玄関の方から、何やら金属が擦れるような音が響いた。既に幾度となく聞いたその音には覚えがある。慌てて廊下に飛び出したが、既に遅く。
「やあ、中也! こんな時間なのにまだ起きてるのかい? 早く寝ないと背が伸びないよ?」
「勝手に入ってくんじゃねぇよ!? 鍵掛けてんだから遠慮しろよ!?」
鍵を掛け、ドアチェーンまでしていたはずの玄関扉はあっさりと開かれていた。この家のセキュリティなど、あの男――太宰の手にかかればあってないようなものらしい。
中也の住む家は、確かにその辺の一般住宅と変わらない程度の鍵しかついていない。出世街道に乗っているとはいえまだ下級構成員と言って差し支えないのだから致し方ないだろう。しかし「開けられる」ことと「開ける」ことは同義ではないことを誰か太宰に教えてやってはくれないだろうか。
太宰は時折こうやって中也の家に押しかけては、部屋をめちゃくちゃにして去っていく。今回はまだ中也が在宅だったから良いものの、留守の間に入って家中引っ搔き回されていたことだってもう数えきれない。
もちろん家主である中也はそれを許可したことなどない。拒否の姿勢を崩したことはないし、鍵を増やしたりバリケードを設置したりなどの抵抗もしているが、太宰に対しての効果は薄い。どうにも良い手立てが思い浮かばないまま、半ば諦めたように太宰の来訪を受け入れていた。
しかも、それが回を増す毎に悪化している。もっと遠慮というものはないのかと思っていたが、あれでも多少は気を遣っていたのかもしれない。日に日に酷くなっていく有様を見て、太宰の辞書にも“遠慮”という言葉があったのかとある種の感動を覚えたぐらいだ。
今日もまた中也の拒絶の言葉を無視して太宰は部屋に押し入ろうとしている。その太宰の服から、ぽたぽたと水滴が滴り落ちているのに気づいて中也は慌てて太宰をひき止めた。
「手前なんでそんな濡れてんだよ!?」
「ん? ああ、さっきちょっと川に落ちて」
「ふっざけんなよ!? そのまま家入ってくんじゃねぇ!」
近づくと、ただ「濡れた」だけではない泥くさい臭いが漂ってくる。構わずリビングへ突き進んでいこうとする太宰の肩を掴んでその場に留まらせる。上着を引っ張ると、きちんとボタンを留めていないのであっさりと肩からずり落ちた。
流石に引きちぎるのは気が引けてシャツのボタンに手を掛けると、「やめてよ」と太宰が暴れ始めた。「だったら手前で脱ぎやがれ」と手を離すと、面倒くさそうにしながらもシャツを脱ぎ始めた。
その間にも太宰の足元のラグは水滴を吸収し続けている。どうせそのままにはしておけないので、太宰の服と一緒に洗濯機に放り込むしかないだろう。
太宰がシャツのボタンを外し終わったのを確認すると、シャツを脱ぐのは待たずに「下も脱げ」と指示を追加する。一瞬睨みつけられたが、睨み返してやると大人しくベルトに手を掛けた。従わないならその格好のまま力づくででも追い出してやろうという中也の意志が伝わったようだった。
太宰が肌着1枚になるが早いか、中也は手首を引っ掴んだ。ここまで脱げばいくら全身びしょ濡れだろうと部屋を大きく濡らすことはないだろう。足跡ぐらいは残るかもしれないが、そのくらいは目をつぶるしかない。
太宰は足元でわだかまっている服に足を取られて転びそうになりながらも、中也の後をついてくる。「ちょっと」「痛いってば」と文句をつけられるが、全て無視した。中也がぐいぐいと引っ張ると、太宰はそれに合わせて、濡れた靴下でぺたぺたと足音をさせながらついてくる。なかなかシュールな絵面だったが、なるべく考えないようにする。
浴室まで辿り着くと、太宰の意思を無視して浴室へと放り込んだ。勢いよく押し込まれた太宰はバランスを取り損ねて転び、浴槽に頭をぶつけた。派手な音がして、太宰は頭を押さえて悶えている。
「着替えはどうにかしといてやるから、全身洗ってから出て来い。じゃなきゃ部屋には入れねぇ」
言い捨てて扉を閉めようとしたが、太宰がぱっと扉に取り付いてそれを阻んだ。先程まで蹲って頭を押さえていたはずなのに、こんなに俊敏に動けるものなのか。
「洗うまで部屋には入れねぇっつっただろうが」
「そうじゃなくて」
扉を閉めようとする力と開けようとする力が拮抗して、じりじりと動く。
「中也も今から入るとこだったんでしょ? 一緒に入ろうよ」
「こんな狭い風呂2人で入るわけねぇだろ」
「もしかして照れてる?」
「何に照れるんだよ」
このままでは扉が壊れるかもしれない、と思ったところで、太宰が急に力を緩めた。
「えーつまんないなー」
まさか太宰がそう簡単に諦めるとは思っていなかったので、扉は勢いよく閉まった。信じられずにしばらくはそのまま扉を押さえていたが、それ以上扉を開こうとする気配はない。やがて中からシャワーの水音が聞こえ始めた。どうやら諦めたらしい。太宰にとってはただの戯れのようなものだったのだろうか。
なんだか疲れた。はあ、とため息を吐いて手を離した途端、扉が開いた。あ、と声を出す間もなくシャワーのお湯が降ってくる。
「おい! 何考えてんだよ! やめろ!」
制止の声を上げるが、太宰がその程度で怯むはずもなく。中也がどうにか浴室の扉を閉めるまでそれは続いた。数秒にわたりシャワーを浴びせられれば、中也はもちろん脱衣所も見事に水浸しである。
「それだけ濡れれば中也だってお風呂入った方が早いでしょー?」
シャワーを止めた太宰が扉を開き、にやにやと笑みを浮かべている。
身につけていた下着がなくなっているので視線を下げると、股間には紛うことなき男の象徴がぶら下がっていた。可愛らしい顔をして華奢な身体付きだが、本当に男だったのだと感慨深い気持ちになる。女かもしれないなんて疑ったこともなかったが、それとこれとは別の話だ。
「僕もうほぼ洗い終わったし、僕が湯舟浸かってる間に洗い場使えば問題ないでしょ?」
何をそこまでこだわっているのかわからないが、どうしても中也と一緒に風呂に入りたいらしい。太宰の考えはさっぱり理解できないが、ここまで濡れてしまえば中也だって風呂に入った方が早いと思えてくる。“狭い”以外に特別反対する理由もない。
中也が観念して服を脱ぎ始めると、太宰も満足したようだ。「早く来てね〜」と笑顔で浴室へと引っ込んでいく。
びしょ濡れの脱衣所をどうにかしてからの方が良い気もするが、あまり遅いと太宰がまた何かしでかさないともいえなかった。ええいままよ! 全てを後の自分に押し付けて扉を開くと、中也の顔目掛けて狙い澄ましたようにシャワーの水が飛んでくる。水であった、お湯ではなく。
「てっめぇマジふざけんなよ!?」
「あはは、短気な男は嫌われるよー」
「嫌いな奴に嫌われたって屁でもねぇよ!」
「それもそうかー」
あはは、と楽しそうな笑い声が浴室に反響する。
結局中也をおちょくって遊びたいだけなのか。そうとわかれば変に意図を探ったって無意味だ。中也も応戦するべく、太宰が足元に脱ぎ捨てていた下着にそっと手を伸ばす。
その日の風呂には普段の倍以上の時間と体力を要したことはいうまでもない。
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