shirajira
2024-04-27 19:47:06
3379文字
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千の風にはならないが

2024.4.27 ビマヨダワンドロにて。お題「ピアス」と「風呂」。記憶持ち転生パロで同棲してるビマヨダの話。

 玄関の扉が開く音が聞こえて、ビーマはめくっていたレシピノートから顔を上げた。バタン、とドアが閉じた音の後に続いたのは無音で、思わず眉を寄せ、ノートを置いて立ち上がる。
……大丈夫か?」
 廊下に出て玄関の方を覗けば、帰ってきたばかりの同居人が、靴も脱がずに倒れこんでいた。投げ出された鞄を横目に近寄れば、「つかれた……」と弱々しい声が返ってくる。
……明日も仕事か?」
「明日は……休める……やっとだ……
「そうか」
 突っ伏したままの同居人、ドゥリーヨダナの側にビーマはしゃがみこんだ。目にかかっている前髪を払ってやると、疲労の色の濃い瞳がこちらをぼんやりと見上げた。
 ドゥリーヨダナが代表を勤める会社の関連企業が不祥事を起こしたのは一ヶ月ほど前のことで、新聞の一面記事になるくらいには大きな事件だった。その関係でドゥリーヨダナの会社も当局に目をつけられ、色々と探られる羽目になっているとかで、ここ一ヶ月ドゥリーヨダナは休む暇もなくあちこち駆け回っていたのだ。
 元々法の穴を突くような、ブラックではないもののグレーな経営をしていたのもあって、当局から調査の手が伸びてきたのは痛手だったらしい。事件発覚後は顔面蒼白になりながら、大声で騒いでいた。
 探られて痛むような腹をしているから悪いのだと最初はビーマも思っていたし、ビーマにできることはないから見守るだけだったが、毎日声もろくに出ない様子で疲れ果て、気絶するように寝付いては、翌朝体を引きずるようにして家を出ていく男を見続けるのは、あまりいいものではなかった。
 どうしようもない男ではあるが、それだけの男ではないと、今は知っている。手段はともかくとして、努力をしてきたのだということも。
 明日休めるということは、一段落ついたのだろう。
 何か飯でも食わせようかと考え、それより休ませるのが先かと考え直す。床に一体化しようとしているのかというくらい動く気配のない体を揺する。
「おら、こんなところで寝るな。風呂くらい入らねえと、疲れ取れねえだろ」
「むり……もう立てん……ベッドまで運べ……
 掠れた声に、思わずため息をついて、ビーマは革靴とジャケットを脱がしてやってから、ドゥリーヨダナを抱き上げた。横抱きにしても何も言わない辺り、本当にもう限界なのだろう。照明に照らされた顔には隈があり、目もほとんど閉じかかっている。
 ベッドではなく脱衣所に向かい、パネルを操作して湯を沸かす。一回ドゥリーヨダナを床に下ろして服を脱がしていると、むにゃむにゃと「今日はお前の相手は無理だぞ……」と呟くので、「さすがに今のお前は抱けねえよ」と返した。閉じかかっていた目蓋が、ゆるりと持ち上がる。
「じゃあ何故服を脱がす……?」
「風呂、入れてやるよ。体ガチガチだろ。温めた方がいい」
 着ていたTシャツを脱ぎながら言うと、ドゥリーヨダナが「ふろ……?」とぼんやりした顔で辺りを見回した。
「寝室じゃ……ない……?」
「そこからかよ。お前マジで限界なんだな……
 これは明日もろくに動けないだろうなと思うが、とは言えドゥリーヨダナである。昼過ぎくらいから元気に遊び倒そうとしてくる可能性は十分あった。
 今日はお前の相手はできない、というのは、明日ならその気はある、ということかもしれないし。一ヶ月お預けにされている肢体に、ちらりと目をやる。
 どのみち、明日のことは明日のことだ。今はできるだけ疲れが取れて、よく眠れるようにしてやろう。
 されるがままのドゥリーヨダナをほとんど全裸にしたところで、はてとビーマは手を止めた。
 首をかくんと傾けたドゥリーヨダナの左耳には、大振りのピアスが揺れている。金色の輪が連なる先にぶらさがる、赤いタッセル。何千年も昔、前世で身に付けていたものとよく似ているそれは、素材的にも濡らさない方が良さそうだった。
 外してやりたい。だが、外し方がわからない。ビーマはピアス穴を開けておらず、また普段はドゥリーヨダナが自分で外すものだから、今まで意識したこともなかった。
 ビーマの知るピアスは、ピンバッジのように本体とキャッチが分かれているものだったが、ドゥリーヨダナのピアスは違う構造のようだった。どうすれば外せるのか、皆目検討がつかない。
……びぃま?」
 挙動不審なのに気づかれたのだろう、ドゥリーヨダナが不思議そうな顔をするので、ビーマは観念して言った。
「ピアス、外した方がいいと思うんだが……
「ん、はずせ」
「いや、外し方がわからねえんだよ」
 ビーマの言葉に、そんなことか、と言わんばかりに、ドゥリーヨダナがうっすら笑った。
「耳、つまんで、ひっぱれば、はずれる」
 耳つまんで引っ張れば外れる。耳を摘まんで動かないように支え、ピアスだけを下に引っ張るか何かすれば外れる、ということだろうか。それは何だか。
「お前の耳、ちぎっちまいそうだな……。大丈夫なのか俺がそんなことして」
 思わず呟くと、今度は先程よりもしっかりと、ドゥリーヨダナが笑った。
「今のお前は、そんなことせんだろ」
 その声音に、喉が詰まったような気分になる。自分たちの、遠い遠い始まりを思い出す。
 忍び寄ってくるものを振り払いたくて、ビーマは黙ってドゥリーヨダナの耳に手を伸ばした。ん、と差し出すように向けられた、形のいい耳を摘まむ。
 もう片方の手で、ピアスの金輪部分を摘まんだ。指が震えそうになるのを、必死に抑える。
……外すぞ」
 くいっ、とピアスを引っ張る。呆気ないくらい簡単に、次の瞬間にはピアスはドゥリーヨダナの耳を離れ、ビーマの手の中にあった。恐る恐る確認すれば、ドゥリーヨダナの耳は変わらずいつもと同じ場所にあった。出血もしていない。
 ほっと息をついて、ピアスを置く。ちょうど湯が沸いたことを知らせる通知音が鳴った。身に纏うものがなくなったドゥリーヨダナを、抱き上げて浴室に足を踏み入れる。
 爪先からゆっくりシャワーをかけてやってから、後ろから抱き抱えるようにして湯船に浸かる。二人でも入れるようにと注文した浴槽は、ビーマを背もたれにしているドゥリーヨダナが足を投げ出しても、まだ余裕があった。
「寝たきゃ寝てもいいぜ。温まったら、ベッドに運んでやる」
「ん……
 後ろから太ももを擦ってやり、手を揉んでやる。ガチガチに固まっている体に、思わず眉間に皺が寄る。風呂から出したら背中や腰も揉んでやった方がいいだろうと考えながら、ビーマはだんだん血色がよくなって色づいていく肌を見つめた。
 耳まで赤くして力のない呼吸をしている様子は、何となく閨を想起させる。気を逸らそうと、ビーマはうつらうつらと船を漕いでいる様子のドゥリーヨダナに話しかけた。
「そういやお前、昔っから片方にしかピアスつけてないよな。何でだ?」
 ビーマが穴すら空いていない右耳に触れると、むずがるように身を捩らせてから、ドゥリーヨダナがふにゃふにゃした声で答えた。
「そりゃあ、片方あれば十分だからな」
「十分? 何が」
「風を感じるには、あれ一つで事足りる」
 穏やかな声に、手が止まる。
 今世で再会したのは成人した後だった。とても、風の強い、気持ちのいい日のことだった。
 行き交う人々の群れの狭間で、突風にあおられて揺れる赤を視界の端に収めた。その瞬間のことを思い出す。
 腕を掴んだ時、驚きながら、どこかほっとしたような顔を浮かべていた。あの表情の意味が、少しだけわかったような気がした。
……お前、飽き性の割りに一途だよな」
 思わず溢した声に、応えるものはなかった。見ればドゥリーヨダナの目蓋は完全に落ちている。
 すっかり温まった体を抱え、ビーマはそっと、今はたださらけ出されている、ピアス穴をなぞった。
 今世のビーマに、風神の力はないし、加護もほとんどないのだけど。それでもこの男が、風が吹く度にビーマを感じていたのなら、感じたいと思っていたのなら、それはまあ、悪くない気がした。
「とはいえ、風よりもここにいる俺を感じてほしいもんだが」
 呟いた声にはやっぱり応えはなくて、ビーマは早く明日になればいいと思いながら、浅い寝息を立てる体を抱き上げた。