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千代里
2024-04-26 08:16:34
13686文字
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リーブラ短編
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指導者の話(リーブラ短編)
教えるってどういうことかって話。
「ええっと。それでは
……
いきますね」
一言言い置いてから、オデットは目の前にある天球儀に自身のエーテルを注ぎ始める。
場所は、グリダニアの通用門から少し離れた黒衣森の一角。ここは、魔法の練習をするための場所としてオデットが決めている小さな草地だ。
星芒祭の賑わいの空気も遠ざかってきた今日この頃、彼女はせっせと魔法の訓練に勤しんでいた。新米の魔道士である彼女にとって、魔法の訓練は欠かすわけにはいかない。そんな理由もあって、今日も今日とて、彼女は訓練に時間を費やしていた。
(エーテルの量は十分。あとは言われた通り、わたしの魔法をあの板にぶつけるだけです)
オデットが見つめた先にあったのは、木の枝に吊るしている板きれだ。木工師ギルドで不要な端材を貰ってきて、標的に見立てているのである。
「ーー星の重みをここに。グラビデ!」
呼吸を整え、発動させたのは重力を操る魔法。特定の空間の重力を捻じ曲げ、通常の数倍もの重力を発生させることで相手の肉体を破壊する。言葉にすると、なかなかに強力な魔法のように思えるが、強力さに比例して長時間維持するのは簡単ではない。
オデットが発生させた重力空間は、確かに的の板きれを捉えた。ぐにゃりと空間が捻じ曲げられ、板きれが割れる甲高い音が響く。
だが、その音が響いた瞬間、オデットの集中が乱される。刹那、生じさせた異空間が霧散しかける。
「あっ、待って
……
!」
咄嗟にエーテルを注いで術を維持し直そうとするものの、一度崩れた均衡は元には戻らない。あっという間に魔法は散逸し、板きれは一筋の割れ目を残しただけで、地面に落ちた。
板きれを拾い上げて、状態を確認してみたものの、やはり板きれへのダメージは最初の一度だけだったようだ。大きな亀裂は入っているが、板きれ自体がくしゃくしゃに捻じ曲がるほどのものではない。
「なかなか思うようにいきません。重力を操る魔法って、難しいですね
……
」
「でも、魔法で空間自体は発生していたようだった。それなら、一つハードルは乗り越えられたんじゃないか」
落ち込むオデットに対して励ましの言葉を送ったのは、黙ってオデットの鍛錬を見守っていたノエだ。
昨日のうちに依頼を終えて、本日は休日としていたため、それならばと彼はオデットの鍛錬の見学に来ていた。そして、それはノエだけではない。
「占星魔法については門外漢だけど、単純な癒しの魔法以外に重力を操る魔法もあるのか。逆に重力を消す魔法があれば、宙に浮くこともできるのかな?」
「わざわざ不可視の力を操らずとも、風を発生させて体を浮かせればいいだろう」
「それもそうか。でも、あれもあれで制御が面倒だから長距離の飛行には向いてないんだよねえ」
ノエ同様、本日は休日としているヤルマルとオランローも、オデットの鍛錬に顔を出していた。なお、ヤルマルとオランローのそばには、言葉こそ発していないがサルヒも座っている。
「とにかく、魔法自体は発動しているんだから、あまり落ち込まない方がーー」
「あのなあ、若人。先に言っておくが、指導しているのは俺なんだが?」
ノエの励ましにオデットが顔を明るくさせた瞬間、本来ここにいて真っ先にオデットに声をかけるべき教官役の男ーールーシャンが、オデットに近寄っていたノエに冷えた言葉を投げかけた。
「すみません、ルーシャンさん。オデットがしょげているようだったので
……
つい」
「この程度のこと、しょげるほどのもんじゃない。こんな所で落ち込んでたら、先が思いやられるってもんだ。ノエ、お前、ちょっと甘すぎるぞ?」
できないことをわざわざ口にするよりも、できたことを褒めた方がいい。ノエとしてはそのように思っての口出しだったが、ルーシャンの手厳しい指摘を受けて言葉に詰まる。
「はっはっは。ノエはオデットには甘いからねえ」
「そこの外野二名もだ。余計な情報が横から入ってきたら、当初の目的から考えがずれる。黙って見ているようにって、最初に言っただろ。ちょっとはサルヒを見習えよ」
言葉の内容ほどの厳しい声音ではなかったが、呆れたような口ぶりで叱責が飛んできて、ヤルマルは肩を竦める。オデットはまだ年若い。真面目な性分ではあるものの、自分の興味を惹くものに気が惹かれやすい部分があるのも否めない。
パンパンと手を打って、場面を切り替えるようにしてから、ルーシャンはオデットに向き直る。
「お嬢ちゃんは、エーテルの保有量は並の魔道士以上だ。筋も悪くない。だから、魔法の発動自体は何の問題もない。そうだろ?」
「は、はい。教えてもらった通りの感覚で動かしたら、魔法として形にできました」
「そんだけできれば上出来だ。感覚ってやつは、一度掴むまでが大変だからな。この短期間で、それを身につけたんなら、やっぱりお嬢ちゃんには魔道士としての才能があるってことだ」
実際、オデットは占星魔法の習得を驚くべき速さで進めている。ひょっとしたら、彼女が失った記憶の中には、占星魔法に触れる機会があったのかもしれない。
そして、彼の言うようにエーテルの保有量も他よりも多いため、魔法の練習をしてもすぐに疲れはしない。それはすなわち、練習の機会を増やせるということでもある。
「ただ、集中力と、咄嗟のときの制御を取り戻す感覚がまだ一歩足りてないな。土壇場でどんな魔法を扱うかの取捨選択も、スムーズに行える必要がある。その辺はまた後にしておくとしても
……
とりあえず、今は魔法を安定させる方向に意識を集中できるようにするべきだ」
話をしつつ、ルーシャンはオデットに天球儀を構えるように促す。彼女のエーテルが流し込まれた天球儀は、まるでお供をしている忠実な従者のように、少女の周囲をくるりと回った。
ルーシャンはオデットの持っていた板きれを再び木に吊るし直し、オデットを伴って少し離れた場所に移動する。
「次は、規模は大きくなくていい。そうだな
……
あの板きれの周囲二フルムぐらいの範囲で発動させてみてくれ。ただし、板きれが落ちたら、後を追うように。座標をずらすのを忘れないようにな」
要するに、対象が移動しても魔法を散らさずに、狙った場所に発動させ続けるようにということだ。先ほど、大規模な範囲で維持に失敗していたので、今回は維持に特化しつつ、細かい作業ができるように指示を変えたのである。
「それと、ノエ。お前はオデットに近すぎだ。お遊戯会の参観日じゃねえんだぞ。ほら、あっち行った行った」
オデットから少し離れているものの、何かあればすぐ駆け寄れる距離にいる青年に向けて、ルーシャンは心の底から呆れた顔で、しっしと手を振って彼を追い払う。ノエも流石に過保護だと思ったのか、少し離れた距離にいるヤルマルの元へと戻った。
ルーシャンの指示通り、さっそくオデットの魔法が板きれの周囲に発動する。小規模ではあるものの、空間が歪曲するのが見てとれた。先ほどに比べると劇的な変化こそないものの、すぐに消えることもない。
「ノエ。前々から思っていたけど、君はオデットに対して、ちょっと甘いところがあるよね」
オデットの修練を見守っていたヤルマルが、小声でノエに耳打ちする。罰の悪そうな顔で頭を掻きつつ、ノエは「そうかもしれません」と呟いた。
「オデットは、僕らと比べれば年下にあたるわけですから。あまり厳しくしてばかりというのも、どうかと思ってしまうんです」
「たしかに、無闇矢鱈と叱りつけるような真似をされたら、オデットの性格だと萎縮してしまうだろうね」
「ノエ、安心して。旦那様は無闇矢鱈に叱りつけたりはしない」
今まで沈黙を保っていたサルヒが、唐突にヤルマルとノエの会話に割って入る。黙って様子を見ているのも暇だったからか、彼女は手遊びに周囲の草花を使って冠のようなものを編んでいた。
「ルーシャンさんが、オデットを意味もなく叱るようなことはしないとは分かってますよ。ただ、出来ないことを正面から指摘されるのも辛いかと思ったんです」
「でも、指導ってそういうものじゃないかい?」
ヤルマルは、傍に座っているオランローを見やる。オランローは、なぜか遠い目をして森の緑を眺めていた。
「オランロー
……
?」
「実はって言うほどでもないけど、彼に武の舞の戦い方を教えたのはボクなんだよ。あの時は、お互いに大変だったねえ」
「大変なんて言葉で済むものか。当時は、足が本当に棒になるかと思ったんだからな」
はあ、とため息を漏らすオランロー。その頃の苦労を思い出したのか、彼は自分の足を摩っていた。
「そういうノエはどうなんだい。君の剣は、誰かから教えてもらったものなんだろう?」
「はい、そうです。ただ、彼の場合は、僕が幼いこともあってかなり優しく教えてくれたと思います」
ノエの最初の師匠であるフィリベールは、ノエの師匠であると同時に伯父甥の間柄でもある。当時は気づけなかったが、年端もいかない身内の子供に対して本気の指導をするのは流石に大人気ないと思っていたのかもしれない。基礎的な剣の振り方や、多少の手合わせは行ったものの、今となってはそれは子供の尺度にかなり合わせてくれたものだと分かる。
その話をかい摘んで伝えたところ、オランローからは微妙に羨望を感じる目を向けられ、サルヒは数度瞬きを繰り返していた。
「ただ、傭兵として過ごしていた頃に共にいた方は
……
剣の指導はしてくれませんでしたが、容赦のない方でしたね。手合わせを求めたら、遠慮容赦なく叩きのめしてくれましたよ」
「それはまた、厳しい人だったんだねえ。叱られもしたのかい?」
「いえ、叱りはしませんでした。手合わせを望んだのは僕の方ですから、彼女の方から、何が何でも強くなってほしいと思っていたわけでもなかったようです」
ただし、代わりにノエが成長を望んだのならば、惜しむことなく知識は与えてくれた。
どの構えが隙に繋がったか、どの選択が敗北の一手となったか。与えられた見解を吸収しそこなえば、次の戦いで同じミスを繰り返すことになる。幼いノエを育てた老傭兵ーーウヴィルトータは、ノエが同じ失敗をしたときだけ厳しい言葉を投げかけた。
「同じ理由で敗北したときに言われたんですよ。学ぶ気がないなら手合わせはしない、と」
無理に強くならなくてもいい。暗にそう告げられたとき、ノエの胸にあったのは己の情けなさに対する悔悟の念だけだった。
「そう言われてしまったら、彼女が手合わせを受けてくれるからって、彼女に甘えてはいらないって思ったものです」
「はっはっは。ボクも同じことは言った覚えがあるよ。その人と、一度会ってみたいもんだね。話が合いそうだ」
「もう故人ではあるのですが、きっとヤルマルさんと気があったと思います」
ウヴィルトータがヤルマルと一緒にいる姿を想像して、ノエは目を細める。もっとも、もし二人と手合わせとなったら、勝敗はさておくとしても自分のミスを逐一指摘されそうではある。試合には勝っても、気持ちの方が先にめげてしまいそうだ。
「ヤルマルも似たようなものだからな。こちらがステップを少しずらしただけで、やれ右に親指一つ分ずれてるだの、リズムに五分の一拍遅れているだの、手の振りが数度ずれているだの、細かに指摘された」
「だって、武の舞の舞踏は完全に踊ってこそ最大の効果を発揮するんだよ。ボクから習う以上は、そこまで目指してもらわないと!」
全くの悪気なく、百パーセントの善意で言ってのけるヤルマル。一方、ノエは当時のオランローの心労を想像して口元を引き攣らせていた。
「ヤルマルは明るいから、指導もそこまで重苦しくはなさそう」
花冠を完成させたサルヒが、ヤルマルたちの話題に載ってくる。だが、サルヒの予測をオランローは首を横に振って否定した。
「指導をしているときのこいつは、にこりともしないで淡々と指摘してきていた。代わりに、無闇に叱ったり呆れたり嫌味を言ったりはしなかったがな」
やると決めたなら、とことんまで。私情を挟まずにずっと付き合ってくれると考えれば理想的な指導役なのかもしれないが、いつもは朗らかな相手の淡々とした物言いは、逆に居心地が悪くてたまらない。
当のヤルマルはきょとんとしているが、ノエは同情の視線をオランローに向けていた。
「指導する以上は真面目にやらないといけないって、思っただけなんだけどな。ほら、ルーシャンだって普段はああだけど、ちゃんとオデットに教えてるじゃないか」
ヤルマルの言う通り、オデットに付き添っているルーシャンは、現在進行形でオデットが進めている課題の様子を見守っている。彼の横顔は、普段見せている気さくな冒険者のそれから、魔道士の師匠のものとしての真剣なそれに変わっていた。
オデットの放った重力魔法は、木の板が落ちても正確に追尾し、ゆっくりと確実に木の板を捻じ曲げていく。板が割れる高い音が響いても、オデットは集中を乱さずに魔法を展開し続けていた。
「サルヒさんの戦い方は、ルーシャンさんから教えてもらったものではないですよね。我流なのですか?」
オデットを注視していては、彼女の気が散ると思い、ノエはサルヒへと話題の矛先を向ける。果たして、サルヒも首肯を一度返して話題に乗ってくれた。
「旦那様は、斧の取り回し方は分からないと言っていたから。簡単な護身術なら教えてもらえた」
「武器をレイピアにしてみようとは思わなかったんだ」
「私にレイピアは軽すぎる。武器を振っても、振った気がしない」
ヤルマルの提案に、サルヒは自分の所感を語る。今のサルヒの得物は、鈍器と見紛うばかりの大きな斧だ。ルーシャンの扱う細身の剣とは真逆の位置の武器であり、力持ちのサルヒにとっては得物としての感覚が違いすぎるらしい。
「そうなると、ルーシャンさんに魔法や護身術を教えた方はどんな人なんだろう、と思いますね」
「オデットにとっては、師匠の師匠みたいなものだね。サルヒは、何か知っているのかい?」
ヤルマルの何気ない問いかけに、サルヒは言葉に詰まる。ノエも、先日ルーシャンの生まれについて聞いたところなので、不要な発言は敢えて控えた。
数秒を挟み、サルヒはルーシャンに一度視線をやってから、ぽつぽつと語る。
「旦那様に魔法を教えた方のことは、知っている。でも、私が会ったときは、もう旦那様は大抵の魔法を扱えていたからーー」
話しながら、サルヒはオデットへの指導を続けている自分の主人を見つめる。ちょうど、今のオデットの位置に、まだ年若い頃の彼がいたことを思い出しながら。
*
「俺に魔法を教えたやつ?」
重力魔法を使って無事に板きれを完全に破壊したのを確認した、その直後。魔法の成果に満足そうなオデットは、昂る気持ちのままに、何気ない問いかけを放った。ルーシャンさんもこんなふうに魔法を教わったんですか、と。
「はい。ルーシャンさんは魔法を使うのがとても上手ですから。もし師匠がいるのなら、どんな方かと思ったんです」
無邪気な問いかけの発端は、恐らくは外野から漏れ聞こえていた話によるものだろう。周りの会話で気を散らさないようにと忠告はしておいたものの、無意識に入り込んでくる会話を完全に取り除けるものではない。集中こそ切らさなかったものの、意識の水面下で刷り込みは行われていたようだ。
「師匠というか、教えた奴はそりゃいるけどよ。俺の場合は、半分独学みたいなもんだからな」
目を細めて、ルーシャンはノエに語って聞かせた嘗ての思い出を追想する。
物心ついた頃から、エーテルを操る才に長けていた上に、感覚で魔法の発動にまでこぎつけたルーシャンには、手取り足取り魔法を指導してもらう必要はなかった。代わりに、応用や効率化といったテクニックの部分については、指導をしてもらったおかげという実感が強い。
「その点は、オデットと似たようなもんだな。ノエから聞いたぞ。怪しい奴を追い払うために、魔法を無意識のうちに発動させたことがあるって?」
「はい。でも、あの時はエーテルの扱い方も分からなくて、出鱈目に発動させたから、暫く体が思うように動かなくて困りました」
「エーテルの量が多い分、暴走させたときの反動もでかかったんだろうな。命に別状がなかっただけ、良かった良かった」
念のため、ルーシャンはざっとオデットの全身に視線をやる。慣れない魔法を一つ発動させた後だが、過度な疲労は見られない。微かに紅潮した頬は、成功体験による興奮が原因か。
(無理に次の魔法に行くよりは、今日は微調整に留めておいた方が良さそうだな)
オデットは自分の才能に驕るような性格ではないが、それでも重力魔法の安定化は少なからず彼女の気持ちを昂らせている。万が一を考えれば、今は安全策を取っておくべきだろう。
(俺のときは、その辺結構無茶をして、後で痛い目を見たからなあ)
上手く話題を逸らしたので細かくは言及していないが、ルーシャンの師匠であり義父でもある彼は、魔道狂いと揶揄されるほどに魔道の研究に勤しむ人物であった。より魔法の才能があるルーシャンをわざわざ養子にして、自らの研究の一助にするほどの執着を見せていたほどだ。
そんな人間の鍛錬は、魔法の練習というよりは、新たな魔法の扱い方の探究という方向に偏っていく。そして、二人揃って新たな知識に対する好奇心が強い性格が災いし、疲れを気にせずに没頭した挙句、しばし寝込むなどという顛末を迎えたこともあった。
「重力の魔法については、帰ってから規模を抑えてまた練習しておくように。必ず、人のいない場所でやるんだぞ。あと、五秒以上は発動するなよ」
「そんなに短くていいんですか?」
「短時間の制御の練習も大事だろ。それに、グリダニアだって黒衣森の一部だ。下手に精霊に目をつけられたくはない」
ルーシャンの解説を聞いて、オデットは小さく首を縦に振る。精霊の恐ろしさは、グリダニアに住んでいる者なら嫌でも肌身で学んでいる。
「じゃあ、今日はこれで終わりですか?」
「いや。始める前に、魔法の障壁の強度に揺らぎが見えるって話をしてたな。そっちの練習をしてから終わりにしよう」
「あ、はい。お願いします。前はそうでもなかったんですが、以前に比べると障壁の範囲は広いのに、薄いところと濃いところができてしまっているようなんです」
ルーシャンに促されて、オデットはいつもの感覚で障壁を展開する。半球状のそれは、半透明の壁となり、内側の者を外敵から守ってくれる。その上、中にいる者の傷を徐々に癒していくという優れた効果まで兼ね備えていた。
だが、オデットの言うように、本来なら均一の淡い色合いで構築される障壁に、薄紙のような部分ができている。脆いところがあっては、壁は意味をなさない。
「見た感じ、魔法の発動そのものは安定しているな。座標をずらさない前提の魔法だから、ブレも少ない」
「はい。昔に比べると、感覚以外にも頭で理解して発動できていると思います」
ルーシャンの言う通り、この魔法は発動者が動いたらたちまち解けてしまう。その分、発動者が同じ場所にいる限りは強力な効果を発揮していた。
「変わったところといえば、エーテルの出力の方か。以前よりも操れるエーテルの量が少しずつ上がっているから、それを踏まえた調整をしてやった方がいいかもしれない」
オデットの目の前にある天球儀に触れ、指導役としてルーシャンは魔法の組成を感覚で読み解いていく。すっかり安心し切った様子の少女の顔に、これまた一人前の指導者然とした笑みを返しつつ。
*
「お疲れ様、ルーシャン大先生様」
「おう、お疲れ。というか、何だよその呼び名は」
「いやー、指導者っぷりが板についてたからさ。前は、君にオデットを任せていいものだろうかって、ちょっと警戒してたんだけどね」
「へぇ、こんないい男を怪しむなんざ、ヤルマルも見る目がないな」
けらけらと笑いながら、ルーシャンは配膳されてきた蜂蜜酒に手を延ばす。
場所は、いつものカーラインカフェとは異なる、落ち着いた雰囲気の食事どころだ。町はずれにある隠れた名店であり、ソファに座ってゆっくりと食事を楽しむ空気は、店というよりも、どちらかといえばリビングで寛いでいる感覚に近い。
オデットの修練を見守っていた野次馬もとい観客の四人と、先生役だったルーシャン、そして生徒であるオデットは、修練を終えたついでにその足で夕飯を食べにきていた。
もっとも、真っ直ぐ夕飯に向かったわけではない。向かう途中で気力が有り余った野次馬たちは、ヤルマルに誘われて鍛錬場でひとしきり汗を流していた。
「ルーシャンって、魔法を教えるのに慣れてるよね。実は、もう何人も弟子がいたり?」
「いやいや。ここまで本格的に教えたのは、オデットが初めてだぞ」
「えっ、そうなんですか」
以前のように、ルーシャンの蜂蜜酒と自分の飲み物を取り違えないように、カップを手元に引き寄せているノエ。そんな彼から、驚きの声があがる。
「魔法を教えると持ちかけてくれたのは、ルーシャンさんからですよね。てっきり経験豊富なのかと思っていました」
「考えてもみろよ。冒険者稼業やりながら弟子をとるような、そんな器用な真似が俺にできると思うか?」
「「思います(思う)」」
ノエとオランローの若者二人に揃って太鼓判を押されて、ルーシャンは苦い顔で笑う。褒められているとは分かっていても、今は否定をしてほしいタイミングだったのだが、素直な若者は頷きしか返してくれなかった。
「では、どうしてわたしに魔法を教えると言ってくれたのですか」
「そりゃまあ、アレだ。お嬢ちゃんの隣に、無鉄砲な若人がいたからな。そんなやつに着いていくには、自分の身を守れる程度の技術は身につけておくべきだろ」
無鉄砲な若人呼ばわりされたノエは、気まずげに視線を横にずらす。
実際、あの頃のノエはがむしゃらなまでに、目につく問題に取り組もうとしていた。その後、ルーシャンからの指摘を受けて、己の身の振り方を見つめ直し、かつてよりは周りの様子を気にするぐらいの成長はしたと思いたい。
「自分にできることがあるって分かってて、無関係な相手だから何もしなかったとして
……
その後、そいつに何か良くないことがあったって知ったら、良い気持ちはしないだろ。それと同じさ」
「それは、ルーシャンさんの言う通りだと思います。たとえ知らない人であったとしても、できることなら手は差し伸べたくなりますから」
「ま、その縁が巡り巡って今になってるんだから、冒険者の繋がりってのは不思議なもんだな」
そんな風に話に一区切りをつけて、ルーシャンは酒の入った器を呷る。ふう、と息を漏らす顔にはまだまだ酔いは見られない。
「実際、教える方もあれこれ気を遣ってるんだぞ。サルヒも、以前はお嬢ちゃんに近接戦闘の立ち回りを教えてなかったか」
「オデットに怪我をさせないか、気をつけていた。私は、大雑把なところがあるから」
ルーシャンの話の振りに応じつつ、サルヒは運ばれてきたミートパイにナイフを入れる。人数分をてきぱきと切り分けていく様子は、さすが元使用人といったところか。
「そうそう。厳しくすりゃいいってもんじゃないんだよ。自分からやる気を出すようにしつつ、何もかもを教えるんじゃなくて、適度に導いてあげないと。ボクはその辺、結構気にしてたなあ」
「あんたの指導方法は、むしろやる気を削いでいた気がするんだが」
ヤルマルから回ってきたミートパイを引き取り、オランローはざくりとフォークを突き立てる。そこはかとなく私怨が混じっているような気がするのは、おそらく気のせいだろう。
「だって、真面目に学びたいって言ってたじゃないか。適当に教えたら失礼だろう?」
「あんたの弟子にも、そんなふうに教えていたのか」
「あー
……
うん。ユルドにもそんな感じだったな。長距離を走れるようになりたいって言ってたから、走り方の見直しをした後は、弓矢持って一時間ぐらい追いかけ回したっけ」
「
…………
」
命の危機が迫っていれば、確かに嫌でも持久力はつくだろう。その意味では、ヤルマルの指導は理にかなっている。そうだとしても、あまりに激しい指導方法に、ノエは顔も知らないヤルマルの弟子の苦難の日々に思いを馳せてしまった。
「でも、オランローにはそういうことしなかっただろ。あれは、森で暮らしている護人にとって必要なことだったからやっただけだもの」
「代わりに、昼夜問わず奇襲をかけてきたことがあったな」
「だって、君が頼んだんじゃないか。不意打ちにも対応できるようにしたいって」
ヤルマルに真っ向から言い返されて、オランローは口をぎゅっと噤んだ。幼い彼が望んだことを、ヤルマルは愚直に叶えてやっただけのようだ。そのやり方はともかくとして。
「俺も教える側になって分かったが、そういう立場になると色々気にするべきことが増えるんだよ。性格とか癖とか、そいつが置かれた状況も忘れちゃいけない。それに、今の時点で何が身についていて、何が身についていないか、とかな」
「なるほど
……
。ということは、僕もそうと知らずに見守られていたんですね」
ルーシャンも、オデットの性格や思考の癖を捉えた上で指導をしているのだろう。そして、それはかつてノエを指導した伯父のフィリベールや、傭兵のウヴィルトータも同様のはずだ。態度だけを見て、甘い厳しいと判断するのは早計だったかもしれない。
(師匠に教えてもらっていた頃は、僕はまだ外の世界で一人で戦うと思っていなかった。だから、指導も優しかったんだろうか)
ノエの置かれた環境がもっと異なっていたなら、フィリベールもより苛烈な鍛錬を課したかもしれない。傭兵として生活していたウヴィルトータが、万が一を考えてノエを厳しく鍛えたのと同じように。
「ヤルマル。お前なら、他にどんなことを気にする?」
「そうだねえ。ボクだったらーー」
ルーシャンらの雑談がきっかけで、思いがけなく指導話に花が咲き、それぞれが己の得てきた経験を語り合い始める。その間にも、飲み物やら食べ物やらが机に載っては、皆の腹の中へと消えていく。直前まで鍛錬していたおかげで、普段よりは控えめとはいえ、ノエたちも十分空腹を抱えていた。
場が十分に温まり、程よい一日の疲労感が辺りを包み、サルヒがうつらうつらと船を漕ぎ始めた頃。ヤルマルとルーシャンが声のトーンを抑えて話しているのを、何とは無しに流し聞きしていたノエの肘を、トントンと叩くものがいた。
「オランロー?」
「ああ、いや
……
大したことじゃないんだが」
少し冷えたパンを齧り、オランローは続ける。
「いつか、オレもあんたも教える側になる日が来るのかもなーーと、そう思ったんだ」
思いがけなく話題となった指導についての協議は、今まで教わる側でいたノエとオランローにも確かに刺激を与えていた。特に、ノエは今まさにオデットという被保護者を抱えている身だ。
「そうだね。そんな未来を想像すると
……
僕も、身が引き締まる思いがするよ」
誰かを導くというのは、その相手が一人で危難に立ち向かった時、乗り越えられる力を身につけさせるということだ。かつて、ノエを導いたものがそうだったように。
単純な力や技の技量だけが指導の全てではない。
生きる道筋を、己自身の選んだ道を、先達は先を行った者として後に続く者に示し続けなければならない。
「弟子に笑われるような師匠にはなりたくないな。武芸の腕もそうだけど、弟子に見せるのが恥ずかしいような生き方はできないね」
存在するかもわからない『もしも』に思いを馳せ、ノエは目を伏せる。
ノエに剣を教えてほしいとねだる若者がいたとして。まだ世界を知らない真っ白な若者の前に、自分はどんな道筋を示してやれるだろうか。
「でも、やり甲斐はありそうだ」
「ああ。
……
その意味では、あいつもオレの師匠だったんだな」
最後の言葉は独り言めいていたが、オランローが誰を想ったかはノエには分かっていた。
袂を分つ間柄になったとしても、かつてオランローが父のように慕っていた彼も、確かにオランローの師匠だったのだろう。彼の生き方は、今のオランローの考え方に大きく影響を与えたのだろうから。
「兄さん。それなら、わたしが兄さんの一番弟子になりますね」
ノエのそばで静かに果実水を飲んでいたオデットが、小声で言葉に挟む。まだ見ぬ弟子に対して対抗意識を出しているのは、その顔を見ればすぐに分かった。
「そうだな。以前、体術を教えたこともあったし、もうオデットが一番弟子みたいなものか」
「それなら、紛れもなくわたしが兄さんの最初の弟子です」
「だったら、僕が他に弟子を取ったらオデットは姉弟子になるのか」
ノエは何気なくそう言ったものの、オデットはパッと頬を赤くした。何やら嬉しそうに口元が緩んでいるのは、『姉弟子』という言葉の響きに喜びを感じたからだろう。
「わたしが、お姉さん
……
」
周りが皆年上ばかりで、どちらかというと子供扱いや妹扱いされることが多いオデットにとって、姉という言葉の響きはそれだけ大きかったらしい。
にまにまと笑っている彼女を見て、ノエもつい笑みを口の端にのぼらせる。
「頼りにしてるよ、姉弟子さん」
「はい、任せてください! わたし、頑張ってお姉さんになります!」
意気込む少女の頭を撫でてやりつつ、ノエは机上の指導論について、オランローと話題の花を咲かせていたのだった。
*
「指導者ってのは、弟子の理想になってやるもんだって言うけどさ」
少し苦味が濃くなった酒を飲みつつ、ヤルマルは何気なく呟いた。わずかに離れた机の先では、若者たちが未来の指導者としての論を戦わせている。
「ボクとしては、もう一つの側面もあると思うんだよね」
「へえ、そいつは何だ?」
相槌を打つルーシャンも、本当ヤルマルが何を言いたいか既に察しているのだろう。それでも話し相手となってくれる彼に、ヤルマルは心の中で感謝する。
「反面教師ってやつだよ。俗にいう、俺のようになるなーってやつ」
「そりゃまあな。先達ってやつは成功と同じ数だけ、失敗も見せてやるもんだ」
くつくつと笑うヤルマルの横顔に、一瞬苦みが混ざる。だが、それもまたヤルマルだけが持つ成長の跡だ。苦みすら飲み込んだ上に、ヤルマルという存在はここにあるのだから。
「ルーシャンはどうだい?」
「俺か? そりゃまあ、それなりにやらかしてもいるさ。魔法を暴発させたり、エーテル切らしてぶっ倒れたり、考え無しに突っ込んで魔物に八つ裂きされそうになったりーー」
自分の失敗談を指折り数えていくルーシャン。横で笑っているヤルマルも、彼に重ねるようにして己の失敗を数えていく。そうして両手の指を全て折り終えてから、ルーシャンは言う。
「ま、これからも増えていくだろうさ。失敗ってやつは、何も過去にだけあるもんじゃないだろ」
「違いない。現在にも未来にも、生きてる限り、それこそいくらでもあるものさ」
「現在っていうなら、ひとまずは酒の飲み過ぎって失敗とかか?」
「はっはっは、そうかもね! ま、この程度なら飲み過ぎのうちには入らないだろうけど、そろそろお開きとしようか」
酒の入っていた器を置き、ヤルマルはぱんぱんと手を叩いて、若者たちの注意を促す。
一方、ルーシャンは自分にもたれかかり、すっかり眠りこけているサルヒを軽くゆすってやる。起こすのは気の毒にも思うが、寝たままおぶって連れかえれば、明日起きた彼女が恐縮しきってしまうのが目に見えていた。
「ーー少なくとも、そうだな」
何気なく呟いた男の言葉は、喧騒の内にゆっくりと消えていく。
「俺のようになるなってのは、誰よりもしっかり教えられる自信はあるさ」
声に促されるかの如く、うっすらと開いた、従者の黄金の瞳。寝ぼけた様子から察するに、先程のつぶやきは彼女の角には響いていないだろう。
おはようと声をかけてやれば、慌てたように見開かれ、彼はいつもの人懐こそうな笑みを浮かべてやる。
「ルーシャン、君の酒代の会計! ノエに渡しておいてよ!」
「おう。すぐ行く!」
ヤルマルの呼びかけに応じて、ルーシャンは財布代わりの革袋と共にノエの元へと向かう。先を行く未来に希望だけを夢見る若人に、先達の苦味などチラとも見せずに、
「ええっと、いくらだ?」
「ルーシャンさんの分はこちらです。あとは、皆さんの人数で食事代を割った金額がこっちなので、合わせてお願いします」
「人生の先輩のために奢ってやろうとは思わんのかねえ、若人は」
「残念ながら、そこは平等でお願いしますね」
「おっ。お前も言うようになったじゃないか」
からりと笑い、ルーシャンはノエの手のひらに貨幣を置く。
次いで、明日は何をしようかとヤルマルが声をあげ、次の依頼はこれはどうだろうと提案するオランローの声が続く。それなら俺も混ぜてくれとルーシャンが手を挙げ、サルヒが寝ぼけ眼で後を追う。ノエが会計をしながら、後で相談しましょうと声をあげ、オデットが皆の意見を先に聞いておこうと、帰り支度をしている一行に駆け寄っていく。
そうして、冒険者たちの日々は続いていく。
時に、先人が己の知恵を伝え、彼らの後を未来に夢を抱く若者たちが追い。
時に、先生と生徒のように互いの知識を分け合い。
時に、同じ机を囲む同志として、杯を交わしあい。
そして、『冒険』に赴くときは、背中を預け合う朋友として武器をとる。
それが、彼らの日常。誰にも語られない物語の一ページが、今日もまた人知れず増えていく。
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