なろ
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春の芽

付き合ってない🍱🔥が桜の写真を撮りにいく話。カプ感はほぼないです。

商店街からすこし離れた住宅街の真ん中に、教室ひとつぶんほどの大きさをした公園がある。
それを知っていたのは偶然といえば偶然だし、この町で長い間暮らしていれば当たり前のことであるともジョウは思った。かれこれ十数年前から存在こそ知っているが、訪れた回数は多くはない。病院とはまったく別方向だし、学校からもそう近くないからだ。おそらく用事さえなければ、この先も数年足を踏み入れることはなかっただろう。
公園の名前が書かれた木製看板を横目に、入口の石畳を抜ける。芝生の敷かれていない、剥き出しの土の上に、子どもの靴跡がたくさん残っているのを見つける。昨日の雨が残した水溜まりは、太陽が真上を越した今も乾ききってはいなかった。炎をかざしたらどうなるんだろうな、どうでもいいことを考える。左手に持った袋をガサガサ鳴らし、ぬかるんだ茶色を長い脚で器用に避けて進む。 ジョウが来ることはなくとも、この公園だって立派な遊び場だ。濡れたブランコや滑り台には集まる子どもこそいなかったけれど、砂場の周りで数人が追いかけっこに勤しんでいる。ベンチでは、ハンカチを敷いて女の子たちがなにやら楽しげにおしゃべりをしていた。
しかし、今日のジョウの用事は別の場所にある。ガキンチョどもが理解するにはまだ早い、春の風物詩。満開を迎えたばかりの、桜の樹に会いに来たのだ。

ああ、写真撮らないといけねえんだった。
バンド練習が終わった後に、携帯電話を見ていたふとヤスが零した。それから、振り返って片付け途中のメンバーに問いかけようとして、ゆっくり眉を顰める。
……お前らに聞くの、死ぬほどムカつくな」
「なんじゃ、喧嘩でも売っとるつもりか」
「写真?アイドル事務所に履歴書でも送るのか」
「うっぜ!わかってんだろ、バカにするんじゃねえ!」
別にバカにしたつもりはないんだけどな。アンプの電源を落としながら、ジョウがじゃあ何の用なんだよと間延びした声で投げかける。下を向いたヤスは、剥がれかけている床のガムテープを踵で擦り付けていた。片付けは済んだらしい。
……母ちゃんがさ、花見弁当の広告チラシを作ってくれって言うんだよ。だから桜の写真を撮ろうと思って」
「ああ……花見スポットを知ってるか、って話か」
こういうことはハッチンが詳しそうなものだが、それこそ今日の彼は花屋のバイトが控えていると音速でスタジオを去ってしまっていた。スティックをケースに仕舞っていた双循は、そっくりさんの梅なら神社にいくらでも咲いとるが、と口角を吊り上げる。これは、金を取るつもりだ。そうジョウは呆れたが、それでもヤスは一考の余地があるとしたようだ。サラシを巻いた指を顎に当てて、うーんと首を傾げる。
……梅と桜って結構違うんだったか?」
「普通に見たらわかるだろ。真に受けるなよ、ヤス」
貸出の譜面台を縮めながらジョウがそう口を挟むと、双循が愉快そうに笑い声を上げた。
「冗談に決まっておろうが、アホ不死鳥。大体桜なんぞ、学校にも山程生えとったじゃろうが。ああ、いつも項垂れているか這いつくばっているかのお主は、上を見とらんかったか」
「は?」
「そりゃ卒業まで桜に気づいとらんくても仕方ないのう〜」
「学校か……まあ最悪そうするつもりだけどよ、出来ればああいう道にいっぱい生えてるみたいのじゃなくて」
「ああ、並木は人も通るし写真には向かないか。広場とか公園かね」
折り畳んだ黒い塊で双循の頭を狙っていたジョウは、まごまごと言い淀むヤスの言葉を聞き腕を下ろした。それなら、力になれそうだ。いくつか候補を思い浮かべて、商店街からの近さとか、混雑度とかで絞り込む。
「ああ」
「気にいるかわからんが、あるにはある」
ぱ、と少しだけ明るくなったヤスの顔を見て、ジョウはこれはちょっと先輩ぽいこと言えたかもな、と思った。数年長く生きていた甲斐があるというものだ。たしかあそこは並木どころか3本しか植えられていない小規模なお花見スポットではあったが、逆に好都合だろう。写真を撮るならば、人が集まっていなくて、なおかつ一本が大きいものがよいのだ。
「今から行ってみるか?案内するけど」
「マジか。悪いな」
「オレは今日バイトも病院もないし、いいぜ。双循は?」
一応鉄板入りの鞄を担いだ男にも声を掛けたが、ワシがタダ働きをすると思うかい、と退屈そうな返事が帰ってきただけだった。

敷地の隅のフェンス手前、目的のスペースにたどり着いたときに、後ろを同じようにふらふら歩いてきていたヤスがここか、と呟いた。彼は母親から借りたデジタルカメラを、大切そうにポシェットにしまっていた。
「この辺りから撮ればいいか」
ジョウもちょうどそう思ったから、軽く頷いた。足元には、白にもピンクにも見える花びらがふさふさと降り積もっている。最下層のものは泥で汚れてしまっているだろうが、まあ写真には一切関係がない。桃色の絨毯の上っつらに転がるそれを1枚手に取れば、それはそれは綺麗な花弁だ。ちょっと加工してみれば売り物にすらなりそうだったけど、良いアイデアは商才のないジョウには思い浮かばなかった。
「だいぶ散ったなあ」
3日前に来られれば、もっと映えに映えた写真が撮れたのだろうけど。声をかけてみるも返事はなく、ヤスの目線は手元に向いたままだった。おぼつかない動きでデジタルカメラのボタンをゆっくり押す。ウィーン、とレンズが飛び出す音に、頭頂部のアンテナのような羽がびくりと揺れる。そんなに驚くところかと、ジョウは眉を顰めた。べつに構ってほしいわけではなかったから、わざわざ揶揄うことはしなかった。
弁当屋の広告チラシに使う写真素材を撮影しようと意気込むヤスは、いつも通り変なところで真面目な男だ。指で窓の形を作り、その中を顰めっ面で覗いている。母親のカメラを手首から下げている彼はなんというか、本当に子どものようだった。プラスチックのストッパーで留めてはいるものの、銀色のカメラは頼りなく宙に揺れている。
「なあ、それ、落とすなよ」
「うるせえ」
「撮る場所決めてからカメラ出せば良かったんじゃねえの?」
「黙ってろ、マジで」
黙ってろと言われてしまったので、言われた通りに口を閉じる。なにも、彼の邪魔をしてやろうというつもりはないのだ。機嫌を損ねたいわけでもないし、ならばこういう時は、じっとしておいた方が良い。とはいえ完全に手持ち無沙汰になったジョウは一歩下がり、のどかな辺りを見回してみた。良くも悪くもなんにもねえなあ、そう考えてから自分の手元を確認する。
左手に提げているビニールの中には団子が4本入っている。公園の入り口に立っていたら、仮設屋台で買わされたものだった。また余計なものを、と眉を顰めたヤスと食べようと思ったものなので、今手をつけるわけにはいかない。それで、右手で摘みっぱなしだった花びらに、ぎゅ、と力を込めてみる。なんとなく頭上にかざすと、繊維が潰れたそれが春のあたたかな陽の光を透かした。耳を澄ますと、鳥のさえずりが聞こえて来る。花びらの向こうの水色の空に、白い雲がほそく走っている。

「ここでいいと思うか」
「なに?」
見上げたままぼんやりと眺めていると、ヤスが不意に振り返り、意見を求めてきた。なんだよ、お前は黙らなくていいのかよ。既に用のなくなった、くしゃくしゃになった桃色を投げ捨てる。もう一度ヤスの方を見て、指で出来た窓を覗こうと歩み寄る。上を向いてちょっとだけ頭にのぼっていた血が、さらさら戻ってきた。
「いいと思うがね」
「そっか」
ヤスの背後から、彼の額の上で構えられた四角形を覗き込む。見上げる構図で捉えた、桜の樹。芸術にはそこまで明るくないけど、そんなに悪くない気がした。肯定すると、ヤスは満足そうに頷きあらためてカメラを手に取る。もう遠巻きに見守る必要もないか、と思いジョウも隣でデジタルカメラの画面を見ていることにした。
「ダメだ、やっぱり全体が入らねえ」
カメラを縦に向けたり、横に向けたり、奥に傾けてみたり、なんとか凝った写真を撮ろうと知恵を絞っているヤスだったが、どうにも絵面が気に食わないらしい。
「別にいいんじゃないか?文字とか絵で隠すんだろ」
「は?デカい方がいいだろうが」
花見弁当の宣伝なんだから、デカくするなら桜じゃなくて弁当の方がいいだろ。直方体におでこをくっつけたままの頭を小突くと、ヤスはぐえ、と情けない声を出した。
「こういうのは何枚か撮っといて、後からいいのを選べば良いんだよ」
後からパソコンで編集して、文字と弁当の写真を追加するんだ。そう行きすがらのヤスは得意げに語っていた。母親から任された、春先の重大任務だという。正月には一生懸命お習字をしてたし、弁当屋の業務に関係づければ勉強だってするんじゃないか、そうジョウは思う。でも心配だよなあ、こいつが写真加工なんて。ガビガビのドット絵みたいになったポスターを想像する。だからといってジョウがなにをしてやれるわけでもないから、想像に留めておいた。
……まあ、それもそうか。よっしゃ、撮るからこれ持っててくれ」
ヤスはコートを脱ぐと、ポシェットとともにジョウに向かってノールックで差し出す。右手で危なげなくそれを受け止め、丸めて両腕で抱える。ちょっと考えて、団子の袋をその上に乗せた。
「弁当の写真載せるスペース!考えて撮るんだぞ」
「うぜぇ」
こちらを向かないまま、ヤスが返事をする。膝を少し曲げて、指をシャッターボタンに掛ける。かち、と音がして、ほんの少しのタイムラグをはさんで無機質な電子音が響く。それを数回繰り返した後、ようやくひとつ息をついてカメラを下ろした。尾羽をぴるぴるさせて伸びをしながら、公園に建てられた時計の方に目をやる。同じようにジョウも時刻を確認して、子どもの帰宅を促す放送が流れる時間が近づいてきていることに気がついた。
「意外といい時間だな。暗くなる前でよかったぜ」
「ああ」
「いい写真撮れたか?」
「まあ……たぶん。母ちゃんならオッケー出すくらいには」
液晶画面に撮った写真の履歴を映し出して、出来を確認する。あと数十分後であったら、日暮れが近づき過ぎて背景が暗くなってしまっていたかもしれない。ナイスタイミング、といってもよさそうだ。ジョウもなんとなくいい気分になって、次の写真を見ようと横から指を伸ばして液晶に触れる。画面は固まったままだった。
「これタッチパネルじゃねえけど」
……知っていたが?」
「急に年寄りになるんじゃねえよ」
「逆だろ。若いぞ、スマホ世代だから」
「何言ってるんだ?……ほら」
妙に目を細めた顰めっ面を浮かべるヤスが、真顔で乗り切ったジョウに向かってカメラを差し出す。笑いを堪えているときの表情だった。受け取って数枚を流し見する。液晶画面脇のボタンを押して。正直違いはわからなかったが、いいんじゃねえのと答えて丸めたコートと共に返却した。そろそろ帰る時間だ。ついでに、ビニール袋も一緒に渡してやる。
「もう日も暮れるし、これ持って帰れよ。4本あるからお袋さんと2人で食ってくれ」
「さっきのやつか」
「花見には団子だろ。花見行かねえから知らんけど」
やっぱり年寄りじゃねえか、と呟きながらヤスがビニールの中を覗き込む。パックに貼り付けられた和菓子屋のシールは駅前に店を構えているところのものだ。食っても大丈夫なものだと判断したようで、素直に受け取られる。そんなに信頼ないかね、オレ。
……ありがと。食いながら帰ろうぜ」
礼を言ったかと思えば、ヤスはパックをそのまま開封して団子を取り出した。みたらしのタレがプラスチックに張り付こうと必死になり、剥がすたびにぱり、ぱり、と音を立てる。
「ほら」
一本渡される。根本がちょっとベタベタしているので、手袋をしていない方の手で受け取る。
「ええ、転んで喉に刺すなよ?」
「そんなヘマしねえよ」
もう一本取り出すと、ヤスもいつの間にか手袋を外していた左手で団子を持ち、パックの蓋を再度閉めた。輪ゴムがなくてもぱちんと留まる。わりと高級品のプラスチックパックだったらしい。

「ちょっとまだあったかいな」
公園を出ると、屋台はすでに店仕舞いをしたようでそこには何も残っていなかった。商店街の方角を目指す。団子を咥えたヤスが、口をもごもごさせながらそう言う。気温のことか団子のことかは言わなかったけれど、おそらく後者だった。
「お、桜だ。ヤス、花見チャンスだぞ、花見チャンス」
近くの小学校の通学路に差し掛かる。公園の桜よりは小ぶりな木だったが、十数本が等間隔に並んでいた。冷やかすように声を掛けるとウゼェ、と返されたが、ヤスは律儀にも首を傾けて、道路沿いの並木を数えるように眺め出す。オレも端から端までを一度確認して、それからちょっと低い位置にある鴉の頭頂部に視線を向ける。なんとなく、ぼんやりと考える。
これから夏が来て、秋が来て、冬が来て、そうしてまた春が来る。焦げた匂いの線香花火が消えるのを見送って、紅く黄色く染まった落ち葉を踏み締めながら歩いて、ぴかぴか光るイルミネーションに照らされながら楽器を演奏して、それからまた桜の樹の下で団子とか、弁当を食べる。そこにいるのがオレとヤスだけなのか、ハッチンと双循もいるのか、あるいはもっとたくさんの人に囲まれてなのかはまだわからないけど。その度に変わっていくお前と、変わらないお前をまた新しく知る。
しょうもないような、あとから振り返ったお前がどうでもいいだろと顔を顰めるような、そんな小さなガラスの破片みたいな要素を拾い集めて、お前は大人になっていく。
それがさ、オレはさ、堪らなくうれしいんだよ。
親目線なのか、先輩目線なのか、それとも他のなにかなのかは知ったこっちゃないけど。まあ、なんでもいいか。

ヤスの頭に、小さな白い花びらが一枚落ちる。注目されていることに気がついたのか、ヤスが不審そうにこちらを見上げる。
しぶとく後頭部にしがみついている花びらは放置することにして、ただの棒になった団子の串を冗談まじりにヤスに押し付けた。