ケの日、過ぎ晴れて

MHRウ教×ハ♀。相思相愛かつ夫婦関係。
微妙に本編ネタバレあり。教官の母が故人設定。

『愛おし、ケの日』の後日談。
11月22日次の日、いつもより早い時間に目を覚ましたウ教。
隣に寝ていた愛弟子の姿がないことに気付き、外に出て、彼が見たもの。

夜明けは、夕暮れと似ていると思うことがある。
光があるのに、どうしようもなく、切なくなってしまう。

無音の中でも目が覚めて、ふと隣を見やれば、もぬけの殻の布団。
抜け殻のような、妻の浴衣。

……愛弟子……?」

朝の冷たい空気に心まで刺されながら、俺は温もりに溢れた心地良い布団から、跳ね上がるように起き上がった。

迷子を探すように、周囲を見回す。
否、自分が迷子の心地だ。

彼女が家の中に居ないことを確認して、ふと外に気配を感じた。

上がりかまちで草履に履き替え、俺は迷わず[rb:玄関引戸>げんかんひきど]]を横に滑らせ、外に出る。

……うっ……!」

思わず、声が出た。
寝起きの眼には、あまりにも眩しい世界。

よどみのない、早朝の明澄な空気は、深呼吸すれば眠気が裂かれて覚醒できる冷たさ。

まだ目覚めきっていない、淡藤色あわふじいろの空と雲。

無人の里の景色の彼方、その隙間から、旭光きょっこう光芒こうぼうとなって射し込んでいた。

まるで、別世界に繋がっているような光。
現世に似つかわしくないとさえ思える、浄化の光のようなそれを見ていると、何故か妙に懐かしく、不意に母の姿が思い浮かぶ。


—— ツ 』


世を目覚めさせる、早朝の陽射しのように眩しい笑顔で、溌剌はつらつと俺の名を呼ぶ、母の澄声すみごえ
いつまでも覚えていたいその音は、次第に記憶の彼方に遠ざかり、探りに探って、やっと断片的に蘇る。

あまりにも多くの音を聞きすぎたからだろうか。

何故急に母の姿が浮かんだか分からないまま、妻を探していたはずの俺は、暫し目を奪われた。
そういえば、墓前に結婚報告をして、すっかり時が流れていた気がする。

(…………どうして、急に)

懐かしさは、優しくも俺の心を締め付けて、次第にそこには思い出の光彩が満ちた。
早朝の冷気など太刀打ちできない温もりは、胸から泉の波紋のように広がって、母のかいなの中のように、全身を優しく包み込む。

感じていたはずの、人の気配。

妻の気配と思っていたそれは、いつの間にか彼方、光芒の下にあった。

けれど、そこにはどんなに目を凝らしても、人の姿などない。


不意に、不安になった。
俺の愛弟子は、愛する妻は、幽世かくりよに続くかの如し、この光の彼方に行ってしまったのではないかと。

(——彼女を……妻を、探さないと……!)

向かうべきは彼方、光芒の下か、それとも別所か。

俺が迷った刹那、冷風がひやりと吹き抜けて、里の木々をざわざわと揺らしていく。

風に乗って舞い散る黄茶色きちゃいろの枯葉の中、光芒の下、俺のまなこに、大地に存在しない人影が揺れたのが見えた。


————!?」

ぶるりと、心臓が震えた。

目で捉えられない、何かが居る。

その影が放つ温かさは、あまりにも懐かしい。
自分が『教官』となってから、胸の奥で閉じ続けていた蓋が弾け飛び、幼い想いが溢れ出しそうになった。


『ウ ツ シ』


記憶の彼方に遠ざかっていた、俺の名を呼ぶ澄声を思い出し、それが鮮明に耳に響いている気がする。

居るはずがない。
なのに、胸から全身が裂けんばかりに痛み、苦しく、泣きたくなるほどの懐かしさは、何なのか。

——ウツシ教官」
「!」

背中に降り注いだ、柔らかな声。

直後に、また、風が吹いた。

柔らかく頬を撫でる風と思いきや、それは唐突に、花嵐の如き突風となる。

あまりの風に目を細め、逃れるように振り返ると、風はんだ。

光芒に背を向けた俺の視界には、丸く、小さな紅赤色べにあかいろの花束を両手に抱えた、愛しい妻が立っている。
黄金こがねの光に照らされ、柔らかく微笑んでいた。

……ま、な……弟子……?」
「おはようございます。もしかして、私が起こしてしまいました?」
…………!」


――良かった。

ここに、居てくれた。

そんな言葉が心に木霊こだまして、俺は咄嗟に手を伸ばし、花束を抱えた妻を包み込むように抱きしめた。

妻は、申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
彼女は、決して幻ではない。
腕の中が温かくて柔らかい。

目を閉じれば驚いたような呼吸が聞こえ、とくとくとくと、心臓が早鐘はやがねを打っている。

……ウツシ、教官……?」

驚いた妻の、俺を呼ぶ声に、苦しかった心が安らいでいく。
気付けば俺は無言のままで、腕の中の妻は、陽光の宿った瞳で心配そうに、俺を見上げてくれた。

「どうなさったんです……? 大丈夫ですか……?」
…………
…………あ、なた……?」
——ッ! キミが、居なくなってしまったかと、思った……!」

俺を『あなた』と呼べる唯一のキミが、どれほどかけがえのない人か。
俺は、胸が潰れてしまいそうなほど、改めて実感した。

昨日は共に笑い合って、共に『ケの日』を過ごしたからこそ、キミと夫婦であることの幸せを噛み締めたからこそ、キミが居ないと分かった瞬間の、失われるかもしれない恐怖と不安は凄まじかった。
かつて狩猟中に幾度となく死を覚悟したが、その瞬間よりも恐ろしかったと断言できる。

俺の様子に妻は動じることなく、俺を見上げて微笑んでくれた。

俺にとって懐かしく、眩しい輝きに似た、柔らかな笑顔。

……探しに、出て来て下さったんですよね。ごめんなさい……心配をかけてしまって」
「大丈夫……キミが無事なら、良いんだ。俺こそすまない、驚かせてしまったよね……

ゆっくりと、俺は腕の中から花束を抱えた妻を解放する。
早朝から花摘みに出ていたのだろうかと思うと、ざわめく心が落ち着く愛おしさがつのった。

……両手のその花は、どうしたんだい? とってもキレイだね」
「はい。実は今朝の夢に、その……あなたの、お母さんが出てきて下さって」
——……!?」

キミもか、と声を出しそうになって、焦って呑み込んだ。

先ほどの雲の隙間、眩しく、どこか神々しい五芒の下に感じた、目に見えない気配。
苦しいほどに懐かしい、間違えるはずのない温もりは、俺だけが感じたもの。

彼女は、夢。

俺より早く、俺より現実的に、懐かしき温もりの正体である俺の『母』に会っていたのだ。

可笑おかしくて、笑みが零れそうになった。
先に息子ではなく、その妻に会うあたりが、とても母らしいような気がしてならない。

彼女は俺から、両腕の花に視線を落とした。

「最近、お墓参りに行けてませんでしたから……年末前に、一度お花をお供えして、感謝をお伝えできたらと思いまして。今朝は、そのことを頭をすっきりさせて考えたかったので、少しだけ外に。そうしたら、陽射しを浴びたこのお花がとっても綺麗だったので、お花はこれにしようかなぁと」
「そうだったのか……。とても綺麗なセンニチコウだね。さすがは我が妻だ、ありがとう。きっと母も喜ぶよ」

俺が微笑んだのを見て、妻も照れながらも安心したように「だと良いんですが」と微笑んでくれた。

背中にとても温かな陽射しを感じながら、俺はそっと、彼女の肩を抱き寄せる。

「大丈夫かい? まだ朝早いし、冷えただろう」
「ありがとうございます、大丈夫です」

微笑む妻の表情に、虚勢はない。そのことに安堵しながら、俺は花束に視線を落とした。

……素敵な花を、本当にありがとう。後で……一緒に、供えに行こうか」
「はい! お花だけじゃなくて、他にも何かお供えできそうな美味しいものとか、持って行きましょう!」
……キミは、本当に……優しいね。ありがとう……

温かな妻の想いと、腕の中の柔らかさが心地良い。

俺の奥底で密かに暴れる、幼い痛みに寄り添ってくれているようだ。

彼女は墓前に、感謝を伝えると言った。

あの人は何と言うだろう。

あの人は、生まれたばかりのこの子を、俺の妻を知っている。

あの赤ん坊がこんなに大きくなって、こんなに強く美しくなって嫁になってくれただなんてと、笑うだろうか。
俺には勿体ないと、笑うだろうか。

後者に関しては同意見だ。

次第に空の淡藤色は溶けていき、見慣れた朝空に目覚めていく。
五芒の射していた場所に背を向け、俺は妻の肩に手を回して抱き寄せたまま、すぐ其処の自宅に向けて歩き出した。

その直後のことだ。


——ウツシ』


「!」

声がした気がして、立ち止まる。
腕の中の妻も、同時に立ち止まった。

俺だけが、振り返る。

ふわりと、強く、優しい清風。

上から下へと吹き降りて、頭を撫でるような風が吹く。
陽の光に照らされた枯葉たちは、季節外れのまばゆい桜吹雪に見えて、この上ないほど、幻想的に美しくて。

あなたは俺を励ます時、褒める時、よく頭を撫でてくれた。

大丈夫、おまえならやれる、と。

苦しさと痛みを帯びていた想いは、いつしか、温かな懐古のみに満ちていく。


『 』


声が、聞こえたような気がした。
実際には、聞こえていないのかもしれない。

何故だろうか。

激励をされた気がした。

このまま夫婦仲良く幸せに、と。
息子であり、愛弟子のおまえなら、必ずできる、と。
いつまでも見守っているから、と。

風は枯葉を一掃し、早まった雲の流れは、五芒の光をゆっくりと散らしていく。

……ウツシ教官? 何か聞こえました?」

腕の中の愛する人が尋ねた声に、俺はしばらく、間を置いた。
ゆっくり妻に視線を戻し、首を横に振った。

「いいや。……そんな気がしただけだったみたいだ」

戻ろうか、と微笑むと、花束を抱えた妻は「はい」と笑顔で頷いた。

澄み渡った空気の中に、空音ソラネが、遠く溶けていく。

妻と共に自宅に戻った俺は、彼女の腕が抱く花束を一瞥して、思わず顔を綻ばせた。
この花と彼女の出会いは偶然か、それとも、引き合わされたものか。

センニチコウ。
花言葉は、不朽。そして、色褪せぬ愛。

俺は自宅の土間で、妻と共に仲良く水で満たした木桶に、センニチコウを生けた。

墓前に供えるまでの、短い時間。
それでも、俺と彼女の夫婦の時間には、優しい彩りが添えられる。

布団をあげて、卓袱台ちゃぶだいを出して、可愛い妻と一緒に朝食の用意だ。

花はそんな俺たちを、物言わず、穏やかに見守り続けていた。



@acadine