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櫨
2024-02-04 08:34:13
5027文字
Public
小説(pixiv公開済)
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岡崎事務所の忘れ物
岡崎事務所の岡崎凛人さん、お誕生日おめでとうございます。
ワーカホリックな日々のちょっとした忘れ物のお話を書きました。
誕生日に仕事をしていたおかりんに、万理さんからラビチャが届いて。
時間軸はふんわりと第3部あたりのイメージ。こけら落としでの諸々がまだ記憶に新しい頃。
休暇制度その他、岡崎事務所のあれこれはすべて捏造です。
忘れ物を、取りに行った。
◇ ◇ ◇
岡崎事務所には、誕生日休暇制度がある。
社員には、特別休暇として。タレントには、契約の形態にもよるけれど、原則として当日に仕事を入れないようにスケジューリングするという形で。
だがしかし、二月三日の午後。
多くの者が外出し、閑散とした昼下がりの岡崎事務所のドアを開けたのは、本日が誕生日であるはずの、凛人
――
社長の弟であり、Re:valeのマネージャーである、岡崎凛人だった。
「
――
よし、予定通り」
壁に掛けられた行先予定表を確認して、ひとり頷く。兄であり社長である岡崎凛太郎は直行直帰。Re:valeは現場マネージャーの送迎で近県のロケ先直行、夜は都内に戻りラジオの収録。把握していたとおりだ。
自席に着いて、デスクの上に置いたままになっていた眼鏡ケースを手に取り、足もとのバッグに押し込みながら、呟く。
「忘れ物を取りにきただけですよ。そのついでに、ちょっとだけ仕事をしますよ~
……
」
という設定だ。今日じゅうに片付けたい案件は、山ほどある。
五年を越えても続いていく、Re:valeのために。
凛太郎が居たら。Re:valeのふたりが居たら。ちゃんと休めと叱られたことだろう。誕生日休暇制度を形骸化しないために。仕事に追われる日々に安息を与えるために。
いずれももっともな意見ではあるが、自分のペースで進められるぶん、休日のデスクワークは捗ることを経験則として知ってしまっている。三人のスケジュールを知った時から、この日は午後出社しようとひそかに心を決めていた。
「あれ? 岡崎さん、今日って誕生日休暇でしたよね?」
内勤のスタッフや、外回りから戻ってきた者に、何度となく声をかけられたが、そのたびに笑顔で同じ言葉を繰り返した。忘れ物を取りに寄りました。ついでなので確認しておきたい案件を、少しだけ。
撮影スケジュールの確認。香盤表のチェック。インタビュー記事のゲラ校閲。宣材の手配。
少しだけの案件、ちょっとだけの仕事をたくさん重ねるうちに時間は過ぎて、ふと顔を上げれば窓の外は夕闇に包まれていた。集中からの疲労を感じ、小さく息をつく。
誕生日なんて、大人にとっては通過するただの一日だ。しかしまあ、与えられた休暇を有意義に使えたのは有り難い。
疲れた肩を揉みほぐしていると、かたわらに置いたスマートフォンがふっと明るくなるのが視界の隅に映った。なにがしかの新着通知。
「
……
え? なんで、そういうことに
……
」
届いたのは、ラビチャのメッセージだった。珍しい人物が送り主だが、メッセージの内容自体は珍しくはない。
ただ、予想外だった。この日、この人から、この内容で。
◇ ◇ ◇
駅前の繁華街からひとつ外れた区画、宵の口の賑わいを耳に残しながら、少しだけ息のつけるあたり。
スマートフォンの位置情報を確かめて、凛人は顔を上げた。
目の前に建っているのは、石タイルの壁に、銀色のシンプルなドア。業界人御用達、完全個室のみのカラオケダイニングだ。
もういちどスマートフォンに目を落とし、ラビチャのメッセージを確認する。
小鳥遊事務所の大神万理です、からそれは始まっていた。
『お忙しいところすみません。食事のあと、少しだけ飲んでいたところ、ふたりともだいぶ酔ってしまったようで
……
。お手数ですが、迎えに来ていただけますか? 店名と位置情報を送ります』
ロケが早く終わったRe:valeのふたりが、同じ現場に居合わせた万理を誘って、三人で食事に行ったということらしかった。その過程で、現場マネージャーは帰してしまったのだという。
「うーん
……
」
眉根を寄せて、低く唸る。
夜にはラジオの仕事が入っていた。生放送ではないが、録って出しが売りの番組で、収録にはそれなりの気構えが必要になる。なのに日のあるうちから飲酒し、あまつさえ迎えが必要なほどに酔っぱらうとは、これはお説教に加えて反省文が必要な案件ではないか。
けれど、それだけ三人での食事が楽しく、心の緩むものだったのだろうなと思うと、どうにも微笑ましい気持ちになってしまう。探し続けていた彼との、五年の時を経ての再会。千の焦りも、百の苦悩も、一部始終を隣で見ていたから、凛人としても本当に嬉しかった。少しくらい羽目を外しても、大目に見てあげたい。
マネージャーとして怒るか、友人として笑うか。
決めかねつつ、ともあれここまで来て入らないわけにもいかない。出たとこ勝負、成り行き任せ。そんな言葉を胸の内で唱えて、店に足を踏み入れた。
フロントで名刺を出す。店員には話が通してあり、丁重に迎えられた。案内をするという申し出を辞退し、エントランスを抜けて、教えられた部屋の前に立つ。
群青と黒のバイカラーに彩られた扉には、擦り硝子の丸窓がついていた。覗いてみたが、室内は見えない。ほぼ飾りなのだろう。
軽くノックをする。ややあって、防音のドアが重たそうにゆっくりと開いた。
「どうぞ、入ってください」
万理の声だった。いつもどおりの明るく爽やかなトーンで、酔いは感じられない。だが、姿は見えなかった。
扉の陰にいるのだろうか。首を傾げつつ、開いたドアの隙間から中に入る。
「大神さん、岡崎です。失礼します」
間接照明の淡い光が、ぼんやりと室内を照らしている。少人数向けのVIPルームだ。床も壁も深海のような群青色で統一されており、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。手前の壁には作りつけのバーカウンターがあった。伏せて置かれたグラスは使われた様子がなく、あれ、と思いつつ一歩進んだ。
部屋の中央には青いガラスのセンターテーブルと、黒革のソファが置かれている。ソファに座った後ろ姿に目を凝らした。
「千くん、百くん?」
背後でドアが静かに閉まる。と同時に、頭上の天吊りスピーカーから、軽やかなメロディが流れ出した。奥の壁でブラックアウトしていたディスプレイに、ぱっと映像が映し出される。
Happy birthday to you.
かわいらしい前奏を奏で終えて、歌が始まった。慣れ親しんだ
――
きっと、自分の声よりもずっとずっと長い時間、耳を傾けている歌声。仕事でのそれとは違って、自由に、気楽に、おもちゃを弾ませるように歌っている。
「え、ええ
……
?」
これは感動的なシーンなのか、酔っぱらいの悪ノリなのか。笑うべきか、怒るべきか。やっぱり決めかねてしまう。
戸惑ったままに聴き入るうち、いつものRe:valeのユニゾンに、控えめに寄り添うもうひとつの声があることに気がついた。
「Happy birthday, dear...」
「おかり~ん」
「おかり~ん」
「岡崎さ~ん」
ふぞろいな呼びかけが、ついでに調子っぱずれの不協和音になり、最後のHappy birthday to you.を歌えずに笑い転げている。
千と、百と。
万理が、一緒に歌っていた。
◇ ◇ ◇
歌い終えてすぐに、千と百は慌ただしく部屋を出ていった。送迎を申し出たが、ラジオ局には千の車で向かうと言う。そもそも、酔いつぶれたというのは方便で、三人ともアルコールは入っていなかった。誕生日休暇のおかりんに仕事はさせられない、させないからね! と力強く言い置いて、ふたりは仕事へと赴いた。
テーブルにセッティングされたケーキを、フォークで突っつく。バースデーケーキではなく、フルーツの載ったカットケーキだ。申し訳程度に、カラーキャンドルが一本だけ立てられている。店に頼み込んで急遽用意してもらったらしい。この呼び出し自体が、突発的なものだったからだ。
「幣事務所に、内通者がいたとは
……
」
「内通者というか、Re:valeの隠密って感じですよね」
しみじみと漏れた呟きを受けて、万理が苦笑しつつ言った。
三人での食事を終える頃、岡崎事務所のスタッフから、百に連絡が入った。『誕生日休暇のはずの岡崎さんが、出社してがむしゃらに仕事をしています』と。
特別休暇にまで休まず仕事をしている凛人を、どうにかしてオフィスから引き剥がしたい。そこで一計を案じ、万理には呼び出し役として協力を仰いだのだという。
「ふたりとも、本心から岡崎さんに身体を休めてほしいと思っているようでしたよ。労働時間が自分たちよりも多いくらいだ、と心配していました」
「
……
それは、はい」
ケーキの皿を手に取り、トッピングの桃のコンポートをフォークで口に運ぶ。甘さがとろけて、疲れた身体に沁みわたるようだった。
わかっている。優しい気持ちが、わかってしまうだけに。
「有り難いと思っています。自分としては、複雑な心境ですが
……
」
嬉しくなかった、と言ったら嘘になる。しかし、担当アイドルに余計な気を遣わせてしまったという点においては、大いに反省すべきだろう。
沈んでしまった凛人に、万理は笑顔で言った。
「いやあ、岡崎さんのところでは、タレントとマネージャーの距離感が独特ですよね。勉強させていただきました」
「え。これ、参考になります?」
「Re:valeのマネージャーの仕事術が、参考にならないはずがないですよ。あの千を懐かせて、百くんを支えて。
――
岡崎さん」
不意に、万理が居住まいを正し、深々と頭を下げた。ひとつにまとめた長い髪が、背中で揺れる。
「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」
主語はない。けれど、はっきりと伝わった。これは、新人マネージャーから業界の先輩へと向けられた言葉、ではない。
Re:valeを守り導く道を引き継いだ者への手向けであり、遺言だ。
だから、凛人もまた姿勢を正し、頭を下げた。
「こちらこそ。今後とも、どうかよろしくお願いします」
同業他社の職業人として。まばゆく輝いてステージへと駆けていく彼らを、守り支える者として。歩く道は違っても、時に手を取りあう戦友が、ここにいる。
どちらからともなく手を差し出し、しっかりと固く握手を交わした。
「
……
でも、騙すことになったのは、本当にすみません」
申し訳なさそうに言う万理に、凛人は思わず噴き出した。
「とんでもない。あのふたりがうまいこと言ったんでしょう? 大神さんはむしろ被害者ですよ。それに、自分としては楽しかったし、嬉しかったです。久しぶりに
――
」
不揃いなHappy birthday to you。笑って崩れた、どこまでも楽しそうな三人の歌声。千くん、百くん、そして。
「
――
久しぶりに、万理くんの歌が聴けて」
そう言うと、万理は照れくさそうに笑った。
立ち上げたばかりの岡崎事務所で、原石を探し求めて走り回っていた頃。あの日に見つけた、Re:valeのバンのまま、はにかんだ青年の笑顔で。
のんびりとふたりでケーキを食べ終えてから、部屋を出た。フロントで確認すると、会計は千が済ませてあった。さすが、そつがない。
店の前で万理と別れて、帰路に着いた。
真冬の日暮れは早く、街路には皓々と明かりが灯っている。時おり吹く風の冷たさに身を竦めながら、駅へと向かって歩いた。
ふと立ち止まり、握手を交わした手を、じっと見つめる。
あの事故の後、Re:valeの
――
「万理くん」の手を離してしまい、彼が行方知れずになったことは、凛人にとっても、心の奥底に突き刺さったまま、冷たい棘となって残り続けていた。
けれど、かわいらしい誕生日の歌にのせて紡がれた三人の声は、楽しい悪ふざけをまとわせながら、この世の何よりも暖かく、優しくて。
心のどこかにあった氷は、ぱりんと割れて、そのままゆっくり、ゆっくりと溶けていった。
「Happy birthday、か
……
」
見つめていた手をぐっと握りしめて、拳にする。
◇ ◇ ◇
忘れ物が、戻ってきた。
過ぎ去った時の中に、遺してきてしまったものが、今はこの手のなかにある。
かたちは変わってしまっても。何度だって、取り戻せる。やり直せる。
それが、Re:valeなのだから。
〈Fin〉
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