夜明 奈央
2024-05-05 08:53:11
2792文字
Public くりつる
 

勝負には公正な審判を

飲み比べをする話 友情出演:三日月
2023年7月26日初出

「飲み比べをしよう」と言い出したのは、大倶利伽羅だった。もちろん下心ありきで。
 勝てる自信なんてなかったが、はっきり比べたこともないから、絶対に勝てないとも言い切れない。お互いべろべろに酔ってしまえばこの前にも後ろにも進めない焦ったい関係から先に進めるかもしれないという期待もあった。
 鶴丸は何の疑いもなくあっさりと了承して「なら美味い酒を準備しておくぜ」と笑った。
 そうしてお互い翌日が休みの日を狙って飲み比べを決行することになった。だがいざ始まろうという段階で、大倶利伽羅にとって予想外のことが起こった。
「なんで三日月がいるんだ?」
「だって審判がいないとどっちが勝ったか覚えていられないだろう!」
 俺は経験がある! とびしりと指を突きつけられて、はっきりと条件を指定しなかった自分の落ち度を恥じた。そうだ、こいつはそういう奴だった。普通に「潰れるまで飲んでみないか」とでも言えば良かった。負けず嫌いのこいつに勝負なんて言葉を使うべきではなかった。
 三日月の全てをわかっているような、その実何もわかっていないような柔和な笑顔を盗み見る。大倶利伽羅は、三日月が苦手だった。鶴丸だってそのことは知っているはずなのに、どうして三日月なのだ。頼むにしても貞や光忠あたりにしておいてくれれば良いものを。
 大倶利伽羅はひっそりとため息を吐いたが、三日月は相変わらず何を考えているのかわからない顔を浮かべていた。
 結局反論することもできずに淡々と飲み比べの準備が進められた。飲み比べのはずだったが、大倶利伽羅にとってはもう半分以上自棄酒だった。
「ではまずは一杯目」
「おい待て、お猪口じゃないのか」
 三日月の音頭と共に目の前にグラスが出され、大倶利伽羅はそこでようやく突っ込みを入れた。「ちゃんと美味い酒を準備したんだ」とにこにこ笑う鶴丸が持ってきたのは大吟醸で、味がわかる最初のうちに飲もうという話をしたところだったではないか。それをグラスで飲むのか。
「何を言っている。お猪口でちまちま飲んでいては一晩で決着がつくかわからないだろう!」
 鶴丸が鼻息を荒くして宣うのに三日月もうんうんと頷いている。その圧に負け、大倶利伽羅はそれ以上の文句を飲み込んだ。
 鶴丸と大倶利伽羅の前に置かれたグラスには溢れないように八割程の大吟醸が注がれた。大倶利伽羅はそれに舐めるように口を付けたが、鶴丸は一気に呷った。味わうんじゃなかったのか、と思っていると、鶴丸はビールでも飲んだ後のように美味そうな息を吐いた。
「おいおい、そんなことでは終わらないぞ!」
 鶴丸に煽られ、仕方なく大倶利伽羅もグラスの中身を一気に乾す。確かに美味い。美味いが、それと同時にカッと喉が焼けるような感覚を味わう。
 こんな飲み方をするのは流石にもったいないのではないか。ちらりと非難の視線を向けるが、鶴丸には通じなかったようだ。目が合うとニカッと楽しそうな笑みを向けられて、ため息を溢すしかできなかった。
 三日月は横で二杯目の準備をしている。
「では二杯目」
 そう言う三日月の前には、自分は酔い潰れないようにとの配慮か茶が置かれている。茶請けには饅頭。ここだけ昼間の縁側のような雰囲気だった。とても同じ空間にいるとは思えない。
 注がれた二杯目を、三日月の掛け声に合わせて口に含んで、違和感に気づく。驚いて三日月の方を見ると、にこにこと笑って頷かれた。茶目っ気たっぷりにウインクまで寄越されて、意図を理解する。鶴丸に悟られないよう無表情を取り繕って、ひと息にグラスを乾した。
 そうしてグラスを乾すこと幾数回。用意していた酒瓶の数本が空になる頃には、鶴丸はすっかり酔っ払っていた。顔を赤くして目許をとろんと緩ませ、満足に呂律が回っていない舌で「からぼー」と呼ぶ姿には頭を抱えたくなる。こんな姿、本来なら誰にも見せたくない。
 大倶利伽羅だって酔っているが、鶴丸程ではない。ちらりと三日月の様子を窺うと、咀嚼していた煎餅をちょうど飲み込んだところだった。
「さて、そろそろ勝敗は決したようだな」
 徐ろに大倶利伽羅の右手を掴んで上へ上げた。
「此度の飲み比べ、大倶利伽羅の勝利!」
 大仰に宣言した。鶴丸は少しぐらい反発するかと思ったがそんなこともなく、それどころかろくに反応すらしなかった。卓袱台にぐったりと身体を預け、目はもうほとんど閉じてしまっている。
「おい、鶴丸。寝るならあっちで」
 背中を揺するが、意味のない呻き声を上げるだけだ。大倶利伽羅がどうしたものかと思っていると三日月が「よっこらしょ」と爺臭いかけ声と共に立ち上がった。
「それでは俺はそろそろお暇させてもらおうか」
「あ、ああ。付き合わせて済まなかった」
 鶴丸を一旦置いて見送りの態勢に入ると「良い良い」と制される。「鶴を頼むぞ」と言うので2人して鶴丸に視線を落とす。先程までの呻き声は消え、動かなくなっている。寝息さえまともに聞こえない。
 今なら、鶴丸には聞こえないだろう。
「どうして、あんなことをした」
“あんなこと”とは、三日月が大倶利伽羅に用意した酒のことだった。大倶利伽羅が飲んでいたのは二杯目から水割りだった。それも、おそらく大倶利伽羅の方だけ。どんなに観察してもどういう仕掛けかはちっともわからなかったが、同じように注いでいるように見える二つのグラスでストレートと水割りを作り分けていたようだった。
「はて、何のことだろうな?」
 三日月はわざとらしく首を傾げてみせる。この調子では答えは期待できないだろう。諦めて深いため息を吐いたが、意外にも続きがあった。
「いつまでも進展がないのが焦ったくてな。今なら何をしても起きはせんよ。既成事実とやらも作り放題だ」
 はっはっは、と高らかな笑い声が響く。大倶利伽羅はぎょっとして息を呑んだ。
「鶴を大事にしてくれるのはありがたいがな。いつまでもそうやって手をこまねいていてはどこかの誰かに横から掠め取られるかもしれんぞ」
 大倶利伽羅はぎりりと歯を食い縛る。わかっている。わかっているが、合意もなくそんなことはできない。
「俺はお前になら鶴を任せられると思っておるのでな」
 そうして障子をスッと開け、今度こそ帰るようだった。
「ではな。鶴を任せたぞ」
 含みを持たせた台詞と笑顔を残して、三日月は軽やかな足取りで去っていった。

 だからあの刀は苦手なのだ!

 大倶利伽羅は心の内だけで精一杯叫んだ。ここで手なんて出そうものなら今後どれだけ揶揄われるかわかったものではない。
 自分が下心ありきで誘ったことなど忘れ、結局何もできずに鶴丸をそっと布団に寝かせたのだった。

翌 日の鶴丸には案の定途中から記憶がなかったため、何もしなかったのは正解とも言えた。


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