なろ
Public
 

夕暮れのうた

付き合いはじめてちょっとした後(!)の🍱🔥が、文化祭終わり間際に保健室でお茶を飲む話。フェス君のハロウィンブロマイドが下地にあります。

2日間に渡る文化祭は、おおむね成功に終わったといってよいだろう。死神八咫烏のヤスは、そう考えた。
クラスの出し物では、淡々と自分の担当箇所をこなすことが出来た。本日体育館で執り行われた、仮装をしてのライブ演奏もなかなかの盛況だったと思う。地元の人間はともかく、学校の奴らにライブを観られるという機会は普段ないことだった。だから結構やりにくかったといえばそうなのだけど、まあ、有り余る若さで盛り上がったライブは悪くなかった。実際クラスメイトたちはヤスの歌とギターにたいそう感銘を受けたそうで、教室の後片付けはオレたちに任せろなんてことを言われ、荒れた黒組を追い出されてしまったくらいである。満面の笑みを浮かべる学友たちは見たことがなくて薄気味が悪かったが、音楽の力ってすごいねえ、なんて脳内でキツネの少女が笑うものだから、まあそういうこともあるんだろうなと思うことにした。いや、本当に心の底から気色悪かったのだが。
そういうわけで、ヤスは校内の廊下を1人歩いていた。片付けを免除されたといえど、学校から退去していいわけではなかったからだ。2時間後に、体育館で閉会を兼ねた表彰式が行われるのである。クラス単位の優秀賞は毎回3年のクラスから選ばれていることは聞いていたので、ヤスは当初サボって帰ろうと考えていた。しかし先程のライブ後、ステージ裏に校長が自らやって来て、「ユー達帰るなよ!?絶対帰らないでよ!?」と何度も念を押されたのである。部活動の出し物としてライブが学校側からなんらかの評価を得たというのが、それに対する双循の見解だった。ヤスにとって今まで体育館といえば授業でスポーツをする施設であり、壇上で賞状を貰う、というか褒められた経験はなかった。運動部に所属して大会で活躍しているわけでもなかったし、課題の絵や読書感想文だってぱっとしたものが作れたためしがない。野郎どもに囲まれて校長と向き合うのは恥ずかしいしそもそも面倒臭いが、これはもしかして、母親は持ち帰った賞状を喜んでくれるのではないだろうか。そう考えると、なんだか悪い気はしなかった。ハッチンもファ〜ファ〜ぼやきながら浮足立って花組に戻って行き、双循は「学校側に貸しができたかもしれんのう」と笑いながらなぜか生徒会室に向かっていった。これは別に貸しにはならんだろ、そうヤスは思ったのだけれど。
それから、ジョウもライブを終えて保健室に帰って行った。帰って行った、という表現はおかしい気もするが、実際そうであるのだから仕方がなかった。校内唯一の6年生である彼はクラスでの出し物を企画するのが困難で、この文化祭の間は保険医の真似事をして救護係を務めていたのだ。はしゃぎすぎて軽い怪我をしたクソガ学生や訪問者が保健室に来たとき、なんとなく話し相手をしながら絆創膏を渡す。恐れ知らずにも遊びに来た地域の子どもが迷い込めば、少し古い趣味の菓子を相手のポケットに突っ込む。そして時々、手慰みにベースの練習をしたり、自分が体調を崩してベッドに滑り込んだりする。ヤスはライブ前にヒマじゃねえのかと聞いていたが、話によるとスタジオのマスターも遊びに来ていて、結構好き放題やっていたらしい。臨時の救護施設として用意された体育館脇のテントのほうに養護教諭は常駐していて、2日間の保健室は実質ジョウの城と化していたとのことだった。

かしゃかしゃと、左手から提げたビニール袋が音を立てる。ヤスは、その件の保健室に向かっていた。文化祭という年に一回しかないイベントにおいて、ライブの前後にしか恋人と会話できないのはなんだか味気がないよな、と考えたからだった。そう、恋人と。ヤスとジョウは、一応お付き合いをしていた。一応。胸を張ってヤスがそう言えない理由は、ふたりが恋人になってからやったことが、練習の帰りにコンビニのレジ袋越しに手を繋ぐくらいだったからである。いやでも、あの時は本当、すごかった。ヤスは巻いた包帯の中に信じられないくらい手汗をかいていたし、その体温で袋が溶けてしまうかもなんて馬鹿げたことを考えていたら、実際言い出しっぺのジョウの素手に握られたそれは完全に焦げ始めていたのだった。だからふたりは慌てて手を離して、そのままレジ袋はあっけなく地面に落ちて、ジョウが買ったパックの卵は10個とも割れた。それで、端から端まで真っ赤になった顔を突き合わせて、今後のことは、いや、また今度、また今度考えようと鳥たちは頷き合ったのだ。ちなみにその「今度」は、いまだ訪れないままである。
ところで、今ヤスがひとりでぶら下げているビニール袋の中には、学校のロゴが刻まれている饅頭が2つ入っていた。本当は味がバカみたいに濃い焼きそばやら、油でベトベトになったチュロスやら、そういったなにか文化祭らしいものを手土産にしたかったのだけれども、片付けが始まり終了ムードが漂い始めた今、他クラスを訪問して準備することは難しかったのだ。文字通り、後の祭りだった。アフターフェスティバル、ってね。そこでヤスは、校庭で行われているPTAのブースに顔を出し、校章入りのグッズの中から饅頭を選んだ。瓦のかたちをした煎餅よりは手土産向きだと思ったからである。レジャーシートを広げてフリーマーケットを開いていたマダム達は、ヤスを目にすると「あんた、さっき楽器やってた子でしょ!良かったわよ、これからも頑張りなさいよ!」と口々に激励を飛ばしてきた。ちっちゃくてかわいいわねみたいな言葉は聞かなかったことにしたヤスは気恥ずかしさを覚え、うす、とだけ返事をしてその場を去った。

念のため、白木のスライドドアにノックをする。磨りガラスの小窓越しに見る室内は、輪郭がぼやけていた。最悪のパターンとして、もうジョウは6年生の教室に戻っていて、養護教諭だけが在室中、という可能性もあった。
「はいはい、どうぞ」
戻ってきた暢気な低音は、自分のよく知るものひとつだけだ。それでヤスは無言でドアをずらし、体を滑り込ませる。
「なんだ、ヤスか」
「よう。悪いか」
「いや?やることねえし」
ジョウはスチールデスク前の椅子に座り、ハサミを片手にこちらを見ていた。机上には均等に切られた包帯が並んでいる。ヤスにはよくわからなかったが、一定の長さに切り揃えていたのだろうと思った。というか、それより。
「アンタ、まだその格好してたのかよ」
「まあ表彰式まで時間あるし、いいだろ。邪魔だったから、メイクと、腕と頭のは取った」
重いんだぜ、あれ。ジョウがそう言って笑う。彼の服装は、ほぼほぼ先程のライブ衣装……というより、仮装のままであった。ちょうど文化祭が10月と重なっていたため、ハロウィンを意識した服装でステージに上がっていたのだ。ヤスの着用したものとは異なりそこまでぶっ飛んだ設定でもなく、スーツに白衣というありふれた組み合わせなだけあって、この場においても違和感は少ない。それでも妙な箇所が破れていて青白い肌が見えていたりとか、いつもの赤です!あと黒です!みたいな見慣れた服装ではない恋人を前に、ヤスはどうも居心地が悪かった。
「そういうことじゃねえよ……。あ、」
目線を逸らしたことで、ヤスは手土産を持っていたのを思い出す。袋のまま差し出すと、ジョウはオレに?と不思議そうな顔をして、片手で受け取った。ハサミを置いて、がさがさと中のプラスチック容器を取り出す。彼の想定とは違ったものが出てきたようで、並んだ薄茶色を見て一瞬きょとんとし、それから笑い出す。
「はは、なんだこれ、焼きそばとかじゃねえの」
「うるせー」
「なにこれ、和菓子?学校の?初めて見た。すげえな、ロゴなんか入ってら」
「もう他になんも売ってなかったんだよ。文句あるなら返せ」
「え、やだよ。絶対返さねえ」
「うぜえ」
「ほんとに嬉しいんだけどな。あ、そうだ、ちょっと待ってろ」
ジョウは立ち上がって、教諭と生徒の対話用の木製テーブルに饅頭を置いた。それから、たしかあの辺に、と呟いて部屋の隅へと足取り軽く向かう。ヤスは目をやりながら、その辺にあったパイプ椅子を引き寄せて腰掛ける。テーブル備え付けのソファは文化祭に即した華やかな飾り付けが施されていて、なんだか座る気になれなかった。
「あった。せっかくだから茶でも淹れて食おうぜ」
急須と茶葉の入った缶を手に、資料が立て掛けられたキャビネットを漁っていたジョウが戻ってくる。
「勝手にいいのか、アンタのじゃないだろ」
「別に2日間働いたんだからこれくらいいいだろうよ。無給なんだぜオレ、無給」
ヤスからしたら不気味な変化であったが、彼はなにやらすっかり上機嫌だった。急須の網に茶葉を適当に放り込むとふたたび立ち上がり、今度は別の棚から古びたやかんを引っ張り出す。慣れた手つきで水道水を入れて、それから使い込まれたガスコンロに火をつけた。保健室を訪れたのはこれが4回目だったヤスは、この部屋にやかんとコンロがあることを初めて知った。ちなみに来歴の4分の3は、ジョウの送迎によるものである。残りの一回は小さなケガだ。
「なんでそんなもんがここにあるんだよ」
「まあ詳しいことは知らねえが、熱湯消毒とかするからとか」
「よく場所覚えてんな」
「まあな。慣れだ、慣れ。でもオレも、こんなに入り浸るようになったのは今年に入ってからだ」
一度こちらに戻ってきて、ヤスの向かいに座る。記念写真を撮っておこうなんて言って、携帯電話越しに安っぽいプラスチックの箱を覗き込む。ヤスは映りこまないようにと身を引いてみたが、そんなところまで入らねえよと笑われ、眉間にしわを寄せる。気を遣ってやったのに。機嫌の悪くなったヤスを見て、相手はなぜか嬉しそうにまた笑う。
「たぶん去年までのオレだったら、調子が悪けりゃ帰ってたよ。出席日数稼げねえなら、どこにいようが関係なかった」
「...ああ」
「でも、今年はそうだな、うん。残ってても、いいかなと」
……そんないいとこねえだろ、この学校に」
「いやいや、あるもんだぜ。まず、うん、待ってれば放課後にバンドメンバーが迎えに来てくれるとか」
「それは当たり前つーか、仕方ないだろ。アンタいないと練習にならねえんだから」
「ええ?この齢になると、迎えなんていくら待ってても来てくれないもんだぜ。迎えに来るものと言えば……まあそれは今する話でもないか。あとそうだな、他には」
そこで一度言葉を切って、ヤスと目を合わせる。緋色の瞳がふたつ、愛しいものを見るように細められる。
「文化祭の日に最後まで踏ん張ってれば、恋人が饅頭を買ってきてくれるとか」
「は、こ、こい」
ヤスが動揺した声をあげたと時を同じくして、家でも散々聞いている甲高い音が鳴り響く。それで席を立ったジョウが沈黙させたやかんを手に戻ってきた時、ヤスのツートンの瞳はやけに大きく開かれていて、強く握られて包帯がくしゃくしゃになった拳はもの上で開いたり閉じたりを繰り返していた。
「なんだ、沸騰したのはお前というわけ」
「いや、だって。そんな、急にそういうこと言うのはダメだろ」
「ダメか?じゃあこれはなに、バンドメンバーとしての土産ってこと?ああやだやだ、おトモダチ特典かよ。オレに会いに来てくれたんじゃねえの」
「ちがう、いや合ってる、合ってるけど」
「はは、だろ?いいじゃねえか、誰に聞かれてるわけでもないし。めちゃくちゃ嬉しいんだぜ、本当。……あ、そういえば」
熱湯を急須に注いで、陶器の蓋を閉める。水道水を流しながら、余ったお湯をステンレスの流し台の中に注ぎ込む。それからジョウはまた勝手に棚を漁り出したが、しばらくして諦めた顔で戻ってきた。そして、やけに真剣な表情で口を開く。
「参ったな。グラス、コップ?あれがない。ちょっと熱いけど、急須から直飲みでいいか」
「いいかじゃねえよ。そんなことできるのアンタぐらいだろ、紙コップとかないのかよ」
「ああ、見たことある。どこだったかな」
軽い返事をして、また立ち上がる。考えることは苦手でもないくせにどこか行き当たりばったりがところもある、ジョウはそういうミューモンだった。良くも悪くも直情的で、打算的な面があまりなく、不器用なほどに正直な火の鳥。そして、そんな、自分とはかけ離れた性質を持っているところがヤスは羨ましく、手放し難く、好きで焦がれて仕方がなかった。そりゃ彼にだって自分に隠してることだってあるかもしれないし、その全てを知りたいと思ったことがないわけではないけれど、今の自分にはこれで十分だと、そうヤスは常々考えていた。恋人としても、もちろんバンドメンバーとしても。そもそも、今隣に居られることがとんでもなく幸せなのだ、高校一年生のガキからしてみれば。
「ヤス、緑茶の好みの濃さとかあるか?」
「今?」
「忘れてた。まあどうせ、どうすりゃ良い濃さになるのかさっぱりわからんけど」
ようやく腰を落ち着けたジョウが、そもそも2人分の茶葉ってどんな量だ?と茶葉の缶を睨む。それでヤスはなんとなく急須の蓋を開いて覗き込み、ああ、これは多いなあと眉をひそめた。そんなに頻度は高くないけれど、母と2人でお茶を淹れて飲むことくらいあるのだ、ヤスにだって。
「多いと思う」
「マジか。お湯捨てなきゃ良かったか」
たいした後悔もしていないような声で、ジョウがあちゃ~と残念がる。急須から紙コップに注ぎ入れると、まあ確かに、随分と色の濃い緑茶だった。立ちそうで立たない茶柱が、底の方をふよふよと漂っている。ヤスが爪を立ててプラスチック容器のセロテープを剥がすと、びよんと間の抜けた音がして留められていた蓋が開いた。
「まあ、どうせこっちが甘いんだからいいんじゃねえの」
ジョウの方に容器の底を向けて、自分のぶんを蓋に乗せる。それもそうか、と頷いたジョウが両手を合わせたので、ヤスもそのまま真似をする。いただきます、とどちらともなく声を合わせて、ふたりはロゴ入り饅頭を手に取った。

「やっぱり苦かったな、お茶」
「不味くはなかったけど」
とんでもなく美味いわけでもなければ不味いわけでもない、まあそりゃ業者に発注したんだろうな、という味の饅頭を無言で食べ終えて、ふたりはテーブルの上を片付け始めた。和菓子と緑茶を嗜みながら紳士淑女がしているような、気の利いた話はどちらからも提供できなかった。
「今度はヤスが淹れてくれよ」
「いや、……まあ、いいけど」
「やった。それじゃ、そのうち菓子でも買っとこう」
ヤスの答えを聞いたジョウは重ねた紙コップを潰し、可燃物の仮設ゴミ箱に投げ入れる。ヤスも空になった容器をぺしゃんこにして、備え付けのプラスチックゴミの袋に突っ込む。医療品の包装のビニールと擦れたのか、擦れた音がした。文化祭が終われば回収されるから、まあ、気にする必要はないだろう。
特にそれ以上やることが思いつかなくて、ヤスはなんとなく時刻を確認する。壁にかけられた時計は、閉会式までまだ長い針が一周するほどの余裕があることを示している。すべての備品を片付け終えたジョウも戻ってきて、それで2人はまたテーブルに着いた。相手は携帯で時計を確認して、なんだ、まだこんな時間か、と呟いた。
「あのさ」
ヤスは廊下を背にして座っていたため、一声発したジョウに目を向けると自然と彼の背後の大きな窓が視界に入る。用務員によって整えられた木々と、この場所の向かいに建てられた旧館は、夕日を帯びて鈍くオレンジ色に光っていた。なんとなくその様を眺めていると、旧館の廊下を慌ただしく何人かの生徒が駆け抜けていった。見たことのある顔だったかもしれないし、そうでもないかもしれなかった。店の常連であるわけでもないのだから、ヤスに覚えられるはずがない。
「ヤス、そういやここに居て大丈夫なのか」
「饅頭食っといてそれ聞くかよ」
「今思い出したんだよ。クラスの片付けとかあるだろ。まあオレはないけど」
窓の外に向かっていたヤスの意識は、ジョウの遅すぎる問いによって引き戻される。そちらを見て、こいつまだ白衣着てるのかよと、場違いな考えが頭に浮かぶ。
「さっき、ライブ見た奴らが手伝わなくていいって。...俺が頑張ってたから」
「ほぉ、たいした人気者じゃねえの」
「ウゼェ。悪いか」
「悪くない悪くない。いやぁ、鼻が高いぜ。バンドメンバーとして」
テーブルに伏せた携帯電話を、頬杖をついていない方の手で弄びながらジョウは笑った。そのまましばらくなにかに思いを馳せて、勝手に納得したかのように頷く。
うん、今年は本当、オレにとっても良い日になった」
……なんの話だよ」
急に置いて行かれたヤスは、呆れた声音で問いかける。んん、と一度詰まったような唸り声をあげて、そのあとジョウはあっけらかんと答えを返す。
「オレ、なんも知らねえから。6年もここにいる癖に」
それから、手元に目線を落とした。意味もなく、携帯の画面をひっくり返して液晶をタップする。表示させたり、消したり、そんなことを繰り返す。ロック画面の写真は、いつか世話になったライブハウスのタイムテーブルだった。
「ヤスが買ってきてくれなかったら、文化祭で饅頭売ってることすら知らなかった」
「入学式とか体育祭でも売ってたぜ」
「ええ、それも今知った」
「饅頭だけじゃなくて、煎餅とか、鉛筆とかノートもあったぞ」
「マジで?この学校で文房具なんて売れるかよ」
ヤスが付け加えると、ジョウはまた笑い声をあげる。それでその後、部屋に沈黙が訪れる。嫌な静けさではなかった。ジョウは携帯を触るのをやめて、部屋の棚のひとつをぼんやりと見ていた。部屋に差し込む光は、先ほどまでよりさらに赤味を増している。それで、その穏やかな空気感になんとなく背中を押されて、ヤスは口を開く。
「せっかく同じ学校通ってんだろ。こ、……コイビトに、会いに来たっていいだろうが」
おお、と感心したようにジョウが瞬きをする。
「そりゃさっき言った話だがな。ヤスもやっぱり、オレのこと好きでいてくれてるの」
後頭部の銀が、トパーズ色に反射している。いつかの朝に見たのとはまた違う色だな、と何となく考える。
「は?当たり前だろ。アンタのこと考えて今もここまで来たし、毎日アンタのこと考えながら学校通ってるし、アンタの望むことなら俺ができることなら、大体はしてやりたいよ」
「オレも同じ」
ここは嘘をつくところではない、そう判断してヤスは素直に答える。ジョウがそれを聞いてたいへん嬉しそうにしたものだから、たぶんそれで正解だった。
「ほんと、ありがとな。言ったっけ?覚えないけど。今日のこと、オレは絶対死ぬまで覚えてるさ」
「んな大袈裟な......」
ヤスは自分が愛想は悪いし、背は低いし、目つきも悪いし、関係ないかもしれないけど成績も悪い若干アホミューモンだとわかっている。だから、目の前の不死鳥が求めるものはすべて返してやりたいと思いつつも、実際それが出来ているとはてんで実感がない。でも、ジョウがこうして今日のことを忘れないと言ってくれるならば、すこしは自分のことを誇れる気がした。
ヤスがぼそぼそと返事をして感慨にふけっていると、そこで思いついたようにジョウが声をあげた。
「なあ、じゃあついでにもう一個やりたいことやらせてくれよ」
……時間までなら付き合う、けど?」
「本当か。頼むぜ」
「何がしたいんだよ」
もう一回茶でもしばくのか、それとも散歩か。
ヤスが問いかけると、ジョウは白衣の裾を両手で持ち上げ、満面の笑みで首を振った。
「いや、お医者さんごっこ」
うわ、やっぱりダメだ。
こいつもやっぱり、ヤスと同じレベルでどうしようもないアホかもしれない。


「いやあ、オレってやっぱりさ、患者役のプロだから」
「そんなことで自慢すんな」
ブレザーをベッド脇の椅子の背に引っ掛けると、ヤスは部屋履きを脱いで飾り付けの施されたベッドに横たわる。その前に、窓のカーテンを全て閉めることは忘れなかった。高校生にもなって、しかも相手は成人で、それで医者の真似事なんて。知り合いになんか見られたりしたら、絶対に笑われる自信があった。ジョウはといえば、先ほどまでヤスが座っていたパイプ椅子をずりずりと引き寄せ、楽しそうにそこに腰掛けた。思いついたように長い手を伸ばすと、スチール机に置いてあった養護教諭の眼鏡を一度顔に引っ掛けて、だめだ、なんも見えねえなんて笑い、またすぐに取り外す。それからヤスの方を向いて、耳慣れない敬語で問い掛ける。
「ええと、ヤス君?違うか。ヤスさん、今日のご用件はなんですか?」
「ベッドに寝てる奴にそこから聞くのかよ」
「いいだろ別に。流れってもんがあるんだよ、診察にも」
「ええ......」
「なんだったか、ああそうだ、自覚してる症状はあります?」
最後に病院にかかったのかいまいち覚えていないヤスからしても、整合性がないことがわかるやり取りだった。寝たままでは会話がし辛かったので、腹筋に力を入れて半身だけ起き上がる。後頭部のセットを手櫛で雑に直して、ペンを片手にくるくると回しているインチキ担当医と向き合う。
症状、症状ね。
そんなに重くなくて、アンタが不快にならないような、でも病院には行くような、なんかしらの症状か。万年健康優良児の自覚があるヤスには、適当なものがいまいち思いつかなかった。押し黙ったままの鴉に助け舟を出すように、ジョウはこう続ける。
「じゃあそうだな、痛いところはありませんか?」
「ああ?あ、ええと」
それで頭を掻きながら、相手の好奇の目をしばらくじっと見つめていたのだが。ふと天啓ともいえそうな名案が降りてきたので、ようやっと口を開く。ちょっとした意趣返しができれば、と思ったのである。
「胸。胸がですね、若干痛いですかね」
「は、嘘だよな?」
まあ、嘘です。一度眉を顰めたジョウに頷きで返事をすると、安心したように彼は役に戻る。
「......ええと、それは大変ですね。症状が出るのは、どんな時ですか」
ヤスは、半ばヤケクソだった。今日はこの短い時間にアンタに散々引っ掻きまわされているんだから、ちょっとぐらいこちら側からも仕掛けたって許されるだろ。そういう幼稚な下心みたいなものを抱えたままで、相手に狙いを定める。
「先生と、一緒に居る時」
文化祭のパンフレットの裏表紙をメモがわりにし、一生懸命なにか書き込んでいたジョウはそこで顔を上げた。逆光で暗くきらめく瞳をぱちくりと瞬かせて、それから一度椅子に座り直す。みし、と鉄パイプが申し訳程度の悲鳴をあげる。
「それ、どういうことだ?」
「......掘り下げんのかよ」
「聞きたいじゃねえか。え、何、そういうこと?」
「やめろ、やめろ、黙れ」
気まぐれで、とんでもなく変なことを言ってしまったとすぐにヤスは後悔した。そういえばこいつの趣味はポエムなのだ。まずこの程度の応酬で小っ恥ずかしがるようなヤツじゃない。むしろ、言い出したヤスの方が、露骨に照れてしまう始末だった。死神八咫烏なのに、とんだ墓穴を掘ってしまった。ジョウは手に持っていたものを全て掛け布団の上に放り投げて、前のめりでヤスに尋ねる。ちらりと見ると、彼が一生懸命書いていたカルテの正体はマスターの似顔絵だった。せめて俺じゃねえのかよ、なんでだよ。
「聞かせろって。なにお前、そんなこと言うタイプだった?」
「うぜえ......言うんじゃなかった」
「オレのこと好きで、胸が痛くなっちまうの」
「例え話だろうが。あれだ、ヒユだよ、ヒユ」
「わかってるよ。お前、本当にかわいいなあ」
俺からしたら、アンタの方が何億倍もかわいいのに。
それは、口には出さなかった。まだ照れが残っているのか、あんまり、そういう言葉は言えたことがない。今のジョウくらいの年齢になれば、恥ずかしがらずに伝えられるようにはなるのか。大きな手で、頭をがしがしとなでられる。ヤスはまだそこまで素直に相手に触れることができないから、今は代わりに目の前の主治医にもうひとつ、尋ねごとをした。
「先生、この病気、なんて名前なんだ」
ヤスがぽつりとそう問いかけると、ジョウはもう一度瞬きをした。それからすこし思案して、結局は身のない返事を寄越す。
「ああ......なんだろうな。知らない」
目線をヤスと合わせたまま、包帯の巻かれた腕が頭から離される。視界に降りてきたそれを、なんとなく素手で掴む。布越しに高めの体温が伝わって、それが溶けるような錯覚を覚える。名前。名前ね。聞いておいてあれだけど、名前なんて、たしかにどうでもいいか。知らなくても問題ない、ヤスもそう思う。だから、別の事柄を質問することにした。
「いつか、治るんすかね」
「そうだなあ」
ジョウはわざとらしく余った左手を顎の下に持ってきて、ううんと唸る。
「お前次第かな」
「俺次第」
彼の瞳と同じ色の夕暮れが、窓の外でゆっくりと蕩けていく。
「そう。明日には治るかもしれないし、もしかしたらずっとこのままかもしれない」
「治る可能性が?」
「ん?オレのとこ来るのやめたら、すぐ治るぜ」
「ふざけんじゃねえ」
ヤスの尾羽が逆立って、枕元のカーテンをひっかけて持ち上げる。相手はそれを見て、なに、怒るなよと笑い声をあげる。短時間でジョウがけらけら笑うのを何回も見るのは、結構久しぶりだった。
「冗談だって。出来れば、いつまでだって治んないでほしいよ。まあ四六時中とは言わんけど、ずっとオレと居てくれればって、常々そう思ってる」
腕を掴んでいた手が、一度振り払われる。今度は相手の方から手首を握られて、それは甲へと移動して、それからヤスの指を一本ずつ辿っていく。小指に到着したのを見計らって、しっかりとその手を握り返した。しっかり手を繋げたのは初めてだなんて、場違いな感想が頭に浮かぶ。
それから相手の顔をしっかりと見据えて、ヤスはそれじゃあ、と不治の病に対する唯一の解決策を提案する。
「アンタには、一生俺の主治医やっててもらうしかないな」
それを聞いたジョウが「終身雇用だ!」と言ってまた笑い転げたので、ヤスは手に込める力を強めてそれに応えた。