お姉ちゃんが雛人形を片付けるのをサボっていたので、ちょっと怒ってやった。頭をはたかれた本人は不服そうだったけど、まあ当然といえば当然だろう、だって今五月だし。
もともと、自分はお姉ちゃんがこの春もらってきたこの人形が好きではなかった。なにがお雛様とお内裏様じゃ、ミックス様とリックス様の人形にすり替えてやろうか。お姉ちゃんはなぜかずっと出したままにしておきたがったが、自分としてはさっさと見えない位置に移動してほしかったのである。指摘すると、お姉ちゃんは「じゃあミックスが片付けるならいいよ」としぶしぶ承諾し、口を尖らせた。なんだ、自分でやる気はないってか、というか今日もかわいいな、こんちくしょう。
いつも通り死ぬほど重い腰をあげて、ツナの缶詰が山ほど入った段ボールの上に置かれた人形と向き合う。まだ夕方だし、ブーストがかからない分死ぬ気で面倒くさい。でも、既に薄く白いホコリが透明なケースにかかっているのを見てざまあみろと思った。いっそのこと、このケースを外した状態で押入れに閉まって、ありとあらゆる塵やら埃に晒してやろうか、なんて考える。
なんだよ、いい歳した男女が座って並んでさ。ふたりはこの作品の制作者ですらよく構造を理解していないだろう極東っぽい民族衣装なんかを身に纏い、笑っているのか真顔なのか気味の悪い表情を浮かべてこちらを見ていた。こういうものが好きな人は好きなんだろうけど、それと目が合う度に自分はいつもいたたまれない気持ちに悩まされたし、 なんだ、本当に早く片付けてほしかったのだ。
大体「ひな祭り」がよくわからなかった。女の子のお祭りと言われて手放しで喜ぶような年齢ではもうなかったのである。まあお姉ちゃんが毎年ご機嫌にちらし寿司をつくったり、油を敷いた深めのフライパンでひなあられを弾けさせたりしていたのでその点だけは喜ばしかったが、いや、そんなことを言われましてもね、という感じだった。そりゃ自分だって昔は無条件にはしゃげていたのかもしれないけど、今はそう思うことはとてもできなかった。もうガキなんかじゃないのだ、良くも悪くも。
だって、嫌なことばっかり考えてしまうのだ。お姉ちゃん、結婚して、家を出ていきたいのかなって。その終着点に思考が辿り着くたびに、またこの雛人形を嫌いになった。 そもそもなんでこいつが家に居座っているのかといえばお姉ちゃんがもらってきたという話に帰着するわけだったが、お姉ちゃんは見知らぬカップルがイチャついている人形を見てマジでなにも思わないのだろうか。
いや、苦しい言い訳だなんてことはわかっていた。自分はテレパシーも超能力も持っていないから、お姉ちゃんがどう考えているかなんて一生かかったって知ることが出来ないのだ。双子の心がどこにいてでも通じ合う、という話が本当だったら良かったのに。 自分にはお姉ちゃんがなにを考えているかまったくわからなかったし、それがこわかった。
だれかの隣できらびやかな衣装を着て、知らん人間の方を向いたお姉ちゃんが醜い妄想の中で微笑むたびに、この理想的な構図を拒む自分を救いようのないやつだといい子ぶった頭が糾弾する。それでも聞き分けの良い妹に今さら改心する気はさらさらなかったし、お姉ちゃんがいつかここまで堕ちてきてくれればいいのにとすら思う始末である。ずっと、自分の隣にいてくれればいいのに。ああだめだ、こんなのはただの嫉妬だ。
「ミックス、片付け終わったのー?ありがとうね」
キッチンの出入り口に掛けた暖簾から、菜箸を持ったお姉ちゃんが顔を出す。はい可愛い、優勝。
「まだだし」
「えー、もうご飯出来たよ!スープ温めなおしちゃお」
丸い頭が引っ込んで、カチカチとつまみを捻る音が聞こえた。コンソメの良い香りがこちらまで漂ってきたから、たぶん一度鍋の蓋を開けたのだと思った。
「しょうがないんだからー、もうちょっとテキパキやりなよ」
「二ヶ月も放置してたお姉ちゃんに言われたくないし」
お姉ちゃんはエプロンを着けたまま自分の横まで歩いてきて、雛人形に目線を向けると明るい笑みを浮かべた。それを見て、またどうしようもない不快感が腹の底から昇ってくる。別に言うつもりはなかったのに、自然と呪詛がこぼれた。
「みっくす、この人形嫌いなんだけど」
「えっ?」
「これ、来年まで取っとくの」
「そのつもりだったけど。ミックス、なんで?あっわかった、珍しいやつだから怖いんでしょ。リーも夜トイレ行く時とか見ると怖いよ」
「いや、怖くないし」
的外れな指摘をして笑い出したお姉ちゃんに苛々して、つい本音が口をつく。
「だって、こんなカップルの人形なんか一生懸命飾ってニコニコしちゃってさ」
「うーん、そう?かわいくない?」
「お姉ちゃんも彼氏とか欲しいってこと?」
「え」
「……そういうことじゃないの」
最初に口を滑らせた瞬間にこれはまずいなぁと脳が警鐘を鳴らしたが、止められなかった。ああ神様すみません、なんとかならないでしょうか。お姉ちゃんだって、こんなに重たい妹だなんて流石に思ってなかったんじゃないだろうか。嫌われるかな、でもこの想いだけは一生抱えてくつもりだし、遅かれ早かれいつかは言うつもりだったから、仕方ないかな。
「……べつに、お姉ちゃんがそうしたいなら、みっくすは止めないけど」
本心だった。わがままを言うつもりはない。お姉ちゃんが望む道が全然違う方向にあるっていうなら、それが一番いいよ。嫌われたくないから。たとえいつか悪魔のような提案をされたって、たぶん自分はそう言うと思う。でも、もしほんとのほんとにどうしようもなくなったら、自分は醜態を晒してでもお姉ちゃんの脚にしがみ付いて行かないでと泣き喚いただろうし、もしかしたら相手にお姉ちゃんのない悪口を吹き込んで引き離そうとするくらいはするだろうな、とも思った。
「でもさ、みっくすは、隣にいるのは、ずっとお姉ちゃんがいいよ」
ただ、どこにも行って欲しくなかった。
ほんとは、お姉ちゃんが誰かのものになるなんて死んでも嫌だった。
最後の最後まで、一生みっくすだけのお姉ちゃんでいてほしかった。
「えっと、あの」
あまり口を開いてもボロが出るだろうから、こちらから言うことはもうなくなったということにした。居心地が悪くなりそのまま黙っていると、硬直が解かれた妙に神妙な表情のお姉ちゃんに両手を引っ張られ、そのまま向き合う形で立ち上がることになった。
「ミックス勘違いしてそうだから言うんだけどね、リー、別に結婚とかしたいわけじゃなくて、むしろ」
「なに」
「いや、待ってね。でもこれは言わない方がいいやつだ」
「こっちは全部言ったし、お姉ちゃんも言ってほしいし」
てっきりこちらが劣勢になると思っていたが、案外お姉ちゃんは目線を逸らし、口ごもりながら握った手をすり合わせている。緊張している、のだろうか。
「おまじない、のつもりだったんだよ」
「は?」
「えっと、マジで引かないでほしいんだけど」
目線を雛人形に向けたまま、繋いだ手指を組み替えたり急に強く握ったりと忙しない様子でお姉ちゃんは口を開く。なに、挙動不審かよ。お姉ちゃんの行動で引くことなんて、注文数をケタで間違えたときくらきなんだけど。
「これ、ヤキソビートの知り合いの人から中古のやつを間接的に譲ってもらったんだけどさ、その時に聞いたんだ」
「は?なんでそこでアイツの名前が出てくるし」
「いやいやいやそこは関係なくて!『俺は必要ないから、ふたりの家に置いてみればー?』って連絡が来たからってだけで!でね、その、お雛様をね?時期が過ぎても飾りっぱなしにしてると、婚期が遅れるってうわさがあるんだって」
「うわさ」
「だから、だからぁ、ああもうメチャクチャ言いたくないんだけど」
「言ってよ」
「ずっとこれを置いとけば、ミックスがお嫁に行かないでくれると思ったの!」
お姉ちゃんは一息でそう言うと、手を勢い良く突き放し、そのままこちらに背を向けた。声が震えている。よくよく見れば、ちいさな肩もこまかく震えていた。
「ごめん、ごめんねミックス、全部リーが悪いの」
「お姉ちゃん」
「なんか、もう、よくわかんなくなっちゃった。リー、どうしたらいいんだろ」
「おねえちゃん!」
「ごめんね、急に訳わからないこと言って。リーはミックスの人生に口出しする気はないから」
「おねえちゃん、急に盛り上がるなし!この早とちり!」
ほぼ自分と同じ大きさと形の両肩を掴む。そのまま背後から強く抱き締めて、力を込めて逃さないようにする。自分の方が少し背は低いはずだったけれど、今のお姉ちゃんは若干猫背だったから、収まりは悪くなかった。
「ねえ、みっくすの話聞いてたの?」
「なんだっけ」
「いや、絶対聞いてたし。みっくす、お嫁に行くとかもはやそういう次元じゃないんだけど」
「でもさあ、だって、どうしようもないじゃん」
「どうもする必要ないんだって。ねえお姉ちゃん、お姉ちゃんもみっくすのこと好きだってことでしょ?だったらさ、ずっと一緒にいようよ。お姉ちゃんのごはん、一生食べたいよ」
「そう、そうだけど、でも、いつまでもこうしていちゃだめなんだよ」
「は?そんなの誰が怒るの。いいに決まってるし」
ルールで決められているわけでもないのだ。この街の人だってみんなやりたい放題やって生きているんだから、自分たちが何をして生きようとも、文句を言われる筋合いはなかった。
そうだよ、勝手にそうすれば良いだけだし。そう付け加えるとお姉ちゃんは少しの間黙りこくって、それから苦しいよ、とだけ返した。
「どこが?」
「肺」
「みっくすの所為か」
腕の力を緩める。そこまで行って、やっとお姉ちゃんはちょっと笑った。
「ねえミックス。ミックスはリーが大好きで、お嫁さんに行ってほしくないと思ってるから雛人形が嫌いなの?」
「それがわかったならもう来年からはやめるし」
自分もお姉ちゃんに見えやすいように口角を上げて、そう答える。
不安になる必要など、世界中のどこにもないのだ。お互いが居さえすれば。
「もうリー達には要らないねえ。どうしようかこれ」
役目を果たせないのもかわいそうだよねとつぶやき、お姉ちゃんは片付けを中断された雛人形の前にしゃがみ込む。
「まあヤキソビートのとこに返却すれば」
「いやいや、ヤキソビートこそこれ要らないんじゃない?」
「クラブにでも飾って置いとけばいいし。フゥ〜って」
「それだいぶ面白いけど、なんか、いろいろ大丈夫なの?」
2人でくつくつと笑う。いつもよりお姉ちゃんはしおらしかったけど、きっとすぐに元に戻ると思った。自分とて無駄に年齢を重ねてきたわけではない、いったい何年一緒にいると思っているのだ。
そんな中、お姉ちゃんがア!と間抜けな声を上げて、唐突に台所に駆けていった。どうした、さっそく奇行が可能になるまで持ち直したか。なんとなく後ろをのろのろと着いて行くと、お姉ちゃんはコンロの前で鍋の蓋を持って慌てていた。
「ヤバい!スープ蒸発し始めてる!」
「なんかまずいの?」
「うん、香りが飛んじゃうし、変に味が濃くなったりするんだよ」
お姉ちゃんは火を止めると、美味しくなかったらごめんねとしわくちゃな顔で手を合わせた。数分前、全くの別件でメチャクチャ落ち込みながら謝っていた人物だとは思えなかった。拍子抜けだ、はっきり言って。
でも、それで安心した自分がいた。
きっとお姉ちゃんも自分も今日から先、特にこれまでと大きな変化は起きないだろうし、互いにそれを求めることも無いと思う。それでも、2人で並んで、向き合って、こうして過ごすことができる時間が有限でなくなったという実感が持てただけで自分の気持ちは凪いだし、互いが互いの幸せを望みつつも隣に自分がいつまでも存在していることを強く信じられるなら、それは幸福と呼んでも差し支えないのではないだろうか。
「別にいいし。また明日も明後日も作ってもらえば」
そう言うと、お姉ちゃんは良かった~と満面の笑みを浮かべる。背伸びをして、失敗作に成り下がったスープを盛り付けるお揃いの器を棚から出す。それをお姉ちゃんに差し出して、いつものように自分も笑った。
ヤキソビートにメッセージアプリで連絡を取ったところ、かなり時間を空けて「別に結婚とか恋愛関連の意味だけを持っているものではないんだから、手放す必要もないんじゃないの」との有難いお返事をいただいた。その時は暗に自分の管轄内に戻ってくるのが面倒くさいから自分たちに押しつけたいんだろうなと思っていたが、後日お姉ちゃんとおやつを食べているときに偶然話題に上り、その「意味」とやらが気になるようになった。なんとなくブラウザで検索をかけてみると、予想外の文面が表示される。
「極東では娘の身代わりとして、災厄や病をふせぐことを願って贈る……か」
「それから、なになに?子どもの健やかな成長と幸せを願って、両親から贈られることがある……」
同じ画面をのぞき込んでいたお姉ちゃんと顔を見合わせる。眉をひそめて口をとがらせていた。たぶん、自分も鏡合わせのように同じ顔をしているのだろう。
「……お姉ちゃん、あの人形もらったとき、その元の持ち主って人には会ったの?」
「会ったよ。すっごいイケメンだったんだけど、全然喋んないから変わった人だなって思ってた」
「特徴とか覚えてる?」
「ヤキソビートより10センチくらい背が高くて、緑色の髪してた気がする……」
「……エレクトロな感じは?」
「かなりあった……笹とか好きそうだった」
「いやあ、それはなあ……。気付かなかったお姉ちゃんが悪いし」
クローゼットからケースを引っ張り出し、プラスチックの底面に貼られた、バーコードシールを確認する。検索欄にメーカーと製品番号を打ち込んで、表示された結果をスクロールする。
「……どこが中古だし」
「これ、今年の型番だね」
たしかに譲りものにしては状態が随分いいな、とは思っていたが、まさか普通に新品だったとは思わなかった。というか、なんだ、なんでそんな回りくどいことをするんだ、あいつらは。
「ケンカしたこと、言わなくてよかったね……」
つほんとにそのとおりだと思った。下手したら、あいつらは恋愛的な意味合いなんかはなから見出していなかっただろう。
どうせ、インターネットショッピングかなんかで見つけて、ええやんけ!あのふたりにあげちゃおっと!みたいな、きっと、そんな徹夜明けのノリで購入したのだ。寝て起きて冷静になったら面と向かって渡すのもキツくなったので、苦肉の策で貰い物を装った、そのような顛末なのだろう。アホらしい。
「つ〜かみっくすたちのことガキ扱いかよ、あいつら」
「リー達、まだ伸びしろあるって2人に思われてるのかな」
「なんか、あれにあんなに振り回されたの、損した気分だし……」
ため息をついて目を閉じる。そのうち彼らには仕返しをしよう。いや、プレゼントを送り返されかけたのだから一回は度肝を抜いてやっているか。でも言葉が足りないのはだめでしょ、対話は大事だし。
「まあしょうがないから来年も出してやるか……あいつらも何考えてんのかよくわからんし」
「でもリーは、ミックスのことあの時からもっとよくわかるようになったよ」
前髪を持ち上げられて、額にキスをされる。ありがてえ、今日はもう風呂に入っておいてよかった。
そう、そうだな。自分もお姉ちゃんのことは、以前よりよくわかるようになった気がする。自分はテレパシーも超能力も持っていないから、お姉ちゃんが今この瞬間なにを想像しているかなんて見当もつかないけれど、大体はくだらないことなんだろうなと思う余裕ができたし、それでよいと思った。双子がいつでもどこでも通じ合っているなんて言説は幻に過ぎなかったけれど、それでもまあ、良いんじゃないかと思った。
今日わからないことは、明日一緒にふたりで考えればいいんだ。それでもし明日もわからなかったら、また明後日一緒に考えようね、おねえちゃん。
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