スサ
2024-04-25 21:30:29
4128文字
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【鬼水】帰ってくるおまじないの話(新刊より)

「戻ってくるおまじないの歌」のネタをどうしてもどうしてもやりたくて何とかねじこみました。きたちゃんが家を出てくれないといけないのでがんばりましたが、家を出ている時間、ページ数だと1、2ページしかないです。運命ってすごい。ブルスコでその部分のネタを走り書きしてたので、そちらでだけ部分公開で…。

 武者修行じゃ、と父はどこか面白そうに言った。力の使い方、妖怪との付き合い方、知識そういったものを目玉の父に教わりながら、幼い頃から世話をしに来てくれたような妖怪達(ほとんどは父の古なじみ達)とあらためて友誼を結びながら、鬼太郎の日々はあっという間に過ぎた。たまには帰れよ、と言ってくれた水木の言葉にどの程度甘えていいかわからず、結局鬼太郎はあの春の日から水木に会っていない。ただ、父は時々様子を見るという名目で烏や一反木綿に頼んで水木の所へ顔を出しており、「父さんはずるいです」と鬼太郎が真顔で訴えることもしばしばであった。
 近くにいるので、水木におかしなことがあればすぐに駆けつけられるようにはしている。実際、水木には言っていないが、彼の周りにいる烏、野良猫、雀などの小鳥、虫に至るまでそういった命達に、水木に少しでもおかしなことがあれば鬼太郎か目玉のおやじに連絡するよう含めてある。それでも心配だから時々遠くから見守ったりもしている。心配と理由をつけて、ただ恋しさを我慢できないだけというのは、わかっているけれど。

 そんな日々の中、鬼太郎はある時行きがかり上、住む人がいなくなって久しい廃村に足を踏み入れた。哭倉村ではないが、やはり山奥の小さな集落跡である。そこでかつて祀られていた神が、信仰がなくなったことから零落し、怨念をまき散らす危険な存在になっていると聞きつけてのことだった。
 鬼太郎は水木を守りたい。そのために何ができるかを常に考えていて、これも大きな意味ではその一環だった。父は、まあ、人にだけでなく妖怪にとっても困るでの、と今回の偵察についてはそのような意見であった。息子に経験を積ませる道程において、今の時点でも大丈夫との判断だったのだろう。
 結論から言うと、鬼太郎はその元神の説得に成功したが、そこに至るまでに少々の荒事を納めなければならなかったため、ちゃんちゃんこ以外の服がぼろぼろになってしまった。
…………
 その時、鬼太郎が持たされていた水木のお守りが、相手の鋭い爪(元神の由来は動物霊であった)に裂かれて破かれてしまった。それで頭に血が上った鬼太郎はやり過ぎなくらい強く制圧してしまった、というのは余談である。
 今はその、破れてしまったお守り袋の中身を見ている。鬼太郎が破いたわけではないし、これは不可抗力として許されるはずだった。
 妖怪にお守りなんて変わった人だな、と正直に言えば思ってきたのだ。妖怪にも神に対しての敬意のようなものはなくはないが、人間と神との関係とはまた異なる。例えば水木にとっては産土神、あるいは氏神であったとして、それが鬼太郎に及ぶかどうかは、まで考えた所で、鬼太郎はあることに気づき、目を限界まで開いて固まった。お守り袋の柄が麻の葉であることからも、子ども──鬼太郎の健康、身の安全を祈るものであることはありありとわかっていたし、自惚れでなく水木が自分をどれだけ大切に思ってくれているかはわかっていたけれど、お守りの中から出てきたものは、それ以外のことも伝えてくれていた。
 袋の中には姿守りの他に、小さく折りたたまれた紙が入っていた。水木の字で何か書かれている、と思った時にはもう読んでいた。両面に文字が書かれていて、片面には水木の住所、つまり、鬼太郎の人間社会での住所ということになるだろうか。迷子札のような感覚かもしれない。もし鬼太郎に何かあった時、誰かがこれを見て連れてきてくれるようにと。その時点で鬼太郎はたまらなく水木に会いたくなったのだが、裏面を見たら、もう、だめだった。大きな目からぽろりと、無意識に耐えてきた分の感情が涙になってこぼれてしまう。
 裏面に書いてあったのは和歌だった。

 たち別れ いなばの山の 峰に生ふる 
 まつとし聞かば 今帰り来む

……………
 言葉も出ない鬼太郎の頭の上、目玉の父が「水木」と出した声は潤んでいた。鬼太郎がお守り袋の中を見るようなことはしない、と水木はわかっていて、それで、その中にこんな歌を忍ばせていた。今日のようなことがなければ、極端な話、一生鬼太郎はこれを知ることがなかったかもしれない。
 鬼太郎は昔、もっと小さな頃、この歌を見たことがある。水木の母が教えてくれた。小さい頃の鬼太郎もかわいがっていた、半野良の白い猫がいつからか姿を見なくなった。その時、たまに寄りつくと餌をやっていた皿に、水木の母、鬼太郎にとっては祖母のような人がこの歌を書いて下に敷いた。おまじないだよ、と言っていた。
 少し大きくなってから水木にその話をしたことがある。猫は半年もしてまたふらっとやってきて、その後は子猫をつれていたり、そうでなかったり、時折水木家にやってきて、ある朝縁側の下で冷たくなっていた。その猫を埋めてやりながら水木と話をしたのだ。彼は鬼太郎と一緒に手を動かしながら、ああ、いなくなったりなくなったりしてもまた戻ってくるように、そういうおまじないだっていうんだ、と。歌の意味も教えてくれた。旅立って行く人が、もし待っていてくれるなら戻ってくる、そういう意味だよ、と。
 自分が涙をこぼしていることにも気づいていなさそうな鬼太郎の頭を、小さな手が、ぽん、ぽんとたたいた。慰めるように。
「鬼太郎や」
……はい」
「行っておいで」
 父の声は平静で、そして温かった。
「きっと水木も待っておるよ」
 そう言うと、ぴょん、と息子の頭から飛び降り、にこにこと見上げてくる。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、じゃ。水木に何か言われたらそう言ってやれ」
……はい、父さん」
 鬼太郎は顔をぐいとぬぐい、笑った。ぴゅい、と指笛で烏を呼ぶと、羽を折りたたんだ背に父の体を乗せる。
「落とされないでくださいね」
「ばかを言うな。落とされぬわい」
 烏の首を撫でて、鬼太郎は父を送らせる。それを見送るのもそこそこ、全力で駆けだした。

 走って、走って、水木の、いや、自分の家の前で立ち止まる。まだ未明で、どういうわけか今日は朝靄が濃かった。それは鬼太郎には好都合でもある。姿の変わらない、三年前に出て行った子どもが現れた、なんて噂が立ったら水木を困らせるだろうから。
 とはいえ、家の前で一度立ち止まってしまうと少し躊躇してしまった。中に入っていいか、いや、いいはずだけれど。破けてしまったお守り袋をぎゅっと握りしめ、深呼吸する。玄関に手をかけた、その時だった。気配を感じた時には一瞬遅く、引き戸が大きく開き、そしてそこに立っていた水木と目が合った。水木もまた驚いているようだったが、我に返るのは彼の方が早かった。目をこぼれんばかりに大きく見開き、その後水木はぐわっと腕を伸ばし、鬼太郎を抱きしめた。強く、強く。少し痛いくらいに。いくら痛くても、それは人間の力だから、鬼太郎にとって苦痛になるようなものではない。ないが、強さから伝わってくるものはある。
………おかえり」
 色々言いたいことは、水木にもあっただろう。鬼太郎にもあった。けれど、他に何も言えることがなかった。
……ただいま帰りました」
 ぎゅう、と鬼太郎も水木の寝間着の裾を握った。強く、皺になるくらい。

 その後何となく気恥ずかしかったのは鬼太郎だけのようで、今茶を淹れてやるから、とかいがいしくする水木は以前とあまりかわりないようだった。
 しかし、すぐ気づいた。彼の嬉しそうな様子にも、少し泣きそうな顔にも。ぐっと堪えているのは、そういう男だからだし、そういう時代に育ったからだろう。
「水木さん」
 火の前に立つ水木の後ろに立ち、鬼太郎はぎゅっと抱きつく。危ないだろう、と口では注意して、水木はしかし、なすがままになっていた。
「僕、少し大きくなったんですよ」
そうか?」
 さすがに驚いた様子で水木が首をひねる。そんなに変わってないだろ、と彼が言う前に、鬼太郎が言う。
「前はあなたのお腹あたりに僕の頭があったでしょう。でも今は、あなたの胸のあたりですよ」
………そういえば、いや、それは誤差じゃないのか」
「失礼だな」
 鬼太郎の声が少し不機嫌そうになったのがおかしくて、水木は笑い、鬼太郎に抱きしめられた腕の中で体をひねる。上からのぞきこめば
ん? ちょっと近いな」
「だから言ったでしょ、大きくなったって」
「背伸びしてないか?」
「してませんよ、踵、ちゃんと床にくっついてるでしょ」
 心外、と顔に書いている鬼太郎に「ごめんごめん」と笑って、水木は目を細める。しゅん、と薬缶が音を立て始める。わしゃわしゃと頭を撫でて、本当だ、とひそやかな声で水木が囁く。
この調子なら、俺が元気な内に高校生くらいになったところは見られるかな」
「あなたの思う高校生の大きさがどのくらいかわかりませんけど、あなたの背丈を越すくらいなら」
「言ったな、こいつ」
 ぴん、とまろい額を弾いてくるものだから、鬼太郎は思わず顔をしかめた。時々、この人はこれをするのだ。
お守り袋が、破かれてしまったんです」
「繕ってやろうか」
 軽い調子で答える水木は、中を見たのかとは聞かない。だが、こうして戻ってきた時点で、予想はしているだろうと思った。一緒に暮らしている時も勘の鋭い人だった。鬼太郎がわかりやすいんだ、と彼は笑っていたけれど。
「浅間様は子どもの神様だ。おまえのことも守ってくれると思ってな」
 さらりと鬼太郎の髪を撫で、水木は目を細める。
それに、桜の神様だ。きっとおまえたちにはうんとよくしたいと思ってくださると思ってさ」
……?」
 今ひとつ話につながりが見えなかったが、鬼太郎はじいっと水木の目を見上げた。久しぶりに見る瞳は相変わらず命の輝きを閉じ込めて、美しかった。
 鬼太郎は一度水木の体から離れた。水木は不思議そうな顔で、わずかに首を傾げた。寝間着の、すっかりくたびれくたっとした襟がずれ、あわせが緩む。胸元がのぞいた。あの胸に吸い付きながら、幼い頃は眠ったことを覚えている。