『拝啓、あの日の君へ』
そうタイトルをつけられた水色の表紙の暑い本を捲る斑は、マンションの一室。黒いソファの上で唸っていた。
『あの日から九年の月日が流れました。まだ君に届くのではないかと一縷の望みをかけて、こうして筆を取り続けています
――』
何度も繰り返してその語りをする斑の元で、
「うわ、くっさ
……」
こはくは半ば呆れつつ眉間に皺を寄せた。
「こらこら。まだ駆け出しのライターさんだ。そう厳しく言ってやるものでもないぞお?」
「いや、ぬしはんの演技がくさいっち話しで脚本家さんは悪ないで」
その皮肉をまるで意に介さない斑は豪快に笑って見せて、隣に座るこはくの頭をぞんざいに撫でた。
「
……で?その話題の駆け出し脚本家さんと大人気監督の次回作主演大抜擢が大人気大河俳優の斑はんなんや?」
「まあそういうとになる」
「少しは否定せぇ!相変わらず面の皮厚いやっちゃな
……」
「どれも本当のことだからありがたいなあああ!」
子供ながらに将来の約束をした矢先、こつぜんと姿を消した恋人へ手紙を書き続ける男の話、という内容の映画だったと記憶している。粗筋を聞いた限りで、あまり得意な部類の話しではないとこはくは身構えたものだ。甘い恋愛あり、ミステリーも絡む話題作。そこにMaMとしての甘い笑顔、Double Faceとしてのミステリアスでセクシーな表情を持つ斑が起用されたわけだが。
「『炎と鎧』もまだ放送しとるし、クランクアップする前やろ?顔合わせとか」
こはくの問いに、曖昧にああ、とだけ返事をして、斑の目は台本に落とされたままになった。一分しても二分経ってもそれ以上の返事はない。
こら集中しとるわ、邪魔せんといたろ
――そう内心に零してソファから降りたこはくは、床のラグに座ってスマートフォンの画面と睨めっを始めた。
つい調べてしまったのは、斑の演技への評判だった。
『かっこいい!』
これはいつでもある、普遍的な斑への褒め言葉だ。
『マヒロくんはママしか勝たん!』
これも想像はつく。
『最近三毛縞調子乗ってる、どのドラマ見てもいるのウザ』
手酷い言葉に辟易とするし腹も立つが、こはくから見れば演技が絡まなくとも常に調子に乗っていて扱いに困るウザい男であることに変わりはない。極論、可愛い顔や素直な顔、言えないようなあんな顔は自分だけ知っていればいいのだ。
思わず口の端で柔らかく笑って、こはくの手がスマートフォンを滑る。
そうして二時間。時刻は午後六時を指していた。今日の夕飯をなににするか決めていない。こはくはまだまだここに居座るつもりでいたし、なにせ恋人との大切な時間だ。帰る気は毛頭ない。寮監の敬人にも真緒にも同室のジュンにも外泊するとは伝えて許可を取ってある。つまりはそういうことだ。
「斑はん、お疲れ」
あまりに台本に集中している斑へかける労いの言葉。
「ちっとは休憩せぇよ。コーヒー淹れたで」
いつの間にか、斑の趣味に合わせて有名店の珈琲豆の扱いも覚えた。こはくはそこに大量のミルクと砂糖を入れるのであまりその高級な味の恩恵には預かっていないが、それでも斑が愉快そうに嬉しそうに笑うから、それも悪い時間ではない。毎度からかわれるのは不快といえば不快だが、いつの間にかそれすら可愛らしく見えるのだから、こはくの恋煩いもなかなかのものだった。
「熱いうちに飲んどき。身体冷やしたらあかんで」
これでは恋人や伴侶を通り越して親の口ぶりだ。そのことがまたおかしくて、結局夕飯の相談もせずにこはくもスマートフォンに目を落とした。いわゆる照れ隠しというやつだ。
そうして更に経過する一時間。斑からの返事はない。一度〝ああ〟とも〝うん〟とも取れない歯切れの悪い返事をしたような気もするが、そもそも〝どうする?〟の問いにはどちらもおかしな答えだった。
完全にこはくの存在は忘れ去られている。
――この日を楽しみにしていたのは自分だけなのだろうか。薄々勘づいていたが面白くはない。
元来気が長くないこはくがそれだけの時間を大人しく過ごしていたのだから、これ以上はごめんこうむりたいところだ。
未だ台本から目を離さずにブツブツと台詞を繰り返す斑を尻目に、こはくはそっと紙にペンを走らせた。
スーパーとコンビニを巡って三十分。簡単な野菜炒めでいいだろうと、カット野菜を三袋。斑は未だに大量に食べるし、こはくもまだまだ成長期だ。どうしたって量は嵩む。そんな豚肉は300g。味噌汁にと豆腐。カットわかめはキッチンにあるのを確かめたから今日は買わなかった。コンビニでは新作の冷やし苺たい焼きを買った。
そんな帰り道。
「こはくさん!!!」
「へ?」
日の落ちた道、こはくの正面十メートル以上遠くから斑の声が響いた。
「こはくさん!?こはくさん!!」
あまりに切羽詰まった声にこはくも身構える。声がデカい、近所迷惑や、うるさい、目立ちすぎやド阿呆
――言いたいことは山ほどあるのに、その言葉たちを全て忘れてしまうほどに取り乱した斑がこはくの眼前に現れて、ついにこはくの身体を強く抱き締める。強く、強く。背が軋む。あまりに冷たい斑のその身体に、心がざわついた。
「なっ
……ちょ、斑はん?なんやねんこれ」
「よかった
……」
「
……はぁ?」
「無事で、いてくれて
……」
斑の鬼気迫る声にあてられて、こはくの身体にも緊張が走る。
「どうしても
……君に、まだ伝えてないことが、っ、たくさん、あって
……だから」
「な、なんや?ほんまにどないしたん?」
「手紙
……っ
……」
「手紙?」
こはくの脳裏に浮かんだままの疑問符とはまらないパズルのピースは増え、冷えきった斑腕の力は緩まないまま。その冷たい背に腕を回して摩り、わけもわからずこはくは返す。
「斑はん、落ち着きや?ほら、帰ろか。目立つし寒いやろ?」
「
……帰って、くれるのかあ?」
「はあ?」
絞り出された斑の声に、今度こそこはくは絶句した。そして、
「目ぇ覚まさんかい!!!」
バチンと鳴る強い音。肉が肉を叩く音。
「っ
――!」
一瞬の隙もなく放たれた猫騙しに、斑の目が、三度、四度と瞬く。
「
……こはくさん?」
「没入しすぎやド阿呆!」
「だって手紙があったじゃない、か
……?」
「そこにわし、なんて書いてた!?」
顔をしかめたこはくは、斑のスラックスのポケットにねじ込まれているメモ用紙を取り上げて斑の眼前に拡げてみせる。
「
……あ」
「『コンビニ行ってくる』」
「
……あ、ああ〜〜〜〜!?ああ!?そうだなあ!?コンビニだよなあ!?」
「当たり前やろがい!手紙残して消えたりせんわ!」
猫騙しに合わせて道に落ちた荷物たち。吹き荒れる春一番がスーパーとコンビニのそれを揺らす。すっかり毒気を抜かれたらしい斑が、こはくを前に顔を歪めた。
「泣くな泣くな」
「
……だって君が、」
「うん」
「もういなくなると、おもって
……しまったんだよなあ
……」
「言うたやろ、『ここにおるよ』っちこと、前も」
怒った顔から一転して優しく笑みを浮かべるこはくに、斑の身体が徐々に弛緩する。解けた緊張、それでも未だに胸を高鳴らせるこれはなんだろうか。
「『無視すんな』とも言うたやろ?台本読みすぎや、没入型とか言うんやろうけどな!身体と心壊したら意味ないで?」
「
……」
「結構、
……な。あれ、」
「
……ああ」
「わしも寂しかったんやけど?」
少しだけ意地悪く告げたこはくを抱き締めようとしただろう斑の腕が伸びて、今度は冷静にそれを引っ込めた。
「
……ごめん、なあ」
「ちゃんと謝れるなら及第点やな。少し役抜けてきたんと違う?」
「
……たぶん」
まだ幾分幼く儚く、辛そうなその眉間の皺をそっと撫でてやりながら、こはくは笑う。
「肉野菜炒め作ったるよ」
そうしてスーパーの袋を掲げれば、
「君がかあ?」
返されたのはその言葉だ。
「不都合あるんかおどれ」
「いやあ!君が料理すると台所が天才的に散らかるなあと思って!」
「その調子ええ口塞いだろか!?」
あまりにいつも通り取り戻した日常を二人で笑い飛ばしながら帰路に着く。少しだけの坂を下って、春一番に舞い上がる排気ガスの匂いと、今日はあまり見えない星と、どこかの家の料理の香り。広い街の喧騒が少しだけ遠くなって、少しだけ奮発してオートロックにしているマンションのエントランスを潜る。そんな、あまりにいつも通り取り戻した日常。
〝安心せぇ。一生一緒にいたるからな〟
斑の耳を照れさせたのは、台本にはないその言葉。泣きそうな顔を恥ずかしそうに嬉しそうに、他にもなんとも形容できない感情を混ぜたままくしゃりと歪ませながら返事をした斑を見て、こはくも笑う。
こうしてオートロックのドアは閉まったのだった。
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【手紙】【一緒】
60min+20min
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