ガイベル
2024-04-22 00:15:39
5233文字
Public お話
 

水族館と孤独の海

通話しかできない携帯なんて。

デートの途中でバジルとはぐれた。

さっきまでは確かに隣にいたはずだ。
不安に駆られる僕とは対照的に、視界の端では悠々と泳ぐ魚たちが群れをなしている。
改めて辺りを見渡してみたが館内は薄暗く、他の来館者もそこそこいるため人探しは難しそうだ。
楽しげな人々の中で、自分だけ時間と色が切り取られたような感覚がする。
──それを自覚して遅れてやってくる、すごく嫌な感じ。
……だから、ずっと手を繋いでおけばこんな事にはならなかったのに、と思う。
でも しかし だって、彼は外出先で手を繋ぐことを嫌がるのだ。なぜかはよくわからないけど。
いくら人が多いと言ったって、誰も彼も、大人も子どもも。
音もなく泳ぎ回り、あるいは物影に隠れる海洋生物たちを見る事に夢中で、他人の事なんか目に入っていないだろう。
……昔は何をするにしたって率先して僕の手を引いてくれていたのに。
そう思いながら手の中にあるアンテナ付きの小さな鉄のかたまりに目を落とす。
ボタンを押して明るくなった小さな画面を確認したが、特に連絡が入っているという事は無かった。それどころか、呼び出そうとしても繋がりもしない。多分電源を落としているか、マナーモードで気付いていない。
せっかく普及してきた人類の叡智、便利道具を持っていたところで……これじゃあ不携帯と一緒だ、とさらに彼を責める気持ちが膨れる。
あまりに機械への頓着がないものだから、少し前に詰め寄る勢いで『使い方わかってる?』などと聞いてしまった事だってある。
その時の僕の剣幕に彼は反射的に『ごめんね』とは言ったものの、あまりピンとは来ていない様子だった。
『うーん……でもサニーくん以外にぼくに連絡してくる人ってあんまりいないし……。今は一緒にいてくれる事、多いでしょ。だから使う事、少ないんだ』
はにかみながらそう言っていたのが記憶に新しい。
僕はそれに対して何も言えなくて、勝手に引っ張り出した取り扱い説明書も役には立たなかった。
……通話しかできない機械こいつに、写真でも撮れる機能があれば、少しは使われ方も違ったのかもしれない。あるいは、パソコンみたいにチャットみたいな事ができれば。
……そんなこと考えても、仕方がないけれど。
あの時の彼の言葉は彼にとってのただの事実で、自虐でもないし、ましてや皮肉でもないんだろう。
……現状の迷子状態に関しては。最悪、館内アナウンスをしてもらうのが早い可能性すらあるが、それはもう最終手段だ。

いくぶん早足で人の流れを逆走する。
すれ違う人をいちいち確認しては『違う。違う。』と、目を移す回数が増えるほどに焦りが募る。下手をすると本当に見つけられないかもしれない。そんな考えまで生まれてくる。
貴重な休みにわざわざ足を伸ばして来たというのに、はぐれて解散だなんて始末が悪すぎる。
同じ家に帰るのに。
そんな、近所の公園でするかくれんぼじゃあるまいし。
落ち着け、落ち着け。集中して探せば絶対に見つけられる。今はなんのよすがにもならない機械を握りしめて、それをポケットにつっこみながら心の中で自分に言い聞かせた。


…………


ややあって少し前のエリアの水槽前でじっと佇む彼の姿を見つけた。
今までの不安が杞憂に終わった事に安堵する。
バジルは静かに水槽の中のクラゲを眺めていた。
いつか、月を見ていた時のように静かな横顔。
ほっとしたのと同時に心ここに在らずのような姿を見て思わず腕を掴んだ。バジルは突然の干渉に驚き、ハッとしたようにこちらを見る。しかしその正体が僕だと分かるとすぐに緊張を緩めて笑った。
「どうしたの?」
…………どうしたもこうしたも!バジルはまるで今の状況をわかっていない。
勝手にはぐれて迷子になって連絡もつかない僕をひとりにして
安心したらちょっとムカついてきた。
こちらの内心を知らずにバジルは目の前の水槽に目線を戻すと、今度は楽しそうにニコニコとしながら話し始める。
「植物のこととかは結構詳しいつもりだけど……水の中の生き物たちも、こうしてみてるとかわいいね。彼らも静かで……すごく……自然体だから」
いいなあ、と呟いてまた静かに水中を見つめる。
水の中でゆらゆらと動く目の前の生き物たちは、確かに何のしがらみも、悩みすらもなさそうにも見える。
僕はさらにぎゅっと彼の服を握った。目の前の光景に夢中なバジルは、それをあまり気にしなかったようだった。
……彼はよく、何かをみてはそのあり方を羨ましがるようなことを言ったり……書いたりしている。……と思う。
たとえばそれは花でも、人でも。
──その時はまるで、自分が違う何かであれば良かった、と言うかのように。
それを、なんだかすごく嫌だと思った。
でも、自分がこうあれたら、……もっと完璧であればとか。そういう理想は僕にもあったし。今でもあると思うから。
バジルの言わんとする事も、気持ちもわかるような気がする。
だから、なんというか。彼に対して……いや、きっと自分に対しても、返せる言葉が見当たらなかった。
──それでも。『そのままでいいよ』とか、『そのままでいて』とか。本当は、彼にもすぐにそう言うことができたら良かったのかもしれない。
そう思ったりした。
ままならない、ままならない。


どうやら彼の中で腕や服を掴まれるのは"人前で手を繋いでいる"判定にならないらしい。
恥ずかしがるポイントがイマイチわからない気がするが、特に何も言われなかったからそのままでいた。……ここでまた見失っては、たまらないし。


「あ、ほら!今度はペンギンがいるよ」
バジルはさっきまで僕が近くにいなかったとは思えないほど、見るもの全てに反応して話題が尽きない。
いや、もしかして、さっきまでもはぐれた事に気づかないで1人で喋ってたりしたのかな。……流石にそれはないか。
ペンギンたちがてちてちと歩くさまを2人して眺める。
あのよたよたした歩き方はともかく、堂々と胸を張るように歩くペンギンの姿と、僕が今バジルを見失わないように腕を掴んでいる姿はひどく対照的に思えた。

「餌を求めて一番初めに海に飛び込む姿を讃えるファーストペンギン、ていう言葉があるけど、一説にはその行動は群れが危険な海に飛び込む時に、天敵のシャチがいないかどうかを見るためのものでもあるらしいよ。……だから自ら飛び込んでいると言うより、群れの仲間に蹴り落とされてるんだって。」
バジルは目線をペンギンから外さないままに、この前読んだ本に書いてあったんだ。と続ける。

「えっと……でもね!それは群れが少しの犠牲で多くが生きるための戦略でもあるというか……、あー……、ううん、ええと。それも気分いい話ではないよね。……普通は、嫌な話だよね。もちろん、他にも良いところもあるんだよ。生涯1人の相手を伴侶とするとか、交代でずーっと卵や雛の世話をして、……力を合わせて子育てする、……とか……。」
彼の声はどんどん尻すぼみになり、どちらかと言うと後に語った事の方が彼にとってはよほど性質の悪い事で、認めたくないものであるかような気がした。
なんとなく、写真でしか見たことがない彼のご両親のことが思い起こされる。その感傷は、僕が触れて良いものなのかどうかわからなかった。

「だからね、つまり何が言いたいかと言うと……その。ぼくも物事とか、誰かの一面しか見ないようにするんじゃなくて……。自分にとって都合の良い方の、それしか信じるんじゃなくて。……少しずつでも、色々なことをきちんと認めていけたら良いなと思ってるんだ。良い事も……悪いことも。」
そうしてまっすぐ僕を見る彼の青い瞳は、思っているより凪いでいて、静かで、孤独な海のようだった。

僕たちが冒した罪と言える過去。そして、彼がずっと認められなかった、認めようとしなかった"僕がしてしまった事"の数々。それに目を瞑らずに、受け入れがたくても認めようとすること。……認めて、認めた上で、自分も含めて赦そうとする事。それがバジルなりの、今の前の向き方なんだと思う。
……先程、咄嗟に彼に『バジルはそのままでいい』と言わなかった事。言えなかった事を、今度は都合よくも、"言えなくて良かった"なんて、思ってしまった。

「サニーくん。あの……それでこんな事言うの、やっぱりぼくのわがままだとは思うけど。……これからも、ぼくのそばにいてね。」
お願いなのか、一世一代の告白なのか分かりにくいが、彼の意を決したような言葉が届く。

──それは。

…………。」
僕は黙ったまま、腕を掴んでいない方の手でバチン、とバジルのおでこにデコピンをする。
「いたっ!!!」
かなり思い切りやったから、僕の指もジンジンする。
バジルも相当痛かったらしく、彼は両手で額を押さえながら俯いてしばらく動かない。
"いらいら"は"しょんぼり"に強いから……


──でも、だってそれは。その言葉は。
彼だって僕の傍から離れないように努力してから言って欲しかったのだ。
だからこの一撃は、さっきはぐれて孤独の海に溺れそうだった僕の分の怒りだ。
八つ当たりと思われても、そんなのは知ったことではない。ちょっとだけ、罪悪感は湧くけれど。
瞼に涙が滲んで、少し悲しそうに僕の顔を伺うバジルと目が合う。どうして……と言外に訴える表情の彼に、今度は僕の要求を突きつける。

「だったらずっと手を握っていて。離さないで。」
僕はそう言って彼の目の前に手を差し出した。
これが僕の、彼の言葉に対する答えだから。
彼は僕の顔と差し出された手を見比べて、それから周りをチラと見渡し、どうしようかと迷っている。
ここまできて体裁を気にするのは、もはや彼の性分なんだろう。
「バジル。……ずっと、僕の傍にいてくれるんでしょう?」
だから手を繋いで。

ザワザワと賑やかな筈の館内で、僕たちの周りだけ静寂が訪れているようだった。
それを感じているのはきっと僕たちだけで。
時が止まっているような僕たちのそれを、もちろん誰も、ひとりとして気にかけることなどない。
僕も周りを一瞥してから『大丈夫だから』と促すように彼を見つめる。

そうして、少ししてから恐る恐る繋がれた手が柔らかく握られたことに安堵する。いくら格好をつけた言葉や態度をしたところで、抱える不安や緊張は僕だって同じだった。

まだ薄暗い館内を彼の手を引いて歩く。今度はもう、はぐれない確信を持てているから。
……それからは格段に静かになってしまったバジルの代わりに、展示を見て回りながら今度は僕が話をする。
けして照れ隠しとかではない。
……ラッコは寝てる時に大切な仲間とはぐれないように手を繋ぐんだって」
そう言って、今度は繋いだ手の指を絡ませるように握り直した。ピクリと動揺したような反応の後、静かにきゅ、と握り返される。紅潮した頬のバジルから、蚊の鳴くような言葉が返ってきた。

…………じゃあ今日、……ぼくが眠る時も、手を握っててね。サニーくん」
それをしっかり聞き届けた僕は、彼の頬の赤さが耳まで移ったようで。
うまく言葉にして返せなかったから、かわりに手を強く握り返した。
もう水槽を見ると言うよりは半分お互いを見ていたような気もするけど、本来、デートとしてはこれで良いのかもしれなかった。
それに、やっぱり彼と手を繋いで、彼の隣で、嬉しそうな笑顔が見られたことがたまらなく幸せだった。
相変わらずそれなりに人のいる館内は最初から何も変わっていない。でも、大勢の中のこの2人ぼっちは、悪くないと思えた。


…………

帰り際に売店で連れて帰るぬいぐるみを物色する。
最近はどこかに出かけるたびにその数が増えていて、ベッドサイドどころか部屋が埋まりそうなほどだ。それについて何か言いたげなバジルの視線に気付かないフリをして、……なんなら今日はペアのぬいぐるみをカゴに入れた。
忘れてしまっても、無かった事にはならないのはちゃんとわかっているけど、やっぱりこれは記念に。
流石にカゴの中の2体のぬいぐるみを目にして
『ちょっとサニーくん、』と言いかけたバジルに、
『バジルは携帯にストラップでもつけたらいいんじゃない』と言って気を逸らした。半分、本心だ。

そう、そうだやっぱり……携帯にカメラみたいな機能、あると良かったな。
一応まだ記憶力にも自信があるけど。
大切な事も、思い出も。忘れたくない彼の表情も。意図せず記憶の淵に置いて来てしまうことがあるのを、僕は痛いほど知っているから。
そうしたら写真を見て今日の事をまた、すぐ思い出せるように。




end.