこちで毎日のように傍迷惑な喧嘩を繰り返していたのがぴたりと止まった所為で、マフィア内では様々な噂や憶測が飛び交っている。

「本当に何もしてないよ。むしろされたのは私の方さ」
 不貞腐れてカウンターの机にぴとりと頬をつけると、安吾はようやくこちらの話に耳を傾ける気になったらしい。
「何されたんです?」
「キス」
……
「それも私が寝てる間に勝手に」
「すみません、まさかそんな話だとは……
 そう言って腰を浮かせた安吾の腕を掴んで慌てて引き留める。手は財布まで出そうとしている。
「聞くなら最後まで聞いてよ!」
「いえ、僕は馬に蹴られたくはないので」
「そんなこと言わずに!」
 自分でもびっくりする程悲愴な声が出た。憐れにでも思ったのか、はたまたただのポーズだったのか。安吾は財布をしまって再びスツールに腰を下ろした。
「キスされて、それで?」
「すぐに逃げ出して、それから避けられてる」
「電話やメールは?」
「その状況で返事くれると思う?」
……つまり原因に見当もつかないと?」
 ふいっと視線を逸らすと、途端に安吾の眼光が鋭くなった。
「何か心当たりがあるんですね?」
「だって、勝手にキスしてきたのは向こうなんだし、向こうに落ち度があると思わない?」
 グラスを手の中で転がしながら口を尖らせる。けれど、安吾は予想通り、この程度で引き下がってはくれなかった。
「それで、何したんです?」
 無言で携帯端末を操作して送信済みメッセージの画面を見せる。表示されているのは件の事件の直後に中也宛に送ったメッセージだ。
 内容は「跪いて私の犬になると誓うなら付き合ってもいいよ」
……君の言動には慣れてきたつもりでしたけど、これは流石にちょっと引きます」
「中也相手にはいつもこんなものだよ」
「これ撤回して『好きだから付き合って』って言えば万事解決じゃないですか」
「絶対やだ。少なくとも跪くのは必須」
 安吾はため息を吐いた。それから眼鏡を外して眉間を揉んでいる。
 正直なところ、太宰自身それが最適解だろうと理解はしている。だが、中也相手に「付き合って」だなんて、死んでも言いたくない。だから恥を忍んでこうして安吾に話をしているのだ。
「このまま有耶無耶になった方が彼のためのような気がしてきました」
「馬に蹴られたくないんじゃなかったの」
「邪魔はしてませんから」
 薄情な台詞に太宰はギリギリと歯噛みする。けれど見込んだ通り、安吾は面倒見がいい。
「で? どうします? 自分から言い出すのが嫌なら『君が謝りたいそうですよ』ぐらいは伝えてあげてもいいですけど」
「別に謝る気は……
「ではご自分でどうにかしてください」
 安吾は今度こそ伝票を持って立ち上がった。それを再度引き留める。
「あの、……
 ごにょごにょとくぐもってはいたが、近くにいた安吾の耳に届くのには十分だった。安吾は苦労人の顔をして、素直でない歳下の友人のために自分の携帯端末を取り出したのであった。


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