夜明 奈央
2024-05-05 12:55:31
7681文字
Public 中太小説
 

切っても切れない

どんなに喧嘩しても結局離れられない2人の話
2022年6月11日

20:10

 端末の時計が待ち合わせ時刻を10分過ぎたことを示しているのを確認して、太宰は溜め息を溢した。現時点で何の連絡もないところを見ると、おそらく今日はいくら待っても来ないだろう。少し遅れる程度なら律儀な中也はきちんと連絡を入れる。だから連絡もなく、未だ現れないということは、数十分のレベルではなく遅れるような、大規模なトラブルが発生しているということだ。そういうときの中也は仕事に気を取られて連絡なんて寄越しやしない。
 別にいいけどね、予想はしてたし。
 自分を納得させるように心の中でそっと呟くが、それでも残念だと思ってしまうのは仕方ないだろう。なんせ2人で出かけるなんて久しぶりだったのだ。
 お互い世の恋人たちのようなキラキラした感情はもっていないし、仕事は忙しいし、会って顔を見て、時々抱き合えれば十分だったので、普段はおうちデートといえば聞こえはいいが、要するに生活の一部として顔を合わせるばかりなのだ。デートなんて精々近所のスーパーとか、そういう所帯じみたものばかりで、一緒に遠出するとか、お洒落なお店で食事するとか、そんないわゆるデートとはとんと縁のない生活をしていた。
 それに特別不満を覚えていたわけではないが、それでもたまにはそういうイベントをしてみたい気持ちはあった。だってまだお互い20代前半で、子供がいるわけでもないのにちょっと枯れすぎだろう。だから「この店に行きたい」と我儘を言ってみた。予約が2年先まで埋まっているというこの店がマフィアの系列だというのは知っていた。だから中也がその気になればすぐにでも予約が取れるだろうという魂胆はあったのだが、それでも中也は太宰の我儘をなんでも叶えるような甘やかし方はしないので、正直なところ了承してくれたのは意外だった。それでもまあ、それなりに嬉しかったのだ。つまり、楽しみにしていたのだ。それは中也も同じだったと思う。

20:11

 もう1度時刻を確認して、端末に連絡がないのを確認して、中也に「先に食べてるよ」と簡潔にメールを送った。「先に」と表現したが、たぶん今夜は来ないだろう。おそらく今は銃撃戦の最中だ。いくら中也が優秀でも、今からコース料理を食べ終えるまでの間に報告やらなんやらの後始末まで全てを終わらせてここに来るのは不可能だ。
 だから高級料理のフルコースだが、今日は1人だ。中也のことだからきっとお金は前払いしているし、マフィアの系列であるこの店なら追加料金を中也のツケにしたって文句は言われるまい。腹いせに存分に高い酒を飲んでやる。太宰はそう心に決めた。


***


 中也が太宰との約束を思い出したのは、銃撃戦が落ち着いてからだった。一心地ついて煙草を咥え、何の気なしに私用の端末を確認したところで、太宰からメールが来ていることに気付いた。そこでようやく、自分が約束をすっぽかしたことを思い出した。
 日付はとうに超えている。料金は前払いしているから、席に穴を開けたことによる損害は出ていないだろうが、それでもマフィア幹部としての権限を利用して無理に捻じ込んだ予約だったから、悪いことをしたな、と頭を過ぎる。
 あと、太宰にも。
 こんなことでは済まされないような数々の嫌がらせを過去に仕掛けられているので、このくらい、という気持ちがないではないが、それでも太宰がこの日を楽しみにしていたのを知っていた。数日前から「ほんとに行ける?」と何度も確認してきていたことも。おそらくこうなることを予想していたのだ。
 そういうことは説明しやがれ、と思わないではない。だがもうマフィアではないあいつがこちら側の事情に口出ししないようにしているのは知っていたので、下手なことを言ってマフィア側に有利に働くことを避けたかったのだろう。
 だが、一言、「君が来られなくなるかもしれない」とでも言ってくれれば、日程の変更を考えた。中也だって楽しみにしていたのだ。できれば行きたかった。ただ、予約は2年待ちだというその店に、そう何度も無理を言うことはできないと思ったのだ。中也の予定では、今日は余裕を持って待ち合わせ時刻にはあの店に行けるはずだったので。
 もう1度太宰から来ているメッセージを確認する。おそらくとっくに店は出て、帰りついていることだろう。なんならもう寝ているかもしれない。謝罪のメールを送ろうか一瞬悩んで、やめにした。今それを送っても、どうせ帰ったらもう1度謝ることになる。まだ完全に仕事を終えたわけではないし、もしまだ起きていて返事がきても、それに返事ができるかわからない。それなら帰ってからご機嫌取りも兼ねてゆっくり文句を聞いてやった方がいいだろう。
 端末をポケットにしまい、ずっと咥えたままだった煙草に火をつけたところで、部下の悲鳴と爆発音が響いた。


***


「おかえり」
 夜が明け、日が昇り始めた頃合いになってから、中也はようやく家に帰ってきた。随分疲れているようで、太宰が声を掛けて初めて存在に気が付いたようだった。
「あぁ、いたのか」
 取り繕うこともしない疲れ切った顔でそれだけ呟くと、そのまま浴室に向かおうとするので、太宰は慌てて引き留めた。
「ちょっと、何か言うことあるでしょ」
 だが中也はしばらく悩んでから、「手前今日仕事だろ?寝れないのか?」と見当違いなことを言った。
 違う、そうではない。今日が仕事なことも、起きて待っていたのも事実であるが、太宰が欲しいのは“謝罪”だ。
「まさか、忘れてるの?」
「何を?」
 怒りを込めて聞いたが、中也はてんで気付かない。なんなら太宰が怒っていることにも気付いていないのかもしれない。誰だ、あの程度の規模の組織相手に中也がこんなに疲れ切るほどの大失態をやらかしたのは。なんだか違う方向の怒りが同時に沸々と湧いてくる。
「わかった、もういいよ」
 今の中也に何を言っても無駄だ。そう悟った太宰はスタスタと玄関へ向かうが、中也は不思議そうにしているだけで引き留めてもくれなかった。


***


昼休み

 太宰は端末を確認したが、不在着信もメールの1件もきていなかった。あの蛞蝓は、まさかまだ疲労で腑抜けているのか。それともまた後始末にでも駆り出されているのか。
 昨夜の顛末を探ったところ、どうやら失態は中也本人らしい。まだそれなりの数と武装で隠れていた残党に気付かず本人は呑気に一服していて、片付けをしていたひよっこが相対してしまったらしい。その所為で色々長引いたと。一体何をしているのか。呆れて物も言えない。
 明け方中也と会話してから、もう8時間は経っている。怪我はしていないようだったし、変な異能にかかっている気配もなかった。普段の中也なら疲れていてもとっくに目を覚ましている頃だった。せめて電話の1本ぐらい掛けてくるべきではないのか。
 太宰は別に、一言謝ってほしいだけで、仕事より自分を優先しろだとか、そういう面倒なことを言うつもりはさらさらなかった。マフィア幹部は忙しいのだ。それは経験者であるのでよくわかっているし、太宰だって急な仕事で約束をすっぽかして、それが原因で振られた経験は1度や2度ではなかった。だからマフィアの仕事を優先するのは仕方がないと思っている。
 とはいえ、すっぽかした事実は変わらないのだから、謝罪ぐらい要求するのは当然の権利だろう。現に誕生日や降誕祭をすっぽかされたときだって、中也が謝りさえすれば許した。謝罪に酒やなんかの少しばかりの付属品を要求したりもしたが、その程度だった。
 だが今回はどうだ。仕事はとっくに終わっているし、もう十分に睡眠を摂っただろうに、未だに一言の謝罪すらなかった。なんだかどんどん怒りが沸いてきて、もう電話やメール程度の謝罪では許してやる気にはならなかった。直接謝りに来い。土下座だ土下座。それぐらいしないと許してやれない。だから、中也の番号を着信拒否に設定してやった。


***


 やっちまった、と中也が気が付いたのは、日が沈み始めてからだった。あの後、シャワーを浴びて寝台に倒れ込み、泥のように眠った。起きたのは昼過ぎだったが、飯を食って身支度を整えて出勤し、いつも通り仕事を片付けている間、なんか忘れてる気がするな、と引っ掛かるものはあったのだが、それが何か思い出せなかった。
 思い出したのは、ちょっと手が空いて、煙草を咥えながら私用の端末を取り出したときだった。私用の端末というのは、要するに太宰と連絡を取るための端末だった。なんせ中也の交友関係はほとんどマフィア内で完結しているので。一応プライベートで利用している店に連絡を入れるときなんかにも使っているが、その程度だ。だから必然的に太宰のことを思い出して、今朝の様子を思い出して、自分の失態を思い出した。
 何をやっているんだ。昨晩の仕事に引き続き、プライベートでもやらかしていたことに絶望しそうになる。いや、もう過ぎてしまったことは仕方がない。とりあえず謝ろう。そう思ってひとまず電話を掛けるが、通話中だった。仕方ない、後でもう1度、と思ってはたと気づく。中也が今かけた太宰の番号は、中也専用の端末のものだ。通話中になる可能性は限りなく低い。念のためもう1度掛け直したが、同じく通話中だった。
 あいつ、着信拒否しやがったな。
 太宰の怒りが相当に深いことを知る。仕方がない。今日は早めに仕事を終わらせて、謝りに行くしかないようだ。今日終わらせるべき仕事と明日以降に回しても良い仕事を脳内で仕分けしながら、何時に行けるかをシミュレートし始めた。


***


 中也は社員寮が見える位置で太宰の帰りを待っていたが、本人が現れる気配は一向になかった。探偵社の定時はとっくに過ぎているし、念のため確認しに行ったが電気は消えて施錠されていた。もしかして中也の家の方だろうか、とも思うが、着信拒否までしといて自分からのこのこ現れるとも思えなかった。待つ間に何度か電話を掛けてみたが、相変わらず通話中だった。
 謝罪を要求するならちゃんとわかるところにいろよ。
 自分が原因だということはわかっていたが、それでも苛立つ。こういう時に太宰が行きそうな場所を、中也は知らなかった。相棒だった頃はもちろん知っていたし、そうでなくても仕事で嫌が応でも顔を合わせた。だが今はお互い、あえて踏み込まないようにしていた。
 結局日付が変わる頃まで待っても現れない太宰に苛立ち、もう知るかという気持ちで中也は帰途についた。


***


 社員寮への道すがら、太宰は多少なりとも反省していた。今日は寮で中也の謝罪を待つ予定だったので、夕食をその辺で適当に済ませて早々に帰宅するはずだった。その予定は夕食を済ませるところまでは順調だったのだが、良さそうな枝ぶりの大木とおあつらえ向きに落ちていた縄を発見し、ついうっかり自殺に励んでしまった。そこで死ねるか、もしくはあっさり縄が切れて終わっていれば何の問題もなかったのだが、縄が切れて落ちた際、太宰は運悪く(運良く?)近くの石に頭をぶつけ、そのまま意識を失ってしまっていた。気が付いたときには数時間が経過していたというわけだ。
 寮に辿りつき、自分の部屋に入る前に周囲を確認したが、中也らしき人影や車はなかった。もちろん家の中にも誰もいない。ポストに手紙やなんかが入っている様子もない。
 まさかまだ来ていないのか? それとも帰った? 流石に謝る気がないということはないと信じたいが。
 まだ来ていないか、もしくは帰ったのであれば、明日の朝か夜にでも訪ねてくるだろう。ひとまずそれまでは待とうと決めた。


***


 翌日、中也は太宰の寮にもう1度出向こうと思っていた。だが、朝から部下の泣きそうな声の電話で起こされ、夜は紅葉から「一昨日は大変だったそうだな」と食事に誘われ、そうこうしているうちにその日が終わろうとしていた。
 電話を掛けたが相変わらず通話中で、なんだかわざわざ謝るのも面倒になってきた。確かに悪いのは自分かもしれないが、どうしてどこにいるのかもわからない相手をこうも探し回らないといけないのか。
 しばらくして落ち着けばどうせまたひょっこり家にやってくるだろう。その程度に考えていた。


***


 結局翌日1日待っても、中也は太宰の下を訪れることはなかった。ふざけてるのか、と思う。約束をすっぽかしたのはそっちだろう。謝罪の一言もなく許してやる心算はなかった。


***


 気付けば、1ヶ月が経とうとしていた。
 社員寮で1人、なんだかもう馴染んでしまった晩酌を楽しんでいた太宰は、ふと、中也とお酒が飲みたいなと思った。酔っ払いの中也は面倒ではあるが、太宰を見るとろんと蕩けた目や、常より上がった熱い体温や、その身体で甘えたようにすり寄ってくる仕草は、太宰のお気に入りでもあったのだ。それを長らく見ていない。思い出してみれば、そこから芋づる式に中也の作ったつまみが食べたいとか、身長の割に大きな手で頭を撫でられるのが心地よくて好きだとか、名前を呼ばれたいとか、いろんな欲望がふつふつと湧いてくる。
 ただ、まだ謝ってもらってない、というのがどうしても気にかかる。だってあれはどう考えても中也が悪い。遅刻しておいて謝罪の一言もないのだ。でも、じゃあずっとこのままなのかな、と思うと、嫌だと思う。もっと長い間会っていなかった時期だってあるし、出張やなんかで会わないことだってある。だが、これは違うのだ。太宰と中也は今、お互いの意思で会っていないのだ。
 好きで好きでたまらない、1分1秒でも長く会っていたいなんて感情をお互いに抱いたことなんてないけれど、それでも一緒にいる相手としてお互いを選んだのだ。中也の隣を他の誰かに譲りたくなんてないし、自分の隣にいるのは中也がいい。なら、どちらかが折れるしかないのだ。こういうとき、仕方ないなと許す(というより諦める)のはいつも中也の役目だったが、たまには太宰の方から折れてやってもいい気がしてきた。だって、まあ、多少自分にも非があったといえる部分もあるし。多少だが。0.1:99.9ぐらいで中也が悪いのだが。
 思い立ってからの行動は早かった。飲みかけの酒の瓶に蓋をし、杯を煽って空にし、外套を羽織り、端末と財布をポケットに突っ込むと、もう準備万端だった。脳内で中也の予定を思い描くが、今日はおそらくもう家に帰っている。最近はそれなりに落ち着いているから、疲れてもう寝ているということもないだろう。なんなら向こうも晩酌中だ。都合がいい。迷っていると機を逃しそうだったので、深く考えずに家を出た。


***


 つまみとグラスを並べ、葡萄酒のコルクを抜き、さあお楽しみの時間だと思うが、なんだか味気ないなと思う。足りないものはわかっている。いつもならここらで「やあやあ私のために準備してくれたのだね。なんだ君は飲まないのかい?」なんて言いながら登場した太宰が中也のグラスを我が物顔で掻っ攫っていく。それに中也は悪態を吐きながらグラスをもう1つ出して、結局2人で晩酌が始まるのだ。そういうくだらないやり取りがなくなって、もう1ヶ月だ。
 流石の太宰だって毎回やってくるわけではないので、中也が1人で飲むことだってもちろんあるのだが、それでも盗撮でもしているんじゃないかというようなタイミングでしょっちゅう現れる。だから中也はいつだってつまみに蟹缶は欠かさないし、グラスはいつだってペアの片方だ。癪なので最初からペアで出しておいたことはまだないが。
 実のところ、どう収拾をつけるべきかわからなくなってしまったというのが本音だった。最初はほとぼりが落ち着いたら太宰の方からまた家にやってくるだろうと思っていた。あれこれと文句と我儘を垂れ流すだろうが、そのくらいは享受してやるつもりでいた。
 だが、もう1ヶ月だ。太宰の怒りがここまで深いとは思っていなかった。こんなことで終わるのか、と思えば酷く情けなかった。終わらせてたまるか、と思うが、今更なんといって謝るべきなのか。
 開けた葡萄酒をグラスに注ぐこともせずに考えに沈んでいると、呼び鈴が鳴り響いて中也は警戒心を強めた。この家に訪ねてくる者などいない。厳密に言えば1人いるが、呼び鈴を鳴らすなんて上等な習慣は持ち合わせていない。もしかして、という気持ちとまさかそんなタイミング良く、という気持ちが相反する。だが、敵襲なら呼び鈴なんて鳴らすわけがないし、新聞の勧誘やなんかが訪ねてくるような時間帯でもない。タイミングが良いのは奴の専売特許でもあった。おそるおそる来訪者を確認しようとしたところで、端末が着信を告げた。もう長らく仕事をしていなかった、私用の端末だった。
「はい」
「ねえ、開けてよ」
 名乗りもせずに告げた声の持ち主は案の定予想した通りの人物だった。つい緊張して声が強張ってしまった中也とは違い、甘えるような甘い響きだった。通話を切って玄関扉に向かうと、気配を感じ取った相手がコンコンと扉をノックした。
 開けてやると、「上がってもいい?」なんて言うので、どう反応していいかわからず「おう」とだけ答えて踵を返した。きちんと扉を閉めて鍵を掛け、靴を脱いで後ろをついてくる気配を感じて、何を言っていいものか悩む。きっと喧嘩を終わらせにきたのだ。自分から謝るべきだろうか。だが、訪ねてきたのは太宰だ。出方を待った方がいいかもしれない。
 リビングに入り、テーブルに並んだ料理と葡萄酒を見た太宰は、「晩酌中だった?」と聞いた。「これからだ」と答えると、「ちょうどよかった」と言って笑ってから、「君とお酒が飲みたいなと思って」と続けた。
 中也が返答に困って太宰の顔を見ると、太宰も困ったような顔をして立ち尽くしていた。
「仲直り、しようと思ったんだけど」
「怒ってたんじゃないのかよ」
「そう思うなら謝りにきてよ」
「手前がいなかったんだろうが」
 ぽんぽんと飛び交う言葉の応酬がいつも通りで安心する。さっきまでのような、何を言っていいのかわからない居た堪れない空気は自分たちには似つかわしくない。
「ね、一緒に飲みたいな」
 太宰は、1度言葉を切ってからもうこの話題は終わりだというようにそう言った。そうすると、意地を張っていたのがなんだか馬鹿らしく思えてくる。
「グラス出してくる」
「うん」
 太宰が定位置に座るのを見届けてから、グラスを取りに向かった。なんだか今なら言えるような気がして、背中越しに一言。
「悪かったな、あの日」
「いいよ、許してあげる」
 太宰が笑ったのがわかって、顔を見ていないことを後悔した。戻ったら、キスがしたい。なんだか漠然と、そう思った。


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