かみや
2022-12-29 18:14:26
3303文字
Public えーすり
 

きみは薔薇のかおり

なしさん(@nashi7447ihsan)から強奪してきた綴くん視点のますいづの続きを書きました。書かせてくれてありがとうー!!めちゃくちゃ楽しかったです!!!

『一目惚れって本当にあるんだな』と思った。
それは初めて真澄と出会った日、俺が劇団に入った日のことだ。
俺よりもほんの数分、数十分だけ先に監督を見つけた真澄を見てそう思った。監督だけを見つめて、監督以外の声なんて聞こえないみたいで、監督が話しかけるたびにまるで沼に沈んでいくように監督に溺れていった。
そんな真澄と同室で暮らすようになって、最初は折り合いが悪かったけど今では家族のような、兄弟のような関係になった。
部屋にいても「監督……」と独り言をこぼす真澄を何年も見ていた。
最初は脚本のネタになるなと思って。純然たるラブロマンス、悲劇を気取った喜劇、一人芝居、そんな構想が頭の中を巡る。どの話の中でも、脇目も振らず真っ直ぐに誰かを見つめる主人公は真澄だった。
話の中でならいくらでも成就させてやれるけど、現実はそうはいかない。真澄の監督への想いは真剣だからこそ重いし、しかも自分よりもずっと年下の男からぶつけられる想いに監督も困惑しているのは明らかで。
誰の目から見ても真澄と監督がどうにかなるとは思えなかった。

その二人の様子が少しずつ変わってきたのは真澄の二十歳の誕生日あたりだっただろうか。
真澄はいつもの様子で『二十歳になったから監督にプロポーズする』と意気込んで、紬さんに見繕ってもらった大きな薔薇の花束を持って監督をベランダに呼び出していた。紬さんは「上手くいくといいね」なんて仏の顔で微笑んでいた。
どうせ、って言ったら言葉は悪いが、きっといつものように監督が真澄の言葉を軽く受け流して話はものの五秒もあれば終わると思っていた。
その日は脚本のことで監督に相談したいこともあったし、真澄が部屋に戻ってきたら監督のところに行こうと思って大学の課題を眺めながら待っていた。ふと気付けば三十分は過ぎていて、俺は真澄が監督に振られてどこかで落ち込んでるんじゃないかと思ってベランダに向かう。
その途中には真澄は落ちてないし、ベランダをそっと覗き込むと真澄と監督は楽しそうに何かを話していた。不意に肩を揺らして笑った監督の胸には薔薇の花束が大事そうに抱かれている。
おや、と胸がざわついた。
いつもと展開が違うな、と思いながら部屋に戻って後ろ手でドアを閉める。胸のざわつきは無視してその日はそのまま寝た。
翌日、真澄に昨夜のことを尋ねると
……監督が、ちゃんと俺のこと考えてくれるって言ってくれた」
「え!監督が?それは真澄のプロポーズについてなのか?」
「そう、他になんかあるの?」
「いや、だって……
監督と真澄が結婚とか想像できない。結婚どころか付き合ってるところすら想像できないけど。
真澄は嬉しそうに唇を綻ばせて、いかにも上機嫌ですといった表情で大学へ行く準備をしている。その姿がいつもと何か違うような気がして俺は一つ瞬きをした。
監督が大事そうに抱いていたあの花束から、薔薇の香りがしてくるようでまた胸がざわついた。

そしてその日は突然やってきた。
その夜の談話室はいつになく人が多かった。座るところもないぐらいに。
俺は台所で至さんにせがまれて夜食のラーメンを作っている。
「綴が作る醤油ラーメンの美味さは異常」
「それ褒められてるんすか……
「褒めてる褒めてる。臣の豚骨ラーメンも美味いけど、綴の醤油ラーメンが無性に食べたくなるときがあるんだよ」
そこへ帰ってきた万里が「人口密度やば」と一瞬ギョッとして、きょろきょろと座るスペースを探しているのを監督が気付いて声をかける。
「おかえり万里くん。私たち、もう部屋に戻るからここ座りなよ」
そう言って隣に座ってる真澄と目を合わせる。
私たち。そして意味深な目配せ。
あー、そういうこと。真澄、うまくいったんだ、監督も物好きだな。ていうかあの真澄の顔。
それを許す監督もにこにこして、醸し出す空気が今までと違う。
「なに、あいつらようやくくっついたわけ?」
俺の後ろから至さんが顔を出す。
「みたいっすね」
「へー。真澄よかったじゃん。てか俺、失恋だわー明日会社休もっかなー」
「はいはい。そんなこと思ってないでしょ。至さんが失恋とか」
「いやいや、俺の全部を知ってる女の子は監督さんだけだからね」
「まあそれは確かに……
「綴は?監督さんが真澄のものになってショックじゃないの?」
ショック?そうなんだろうか?なにに?監督が真澄と恋人になったこと?それとも真澄が監督と恋人になったこと?その二つは同じ意味のようで同じじゃない。
するはずのないあの薔薇の香りと胸のざわめきが広がる。俺の気持ちに近いのはなんとなく後者だと思った。
真澄が、あの真澄がねえ……ショックってわけでもないけどなんだか不思議な気持ちだ。
……どうですかね。至さん、ビール飲みません?」
「いいよ、付き合ってあげる」
冷蔵庫から取り出した缶ビールを至さんに渡して乾杯した。
「まあいざとなったら本気出して真澄から奪えばいいだけだし」
「こっわ」
「大人だからね」
「そんなこと言わずに見守ってあげましょうよ」
「綴のがよっぽど大人だな」

お互いに缶ビールを一本ずつ開け、伸びる前にとラーメンを持って部屋に帰っていく至さんを見送って俺も部屋に戻った。
私たちは部屋に戻るから、と監督は言ったので当然この部屋には誰もいなかった。もしかしたら、今夜は俺一人のままかもしれない。
デスクに座り、なんとはなしにパソコンを開く。スリープ状態の暗い画面に映る自分の顔が妙に辛気臭くて、思わず笑った。
真澄のアタックを監督が軽く受け流す。それが当たり前になっていて、それがずっと続いていくのだとどこかで思っていた。流されても全然へこたれずに一途に想い続けて、あの手この手で監督を振り向かせようと必死で、見かねてアドバイスの一つでもしてやれば「わかった」と素直に頷く真澄はなんだかんだ憎めなくて可愛いんだよな。本人には絶対に言わないけど。
始まりがあれば終わりがある。それだけのこと。晴れて監督と結ばれてハッピーエンドを迎えたのに、俺の胸はずっとざわめきが止まらない。
辛気臭い自分の顔と睨めっこをしていると、ドアが開いて真澄が戻ってきた。てっきり今夜は戻って来ないと思っていたので、思わず二度見してしまった。
……なに、キモいんだけど」
「いや……なんか、すまん」
訝しげな視線を寄越しながら真澄はクローゼットを開け、着替えを出し始めた。風呂に行く準備をしているらしいその横顔は憎めない可愛げはなくて、一人の男としての凛々しさがあった。
それに気づいたら、急に胸のざわめきが消えた。
「真澄」
「なに」
「よかったな」
「なにが」
「監督のこと」
真澄が手を止めて俺を振り返る。
……俺、なんにも言ってないけど。もしかしてアイツがのろけた?」
「のろけられてない。見たらわかるよ、お前の顔」
……ふーん」
「なあ、どうやってそうなったんだ?」
「話したくない」
「そんなこと言うなって」
……こないだ」
「こないだ?」
「うん、天気が良かったから一緒に散歩に行った」
俺は相槌を打って続きを促す。
「それで好きって言ったら『私も好き』って言ってくれた」
「は?それだけ?」
「それ以上になんか必要?」
「いや……
監督が真澄の言葉をスルーせずに返したってことはきっとそういうことなんだろう。さっきの監督の顔を思い出したら、真澄の思い過ごしじゃないことはわかる。
「よかったな、真澄」
「うん、嬉しい……
そう言ってはにかむ真澄は本当に幸せそうで、なんだか目の奥が熱くなる。どうしたら監督に振り向いてもらえるか必死で、アドバイスに素直に頷くあの頃の真澄はもういない。
そうか、弟に彼女ができるのってこんな感じなのか。
……なに急に泣いてんの。キモ」
辛辣な言葉と裏腹にはにかんだまま少しだけ笑った真澄を見たら、俺はようやく寂しかったことに気が付いていよいよ目から溢れる涙を我慢できなくなった。鼻を啜ったらまたあの薔薇の香りがしたような気がした。