夜明 奈央
2024-05-06 10:06:49
4424文字
Public 中太SS
 

あの頃と今

昔の太宰の写真を見つけた中也が色々考える話
2022年7月30日初出

 首領の部屋を掃除していたら、古いアルバムが出てきた。
「やぁ、これは懐かしいねぇ。やっぱりエリスちゃんは今も昔も可愛いなぁ」
 首領はデレデレと相好を崩してページをめくり始めた。どうやら首領がいつからか撮り始めたエリスのメモリアルブックが出てきたらしい。「これ、エリスちゃんが壁に似顔絵描いちゃったときのだ」とか「このときのエリスちゃんは今までで1番と言っていいぐらい機嫌が悪かったけどそれもまた可愛くてねぇ」などと嫌そうにするエリスを無視して話しかけ続けている。
 掃除はまだまだ終わりが見えないので、俺はそれをちらりと視界に入れただけで、作業を再開した。
「おや、これは君たちがまだマフィアに入ったばかりの頃じゃないかい?」
 しばらくして首領が見せてきたページには、どうやら15、6歳ぐらいらしい太宰が写っていた。庭でパーティーが開かれているようで、みんな楽しそうに笑っているけれど、太宰は世の中全てを諦めたような暗い瞳をしていた。あの頃の太宰は、中也に嫌がらせをしているとき以外はしょっちゅうそんな顔をして、暇を見つけては自殺に励んでいた。それはもう、近頃の比ではない頻度で。
 最近は滅多に見なくなっていたので、うっかり記憶の隅に追いやってしまっていた。自殺に励むのは今でも相変わらずであるが、少しはあいつにとってましな世界になったのかもしれない。
「この頃の太宰くんは本当に生気が感じられないねぇ」
 首領は俺と同じようなことを考えていたようで、太宰の写真を眺めながらしみじみと呟いた。仲違いしたとはいえ、自分が手塩にかけて育てた弟子といっていい存在だ。それなりに思うところはあるのだろう。言外にその後の太宰が随分人間味を増したことを含ませてきて、心の中で同意を示した。
 そのまま2人でしんみりとページをめくっていくと、やがて最後のページに辿り着いた。すると首領は意外にもあっさりとアルバムを閉じる。
「さて、じゃあそろそろ掃除の続きをしようか」
 特に否を唱える理由もなかったため、俺はそれに唯々諾々と従った。



「あ、おかえり。今日早かったね」
「おう」
 その晩、帰った俺を出迎えてくれたのは風呂上がりの太宰だった。下着1枚でまだ水滴の滴る髪をタオルでがしがしと拭いている。我が物顔で居座るのは別に今に始まったっことではないのだが、ちょっと流石に警戒心が低すぎやしないだろうかとは時々思う。風呂上がりで暑いのだろうが、本人が皮膚の一部だと豪語する包帯すら身につけていない。今日は慣れない掃除で疲れていてそういう気分だったこともあり、ついじっと観察してしまう。
「えっち」
 罰が悪くなって目を逸らしたが、くすくすと笑う太宰も満更ではなさそうだった。
「シャワー浴びてきなよ」
 そして俺は促されるままに浴室に向かった。シャワーを浴びながら、考えるのは太宰のことだった。昼間見た写真の頃の太宰には今以上に死の気配が纏わりついていた。俺と馬鹿みたいな喧嘩をするときには楽しそうにしていたし、仕事中は目の前のことに集中している所為か幾分ましにはなっていたが、1人でぽつんと佇む太宰を見て死神に攫われていきそうだと思ったのは1度や2度ではない。
 それをどうにかこの世界に留めておきたいと思ったのがこの関係の始まりであるような気がするので、それがなければ俺と太宰の関係は大きく違ったものになっていただろう。
 あの頃の太宰は、俺に抱かれているときだって静かに身体を振るわせて快感に耐えながら俺を煽るばかりで、今のように楽しむ素振りはあまり見せやしなかったし。と、いうことまで考えて昼間の写真の姿を脳裏に思い描き、唐突に罪悪感に駆られた。
 え、俺、あの頃の太宰抱いてたんだよな?
 首領とは太宰の表情が変わったという話しかしなかったし、仕事中に真昼間の首領室でいかがわしいことを考えるような趣味はないのでそのときは何も思わなかったのだが、別に視界に入っていなかったわけではない。
 少し力を込めれば折れてしまいそうな骨の浮いた手足も、内臓が詰まっているのか心配になるほど薄い腹も、簡単に指が回ってしまう首も、あの頃から器用で繊細な指先も。性の気配など感じさせない、宗教画の世界から飛び出してきたような姿をしていた。
 あの頃の俺はヤりたい盛りでもあったし、相性は死ぬ程良かったし、太宰は太宰で余裕のない俺を嘲笑うように煽ってくるしで全く余裕はなかったので、そんなことは考えたこともなかった。今思えばあいつの異能力が無効化でなければ興奮のあまり腕の1本や2本折っていてもおかしくなかった。実際のところ見た目以上にタフなあいつは素手で腕を折られることはなかったけれど、脱臼させたことはあったような気がするし、傷口が開いて流血騒ぎになったこともあった。1度や2度ではなかった気がする。
 絵面が完全に犯罪だ。人を散々殺している身でこんなことを言うのはちゃんちゃらおかしい話ではあるのだが。
 ちょっとあの頃の自分を殴りたい気分になってきた。その後の関係とか、太宰の本質とか、諸々を考えると止める必要はないかもしれないが、それでも一発殴ってやりたい。無理なことはわかっているが。
 俺はなんともいえない気分で風呂を出ることになってしまった。
「随分長かったね……って、スるんじゃなかったの?」
 太宰は端末から顔を上げて俺の顔を見るなりきょとんとして尋ねた。話が早くて大変に助かる。流石にもう服を着ていて、そのまま待っていなくて良かったと思う。俺は曖昧な返事をしながら太宰の隣、ソファの空いている場所に座った。
「お風呂で何があったわけ」
 太宰は不思議そうにするばかりで機嫌が悪くなった様子はない。太宰が準備万端整えて待っていたりした日には散々に詰られることになるので、それがないということはそこまで気分ではなかったのだろうか。
「なんつーか、昼間首領の部屋で手前の昔の写真見つけて……
 なんと説明するべきか、というか説明するべきなのかと悩みつつも手始めにそれだけ言う。
「うん」
「さっき風呂でそれ思い出して、罪悪感というか、」
「うん?」
 太宰は理解できないのかぱちくりと瞬きを繰り返していたが、やがて得心顔で頷いた。
「あぁ、私があまりに美少年だったからってこと?今更じゃない?」
「それはそうなんだが……
 こいつに言っても理解されないかもしれないとは思っていたが、これ以上説明するのも億劫でどう逃れようかと考える。太宰が納得するまで追及されるのはちょっと勘弁願いたい。と、思っていると、太宰がぽつりと溢した。
「私を抱くおじさんたちは、大抵その罪悪感が最高のスパイスみたいなものだったよ」
 嗜虐趣味がないだけまだましだったけど、少年趣味の人間なんてほとんどそんなものさ。いかにも忌々しいと言わんばかりに続いた言葉は、消え入りそうだった。
 太宰を初めて抱いたとき、こいつは初めてではなかった。「初めてじゃないから大丈夫だよ」と笑ったが、瞳は暗く澱んでいた。俺といるときの太宰は大抵俺を揶揄って楽しそうにしていたから、間近でそんな顔を見たのは初めてで、よく覚えている。それ以上ずっと、何も聞けないままだった。
 太宰がこの手の話をするのは初めてだった。それでもその語りにあの時のような悲壮感はなかった。あの時のような暗い瞳はなく、ただの思い出話のように淡々としている。それが、時間によるものなのか、他の何かなのかはわからないが、辛い記憶を昇華できたなら良かったと素直に思える。
「でも君は違った。君は優しくはなかったけど、全身で喰らいつくさんばかりに求めてきて、美少年じゃなくて私を欲しがってくれてるのがわかって嬉しくて、つい煽っちゃったりして」
 太宰が俺の手をとって、緩く指を絡めた。ちょっと照れているようなその横顔は、太宰にしては珍しい表情だった。
「好きだよ、君に抱かれるの。今も昔も」
 こいつがそんなことを言うとは思っていなかったので、小さく息を呑んでしまった。いつもならその反応を馬鹿にするところだったが、満足気に笑みを深めるばかりだった。
「だからさ、そんなこと気にしなくていいから抱いてよ」
 単純にも身体の中心に熱が集まっていく。が、それにやや遅れて意図を理解した頭は反対に急速にクールダウンしていった。
「怒ってる?」
「別に。このままお預けは勘弁だけど」
「あー、その、悪い」
「だから怒ってはないってば。すっかりその気になってたのにシャワー如きでヤる気なくしたのには驚いたけど」
 先程までのしんみりした空気はどこへやら。太宰に冷めた目で批難された。つまり急にあんな話を持ち出してきたのは思い出話に浸りたかったわけでも改めて何かを伝えようと思ったわけでもなく、俺を再びその気にさせるためだったわけだ。というかこれからセックスしたい相手に向ける目じゃないだろうそれは。
 あんなことを言われてその気にならない程枯れてはいないので、抱いてもいいかなとは正直思っているのだが、まんまと策略にハマったと思われるのは面白くない。俺の都合で振り回しているようなものなので、多少折れるべきとは思うのだが、心の奥の繊細な部分をそんな軽い気持ちでつつかれたのだと思うとやるせない。渋っていると、太宰が白けたように言葉を重ねた。
「あーあ、あの頃の君は単純でちょっと煽れば面白いぐらいに乗っかってきたのに」
 逃げるように手を振り解いて立ち上がり、寝室に向かうのを見つめていると、リビングを出る直前にくるりと振り返った。
「さっき、嘘はひとつも言ってないからね」
 寝室に消えていく太宰の背を見送り、誰もいない空間を見つめたまま太宰との先程のやり取りを反芻する。
 太宰は基本的に嘘つきである。取引など、一定の条件下で嘘をつかないと言える場面は存在するが、今回の状況はどうだろう。必要と判断すればなんだってする奴だ。怯えた振りをする程度から溝に身を潜めたり敵組織の人間の靴を舐めたりといったことまで。だから、さっきのあれこれだって、中也の行動を制御するために本心と異なることを言った可能性は否定できない。が、それにしては中途半端だ。嘘で弄ぶなら、あんな回りくどい上にすぐに中也にバレるような話はしない、と思う。たぶん。太宰ならもっと上手くやる。つまり、それをしなかったということは。
 気づけば口角が上がっていて、誰に見られるでもないのに手で隠した。じんわりと胸に広がる気持ちには少し前に名前を付けたけれど、今は考えないようにしておく。こんなにやけ顔のまま太宰を追えば、照れ隠しの太宰に馬鹿にされるのが目に見えているので。
 太宰に「遅い」と詰られるのを覚悟して、ひとまず冷静になろうとキッチンに向かった。


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