カルデアレジデンス409⑥

彼氏をマブダチと甘党の音楽家に紹介した

「アンタが彼氏。本当に同郷だったのね。ふうん、へええ」
 明らかに値踏みする声と視線と態度、である。
 凄みのある美女ジャンヌの、腰に手を当てた真下からの睨みつけに、しかし巌窟王は動じない。はらはしているのは立香だけで、二人の美男美女は冷静だ。
 いや、ちょっと違うかもしれない。
 立香の角度からならちょうど、分かる。巌窟王の口の端が少しだけ持ち上がっている。
 視線はジャンヌと、後方にも向けられていた。
 そこにはこの場――藤丸立香の恋人お披露目会場である駅前のドーナツ屋イートイン四席のうち、最後のひとつを埋める男性が居る。
 彼は何故か強張った顔をしていた。どうしたのと立香が問うと、曖昧な返事だけが返された。
 巌窟王の視線に気が付いたジャンヌは、彼を親指で軽く示して見せる。
「ああ、こいつ? 何かあった時のために、男手を呼んどいたのよ。タッパあるし、ろくでもない相手だったらビビらせてやろうと思って。ちょっと、ちゃんと仕事しなさいよ。名前聞いてた?」
――ああ、聞いている」
 僅かに顎を引いて頷いた、アントニオ・サリエリ。
 そしてまた、小さく呟く。
……巌窟王」
 立香とジャンヌの共通の知人である音楽家は、巌窟王を見つめて、頬に一筋の汗を垂らしていた。





 女性が二人居るのなら、働くのは男の仕事である。
 欧州出身であればなおのことだ。自然な流れで席を立った巌窟王は、背後にサリエリが付いてきていることに気が付いていた。
 成人男性が並んで、トレイとトングを持ち、色とりどりのドーナツと向き合う。
 しばらくの沈黙を置いてから――
「縁深くなったものだな、音楽家」
 語りかけた巌窟王に、サリエリは低い声で応じた。
「矢張り、記憶持ちか」
「そちらもな」
 そうであろうとは、巌窟王も察していた。ジャンヌ――かつての復讐者、ジャンヌ・ダルク・オルタは立香同様に一般人としての生活をしているようだが、彼は違うと気が付いたのは、単純に反応を見てのことだった。
 有体にいえば、ぎょっとしていた。
 明らかに顔見知り、それも思いがけない相手に出会った時の驚愕だった。
 その様子から、灰色の男、無辜の怪物の残滓は見受けられない。現世において緩まっているのだろう。生来の性格が中々のお人好しであったことは、巌窟王も知っている。だからこそかつて、あの東京で未練の影がマスターを助ける者として呼び寄せたのだとも。
 とにかく、この男もまた、サーヴァントであった自覚を持っている。
 トングを片手に難しい顔をしているサリエリは、巌窟王よりも先に記憶を得、立香の側に居たようだった。
「いつからだ、伯爵。聞けばマスター、いや、藤丸の隣人であったそうだが」
「つい先日の事だ。接触した際にな。そう言う貴様は」
「数年前になる。……あれと出会った際に」
 彼があれ、と呼ぶ男は一人しかいない。
 神に愛された作曲家、希代の天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
 それと邂逅を果たし、思い出したのだとサリエリは呟いた。苦悶交じりの表情で、しかしチョコレートを練り込んだリングドーナツを二つ、トレイの上に乗せながら。
「思うに、自己の有り様に深く結びついた存在との接触が鍵になるのだろう。オルタもそういった相手――彼女の場合は、聖女ではなく青髭の方だろうな。そちらに出会うことがあれば思い出す可能性はある。
 ……だが、私が藤丸と知り合ったのは完全なる偶然だ」
 最初はジャンヌが無知を装い、『普通』の生活を送ろうとしているのではと勘繰った。と、サリエリは言う。続けてそれは違っていたとも。
 竜の魔女はああ見えて嘘が上手くない。特に焦ると感情が顔面に噴出すると、サリエリも巌窟王も知っている。彼女が首尾よく事実を隠し通すことは不可能だった。であれば正真正銘、記憶がないと断定できる。
 立香が好みそうな弾力のあるドーナツを一つ摘まみ、巌窟王はクク、と笑った。
「成程、道理だな。貴様も竜の魔女も、私と同じく運命を、藤丸立香に見出している」
「引き寄せられたのだろうな。でなければあり得ぬ。この広い世界で、日本のごく一点に、復讐者が集結するなど」
「元、をつけておけ。我らにはその意思も意味も失われている。因みに、エドモン・ダンテスの方は影としてあれの内に潜んでいるようだ」
……恐ろしくもあるな、藤丸立香。ただのヒトであって尚、我らを手繰り寄せるか」
「あれの願望の力は常に予想の上を行く。貴様らが近しいのもそのためだ。かつての別離、相当な痛苦であったのだからな」
「その件については、責めはしないが」
 クランチがまぶされたツイストドーナツ、熊の形のジェリードーナツ、生クリームを挟んだシューサンド。長い話を続けながら、いつの間にかサリエリのトレイは山盛りになっている。巌窟王が二度見、三度見しても、彼の手は止まらなかった。
「確かに最善であったろう。だが、あのやりようが藤丸の痛苦の元凶であることもまた正である。どの口がと謗られても文句は言えぬ身ではないのか」
「そうだな。貴様らから寄越されるのであれば受け付けよう。場を設けるか?」
「否、結構だ。それよりも彼女が」
 ちら、と、サリエリは視線を背後に向ける。
 窓際の席に座った、橙色の髪が笑いに合わせて揺れていた。軽くこちらに向けて手を振る。サリエリのトレイを指さして、隣のジャンヌは呆れ顔だ。それを目視した時、彼は自らが手にしたトレイの現状に気が付いたらしい。大渋滞、さりとて戻す訳にはいかず――沈黙しているサリエリから、二つばかり、巌窟王はトングで挟み取ってやった。
 赤い瞳同士で目見交わす。無言の感謝が感じられる。
 サリエリは視線を正面に戻し、浅い溜息をついた。
――彼女が平穏であれば、それで良い、のだろう。詰まる所我々は」
「そうだ、甘い。甘すぎる。クリームドーナツよりも酷かろう」
 だからこそ、運命であり。
 ここに引き寄せられている。藤丸立香を中心に、まるで、誘蛾灯に寄せられる虫のように。
 この分だとどれほどの、元のつく面子が周囲に潜んでいるのか見当もつかない。景清の名を既に、巌窟王は耳にしていた。疑似東京を経験した者らは、記憶のあるなし関係なく、きっと近くに居るのだろう。
「だが、全てはあれの願いゆえ。であれば精々、要らぬ問題を起こさぬよう見守るのみだ」
 巌窟王もまた嘆息を吐き、重たくなったトレイを会計のカウンターに乗せた。
 外国人男性二人が大量のドーナツを並べている。店員はお持ち帰りですかとにこやかに問うが、否定するのは中々の仕打ちだった。一瞬の沈黙の後に、かしこまりました、の会計。サリエリはというと、巌窟王が肩代わりして生まれた隙間にレモンパイを乗せていた。
 合計四人分の甘味と飲み物を手に、席へ。
 これから巌窟王は、ジャンヌの取り調べを受けるのだろう。
 初めて会った存在として。友人の恋人を隅から隅まで値踏みし、危険がないかを判断する為。
(全く、記憶のあるなしなど無関係、か)
 じっとり睨んでくるジャンヌの目は、猜疑心に満ちている。
 藤丸立香の平穏を、彼女もまた望むのであれば――
……何も、変わらぬ」
 短く瞑目し、ふ、と笑う。
 ああ、どこまでも過保護だ。揃いも揃って結構なことだ。
 だけれど、そうされる程に過酷な道を歩んだのが、藤丸立香であるのだから仕方がない。
 復讐者たちが見出した星はただひとつ。だが、その星を見上げるものは一人ではない。二つ、三つ。もっと多く。それぞれのやり方でもって、立香の平和を願っている。
 そして、当の星はというと――そんなことにはおかまいなしに、山盛りのドーナツを見て爆笑していたのだった。