雲一つないよく晴れた日だった。
しかし前日や一昨日までの和やかな雰囲気は昨日の雨に流されてしまったかのように、コテージ内はどこまでも沈んでいけるような重く、暗い空気に包まれていた。原因は言わずもがな、ガイド役として行動を共にしていた嶋アンナの失踪、机に残された手紙である。
嶋が残した手紙にはすぐに逃げること、武器を探すこと、そしてこの島が普通ではないことが書かれていた。
1番最初に手紙を見つけたのは八堂である。手紙を読んだ八堂はまず最初に他の旅行客たちの安否を確認するため部屋を回り、そしてコテージ内の共有スペースへと呼び出した後に手紙のことを話し始めた。
「俺が起きてこの場所に来た時には既にこの手紙が置いてあった。コテージ内は一通り探してみたけどやっぱりアンナちゃんの姿は見つからなかったよ。」
「ガイドさん、もう帰ってこないのかな
…?」
「アンナちゃんは意図的にここを離れたんでしょ?確かにいろいろ心配はあるけど大丈夫じゃない?」
「
…これからどうするんだ?離れろって言ったって俺たちはこの島がどこにあるかも、島がどんな環境なのかも知らないんだけど
…」
海月は平均的な男性よりも体が弱い。故に心配事も多いのだろう。海月が呟いた言葉に反応するように殊間が自分の考えを伝えていた。そんな2人のやり取りを横目に見ながら唐梨子は今後どういった対応をするべきかの疑問をみんなに投げかける。現状を疎ましく思いつつも、残された手紙については議論が必要だと感じたのだろう。しかしその問いに対して完璧に答えることが出来る人間はこの場にはいなかった。
「そもそもこの状況が異常ですよねぇ。怪しすぎるプランに飛び込んだ私たちも私たちですが。その手紙、本当に信用出来るんですか。彼女はあっち側の人間ですよ」
「何も事情を知らない私たちとは立場が違うんですから」
花園はうんざりとした様子で頬杖をつく。
非情な意見のように思えるが、彼が言っていることは何も間違ってはいない。全員がそのことを理解していた。
外の波の音が聞こえるほどの沈黙の中、八波が声を上げる。
「
…ひ、ひとまず!この手紙を信じてみることにしませんか?私たちの元に情報が無いからこそ、今はこの手紙に頼るしかないと思います。それに何から身を守るのかまでは分かりませんが、備えあれば憂いなしと言いますし」
場の空気を変えようと明るく話しかける。
シャツをアイロン掛けするかのような、一つ一つのシワを伸ばすような凛とした八波の声で共有スペースの空気が幾分か軽くなった。
「何か起こる予感はしてた。私は総意に従うわ」
天宮は窓から見える景色を眺めながら、昨日の直感はこのことだったのかもしれない、と考えを巡らせていた。
ひとまず手紙に則りコテージ裏の倉庫を全員で見に行く。
倉庫は自分たちでは使ったことが無いがわかりやすい場所においてあるか、そもそも護身用と言っても何が仕舞われているのか、そんなことを各自話しながらコテージの扉を開ける。
扉を開けた先、玄関の前には正体不明の肉塊と大量の血のようなもの、そして変色した腕が落ちていた。
「え
…」
「うわっ!」
最初に声を上げたのは海月と殊間である。
悲鳴を上げる者、後ずさる者、口元を抑える者
…それぞれがその場に落ちているものに驚く。
血が苦手な八波は手で顔を覆い、視界を塞いだ。殊間は目の前のソレを認識した後にサッと唐梨子の後ろへと移動し、彼の腕を掴んでいた。
「
…なんですか、これ。気味が悪いですね」
口調だけはいつものように軽く聞こえる花園も若干顔が引き攣っている。
「
…生き物かな、原型はないけれど。この島にも何かしらの動物がいるんじゃないかな。問題は
…」
「人の腕ね、これ
…」
先頭近くにいた八堂と天宮の視線の先には膨れ上がった紫色の腕が落ちていた。
昨日まで楽しく過ごしていた南国のリゾート地に突如として現れた人間の腕。腕の状態からこの腕の持ち主に何か異常事態が起きたのは一目瞭然である。
手紙に書いてあった『この島は普通ではありません』という一文。
明日この場に置かれているのは自分の死体かもしれない。
旅行客たちは今、改めてその事実を認識したのだ。
「
……これって、嶋さんに何か起きたってこと?」
「でもさ、普通こんだけの血が出てて、腕が取れるくらいの怪我して処置もしてなかったら今
…生きてるなんて思えないけど」
「にしては近くにそれらしきものはありませんよねぇ
…。もしくは、私たちもまだ知らない第三者とか」
「と、とにかく倉庫に向かいませんか!?何にしろ今すぐ必要なものは身を守れるものだと思います
…!」
───あの肉塊がなんの生き物なのか、なぜ死んでいるのか、腕の持ち主はどこに行ったのか。
旅行者たちはその問題に落ち着いて対応するためにも、まずは自分たちの身の安全を守るものを探すことにした。
倉庫はコテージの裏のすぐ近くに設置されていた。4m程の大きな物置である。中にはポリタンクやホース、初日に使用したバーベキューのコンロなどが仕舞われていた。
「いろいろ探してみたけど、使えそうなものはこんな所ね」
倉庫の中から探し出したものを目の前にひとつずつ置いていく。
雑草を刈る用の鎌。ガーデニング用の薬剤噴霧器。サバイバルナイフ。護身用ではないが懐中電灯にロープ、救急セットも見つけることが出来た。
話し合いの結果、ある程度筋力がある唐梨子と殊間が鎌とサバイバルナイフを持つことになった。八堂はコテージ内にあったフルーツナイフを。残りのメンバーで懐中電灯などの補助用の道具を持つ。
「ねぇ、これからどうするの?」
殊間は折りたたみ式のサバイバルナイフを握りながら皆んなに問いかける。
「
…手紙の通りに行くなら、この島から出る手段を探す所だよね」
「じゃあ脱出方法を見つけたらもうこのバカンスは終わりなんですねぇ。非常事態ですけどなんか折角来たのに
…という感じは否めませんが」
「っていうかさ、まず電話してみない?繋がるか分からないけど」
「それもそうですね
…!どうして今までおもいつかなかったんでしょうか
…!唐梨子さん、お願いします」
唐梨子は提案した後に自分のスマートフォンを取り出す。電波は悪いが全く使えないわけではなさそうだ。
遭難時の緊急ダイヤルを打ち込み、電話をかけてみる。繋がるのを確認し、皆んなに聞こえるようにスピーカーにした。
「
……い、
…………で
………す
…か」
繋がった。
パッと顔を上げると周りの旅行客も驚いたようにこちらを見つめている。
一種の賭けだったため上手くいくとは思っていなかった。喋ろうとすると緊張から口の中の水分が飛んでいくのを感じる。
「あ、あの
…遭難しました。帰り道もここがどこかもわからないんです」
この状況が遭難と呼んで良いものなのかは分からない。でも危機的状況にあるのは事実だ。
「いま
…………ど
………………ます」
なんと言っているかは聞き取れない。ただこれ以上こちらが出せる情報がないため向こうの反応を待つ。
「
…………………………」
しばらくはキーボードを叩くような音が途切れながらも聞こえていたが、沈黙が続いたあとブツっと通話が切れてしまう。
「切れちゃった」
「やっぱり電話を続けられるほどの通信環境は整ってないのかしら」
「これからどうする?」
これで外部からの救助の望みは限りなくゼロになってしまった。
「それなら何人かに分かれてこの島を探索するのはどうかな、このまま7人で行動するより効率は良いと思う」
「武器として使えるものが3つあるなら3チームに分かれるのはどうですか?」
八堂の案に合意する形で八波が意見を出す。この場で考えられる策の中で1番効率が良い物だろう。
「じゃあグッチョッパしよ!いくよーー!グッチョッパーで別れましょ!」
───────
第1チーム
「ハァ
…俺あんまりアクティブなタイプじゃないんだけど
…面倒だな」
「まぁ私たちは仕事の関係もありますしねぇ。あっ、あそこ。綺麗な花が咲いてますよぉ♪」
第1チームは唐梨子と花園が山側を探索していた。山側はあまり道が整えられていないため道を見失わないように歩くのが精一杯である。
「ロープ持って来てて良かった、迷わないように木に巻きながら行こう」
「は〜い♪」
ある程度歩いてみたが、山側にはこの島から脱出できるようなものは見当たらなかった。
その代わり食べれそうな実がなった木はいくつかある。
「まぁあのコテージにもまだ食べ物はありますし、ここに来ることはあまり無いでしょうねぇ。そもそもここに来るのが必要になるほどこの島に長居もしたくないんですが」
「無駄足だったみたいだね」
唐梨子はやれやれと大きく息を吐く。山の中腹まで登って何も見当たらないのなら頂上まで登っても何もないだろう。そもそも何か上にあるならば道もここまで手付かずの状態ではないのだから。
「そろそろ下りますか?」
「うん、そうだね」
行きに巻いてきたロープを目印に山を降りようとした時。
「おい!!!!」
「「!!」」
突然声をかけられる。
「あ」
その声に驚いた唐梨子が足を踏み外し、山の急な斜面へと体が浮いた。
突然のことで呆気に取られてしまいその場に固まる花園の横から腕が伸びる。
「
…お前らのことは後でしっかりと聞かせてもらう」
青い髪が特徴的なメガネをかけた男が唐梨子の腕を掴んでいた。
第2チーム
殊間と八波と天宮たちは海の近くを散策していた。
脱出方法
…あわよくば船のようなものが見つかれば良いという計画である。
「良い天気〜これでこんな非常事態じゃなければ最高なんだけど」
「そうですね
…日差しが強くて日焼けが心配です」
「最近は晴れでも雨でも暑いものね」
3人で海に沿って歩き続ける。
途中どこからか流されてきたのだろう、ペットボトルや大きな木材、何かの機械の部品などは流れ着いていたが生憎にも今すぐ動かせるような船は見つけることができなかった。
「
…何も見当たらないわね」
「もーーー!イカダでも作って脱出しろってワケ?」
「そろそろ日陰に入りたいです
…」
何も見つからず、全員が暑さで音を上げ始めた時。
「ねぇ、あれ
…」
天宮がスッと視線の先を指差した。
その先にあるのは海岸の終わり。上には崖が続いていて、見上げるとそこそこの高さがあった。
「あそこにあるの
…洞窟じゃないかしら」
八波と殊間も目を凝らすと海岸の終わりのように見えた崖には大きな穴が空いている。それは確かに洞窟のように見えた。
「本当だ。ねぇ、あれ覗く?」
「み、見てみましょう。洞窟の中ならある程度は涼しいかもしれません
…!」
洞窟内に入ると中は日差しがないせいか涼しく、疲れてバクバクと動いていた心臓もようやく落ち着き始めた。
若干の光は入っているものの、薄暗くどこか心許ない。天宮は持ってきていた懐中電灯の灯りをつけ、足元を軽く照らした。
地面の砂浜は緩く、踏み出すたびに足が少しだけ沈む。
一歩踏み出すのにも重さがあり、体力だけが消費されていく。それでも脱出手段を見つけるため3人は突き進んだ。
しかし先頭を歩いていた殊間が突然ピタリ、と足を止める。
目の前には再び海が広がっていたのだ。
どこかに海と繋がる穴があるのだろう。これ以上は進めそうにない。
「えぇ、ここまで歩いて何もないの?ダルすぎ!」
「この洞窟も結局何もないんですね」
「少しだけ休んでから戻りましょうか
…」
3人が洞窟内の乾いた岩場に腰掛ける。ずっと歩いてきたのだ。一度座るとドッと疲労が襲ってきて、なかなか立てそうにない。
「なかなか疲れましたね
…」
「ここまで来て何もないとか本当サイアク!他のとこでなんか見つかってたら良いけど」
「歩いたらお腹が空いたわ。
…ちょっと待って」
天宮が顔を上げてシーっと口元で人差し指を立てる。しばらくすると波の音に紛れて音が聞こえてきた。
ザッ
……ザッ
………
砂を踏み締めている音だ。
誰かが近づいてきている。しかし後ろには海、洞窟の入り口からこちらへ向かっている何者から逃げる術は何処にもない。
「ねぇ」
とても柔らかく人当たりの良さそうな声。
しかしこの場所に旅行客以外の人間がいる事は自分たちにとって、予想外の出来事なのだ。油断してはいけない。
「君たち誰?」
そこに現れたのは黒髪の男だった。
第3チーム
「微くん、そこ木の根が出てるから足元気をつけて」
「あ、うん
…」
八堂が先頭を歩き、その後ろを海月が付いていく。2人は木が生い茂る森のような場所を探索していた。
木陰のおかげである程度の日差しは遮られているが、自然が豊かなせいで蚊などの虫は多い。
念のため倉庫から出てきた虫除けスプレーを出発する段階で皆んなで使っておいて良かった。
八堂は必死に着いてきている海月を見守りながらそんなことを考えていた。
まだあまり進めてはいないが、この場所はかなりの広さがありそうだった。視界の先はまだまだ木々が続いている。
「ここはまた改めて皆んなで探しに来た方がいいかもしれないな」
「
…ご、ごめん。体力なくて」
「なんで謝るんだよ、微くんはこんな状況のなか良くやってるよ」
八堂が海月に対して朗らかに笑いかけると海月も安心したようでホッとした表情で笑みを浮かべる。
「よかった
…僕のこと置いていかないでね。おにいちゃ
…」
海月が何かの音に気づき、言葉を止める。
「ね、なんか聞こえない
…?なにかを引っ掻くような
…」
「え、本当?」
海月は引き続き、音の正体を探るべく耳を傾ける。
カリカリという音。柔らかいものに硬いものを当てている音。発生源は近く。
───上だ。
海月が視線を上げると木の上には人間の大きさほどの動物がいた。
「八堂さん
…!!」
声に釣られて、八堂は海月の視線の先を追う。
そこにいたのは大型の猫科の動物。柄を見るにおそらくヒョウだ。
「微くん離れて!」
八堂の言葉に反応し、海月が急いでその場を離れる。
ヒョウは先程まで海月が立っていた場所に降りている。あと少しでも逃げるのが遅かったら確実に襲われていただろう。
よく見るとヒョウは脚や体にいくつもの傷を負っている。動くのも精一杯なのだろう。そのせいで余計に気が立っていた。
「八堂さん、あれ
…普通のヒョウじゃない」
「ヒョウは梅花紋っていう柄があるらしいんだけど
…あのヒョウはそれ以外の柄も混じってる。それに、よく見ると微妙に毛の色にも違いが
…多分あれは
……」
海月が八堂へそう呟いている隙を狙い、ヒョウが海月へ襲いかかる。
襲われる、海月がそう思い目をギュッと瞑ったとき、その場で固められたように動かなかった体が一方向に引っ張られた。
「え
……」
目を開けると八堂がいた場所に自分が移動した代わりに、自分がいた場所に八堂がいた。襲われる直前に腕を引っ張り庇ってくれたのだろう。
八堂の肩はヒョウの鋭い爪で皮膚を切り裂さかれていた。
「ぐっ
……!」
「八堂さん!!」
本で読んだことがある。ヒョウは主に隠れたり、待ち伏せをしながら動物を狩る。自分より大きい動物も狩ることが出来てしまうらしい。
そんな生き物に今の自分たちは襲われているのだ。
自分のことを守り、その代わりに傷を負ってしまった八堂。この傷が致命傷になってしまったら
…そう考えて、怖くなり彼の顔を見つめる。
そこにいたのは痛みを感じつつも好戦的な笑みを浮かべる八堂の姿だった。

「微くん!!!」
「
…!」
「あいつの弱点とか知らない!?」
ヒョウの弱点
…ヒョウは木登りも出来て、泳ぐこともできる。瞬発力と跳躍力に長けていて、その代わり持久力はあまりない。しかしこの場でヒョウから逃げれるほど僕たちに瞬発力はない。
視覚や聴覚を頼りに狩りをしているため一時的に隠れたとしてもすぐにバレてしまうだろう。
逆に、そこを狙えば。
「八堂さん、しゃがんで
…!」
海月は持ってきていた薬剤噴霧器で薬剤をヒョウの目に向かって噴射する。
ヒョウは突然視界を奪われたせいで足元が定まらず、動きが鈍くなった。命が危ないと思ったのか、八堂に向かって噛みつこうと飛びかかる。
「
……!」
「八堂さん目!!」
八堂は一瞬ヒョウの姿に気を取られ、左腕に噛みつかれた。しかし海月の声でハッとし、噛み付かれた腕をそのままにヒョウの目に向かってナイフを横に振りかざす した。
八堂の腕に噛みついていたヒョウはナイフの傷を正面から受け、顔に大きな傷を負う。
ヒョウは完全に目が使えなくなったことで戦意が喪失したのか八堂の腕から口を離し、唸りながらもふらふらとした足取りでその場を去っていった。
「八堂さん
…大丈夫
…!?」
「あ、あぁ、なんとか
…」
「えっと、あ、まずは一回血を止めないと
……」
脅威は去ったものの、八堂の肩の傷は深く、今も血が出ていた。
それに比べて。
たった今噛みつかれたばかりの左腕。幸いにも噛みちぎられる前にこちらから反撃したため、腕の肉が抉れるような傷は負わなかった。
噛まれた跡は残り、多少の出血と内出血を起こしている。
俺でもわかる。
ヒョウには鋭い牙があるはずなのだ。
「あいつの歯、牙が全部丸くなっていた。だからこの程度の傷で済んだんだ」
それが一体何を表しているのか、彼らはまだ知る由もないのであった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.