中也が玄関扉を開けると「ただいま」と言うより先に上から重い物が覆いかぶさってきた。はっきり見えなかったが、恋人兼同居人の太宰だろう。
なんとなくそうなる予想はしていたため、驚きはせずにその身体を支えてやる。脱力して全身の体重を預けられると痩せぎすの身体でもそれなりに重い。慣れてはいるものの、かといって軽々しく扱えるわけでもないそれを引きずって部屋の中へと入り、扉を閉めた。
「セックスしたい」
待ち構えていたように太宰が口を開いた。頭をぽんぽんと撫でてやると首筋に寄せられた鼻がすんと中也の首筋の匂いを嗅いだ。
「できたのか?」
「一応」
「送ったのか?」
「……」
返事の代わりにぐりぐりと額を押し付けられて、まだ満足のいく出来でないのだろうと察した。
太宰は脚本家だ。今撮影している連続ドラマ用の脚本を執筆中で、締切は今夜6時だと聞いていた。あと10分足らずで締切だから、また締切を破るつもりなのだろう。
こいつは締切破りの常習犯だ。今回のこれも、既に3回は延長してもらっている。各方面に散々に迷惑を掛けているが、書く脚本が文句なしに面白いから、依頼は絶えない。かく言う中也だって太宰の書く脚本のファンの1人だ。
「いつまで待ってくれるって?」
「朝7時」
今から約13時間後。おそらくこれが本当に最終だろう。それを超えると撮影が間に合わなくなる。たぶん太宰もそれはわかっている。
書き始めたらすぐの奴だから、こんなところでぐだぐだと油を売っているということはアイディアが浮かばないのだろう。そんな時は無理やり机に向かわせたって意味がない。長い付き合いでそれは重々承知している。
「わかった。付き合ってやるから1回シたら書けよ」
「うん」
「んで、その前に飯な。俺腹減った」
太宰が顔を上げて、そこで帰宅してから初めて目が合った。予想はしていたが顔色は悪い。恨みがましい目で睨みつけられたが、それ以上は何も言わなかった。我儘を言っている自覚はあるのだろう。
太宰は太宰で締切に追われて大変なのだろうが、中也だってこのところ忙しくて疲れているのだ。本当ならセックスなんて疲れることはせずに、溜まった録画を消化して太宰を抱きしめて泥のように眠りたい。けれど煮詰まってどうにもならなくて甘えてきている恋人を突き放すようなこともできなくて、こうして多少無理をしてでも我儘を聞いてしまうのだ。
太宰を浴室へと追いやって、大人しく歩き去る背中を見送る。頭の中を巡るのは夕飯のメニューだ。疲れているし、太宰が風呂に入っている間に作るとなると、あまり手の込んだ料理は無理だろう。
冷蔵庫を開けて確認したが、中身が減っている様子はなかった。ゴミ箱にも弁当カスなどはない。おそらく昼は食べていないのだろう。朝もインスタントのスープを啜っただけだった。
太宰曰く「アイディアは空腹の方が浮かびやすい」らしい。あとは激しい運動とか睡眠不足とか、要は生命の危機を感じるのが良いらしい。中也からすればそんな馬鹿なと言いたくなるのだが、現にそういった状況で書いた脚本の方が面白いので反論できない。
だから締切間際になってもアイディアが浮かばないと、太宰は積極的に食事も睡眠も断ってしまう。本当に切羽詰まるとリストカットやらなんやらに手を出し始めるが、今回はまだそこまでではないようだった。
たぶん、今の太宰は寝てないし食べてないしそれでもダメでそこに運動を加えようとしている。十分倒れてもおかしくない状況だ。
中也自身太宰の仕事に惚れ込んでいるので、脚本家太宰治としての仕事を見たいし、なるべく協力もする。大人として、受けた仕事は責任持って最後までやりやがれという気持ちだってある。
けれど恋人として、そこまでしないといけないなら仕事なんてやめちまえよ、という気持ちだってある。相反するこの気持ちは、一緒に住むようになって、太宰の仕事振りを目にするようになってからずっと、中也の中で燻っている。
せめて栄養ぐらい摂らせなければ。そう思って、冷蔵庫にあるありったけの野菜を鍋にぶち込んだ。
浴室から出てきた太宰は台所に立つ中也をちらりと視界に納めた後、ソファに座って髪を乾かし始めた。しばらくするとうつらうつらと舟を漕ぎ始めたが、中也が2人分の夕食を手にして近づくとすぐにぱちんと目を覚ました。昨晩はほとんど寝ていないのを知っているし、一昨晩も怪しい。もうほとんど限界なのだろう。
向かい合って食事を摂りながら、なんでもない世間話をする。とはいえ、太宰はあまり自分の仕事の話はしないし、ここのところ缶詰になっているから、太宰から話すような話題はない。中也がぽつりぽつりと今日合ったことを話すのに相槌を打ち、中也の作った具沢山のうどんを大人しく啜るだけだった。
太宰が食べ終えたのを確認すると、片付けもそこそこにベッドへ連れていく。甘えたように頬をすり寄せてくるのに、キスで応えてやる。顎から首筋にかけてを撫でてやると、むずがるように鼻にかかった声を漏らした。
もっとと言うように伸びてきた舌を口を開いて迎え入れてやると、気持ち良さそうに中也の舌に絡みつく。後頭部の髪を梳きながら流し込まれる太宰の唾液を啜った。
そのうちに太宰の動きはだんだんと緩慢になってきて、やがてがくりと首の力が抜けた。唇を離すとすうすうと安らかな寝息が聞こえてくる。
やはり限界が近かったのだろう。なんとなく予想はついていたのでやっぱりな、という気持ちでベッドに寝かせてやる。
現在時刻は午後7時。8時間寝ても午前3時だ。4時間もあれば、太宰にとっては書き上げるのに十分な時間だろう。
追い込まれないと書けない太宰が書けるようになる最後の手段――最終締切。
各所に迷惑を掛けるのは重々承知しているが、ここまでやって無理ならもうそれに頼るしかないだろう。空腹や睡眠不足や自殺未遂なんかよりよっぽど健全で健康的なその手段を、恋人としては大いに頼りにしているのだ。
念のためにアラームを設定して、太宰の上に布団を被せる。そこから抜け出そうとして、少しだけ考えてやめにした。風呂上がりでまだぽかぽかと温かい体温が中也の身体に纏わりついて、眠気を誘う。中也だって疲れているのだ。おかしな時間に目を覚ますことになるだろう未来は容易に想像できたけれど、疲れた頭ではそんな些細なことは気にならなかった。
くありと小さく欠伸を漏らして、太宰を抱きしめ直すと忍び寄る睡魔に身を任せた。
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