カルデアレジデンス409⑦

彼氏と音楽家がドーナツ買ってるのを後ろから見ている藤丸立香と友人のオルタちゃん

 一八〇センチ越えの長身が、ひょっこり人混みから頭を突き出して、ドーナツを購入するために並んでいる。
 それだけでもう面白い。立香は目を離さないまま、ねえねえオルタ、と、友人の袖を引いた。
「やばいね。あそこだけ異次元。めっちゃ目立ってる」
「オルタはやめなさい、マスターちゃん」
「マスターちゃんもやめよ? なんか恥ずかしいんだよソレ」
修士課程マスターコース狙ってる頑張り屋さんなアンタへの激励よ。……けどまあ、確かに目立ってるわ」
 ジャンヌもまた、視線を窓の向こうから店内へと切り替える。彼女の薄い金色の瞳にも見えているはずだ。主に女性を中心とした学生やティーンエージャーに交じって、巌窟王たちが並んでいる愉快な様子が。
「なんか腹立つわね。クソ足長いわ。スタイル良いわ」
「いや、オルタも大概美人さんだよ。むしろ浮いてるのわたしだからね。プカプカだからね?」
「なら侍らせてる快感を楽しみなさいな。ちょっとあいつら写真撮るわ。資料になる」
 言ってジャンヌは、伏せていたスマートフォンを無言で構えた。
 ジャンヌは美人だ。その外見だけでいくらでも稼げる――モデルなり何なりになれると立香は思っているのだが、本人の将来設計は別のところにある。美しい指を台無しにするペンだこが全てを物語っている。即ち彼女は、
「今回、出張編集部に持ち込みするのよ。作画でケチつけられたら死ねるから、野郎の人体構造を一から叩き込みたいの」
 漫画家デビューを野望に持つ、一次創作作家なのである。
「3D素材だと限界あんのよ。やっぱり生の人間が一番いいわ。見なさいあの尻の位置、ドールで再現したら異常な高さよ。でも実際バランスよく成り立ってんでしょ。あれよ、ああいうのを描きたいのよ」
「ひとの彼氏を無断撮影……
「駄目なの? べつに中身と顔に興味ないわよ。首から下だけ寄こせっつってんの」
 それでも十分、複雑な心境になる立香である。
 ジャンヌの情熱は理解しているし、実際に制作を手伝ってもいる。立香が漫画制作のまの字も分かっていない時分から、簡単な作業を徐々に任せられていた。今ではある程度の知識がついて、名実ともに修羅場のアシスタントだ。バイト代もきちんと支払ってもらっている。
 友達なんだからそんなものいらない、と首を振った立香に、
『働きの対価はきっちり受け取りなさい。それだけのことをした自覚を持ちなさい』
 と、真面目な声で言い放つ、ジャンヌは実に律儀な良き友人なのだ。
 だけれども、できたての素敵な恋人を資料にされるのは了承しがたい。これはあれだろうか、いわゆる独占欲というものだろうか。
 そんな感情が自分にあったことに驚きだ。そう意識してしまうと、現在進行形で目立っている彼――女性客の視線を奪いまくっているのも気になってくる。自然と唇が尖り、頬が膨らむ。
「わたし結構乙女だったかもしれない……
 自分の意外な一面を知ってしまった。
 ううんどうしたものかこれってあんまりいい感情じゃないよなァ、と唸る立香をしかし、ジャンヌは意にも解さない。スマートフォンを上下左右に動かしながら鋭く舌を打つ。
「有象無象が邪魔ねえ。アンタ、後で写真撮って送ってよ。現実離れした足の長い男が座った時のバランスが知りたいわ。全身入れた正面俯瞰アオリ三点セットで足組んでるとこ靴アリで。着衣でいいわよ」
「あ、当たり前じゃん!? ヌードモデルなんて頼めないよ!?」
「何照れてんのよ、やることやってるんでしょうに。それに」
 諦めたらしい。ぱたんとスマートフォンを伏せ、いかにも意地悪い表情でジャンヌは笑う。
「アイツ、アンタが頼んだら何でもしてくれるに決まってる」
「なんでわかるのさ」
「勘」
 と、妙に自信ありげに、彼女は断言した。
「面構えからの勘よ。ベタ惚れって書いてある。アンタもそうだけど」
「わたし?」
「そ。さっきのちゃんと聞こえてたわよ。乙女? まあそうかもね、ガン見だものね」
「え、ええ? オルタから見ても? そんな見てた……?」
「見てた。まあ可愛らしいお顔ですこと。キラッキラした目しちゃって」
 そうなるといよいよ落ち着かない。ジャンヌは愉快がる顔をずいと近づけて、再びスマートフォンを手に取った。
「いい機会だわ、教えなさいよ乙女の心境。ヒロインの参考にしたげるから。年上外国人の彼氏に会って翌日に抱かれて溺愛されんのってどんな気持ち?」
「うおおおおわたし二人手伝ってくる!」
 餌食になるわけにはいかない。立香は勢いよく立ち上がり、猛然と早歩きでその場を脱出した。
 男二人は今まさに、会計を終えて振り向いたところだ。サリエリのトレイには大渋滞したドーナツとケーキ、巌窟王のトレイは主に飲み物を乗せる用になっていた。アイスコーヒーと山盛りのガムシロップのシルエットも見える。
「藤丸。座っていて構わないが」
 甘党であることを隠しもしないスイーツ山脈を手に、サリエリが軽く目を見張る。その手から強引にトレイを奪うと、立香は思いっきりごまかし笑いを浮かべて見せた。
「いや、大変そうだから! フレンチクルーラーもわたしに運んで欲しいって言ってるし!」
「ドーナツの声が……?」
「リツカ。顔が赤いが、どうした」
 サリエリを遮って、巌窟王の手が伸びて来る。四人分の飲み物が乗ったトレイを片手で支えるとはウェイターの経験でもあるのだろうか。それとも筋力がものすごいのか――
 そうだ、思い出した。こんなところでは思い出すべきではなかったが思い出した。
 彼の腕が、服の上からでは分からないくらいに逞しいこと。
 その腕で軽く立香を支え、抱き、運び、あれこれとされたのだった。あ、と思った時にはもう遅い。頬を軽く撫でられる。更に顔が熱くなる。
(もう、オルタが変なこというから!)

 ――年上外国人の彼氏に会って翌日に抱かれて。
 ――溺愛されんのってどんな気持ち?

「み」
「み?」
「見るなああああああ!」
 情けなく悲鳴を上げて、立香はその場から席に逃げた。トレイを崩さないよう早足で。
 だがしかし、そこにはにんまり唇の端を持ち上げ、立香の帰還を待っているジャンヌがいる。一部始終を見ていた彼女は心底嬉しそうに、ボイスメモを立ち上げていた。
 だめだ、根掘り葉掘りされる。
 巌窟王を紹介する会だったはずなのに、これは確実に質問攻めにされる。きっと巌窟王は隠したりしないだろう。問われたらそのまま答えてしまうに違いない。お付き合いを始めて数日の間に、どれだけ立香がストレートな感情表現を与えられたか数えきれない。しれっと、けろっと、言ってしまうに違いないのだ。
 はっと振り向く。もう二人は背後に迫っている。
 前門のジャンヌ。後門のイケメンズ。
「万事…… 休す……!」
 ああ、ジャンヌの新作が活劇バトル系少年漫画からティーンズラブに転向してしまう。
 助けて影の猫ちゃん、と願っても、ドーナツ屋の床に伸びた立香の影はぴくりと揺れもしない。
 無念である。赤面したまま、情けなく立香は天を仰いだ。
 もうこのまっかっかの頬を隠すには、天井を見上げるしか逃げ場がなかったのである。