夜明 奈央
2024-05-04 20:34:34
3142文字
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乱与 残酷な優しさ

乱歩さんに恋をする与謝野先生の決意
2023年3月18日初出

 乱歩さんは、妾のことを助け出してくれた。探偵社という居場所をくれた。いつだって優しくしてくれた。好きになるのに、そう時間はかからなかった。

***

「何がいいかなー? あそこなら苺大福は外せないでしょ? でもみたらし団子も捨てがたいなあ」
 乱歩さんはステップでも踏むように妾の半歩前を歩く。どこからか優しい梅の香りが漂ってきて、なんだか気分も昂揚する。でもきっと、理由はそれだけじゃない。
 今日は乱歩さんとの初めてのデートだ。と、思っているのはきっと妾だけだけれど。客人に出す茶菓子を買い忘れていて、社長に買ってくるように頼まれたのだ。出掛ける時はいつも3人だったから、乱歩さんと2人きりでのお出掛けは初めてだった。
 お釣りで好きなものを買っていいと言って多めにお金をもらったから、乱歩さんは何を買うかをずっと考えている。社長に連れられて何度か行ったことのある和菓子屋は乱歩さんも妾もお気に入りだ。
 けれど妾はこれがデートなんだと気づいてからなんだか柄にもなくそわそわしてしまっていた。だから乱歩さんが急にくるりと振り返ってこちらを向いた時には、心臓が飛び上がるかと思った。
「与謝野さんは、何が食べたい?」
「えっ、えっと、豆大福」
「うん、あれも美味しいよね!」
 咄嗟のことで、考える間もなく思いついたものを言ってしまった。怪しまれるかな、と思ったけれど、乱歩さんはにっこり微笑んでまた歩き始めた。
「今の時期なら桜餅って手もあるね」
「そうだね」
 さっきまでは少し前を歩いていた乱歩さんが、隣に来ていた。気づいてしまって心臓がドキドキと早鐘を打ち始める。顔が火照ってきた気もする。今日は日差しがぽかぽかと暖かいけれど、絶対その所為だけじゃなかった。
 なんだか恥ずかしくなってしまって俯くと、すぐ隣を歩く乱歩さんの足元が見える。どっしりと迷いなく地面を踏み締める足は乱歩さんの自信の現れみたいでかっこいい。そんな考えが余計に恥ずかしくて、何を考えているんだ、と頭を振ったところで足元にあった小石に気づかずに躓いてしまった。
 あ、と思って慌てて反対側の足を出す。たぶんそれだけでも転ばずに済んだけれど、乱歩さんが隣から手を差し伸べてくれて、何も考えずにその手を掴んだ。
「大丈夫? 気をつけてね」
「あ、ああ。悪いね」
 掴んだ手はすっと離れていって、また前を向いて歩き出す。なんてことはない。だって転びはしなかったのだし。
 けれど今度は隣を歩く乱歩さんの手が気になって仕方がない。前に後ろに。振られる手を、不自然にならない程度に視界の端で追う。
 できれば手を、繋ぎたい、なんて。優しい乱歩さんは拒否はしないだろう。手を繋いだことだって、ないわけじゃない。人混みとか、夜のトイレが怖くてとか。
 でも結局妾は、繋ぎたいと言うことも、自分からその手を握ることもできないまま、お目当ての和菓子屋に着くまで乱歩さんの和菓子談義に相槌を打つだけだった。

***

 お遣いを終えて帰る道中の乱歩さんは、行き以上にご機嫌だった。乱歩さんが食べたいと言っていたものは全部買えて、その上おまけをたんまりつけてくれたのだ。なんでも、こないだちょっとしたアドバイスをしたお礼らしい。妾の知らない間に、乱歩さんはまた人助けをしていたようだ。
 踊り出しそうな程軽やかな足取りで、妾の一歩前を歩く。行きよりずっと言い出せそうもない雰囲気の中、斜め後ろからぶらぶらと振られる手を眺めていた。
「あ」
 突然乱歩さんが小走りで駆け出した。視線の先を追うと3歳ぐらいの女の子が泣いている。乱歩さんはすぐにその子の側に辿り着いて「どうしたの? お母さんは?」と声を掛けている。
 後から駆け出した妾が近づく頃には、その子はより激しくわんわんと泣き始めた。おそらく迷子なのだろうと思うが、これでは何も聞き出せやしない。どうするのだろうと乱歩さんを見やると、左手に提げていた和菓子屋の袋をがさがさと探っていた。
「苺は好きかな?」
 その手には買ったばかりの苺大福が載っていた。女の子はボロボロとまだ大粒の涙を流しながらもこくこくと頷いて、乱歩さんから苺大福を受け取った。女の子はすぐには食べずに両手で大事そうに抱えている。
「お母さんきっと心配してるよ。あっちにいるから一緒に行こうか」
 乱歩さんが手を引いて歩き始める。妾はどうしていいかわからずに後ろをついて歩く。その間にも、乱歩さんは女の子に優しく話し掛け続けている。
 3分程だろうか。しばらく進むと、ある女性がこちらに気づいて慌てて近づいてきた。女の子もそれを見るなりパッと駆け出す。きっとあの女性があの子のお母さんだ。お母さんに会えて安心したのか女の子はまたぼろぼろと泣き始めた。お母さんはその子を宥めながら、妾たちに何度もお礼を言った。
 ぺこぺこと頭を下げながら去っていくのを見送ってから、乱歩さんを見る。どうしてあの子のお母さんがこっちにいるとわかったのだろう。言葉にはしなかったけれど、乱歩さんは全部わかったみたいな顔をして「名探偵だからね」と得意気に笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
 乱歩さんの右手がするりと妾の左手を掴んでびっくりする。乱歩さんはなんでもない顔をして、探偵社へ向かって歩き始めた。
「どうして」
「だって、繋ぎたかったんでしょ?」
 乱歩さんは優しくそう言った。そりゃあ、あれだけ見ていたら乱歩さんでなくてもきっとわかってしまうだろう。乱歩さんの手は知っていた通りに柔らかくて温かかった。けれどちっとも優しくはなくて、あんなに繋ぎたかったはずなのに浮き足立っていた気持ちはどんどん萎んでいった。

 手を繋いだまま、来た道を戻っていく。物理的な距離は近くなったけれど、心の距離はずっと遠くなった気がする。きっとそれは妾の気の所為で、最初からこの距離だった。会話もなく歩く道すがら、乱歩さんは申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。妾は返事ができなかった。
 乱歩さんは優しい。困っている人、弱い人を放っておかない。それは見ず知らずの他人でも、身内でも同じ。だから妾が弱い限り、優しくしてくれる。優しくしてほしければ、ずっと弱いままでいればいい。でも、それはその他大勢と同じってことだ。
 それじゃ嫌だった。妾は乱歩さんの特別になりたかった。妾が繋ぎたいから手を繋ぐんじゃなくて、乱歩さんにも繋ぎたいと思ってほしかった。
「遅くなっちゃったから、社長が心配してるかもしれないね」
「そうだね」
 手を繋いだまま、並んで歩く。会話も、胸の高鳴りも、もうそこにはなかった。
 探偵社の建物に入る直前、乱歩さんの手がすっと離れていった。離されると、もっとずっと握っておいてほしくなる。
 社長がだんまりの妾たちを見て不思議そうな顔をした。聞いていいものか悩んでいる。乱歩さんが「なんでもないからそっとしておいて」と伝えているのを背後に聞きながら、屋上へ向かった。

 屋上で1人になると、じわりと涙が滲んだ。それは気づけばどんどん溢れてきた。ひとしきり泣いて、涙がようやく収まった頃、社長が屋上にやってきた。隣に座って、優しく頭を撫でてくれる。ただ、それだけだった。
「あのね、妾、社長や、乱歩さんの、役に立ちたい。頼ってもらえるようになりたい」
「そうか」
 それで、乱歩さんの守るべきものじゃなくなった時、初めて乱歩さんに妾自身を見てもらえる気がした。それが正解かどうかは、今の妾にはわからないけれど。

 いつの間にか、日が落ち始めていた。社長と2人で夕日を眺めながら、強くなろうと心に決めた。


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