ひろか
2024-05-06 00:50:47
7750文字
Public 観劇録
 

*観劇録*『鈍色に滲む虹ー彩艶ー』感想と考察。

sakura projectさん『鈍色に滲む虹ー彩艶ー』感想と考察です。⚠︎内容に関するネタバレと深読みを含みます。

⚠︎内容に関するネタバレと深読みを含みます。



はじめましてのsakura projectさん。
はじめましての劇団さんだ、と思っていたら主催が"あの"朝倉利彦さんだった。一度お芝居も観たことあるし、劇場スタッフとして何度もお世話になっている朝倉さんの作品を観られるなんて。

sakura projectのモットーは、「桜が芽吹いて、開花して、舞い散っていくように、舞台という瞬間芸術を創り上げる」。
舞台を瞬間芸術と表現するその感性がもう好き。朝倉さんの美的感覚、本当にいいなぁ。

というわけでsakura projectさん『鈍色に滲む虹ー彩艶ー』、(大変虹村蒼海贔屓の)感想と考察です。
今作は終演後に朝倉さんや主演の戌岡あやめさんがたくさん裏話をしてくれたり、外伝としてスピンオフ脚本があったりしたので、そのあたりも踏まえて書いています。
内容に関するネタバレと深読みを含みますので、苦手な方はご注意ください。



時はイシン戦争後。
『鈍色に滲む虹』(以下、ニビニジ)は基本的に和風な世界観の物語で、ところどころに日本史で聞いたことがあるようなワードが出てくる。イシン戦争というのもおそらく元ネタは明治維新のことだろう。実際、登場人物たちの思想や服装なんかはちょうど江戸と明治の間のような、そんな感じだった。


主人公である虹村三兄弟(弟2人は幼少期と成年期でキャストさんが違うので、舞台上にいるのは実質5人)が変わるがわる言葉を口にしながら交差していく。私はまだ彼らのことを何も知らないけれど、この決して長くはない時間でそれぞれの性格や想いがなんとなく察せるような作りになっていた。

三男の翠葉は、明るく、前向きで、一点の曇りもないきれいな心の青年。
次男の蒼海は、どこか危うげで儚く、けれどその眼差しに強い意志を宿した青年。
そして長男の紅空は、大黒柱のようにどんと構えた安心感と、なにかを隠していそうな雰囲気を湛えた青年。

ここのセリフ、それぞれの名前を思わせる言葉が入っているのがすごくおしゃれだなと思って聞いていたら、この兄弟が幸せに穏やかに過ごしていた日々に眺めていた光景だったことが発覚。三人揃って見た思い出の光景を「忘れない」と口々に言う中で、翠葉は「忘れられない」と畳みかけ、蒼海は「忘れさせてくれない」と畳みかけるのが意味深でひやりとした。
この些細なセリフの違いが、後々翠葉と蒼海が歩む道の違いというか、2人の考え方の違いを表していたんだと思う。千秋楽後の配信で朝倉さんが、「虹を見た時に翠葉が「あそこに見えるのは」と言い、蒼海が「あそこにあるのは」と言った、これが2人の些細にして決定的な差だった」というようなニュアンスのことをおっしゃっていたけれど、ここの一連のセリフも翠葉と蒼海の違いを表す重要な言い回しだったんじゃないだろうか。その違いがこの後2人の運命を大きく分けることになる。


ニビニジの大きなテーマは翠葉と蒼海の成長だ。
そこを語る上で外せないのがWキャスト。
作中で五年の歳月が経過するため、敢えて幼少期と成年期で違う役者さんを起用し、物語の中でバトンタッチが行われる。ドラマなどの映像作品ではよくある演出だけど、舞台では明らかに子役さんを起用する時以外はなかなか見ない演出な気がする。
オープニングアクトでも幼少期のキャストさんと成年期のキャストさんが互いに手を伸ばして入れ替わったり、己の過去(あるいは未来)と対峙するような振り付けがあったりして印象的だった。

このWキャスト、ニビニジの初演にはなかった演出だそう。私は今回の再演(補足だがタイトルの“彩艶”と書いて“さいえん”と読ませるあたりにも朝倉さんの美的感覚を感じる。おしゃれ。)が初のニビニジなので、具体的にこういうところが違う印象だったとかは言えないけれど、刺さる場面がWキャストじゃないと成立しないことが多かった。
冒頭の語りの場面だって、何も知らず平穏に生きていた幼少期の2人と、さまざまな経験を経て考え方や想いが変化した2人の表情の差が見られたのはWキャストの特権だったと思う。また、随所で成年期と幼少期がオーバーラップする演出があったのもWキャストならではの演出だった。

とはいえ、ひとりの人物の成長を違う人間が演じることって多分簡単ではなくて。
人を変えれば身体的な成長を見せることはできる。けれどその人の癖や心境など、本来人の成長において変わらない部分や連続的な変化を見せる部分になると、演者が変わるタイミングで役の人生がぶつっと途切れかねないんじゃないかと思う。
そこのバトンタッチがどちらも継ぎ目が見えなかった。平穏で大切な三兄弟の日々の思い出も、優しく強かった兄が“赤鬼”であるという事実を知り、その兄を目の前で失ったことも、悲しみの中で自分の弱さに打ちひしがれたことも、幼少期キャストのおふたりが演じた感情や経験、すなわち翠葉と蒼海の原体験ともいえるものが、全部全部成年期キャストのおふたりに引き継がれていた。
翠葉と蒼海の五年間は劇中ではダイジェストのように演出されていて、その間にキャストさんが入れ替わるのだけど、それが恐ろしく自然だった。本当に目の前で五年が経ったみたいな感覚。別の役者さんが演じているはずなのに、幼少期に経験した出来事や感情が繋がって、その中で彼らの体と心が成長して考えや想いにも変化が生じて・・・というのがニビニジ彩におけるWキャストのすごさだった。

成長に伴う2人の変化に、環境的要因はかなり大きく影響したと思う。2人の成長をそれぞれ見守る立場になるのが白風と黒霧の姉妹だけれど、もし出会っていたのが逆だったらきっとこうはならなかっただろう。
ただ、この姉妹はそれぞれ翠葉と蒼海の道標にはなったかもしれないけれど、2人の行く道を決定づけたのはやっぱり彼ら自身の違いによるところが大きいんじゃないかと思う。兄弟三人で見た景色を「忘れられない」と懐古し、兄の死とともに空にかかった鈍色の虹を「あそこに見える」と表した翠葉は、きっと黒霧に拾われていても復讐に心を燃やすことはなかったんじゃないかな。そして同じように、兄弟三人で見た景色に「忘れさせてくれない」と囚われ、鈍色の虹が「あそこにある」と表した蒼海が白風と出会っていても、あの日豹変した兄とその兄の死のトラウマから逃れられなかっただろう。個人的にはそこが蒼海のしんどいところで・・・幼少期を演じたAYUTOさんが「俺は弱い!」と慟哭するのも、成年期を演じた髙畑岬さんがいろいろと雁字搦めになって、妖刀に取り憑かれてはじめてその思いを露わにできるのも胸が締め付けられるような思いだった。
そうそう、翠葉にしろ蒼海にしろ、同役を演じる役者さんへの研究をたくさんしたんだろうなと思った。癖やセリフの言い方、表情なんかもやっぱりそっくりで。違う人間が演じている以上無意識に似るなんてことはないと思うので、たくさん研究して意図的に寄せたんだろう。それもキャストのバトンタッチに違和感がなかった理由のひとつだと思う。役者さんってすごい。



話を戻すと、とはいえ、白風の方は別にして、黒霧様が翠葉と出会うことはなかったんじゃないかと思っている。というのも、彼女は蒼海を意図的に選んでいたような気がするから。

黒霧様と蒼海って似てるなと思って。
大切なものを失った経験があって、自分の弱さを責めている。強くなりたいと願う気持ちはもちろんだけど、その気持ちが自分の無力さ由来のものである方が強力に育っていくことを、黒霧様は身をもって知っていたのだと思う。だから自分の野望を成し遂げるための駒として、翠葉ではなく蒼海を選んだ。
同時に、ふたりは姉であり、兄であるという共通点があった。黒霧様は意識していなかったと思うけど、ふたりは本能的に姉と兄の宿命から逃れられない者同士でもあったんじゃないかな。誰に頼まれたわけでもなく(もっとも蒼海は紅空から「翠葉を頼む」と頼まれているけれど、それ以前に蒼海の中には弟を守りたい気持ちがあったわけで)、弟妹を守ろうとしてしまう。そういう点で、このふたりはとても通じやすかったんだと思う。

蒼海が強さに縋ったように、黒霧様も絶望の中でなにかに縋った。それが愛する人を奪った赤鬼への復讐であり、この国を転覆し新たな国を作り上げるという野望だったのだろう。
赤鬼への復讐と国の転覆って一見何も繋がりがないように見えるけれど、実は黒霧様の中ではきちんとした理屈で繋がっていたような気がする。赤鬼への復讐は言わずもがな、愛する人を奪われたことで芽生えた彼女の恨みや憎しみを発端とするものだ。翠葉や蒼海にとって兄の死が原体験となったように、遊女の自分を愛してくれた人を理不尽に奪われてしまったことが、黒霧様の原体験ともいえる。復讐心が生まれるのも当然のことだと思う。けれど、ならば復讐だけに集中して暗躍しても良かったんじゃないだろうか。ここに国の転覆という野望が重なってくるのって、要するに黒霧様の“どうしてこうなった”を突き詰めた結果だったんじゃないかな。なぜ愛した人が死ななければならなかったのか。そもそもなぜ自分は遊女になって、守るためにしたこととはいえたった一人の妹を傷つけなければならなかったのか。自分の尊厳と妹の心と、そして愛した人を犠牲にして成ったイシンは国を良い方向には変えてくれなかった。ならば自分が、と考えたんだとしたら、復讐と国の転覆が黒霧様の中で並び立つのもわかる。観劇後に購入して読んだ紅空の外伝には黒霧様が愛する人を失った描写があるんだけど、彼女の恋人である鈍彦はイシン前の政府の役人だったようなので、彼の志を継ぐ意味もあったのかもしれない。
これらのことを考えると、黒霧様の執念深さが本当に魅力的で。それを決して強くはない立場から志し、武器のひとつとして呪術を身につけてのし上がってきたという事実は、兄を失った蒼海が五年間もの歳月の中で剣術を磨く姿によく似ていた。その反面鈍丸や蒼海にも彼女なりに慈しみの視線を注いでいるあたり、彼女が本来愛情深い人なんだということも伝わってきた。愛した人を失ってからニビニジのラストまで、黒霧様の心に穏やかな幸せが満ちることはなかったのかもしれない。いつでも心のどこかが曇っていて、晴れない淀みを抱いていたのだと思う。けれど鈍丸のおっちょこちょいを咎めたり、蒼海を揶揄ったりする時間に彼女の心が多少なりとも癒されていたらいいなと思うし、だからこそ一度は用済みと切り捨てた蒼海に「われは間違っておるのか」と問いかけ彼の声を聞いたり、鈍丸の働きを労い、ついぞ彼の反逆を咎めなかったのかな、なんて思った。白風たちとの和解後は翠葉たちを可愛がっている様子もあったし、どこまでもお姉ちゃん気質。物語の黒幕でありながら愛に溢れた素敵な女性だった。


黒霧様に限らずニビニジの大きな魅力(というか私が好きになる作品はだいたいこの特徴があるんだけど)のひとつは、女の子たちが強くてかわいいことだ。

白風率いる女だらけの“かしまし”旅の一行、最高。三人寄れば文殊の知恵を絵に描いたような三人は、だれが欠けても成立しない絶妙なバランスで成り立っていた。
男勝りで一本筋の通った白風。
賢くて冷静、頭の回転も速い紫月。
そして医療の心得があり、優しい笑顔と雰囲気でみんなを癒す桃華。
何一つとして共通点を見出せないけれど、それぞれがそれぞれを尊重しているからこそ成り立っている関係なのがわかる。各々のできることを活かし、助け合いながら旅をしているっていうのがもう素敵。そしてお互いへの信頼感が語られるまでもなく表れているのが印象的だった。たとえばどうしても力が必要な時、言葉がなくとも白風が前に出てあとの二人は下がるとか、紫月に策がありそうだと見れば彼女の動向を伺うとか。中でも桃華に関しては本人以上に白風と紫月が彼女の重要性を理解していて、それを変に取り繕ったりせず本人に伝えているのも白風隊の好きポイント。友情と腐れ縁がちょうどいい塩梅で関係性が築かれていて、見ていて心地よかった。


翠葉があれだけの悲しい経験をしながらも、幼少期の朗らかさをそのままにまっすぐ成長できたのは間違いなく彼女たちのおかげだと思う。彼女たちの存在が翠葉に暗に伝えたのは「完璧じゃなくていい」ということだったと思っていて、それぞれの得意なことを活かして助け合っていけばいいんだということを翠葉は彼女たちとの旅の中で学んだのではないだろうか。もちろん人助けは翠葉の気性も大きく関係していたけれど、白風たちと過ごす中で自分の力で人を助けることが当たり前のことになっていたのだと思う。だからこそ妖刀に取り憑かれた兄を助けたいと願い、鈍丸に対しても「あなたを認めます」とまっすぐすぎる瞳で口にできたのだろう。

翠葉はどんな局面でもまっすぐで、そこが五年間のうちに心を復讐にとらわれていった蒼海との違いだと思っているんだけど、言ってしまえば彼の言葉は全部綺麗事なんだよね。個人的には物事に対して結構穿った見方をしてしまう方なので、実はここまでまっすぐに理想を語る役には共感しづらくて。ただ翠葉の場合、語るだけじゃなくて、俺が実現してやる!みたいな気概を感じた。実際妖刀に操られた蒼海のことはきっちり取り戻しているし、綺麗事を口にするだけじゃなくて実行しようとするのが翠葉のいいところだと思う。物語のいろんなところで垣間見えていた彼の頑固さに、白風から学んだ一本筋の通った在り方が彼をそうさせたんだろうな。


だからこそ、翠葉の“綺麗事”を実現させない道を選ぶことで自分の在り方を貫いた鈍丸の最期は強烈だった。
最初から圧倒的な強さだったにも関わらず、表情を乱さず、どこか黒霧様の影のような存在として描かれていた鈍丸。いったい何を考えて、何を思って黒霧様に付き従い蒼海に剣術を指南しているのかまったく読ませない。でも2回目の観劇で彼の表情を見ていると、口数は少ないのに自分の最終目的のために狡猾に動いているのがありありと見て取れてぞくっとした。黒霧様の館に灰石と茶土がやって来る場面、全員かわいくて大好きなのだが、あれもおそらくはおっちょこちょいに見せかけて自分の手駒を作るための彼の作戦だったのだろう。

鈍丸が置かれていた環境は最終的には悪いものではなかったと思う。寝食には困らなくて、黒霧様との関係も悪くはない。けれど彼が涼しい顔で抱えていたこの世界への失望感や恨みや孤独は、もう誰にもどうにもできないほど鈍丸の心の奥底にこびりついてしまっていた。その事実がとてつもなく悲しくて、鈍丸が翠葉・蒼海とやりあう場面は刀が触れ合うごとに胸が痛むような気がするほどだった。逆に言えば、そんな深い深い悲しみと絶望を抱えた彼に翠葉が向けた「あなたはただ認めて欲しいだけだ!」という言葉は、どんな一撃よりも鋭く鈍丸の心に刺さったんじゃなかろうか。
兄に愛され、仲間に恵まれた翠葉に、鈍丸の心に寄り添うことはたぶん、どうあっても不可能なのだった。決着がついたあとに鈍丸が静かに問いかける「教えてくれ。俺はどうしたらよかったんだ?」の言葉がとても苦しくて。翠葉が言葉に詰まってしまうことがすべての答えだったと思うし、かえって鈍丸のことも追い詰める結果になってしまう。いや、鈍丸があの最期を選んだのは翠葉に追い詰められてのことではないんだけど、あのやりとりでひとつ鈍丸の心が決まってしまったのだと思う。

「もうこれでどうすることもできない」。そう言いながら、決して楽ではない方法で自害を選んだ鈍丸。作中では歪みと評されていた彼の悲しみを、もっと早く誰かが包んであげられていたらこうはならなかったのだろうか。喉を掻き切って死んでいく朝倉さんのお芝居がまぁすごくて、彼の息がどんどん抜けていく音とその下で溢れだす言葉に釣られるように涙が出てしまった。皮肉にも頭上にかかった虹を見て「今日も汚ねぇ鈍色だ」と呟きながら死んでいく彼の運命が悲しくて悲しくてどうしようもなくて。終演後のキャスで朝倉さんが「走馬灯を見た彼が最後に見た虹はちょっとだけ虹色だったかもしれない」と言っていたのを聞いてようやくほんの少し救われた気がしたけど・・・それでも鈍丸・・・。


その上で、“虹丸”と名付けられた翠葉の刀。
ラストシーンでは鈍丸の髪飾りが翠葉の頭についていて、翠葉が鈍丸の存在をそのまま背負う決意を固めたんだとわかる演出だった。こういうところを見ても、どこまでも虹村翠葉はまっすぐで、世の中は綺麗であると信じている青年なんだよね。その気持ちは鈍丸や、黒霧様や、蒼海や紅空にはなかった気持ちで、だからこそ翠葉が主人公であることでニビニジという作品自体がすっきりと清々しい後味なんだろうな。

そして、“虹丸”という名前に「なるほど」と呟き、翠葉の想いを聞いて「いい名前だ」と言う蒼海の一連のセリフ、とても優しく心に響いて大好きだった。
(というか紅空が死んでから蒼海はずっと思い詰めている表情だったので、ラストシーンですごく晴れやかな顔をしていたのが私は個人的にとても嬉しかった。)


ニビニジの時間軸を通して大きく成長した翠葉と蒼海。
実は二人は、紅空が最後に言い残したことを忠実に守っている。翠葉には「ずっと笑っていろ」、蒼海には「翠葉を頼む」。翠葉は健気にも涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑顔を作っていたのが、いつのまにか心から笑えるようになっていた。蒼海は心の奥底に“翠葉を守る”という強い想いを抱えたまま修練を積んできた。
二人の弟の成長は紅空の目にはどう映っただろうか。紅空についての詳しい話は『鈍色に滲む虹ー外伝 紅き鬼の伝説ー』という作品で語られている。あまり詳しくは触れられないけれど、紅空は二人の弟たちを守っているようでその実何度も弟たちに救われていた。彼は赤鬼と呼ばれ多くの人を殺めたけれど、弟たちを慈しみ彼らとの平穏な暮らしを守ろうとしたのは紛れもない事実で。死後も二人の成長をきっとどこかで見守っていたと思うし、だからこそ最後の最後で二人に力を貸してくれたんだと思う。兄弟揃って赤鬼の遺恨に決着をつけたことで、紅空もまた、ようやく過去から解放されたのかもしれない。


虹村兄弟にしろ黒霧様にしろ、各々が鈍色の虹を見ていた。けれどラストシーンでは、各々の瞳に七色の虹が映しだされる。
いや、また新たに始まる、というのがふさわしいかもしれない。

七色に輝く橋に送り出され、彼らはまた一歩成長していくのだ。


〈『鈍色に滲む虹ー彩艶ー』公演情報〉※敬称略
制作:sakura project
公演期間:2024年3月8日〜3月10日
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて
作・演出:朝倉利彦