【あしゅやよ】二人だけの合図

夜宵ちゃん「見極めは結構簡単」
VT小説があまりにも煮詰まり過ぎてしまい別でしたためたもの。

表向き家庭教師として勉学を教えている螢多朗はリビングテーブルを挟んだ向かい側の席──、教える意味が殆ど無いほど頭が良い夜宵が黙々と課題を解いている姿とその隣に座りスケッチブックに絵を描いている黒阿修羅の姿をぼんやり眺めていた。
「(見慣れた光景になったなぁ)」
傍から見れば幼い姉弟そのもの。姉の真似をしているのか、クレパスで絵を描く弟の姿は微笑ましさを覚える。
だが、未だ肌をヒリつかせる真っ暗闇に彩られた無垢なる殺意が決して自分達に向けられていないとしても螢多朗は度々体を強張らせてしまう。
「(今は全く感じないけど)」
行儀悪く頬杖をつき二人を眺める螢多朗の口元が緩む。普段あまり見ない粛々と課題を消化している夜宵をチラチラ見ている黒阿修羅がいじらしいのなんのって。普段聞き分けのいい子であるが、時折り年相応の態度を取る姿が嘲笑ではない笑いを誘う。
事実夜宵に構って欲しくて持っていたクレパスを置き、彼女のふっくら丸みを帯びた頬をそっと触れている。
黒阿修羅の手の感触に気付いた夜宵が目線、顔と一呼吸置いて夜の川のような黒い瞳と重瞳が合った。黒阿修羅の方が夜宵より背が高いものの、顔を俯かせ上目遣いで彼女を見ている姿は本当に年下の弟に見えて仕方ない。お姉さんに怒られてしまうだろうか。そんな下の子がする不安な気持ちを十二分螢多朗は察する事が出来た。
ノートに走らせていたシャープペンシルを持っていない方の手で夜宵が黒阿修羅の頭を撫でた。小さく幼い手がハリのある黒髪を頭のかたちに沿って優しく撫であやす。
黒阿修羅の半分近く閉じられた瞼。伏せられた目と緩やかに弧を描く口元から滲み出る嬉々たる感情。
これで終わり。そう云わんばかりにポンポン黒阿修羅の頭を撫でた夜宵の意識と視線がノートに戻り、黒阿修羅もまた満足したのか再びクレパスを持ちスケッチブックに絵を描き始めた──、かに思えた。
ずっと夜宵の頬から離れない黒阿修羅のやせ細った手。さわさわ撫でているようで、サイドから伸びている夜宵の髪が揺れていた。
構って欲しい視線が夜宵に注がれ続け、ついにはシャープペンシルを置いた夜宵は彼の両頬をグッと包み込みこねくり始めた。むにむに頬を揉まれている黒阿修羅が楽しげに目を閉じ彼女の手に自身の手を添えている。
が、それもあっという間に終わり三度夜宵が課題に戻ろうとした途端、黒阿修羅が彼女の頭を抱えるように抱き寄せた。
「もうちょっとで終わるから待って」
流石にこのままでは課題を終わらせられないと考えたらしく、夜宵が黒阿修羅を彼の形代であるライオン人形に押し込め自身の膝上に座らせた。
車で移動中や周囲を巻き込まないため夜宵が抱えるのはよく見るが家の中で見るのは珍しい、なんて螢多朗が胸中呟く間もなく白い霧が立ち込めるなり夜宵を後ろから抱かかえるかたちで椅子に座っている黒阿修羅が現れたので思わず咳込んだ。
「やだァ」
「む?」
夜宵の後頭部に顔を埋め駄々をこねる黒阿修羅。テーブルに隠れて見えないものの、彼の腕はがっしり彼女の腰元に巻き付ているのであろう。螢多朗は困った風に眉根を顰め、手を伸ばし開いていた夜宵のノートを静かに閉じた。
「今日はここまでにしようか」
「やった」
課題をやっていた夜宵以上に喜ぶ黒阿修羅に螢多朗の笑みが深くなる。大好きなぬいぐるみを抱き締めるよろしくぎゅうぎゅうくっ付いている黒阿修羅に夜宵は鼻で小さく溜息を零し、表情が希薄であるがやれやれと云わんばかりに体を捻り彼と自身の額同士を合わせつつ頭を撫でた。
「そろそろ休憩しよ、……あれ?」
「今日はもう終わりにしたんだ」
「そうなの?」
キッチンから人数分のティーカップを乗せたトレーを持ち現れた詠子の足が止まる。温かな湯気越しに聞こえた螢多朗の声に目を向け、すっかり遊ぶモードに移動している黒阿修羅に手を引かれている夜宵にくすっと笑う。
人数分のティーカップをテーブルに置き、螢多朗の隣に歩み寄った詠子は彼と同じ柔らかな視線を二人に向けたのだった。





照明灯を点けていない夜宵の自室。ぼんやり光るスマートフォンのディスプレイから漏れる光が僅かばかりの暗闇を押し退けていた。パジャマに着替えベッドに背を預け凭れ掛っている夜宵の横顔を膝を抱え浅く顔を埋めている黒阿修羅が仰ぎ見る。
就寝前にする日課、というらしいが黒阿修羅はそれが何なのかよく分からなかった。
肩が触れ合うくらい傍に居るのに此方を見てくれない寂しさともどかしさ。邪魔をしては駄目という気持ちを構って欲しい気持ちが上書きする。
やおら伸ばした手。猫耳パーカーの襟の膨らみに隠されていない細い首筋を指先でなぞり上へ上へとすべらせた。やわい頬の膨らみに沿って手を添え包み親指の腹で触り続けたくなる肌を擦る。
……
無言で夜宵の重瞳が黒阿修羅を見遣る。ディスプレイの光が瞳に映り込むのでさえ疎ましく感じてしまう。黒阿修羅が空いているもう片方の手で夜宵の頬を包み込み、夜の川のような黒い瞳が一切逸らさず彼女を覗き込む。
一度だけ視線を絨毯に落とした夜宵が彼を見上げ口を開いた。
「他の子たちの目が隠れていない」
物々しく不気味で多種多様なぬいぐるみの瞳が暗闇の中で怪しく光り夜宵と黒阿修羅を見世物小屋の見世物よろしく卑しい目で舐めまわすように見ていた。
だが、黒阿修羅はその返答すら織り込み済みだった。ゆっくり目を閉じ、開けた時には夜の川のような黒い瞳ではなく白目と黒目が反転したものに変わっていた。どす黒い血の涙を流し、夥しいほどの切り傷と血が集中的に胸部を彩る。
一目で生きているものとは違うおぞましさ。
されど、夜宵を見続ける眼差しは恐怖を抱くにしては優しすぎるものだった。危害を加えるどころか純真無垢なる愛おしさに彩られた瞳。
「大丈夫、もう隠してる」
小さく紡がれた黒阿修羅の言葉。彼の足元から無数に映える幽玄な手たちが瞳の優しさとは逆に暴力的な力の差を持って下卑た好奇に満ちるぬいぐるみたちの顔を鷲掴む。刹那、響き渡る耳障りな合唱をさらに彼は握りしめる力を強める事で分からせた。
しんと静まり返る部屋の中、彼の足元から生えた最後の一本の手が夜宵の手からスマートフォンをそっと取り上げディスプレイの灯りを落とす。時間差で固い何かの物音が夜宵の鼓膜を震わせ、それがスマートフォンがテーブルに置かれたのだと気付くのに然程時間は掛からなかった。
……お姉ちゃん」
暗闇より黒い漆黒の声は熱っぽく湿り気を帯びていた。
暗がりでもぼやけず見える夜宵の顔、そして唇に黒阿修羅の反転した目が狙いを定め。顔を寄せ唇と唇を重ね合わせた。
濃密な時間はどれだけ経ったのか判断しづらい。だが、柔く重ね合っていた唇を離し双方の唇から伸びる銀糸の糸がぷつり切れるのを何んとなしに眺め──、暗がりでも分かる頬を朱色に染め上げ艶めいた息を零す夜宵に黒阿修羅が満足げに微笑み。
そして、盈されない想いを舌先に乗せ強請った。

「足りない」

吐息交じりに紡がれた黒阿修羅の想いは甘く夜の川の底の様に深く暗い。
川底を見ようと覗き込めば引きずり込まれる。それを分かった上で夜宵は彼の頬と頭に手を添え自ら二人の間にある距離を埋めた。
後ろはベッド、左右は幽玄な手たちが塞ぎ、そもそも両頬を黒阿修羅のやせ細った手が包み込み、正面は夜宵より背丈のある彼がいつの間にか覆い被さり逃げ道を塞いでいる。
背伸びをした子供らがする大人染みたキス。たどたどしさが息絶えたキスはただひたすらに心地よく、黒阿修羅の無垢な好意を受け止め受け入れる夜宵の重瞳にはもう彼の姿しか見えていない。