mishiadd
2024-05-01 01:02:09
2993文字
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宮本伊織が魑魅魍魎コレクション・その弐

魑魅魍魎が集ってくるけど結局一番怖いのは宮本伊織だといいなあ、という小話集。
弐:ああ知ってるよ、あすこの大通りの角のとこの平六だろ。狐に憑かれておっ死んだんだ。でたらめなんかじゃないよ、狐の名前だって言わないだけで皆知ってる。ほら、あすこのぼろ長屋の浪人さんさ。

ああ知ってるよ、あすこの大通りの角のとこの平六だろ。こんな話をわざわざ聞きたがるなんざ、あんたも趣味が悪いねえ。

もともとね、平六は横恋慕の多い男だったんだよ。身の程知らずに見目のいい娘に手当たり次第ちょっかい出してはあしらわれて、まあ本人は笑っちゃいたが内心は面白くもなかったんだろうねえ。それでも最初の頃はよかったのさ、平六を袖にしちまった娘はそれぞれ別のいい男を捕まえてさ、あれも女好きだが気のいい性質だったから、一旦惚れた女が幸せになるんだったら、と素直に喜んですらいたんだよ。
それがね、ある頃からあのぼろの幽霊長屋にどこからか流れてきた若い浪人さんが居着くようになってね、ちょっと様子が変わったのさ。平六がいつもみたいにちょっかい出して、それで断られるまではいつものことだったんだが、皆口々におんなじ名前を言うんだよ、「あすこの長屋の伊織さん」ってさあ。
ひとり、ふたりまでならまあいいさ。五人も六人もおんなじ名前を言うもんだから、平六だっていよいよ面白くない。だいたい、そんなにたくさんの女を引っかけたところで、御上の御奥方じゃないんだ、ろくに面倒も見切れずに泣かせるばっかりだろう。
平六は女には優しい性質だったからね、義侠心もあったんだろうさ、名前ばかり聞く「伊織さん」にそりゃあ腹を立ててねえ。いっぺん説教のひとつでも垂れてやろうと思って件の長屋に出向くんだが、どういうわけかいつも留守なんだ。結局一度も面と向かって文句を言ってやれることはなかったよ。

そうこうしているうちに、「伊織さん」の長屋に女が転がり込んだっていうんだよ。随分きれいな女だっていうんでね、娘どもはやっかむし、男どもは一目見てやろうって興味津々でね。平六はますます面白くなかったさ。声をかける娘どもときたら、たった今振った男に向かって「伊織さん」が女連れになったことを延々ぼやくんだよ。アアあの野郎、ようやくひとりの女に決めたら決めたで不和しか起こさねえってんで、今度こそと思ってやっこさんの長屋に出向いたのさ。そしたらちょうど「伊織さん」が連れの女と一緒に出掛けていくとこだった。

よっぽどきれいな女だったんだろうねえ。平六はねえ、すっかり惚れこんじまったんだよ。
得意の横恋慕さ。随分腕の立つ女だっていう話だったが、まあそういうところも平六の気に入ったんだろう。
しかし女にはもう決まった相手がいる。宿敵の「伊織さん」さ。さすがの平六も諦める他あるめえよ。

まったく柄にもないがねえ、声をかけることもできずに平六は物陰からじっとふたりを見つめるしかなかった。
やたらよく食う女だって話で、あんな長屋に住んでる浪人がろくに銭など持っているわけもあるめえに、なけなしの小遣いで握り飯だのなんだの買い与えてやっていたらしい。
そういう素振りを見て、平六もちっとばかり「伊織さん」への考えを改めた。どうやら、平六が思っているよりは筋の通った男のようだってねえ。

妙な話があったもんでね。最初は、女に惚れたからふたりのことを見ていたんだが、だんだん、惚れた女の目線の先に目がいくようになった。
惚れた女が惚れた相手に興味を持った。そうしてねえ、まんまと入れ替わっちまったんだよ。
いつの間にか、あんだけ嫌ってた「伊織さん」のことがすっかり気にかかるようになっちまった。



ああ、だから、そん時に「何かがおかしい」って気付いてりゃよかったのかもしれねえな。やめときゃよかったのかもしれねえな。
好きな女が惚れてる相手だからって、それでこっちまで好きになっちまうなんてことがあるかい。そりゃ惚れた腫れたなんて話じゃねえ、人じゃねえもんに魅入られてるってことなんだよ。
最初は女のことを見ていたんだろうが、そうやってついでみてえに見てちゃいけねえもんを長く見過ぎたんだ。可哀想になあ。

平六がおかしくなったのはそれからすぐのことだったよ。
昼間っからねえ、こうやってしきりに目を擦ってんだ。目を開けてはしぱしぱさせて、あっちこっちきょろきょろしてねえ。
どうしたんだって聞いたら、「月に目を灼かれた」っていうんだよ。そんなの、普通はお天道様に灼かれるもんだろう。
何言ってんだ、お月さんに目なんて灼けるわけないだろう、って言うんだが、まるで人が変わったみてえな形相でよう、平六が言うんだよ。
「月に目を灼かれた、おめえはあれを見てねえからそんなことが言えるんだ」ってな。
何を見たんだって訊いても、いよいよ要領を得なくてなあ。でもな、ぶつぶつ言うんだよ。「幽霊長屋の伊織さん」って。
だからまあ、なんか見ちまったんだろうな。

しばらくして平六に会ったらよ、目にぐるぐる布を巻いてやがってよ。
譫言みてえにぶつぶつ呟いてたんだが、なんだか自分で潰しちまったらしいんだよ。

月に目を灼かれちまったから、もうそれしか見たくないんだと。

すっかり痩せちまっててなあ、もうそこらの娘どもに声をかける気力なんかあるわけもねえ。まるで別人だ。
ぶつぶつひとり言呟いて、こっちが唯一わかるのが「伊織さん」って言葉だけだ。あとはもう、日ノ本の言葉なのかもわからねえ。

そんでな、しばらくして、平六がおっ死んでるのが見つかったんだよ。
あいつの長屋の土間だったよ。壁に頭打っててなあ。こう、ぱあっと壁一面に赤い血が飛び散っててな。
自分の力じゃああはならねえって同心も言ってたんだが、でもな、最期の方の平六を知ってたやつは皆思ってたよ。ああこりゃ平六がついに自分でやらかしたんだってな。
もうあの月しか見たくねえって自分で目も潰しちまったんだ。もうあの月のことしか考えられねえってんで、自分で頭打ったんだろうよ。物の道理だ。

でもなああんた、一番おっかねえのはここからなんだ。

大通りの角のとこの平六が妙な死に方したってんで、現場の長屋まで来たんだよ、「幽霊長屋の伊織さん」が。「もしかしたら自分のところの面倒事に巻き込んでしまったのかもしれない」って言ってな。

やっこさん、平六のことなんかなーんにも知らなかった。名前も知らなきゃツラも知らなかった。仏さんを神妙な顔で見て、手ェ合わせて、そんで気の毒そうな顔して終わりさ。
「知り合いじゃないのか」なんて聞くやつはひとりもいなかった。知り合いなわけがなかった。連れの女の方なんざ、長屋の外でつまんなそうな顔して「伊織さん」を待ってたんだ。あの女も平六のことなんか知らなかったのさ。

「伊織さん」を見たのはそん時がアタシも初めてだったよ。そりゃあきれいな顔だったよ。あの顔が平六のことなんか知ってるわけがなかったのさ。
あれはねえ、ハスの花みたいなもんだよ。泥の中から咲いて出てさ、自分だけはなんにも知らずにおきれいな顔してんだから。足元の泥のことなんてなんにも知りやしないし、知りようもない。
ありゃ平六が勝手にあの人に狂っておっ死んだんだ。あの人の知らぬ間に、知らないところで、勝手にさ。きっと、あの人のまわりにはたくさんの「平六」がいるんだろうさ。

平六が可哀想かだって。さあどうだろうね。壁に散った赤い血は彼岸花みたいだったよ。きれいな月に狂ってきれいな花火みたいに散れたんなら、あれも本望だったんじゃないかねえ。