夜明 奈央
2024-05-06 10:23:52
5616文字
Public 中太SS
 

交換

恋人として上手くいくかどうかと同居人として上手くいくかどうかは別
2022年9月17日のワンライで初出 2022年10月2日改稿

「なあ、一緒に住まねぇ?」
 ホテルでお互いに熱を発散させあった後のことだった。交代でシャワーを浴び、共に潜り込んだ寝台で、太宰が眠りに就こうとしていると、中也が意を決したように言った。
 以前は事が終わるとさっさと帰り支度を済ませ、目も合わせずにさっさと退散するような有様だったというのに、こうして朝まで肌を温め合うようになったきっかけはなんだったろうか。初めて朝まで共に過ごした日のことは忘れることなんてできないけれど、何が自分たちにそうさせたのかはわからなかった。それでも嫌ではなかったので、それがいつの間にか習慣化して今まで続いている。
 だが、互いの家には行ったことがなかったし、今まで1度だってそんな話題が出たことはなかった。裏切り者である太宰との、一種の線引きだったのだと思う。昔は度々中也の家に上がり込んでいた太宰がそれをしなかったというのも要因の1つではあると思うのだが。
 それなのに、いきなり“住む”なんて、一体何を考えているのか。
「なに言ってるの?」
 だからまさしく青天の霹靂といった申し出で、太宰はくすくすと笑いを溢した。だが中也にとってはそうではなかったらしく、嫌そうに顔を顰めた。それから、大きなため息を吐いて、「冗談言ってるつもりはねぇよ」と続けた。
 中也にじっと見つめられ、太宰はどう断ろうかと考えを巡らせた。ただ断るだけならいくらでも言いようはあるが、中也の意図がわからない限り今後何度も強請られる可能性がある。それは面倒だなぁと思っていると、頬にそっと手が添えられた。
「手前の、帰る場所になりてぇ」
 真剣な目で太宰の目を見つめる中也を見て、「この台詞、きっと前から準備してたんだな」と思った。いつからかはわからない。それでも、こうして事前に準備して、その癖太宰を上手く丸め込むとか、言い逃れできない状況を作り出すとかではなく、ただ真摯に訴えてくる中也がなんだかいつになくかっこよく見えてしまった。
 ちょっと考えてあげるぐらいならいいかな。
 太宰の心が少しだけ傾いたところで、頬に添えられた手がじんわりと汗ばんでいることに気づいた。あれ?と思うと同時に中也の顔がうっすらと赤らんでいることにも気づいてしまった。薄暗い室内でもわかるぐらいなので、もしかしたらうっすらどころではなかったかもしれない。
 気づくと同時に中也がどんな気持ちでこれを言ったのかとか、断ったらどう思うだろうかとか、一気にいろんな思いが胸の中を駆け巡って、ぎゅうと締め付けられた。
「いいよ」
 気が付いたら返事をしていて、中也の顔がみるみるうちに喜色に染まっていった。その勢いのままぎゅっと抱き着かれて、中也の頭とぶつかってしまった顎が少し痛かったけれど、中也があまりに嬉しそうだったので、文句は言わないでおいてあげた。

 それが、約1ヶ月前のことだった。

「てっめぇトイレットペーパー1周だけ残してんじゃねぇよ! 使い切って替えやがれっ!」
 先程トイレに入ったばかりのはずの中也から怒声が響き渡って、太宰はうんざりとした。
「使い切ったなら交換しとけ」と怒られた教訓を生かし、前回少しだけ残したら「1cmだけ残してんじゃねぇ」とまたもやキレられたので1周残したのだが、なら何周残せば許されるのだ。
 そもそも太宰は紙の交換は未来の自分に任せる派だ。次に使う日など2度と来ないかもしれないのだから、無駄なことはしたくないしやる気も起きない。次の時に使い切って新しいのを出せば良いではないか。

 ここは確かに中也の家だが、太宰の家でもあるはずだ。それなのに、中也は毎日毎時間小煩いことこの上ない。
 トイレットペーパーだけではないのだ。
「麦茶飲み切ったなら次のを作っておけ」と怒られたので、麦茶を飲むのは諦めて水道水を飲んでいるというのに「冷めたら冷蔵庫に入れろ」とまた怒られたし、「洗濯物畳んでやったんだから部屋に持って行け」と怒られるので「畳まなくていいからその労力で部屋に放り込んでくれ」と頼んでいるのに一向に聞きやしない。その癖頼んでもないのにアイロンまで掛ける。
 他にも「食パン食べ切ったなら買ってくるか連絡しろ」と言われたのでお腹が空いても我慢して食べずにいたのに「食パンぐらい食えるだろ」と食事を抜いたことを怒られたり、飲み干した牛乳パックやペットボトルは洗って乾かして資源ごみにしろと怒られたり、次から次へとよくもまあ面倒事ばかり思いつくものだ。
 確かにここの家賃も光熱費も払っているのは中也だし、太宰は生活費なんて1円たりとも入れていないが、それにしたって自宅のはずなのにちっともくつろげやしない。一緒に暮らすなら多少の歩み寄りは必要だろうと太宰なりに最大限の譲歩をしているというのに中也にはその気配さえない。
 いい加減に我慢の限界だった。

「おいっ聞いてんのかっ!?」
「わかったよ。じゃあ出てく」
「あぁ?」
 太宰は寝転がっていたソファから立ち上がり、背もたれに掛けっぱなしにしていた外套に袖を通した。ポケットに財布と端末が入っていることを確認する。それからこの部屋の鍵を取り出して、ダイニングテーブルの上に置いた。
「初めから一緒に暮らす必要なんてなかったんだよ」
「は? 手前本気で言ってんのか?」
 太宰の様子を見守っていた中也が、急に狼狽え始めた。
「君と私が合わないのはわかってたことじゃないか。適切な距離感ってものが存在するんだよ」
「お、おい! 待てよ」
 中也の呼び止める声を無視して玄関を出た。待てよ、と言った割には追いかけてはこなかった。別に追いかけてほしかったわけではないのだが。
 社員寮はまだ引き払っていない。だから突然住むところを失っても困りはしなかった。

***

 太宰が家を出ていっても、「どうせすぐに戻ってくるだろう」と中也はたかを括っていた。中也と太宰はしょっちゅう喧嘩をするが、しばらく後にはなかったことになっているのが通例だったので、2〜3日もすればふらりとなんでもなかったように戻ってくるだろうと思っていた。
 だが3日経っても4日経っても戻ってはこず、「もしかして本気で怒っているのか? たかがトイレットペーパー如きで?」と思い始めた5日目。中也の家に散乱したままだった太宰の私物が急になくなった。全てではない。それでも、少しずつここに持ち込まれていたそれがなくなるということの意味を理解できないわけがなかった。
 慌てて「会って話がしたい」とメッセージを送ると、一緒に暮らし始めるよりも前によく使っていたホテルを指定された。拒否されなかったことにひとまず安堵する。
 そうして足を踏み入れた指定の部屋で、太宰は寝台に座って待っていた。
「どうしたの? 改めて話なんて」
 太宰は不思議そうにしながらも、機嫌は良さそうだった。あの日、太宰は怒っていた。怒っているのはこっちなのだから逆ギレしてんじゃねぇとは思ったが、確かに怒っていたのだ。
 ようやく手の届くところにきた太宰を今更手放すぐらいなら、多少不本意ではあるが、謝罪ぐらいしてやろうと覚悟してきたのだが、そうではないらしい。
 脳内に疑問符を浮かべながらも、ひとまず決めてきた台詞を口にする。
「俺が悪かったから、戻ってきてくれよ」
「なんで?」
 これでもかなりの勇気を出した台詞であったが、太宰は純粋に意味がわからないという顔をしている。問い詰める響きは感じられなかった。やはり怒ってはいないらしい。では何が不服なのだ。
 中也が上手く言葉にできずにいると、太宰が先に口を開いた。
「言ったでしょ? 適切な距離感ってものが存在するんだよ。こうやって連絡とれば会えるんだし、無理に一緒に住む必要はないんだよ。まあ、待ち合わせはちょっと面倒ではあるけど、一緒に住むストレスに比べれば全然ましでしょ」
「ストレス?」
 太宰の言葉に引っ掛かって思わず復唱する。
「ストレスでしょ? だって中也、ずっと怒ってたじゃない」
「そうだったか?」
「自覚なかったの?」
 そこで、中也は自分の言動を振り返ってみた。確かにずっと怒鳴っていたような気がする。が、太宰といる時は基本そうである。何を今更という話だ。
「いつものことじゃね?」
「君、本気で言ってる?」
 太宰の目が剣呑に細められた。先程までの温和な空気が鳴りを潜め、空気に緊張感が混ざった。なんだかわからないが地雷を踏んだらしい。太宰のことを理解できているなどと思ったことは1度だってないが、こういう時に改めて実感する。
 息をつめて太宰の様子を観察しながら必死で頭を巡らせるが、やはり太宰の意図なんてさっぱりだった。
 しばらく無言の攻防を繰り広げていると、珍しく太宰が先に折れた。
「私、意図してない時に怒られるのは勘弁してほしいのだけど」
 睨み合っていた視線が逸らされ、ぽつりと落とされた言葉を反芻する。
 怒られるのが、嫌だった? 中也を怒らせるのが趣味の癖に?
 あまりに予想外の回答に、ぽかんと口を開けてしまったが、いつものように「間抜け面」だのなんだのと揶揄う声は聞こえてこなかった。
 太宰の視線は何もない絨毯の上をひたすらに彷徨っていて、中也の方を見ようともしなかった。
 改めて家での太宰の様子を思い出す。嫌がらせかと思う程家事を一切手伝わなかった太宰だが、かつて散々中也を苛立たせていた嫌がらせ――例えば中也が大事にしている葡萄酒の瓶を全部開封していくだとか、逆に金庫に詰めて番号を勝手に変えるだとか、その手の嫌がらせはしなかった。洗濯物を全部裏返しにするとか、生卵にゆで卵を混ぜるなんてそれに比べれば可愛らしいといえるレベルの嫌がらせもなかった。
 先程の太宰の言葉も加味すると、太宰は故意に中也を怒らせるようなことをしていたつもりはないということだろう。考えてみれば家での太宰は驚くべき程に大人しかった。
 確かにずっと怒鳴ってはいたが、今まで散々振り回されてきた芸術的すぎる嫌がらせに比べればストレスなんてほとんど感じていなかったように思う。むしろ太宰が珍しくあまり口答えをしてこないので、多少なりとも気分が良かったぐらいだ。
 その時太宰がどんな様子だったかは正直なところ覚えていない。いつもの楽しそうな顔をしていたかどうかさえ。
「俺を怒らせるのが趣味なんじゃねぇのかよ」
「それは否定しないけど。でも中也がどんな風に怒るか想像しながら色々準備するから楽しいんであって、何もしてないのに勝手に君が怒ってたって楽しくなんてないよ」
 なんだそれ。めんどくせぇ。という感想が咄嗟に口から飛び出しそうになって、中也は慌ててそれを飲み込んだ。いや、本当にめんどくさいのだが。ここで機嫌を損ねるわけにはいかない。
 ずっと立ったまま太宰と話をしていた中也は、そこでようやく跪いて太宰の顔を覗き込んだ。
「つまり手前は怒られたくねぇと?」
「怒られたい人なんて普通いないでしょ」
 怒らせたい癖に怒られたくないとはなんと我儘な要望だ。しかも、中也にとっては太宰は十分”怒らせたい”のだろう行動をしていたのだが。どこから話を始めれば良いのか。
 中也が途方に暮れていると、それに気づいたのだろう太宰が渋々説明を始めた。
「あのさ、君、私がそんなに几帳面な性質じゃないの知ってるでしょ」
「信じられないぐらいずぼらなのは知ってるけど」
「だったらさぁ、君の言うような生活を私が望んでないことだってわかるでしょ」
 まだピンときていない中也に気付いたのだろう太宰は、今日初めて苛立ちを滲ませながら説明する。
「トイレットペーパーなんて次のがあればセットされてなくたって気にしないし、リビングが散らかってたって寝転がるスペースさえあれば気にならないし、食べ物だって飲み物だって、欲しいと思った時に買いに行けばいいんだよ。でも君は違うんでしょ? 一緒に暮らすなら、多少は私だって歩み寄りが必要だと思って我慢してたけど、多少なんてレベルじゃないじゃないか。根本的に合わないんだよ。君と生活なんてできないし、しなくたって困ってなかったんだから、無理にしなくていいじゃない。私はもうたくさんだよ」
 まさかあの太宰から「我慢していた」などという言葉が出てくるとは思わず、まじまじと見つめてしまった。太宰のことだから、てっきり何か不満があればすぐに文句を言うと思っていたのだが。
「別れたいって言ってるわけじゃないんだから、いいじゃない、それで。何が不満なの」
 中也の瞳をじっと真正面から見つめ返す太宰の瞳は揺れていた。1ヶ月、中也はその場で文句を言っていたが、太宰はずっと我慢していたのかと思うと、悪いことをしたなと思う。今までの嫌がらせに比べればどうってことなかったので、中也の方はストレスなんてほとんど感じていなかったのだが。 
 しかし、せっかく手に入れたものを簡単に手放す気にはなれなかった。
「反省するから、やっぱり戻ってきてくれよ」
「君、人の話聞いてた?」
 じろりと嫌そうに睨まれたが、そこで諦めるわけにはいかなかった。
「聞いてた。でも、『手前の帰る場所になりてぇ』っつっただろ。撤回するつもりはねぇよ」
 太宰が大きくため息を吐いて、何かを口にしようとしたが、それより先に畳み掛けるように付け加えた。
「帰ってきてほしい」
 太宰は結局言葉を飲み込んで、不貞腐れたように俯いてしまった。手を伸ばして太宰の頭を抱え込む。
「なあ、」
「戻ってもいいけど、それなら私が帰りたいと思う家にしてよ」
 太宰は中也の背中にゆっくりと腕を回し、ぎゅうと抱きしめた。
「悪かったよ。反省してる」


ご感想喜びます / 転載・AI学習禁止