ichib29
2024-04-26 06:08:25
4336文字
Public 《 文章 》
 

とある少年の話

この街では特段珍しくもない、よくある出来事だった。



 この街では特段珍しくもない、よくある出来事だった。それでも自分は、両親ともその友人たちとも良好な関係だったし、きっとそれなりの“一般家庭”として穏やかに過ごしていたから、突然の理不尽に人生をめちゃくちゃにされるなんて思ってもみなかった。
 あの時のことは、十数年経った今でもはっきりと覚えている。よく喋る父が今日の出来事を母に話すのを流し聞きながら、夕飯を食べる。おそらく名前のない、適当な食材を炒めた母の得意料理。あの頃は頻繁に出るそれに飽き飽きしたりもしていたのだが、今になって思えばあれこそが自分にとってのおふくろの味だ。他愛もない、家族の日常。
 玄関の呼び鈴が鳴る。三人共が箸を止め、父が立ち上がりかける。母が「いいよ、食べてて」と父の肩に軽く触れ、玄関に向かった。「誰だろうな」「親父の友達じゃないの?」などと話していると、母の小さな悲鳴が聞こえた。今まで気の抜けた顔をしていた父は、一瞬で険しい顔になり玄関に走って行った。

「お前……ッ、何しに来た!」

 家族の前では滅多に出さない父の怒号のような声に、ただ事ではないのを察し、恐る恐る玄関に続く廊下を覗き込んだ。
 そこには、薄汚れた包帯でぐるぐる巻きの男が立っていた。うつむき、くぐもった声でボソボソと何かをつぶやいている。母を庇うように立つ父越しに、不意に顔をあげた男と目が合った。瞬間、男の目が異様にギラついて見えた。

「陰気だが綺麗な嫁さんに、生意気そうだがかわいい子供!なんて幸せそうなんだ」

「ツムグ!耳塞いで逃げろ!」

 ああこれは、ヤバいやつだ。そう理解したのを飲み込むまでの数秒、父の怒号にハッとして駆け出す間際に、「なんて幸せそうなんだ」と繰り返した男の声が妙にはっきりと聞こえた。
 塞いだ耳に、小さくキンと耳鳴りがする。超音波のようなものを発する母の異能力だ。息子の自分には効果が薄いらしく、耳を塞げば耳鳴りがする程度だが、他の人間相手であれば思わずうずくまってしまうくらいの攻撃力がある。「ア゛ア゛」と男のうめき声が聞こえる。
 三階にある自宅のベランダの柵を越え、配管を伝って下る。幸い、普段からよく使う経路だったので何の躊躇いもない。地面に飛び降りた所で父のものらしい唸り声が聞こえ、一気に恐怖を自覚し全身から血の気が引くのを感じた。
 そこからの記憶だけは朧気だ。一階の知人の家のベランダを叩き、助けを求めた。家主はいなかったが、通りがかった父の友人が騒ぎを聞きつけ駆け寄って来てくれた。変な男が家に来たと叫ぶように伝えると、物陰に隠れるようにと言い置いて走って行ってしまった。俺は、じっとしていられずに結局その後を追った。
 追いつくと、父の友人は自宅の前で突っ立っていた。開いた玄関から、何かが流れ出ているのが見えた。

「親父……母さん……

「来るなツムグ」

 家の中に駆け込もうとするのを、抱き抱えるように制された。廊下の先、リビングに父と母が倒れているのが見えた。父と母は、微動だにしない。家のあちこちに真っ黒な液体が飛び散り、玄関には水溜りを作っていた。

「親父!母さん!」

 声変わり途中の声が掠れる。

「これ、たぶん毒だ。ツムグ、ここにいちゃ駄目だ。離れるぞ。後で絶対に親父たち綺麗にしてやるから……ツムグ、な。こんなことしたやつ絶対に見つけてやるから」

 言葉にもならない声で喚き続ける俺は、半ば引きずるようにしてその場から引き剥がされた。鼻を突く強烈な匂いを、今でも思い出せる。


 ◇


 物心ついた頃から、時々見かける少年がいた。おそらく歳は自分より少し上で、名前はないと言っていた。この街にはめったに子供がいない。無視して逃げられることも多々あったが、同年代の子供に出会えるのが嬉しくて、彼を見かける度に話しかけていた。
 中でも、異能力のことを話すと比較的興味を持ってくれた。俺の異能力は、思い描いた模様を人間の身体に反映させる特性を持つ。色はなく、黒一色のそれは入れ墨のように見える。反映させられる模様は、自分の画力と同程度のものだ。
 少年を見かけるようになった頃はまだ、自分の異能力の扱いに不慣れでうまくいかないことも多かった。だからうまくいったり、うまく“描けた”時は少年に見せるのが、俺のちょっとした楽しみだった。身体に反映させた模様が自動的に動くようになったのを見せた時には、少年の反応がいつもより良かったのを覚えている。

「あぁいたいた。君に会いたかったんだよね」

 人気のない路地裏で、スマートフォンをいじっていた少年――青年は少し間を開けてから顔をあげた。またお前かと言いたげな顔をするが、立ち去らないところを見ると、話はできそうだ。青年から少し間隔を開け、腰を下ろす。

「俺……親殺されちゃってさぁ、散々だよ」

 青年はチラとこちらを見て、黙ってスマートフォンに視線を戻した。

「今はとりあえず親父の友達が居候させてくれて面倒見てくれてんだけどさ、まぁずっとこのままってわけにもいかないし、君から仕事回してもらうのとかもありかなって思ったんだけど」

 青年は持ち前の異能力特性の強さと頭の良さから、その歳ですでに、この街で頭角を現し始めていた。

「は?お前にできる仕事あんのかよ」

「そうなんだよなぁ。俺の異能力ってここじゃなんの役にも立たないんだよね」

 自分の腕を見ると、ちょうど袖口からススと蜘蛛の模様が顔を覗かせた。自分が実際に描けるものなら、どんな模様でも異能力で身体に反映させられるのだが、蜘蛛を気にいって入れることがほとんどだ。自分自身の身体にも、勝手に動き回る幽霊蜘蛛を一匹飼っている。

「だからさ、オニに捕まってみようかなぁ……なんて、思ったりしてるんだけど。ほら、俺ってここ産まれだし前科持ちじゃないし、事情を話せばいろいろ多めに見てもらえそうじゃない?親殺されてかわいそうだし、14歳ってまだ子供扱いしてもらえるでしょ」

 自分の膝に肘をつき顎を乗せ、青年の横顔を眺める。しばらく間を置き、青年はこちらを見た。

「だからなんだ?」

……そしたら君とはもう会えないだろうからさ、顔を見納めておこうかと思って」

「俺にしたかったのはそんな話か?」

「それは……

 青年の言葉がストンと胸に刺さったような感覚になり口籠る。刺された瞬間に痛みはなく、時間を置いてズキズキと痛み始める。鋭い目つきは、心の奥を見透かされるようだ。

「まぁ好きにしろよ」

 立ち上がった青年は、心底興味なさそうにそう言ってどこかへ行ってしまった。
 そう言われれば、そうだ。彼に会いたかったのは、そんな話をしたかったからじゃない。


 ♢


『見慣れねぇ顔がよ、野垂れてたから声かけたんだけどよ、うんともすんとも言わねぇんだよ。包帯もぐるぐる巻きで具合も悪そうだから、水でも買ってきてやるかと思って、ついでにおにぎりでも食うか?って聞いたらキレられてよぉ』

 父は、ガタイの良さに似合わない漫画みたいに下げた眉で、悲しそうな声を出した。

『そうやって俺を見下してんだろ!同情するふりして馬鹿にしてんだ!ってよ。そんなことねぇよってなだめようにも、もう話も聞かねぇもんだから黙って置いてきちまったんだけどな。どうしてやりゃ良かったんだろうなぁ』

 父が夕飯時に話していたのが、あの男のことだったのだろう。理不尽な逆恨みをして、僻み、尾行して、母共々無惨に殺した。あの時の父には善良な親切心しか無かったのに。母だって何もしていないのに。殺される理由など無かった。なんて馬鹿馬鹿しい。

「お前が殺したんだ、お前が殺されたって仕方ない。知ってたか?ここはそういうとこなんだよ」

 ズキズキと皮膚が爛れるように熱いが、返り血を浴びた部分は幾分かましだった。男が口から吐く毒液は、当の本人の血液で解毒されるらしい。馬乗りになった男の、解けた包帯の下から爛れた皮膚が見える。その異能力は、男自らをも蝕んでいたのかもしれない。
 男の居場所は、父の友人らが探してくれている最中だった。どうするつもりでいてくれたのかは知らないが、俺はそれを頼りに、先回りをして男の元にたどり着いた。
 なんてことはない。地の利も、立ち振る舞いも、ここで生まれ育った俺の方が圧倒的に有利だった。その上、男は妙にあちこちを引きずるような動きをしていた。
 男は終始ボソボソと何かをつぶやいていたが、聞き取れないし、聞く気もない。
 ぎこちない動きで、男がこちらに手を伸ばす。その掌に包丁を突き立てた。何かが視界にちらつき視線をやると、男の腕に蜘蛛が這うのが見えた。俺の異能力だ。確かに、ここへ来るまでに異能力の発動条件は満たせた。だが、男の腕には蜘蛛の他に、入れた覚えのない蜘蛛の巣の模様も浮かび上がっている。
 不審に思って男の包帯を解き、はっとする。無数の女郎蜘蛛が男の身体中に巣を張り巡らせていたのだ。
 後になってわかったのだが、蜘蛛が身体に巣を張ると、その箇所が動かしづらくなるような異常をきたすという異能力特性を使えるようになっていたらしい。ただ、巣を張らせるには条件があり、更に通常、異常を感じられる程の大きな巣を張るのには数日がかかる。男の動きが鈍くなっていたのがこの異能力によるものだったのなら、それができる程の数の蜘蛛と巣が現れていたのは、奇跡的だった。


 ♢


「おっ、いい所にいた。君に会いたかったんだよね」

 青年はいつものように、またお前かと言いたげな顔をする。俺はニッと笑ってピースサインをして見せた。

「イエーイ、殺したった〜」

 話しかけてきた相手が、毒液だか血液だか最早わからない程全身どす黒くなった状態でも、平然としている青年はハッと小さく笑う。

「あとさ、俺の異能力ってもっとできることがあるっぽくてさ、まだちゃんと使えるかわかんないんだけど――お、雨だ」

 ぱたたと落ちた雫に気づいて顔を上げ、青年に笑顔を向ける。

「助かる」

「俺じゃねぇよ」

「わかってるよ」

 それで……と再び口を開くと、青年は軽く手をあげ遮った。

「使えるようになったら暇な時に聞いてやる」

 そう言うと、青年はどこかへ行ってしまった。
 乾いたままのその背中に「また今度な!」と声をかける。さっき笑った青年の目はきっと、興味を持った時のそれだったと俺にはわかった。全身に浴びたどす黒い液体が、雨で洗い流されていく。