『公子』タルタリヤは戦闘狂としての一面と、家族を愛する青年としての二面性を兼ね備えた存在である。言い換えるならば、その最大の矛盾は家族を大切にしているのにも関わらず、ファデュイに属し常に戦闘を追い求めているということだ。タルタリヤは自らがファデュイに属していることを末弟のテウセルに隠し続けている。また、「家族には国の闇には触れてほしくない(伝説任務:空鯨の章)」、そう言いながら弟の前では玩具販売員を演じ、傷の癒えていない身体に鞭を打ってでも弟を危険から守る。しかし極論、本当に家族を想うならば今すぐファデュイを辞めて実家で家族と平和に暮らせば良いのではないか。何故タルタリヤはファデュイで、「兵器」であり続けるのか。この問いを軸として、タルタリヤにとって戦いとは何なのか、タルタリヤは何故戦いに目覚めたのか、タルタリヤの葛藤について議論を展開していきたい。
1.戦い=自己肯定
キャラクターボイスから、タルタリヤがファデュイという組織や執行官という立場にそれほど執着していないことが分かる。彼はファデュイに入隊したのは「戦う機会がもっと欲しかったからだ(キャラクターボイス:「召使」について)」と説明する。勿論、ファデュイという軍事組織に入れば戦いの機会が約束されるという意見はもっともだ。だが、ファデュイに居続ける理由は本当にそれだけなのだろうか。タルタリヤは自らを肯定する為にファデュイに居るのではないだろうか。
まず、タルタリヤは「女皇様の兵器」を自称している。何故タルタリヤは兵器に徹しているのか、それはタルタリヤが「戦う意味」を求めているからだ。タルタリヤは「戦う意味は何年も心の重しになっていた(伝説任務:空鯨の章)」と述べている。彼は常に極限の争いを求め、自ら渦中に飛び込んでいく根っからの戦闘狂であるはずだ。そんな彼が戦う意味を問うのは何故か。タルタリヤにとって戦いはタルタリヤがタルタリヤである為に必要なものだと考えられる。深淵に落ちてから戦いの欲動に目覚めたアヤックス少年は、その戦いを極めファデュイ執行官の座にまで上り詰めた。今の『公子』タルタリヤにとって戦いは生きるために必要なもの、言わば酸素のような存在だ。だからタルタリヤは戦いを避けて通ることは出来ないし、戦いがなければタルタリヤはタルタリヤである意味を失う。つまり彼はアイデンティティを失う。故に、タルタリヤは自己肯定の術として戦いが必要不可欠なのである。
では、タルタリヤが戦う意味とは何だろう。一般的に、戦争には開戦事由(Casus belli)という概念が存在する。これはすなわち戦争を始めるには何かしらの正当で合理的な理由、云わば大義名分が必要ということだ。開戦事由がなければその行為はただの侵略戦争になる。タルタリヤもまた、自らの戦闘という行為をファデュイの執行官として女皇様の兵器となることで合理化しようとしているのではないだろうか。加えて、タルタリヤが自らファデュイに入隊した訳ではない(父親によって徴兵団に送られた)ことからも、ファデュイと戦う意味を結び付けることで父親には受け入れられなかった欲動の合理化を図っているように見える。海屑町のアヤックス少年はその戦いへの欲動を肯定されることは無かった。しかし、女皇様の兵器となることで彼はただの人殺し機械ではなくなる。スネージナヤ、女皇様が望む未来の為に「戦う意味」を手に入れることが出来るのである。
2.戦い=防衛機制
そもそも論として、タルタリヤは何故戦いを追い求めるのかについて考えていきたい。心理学者フロイトは人間のこころを「イド(id)」「自我(ego)」「超自我(super-ego)」の3つの層に分けて分析している。イドは無意識的で原始的な欲望を、自我はイドと超自我の中間の調整機関、そして超自我は道徳規範の役割を果たす。願望や衝動(すなわちイド)は超自我によって禁じられ、葛藤となって抑圧される。この際、イドからくる負の欲動から自我を守るために防衛機制が働く。つまり、森の中で彷徨い未知の世界に落ちてしまったアヤックスもまた自らの不安や恐怖に対処する為に防衛機制を経験していると考えられる。防衛機制には様々な種類があるがアヤックスの場合、不安や恐怖といった本来の欲求とは反対の行動を取る「反動形成」が行われたのではないだろうか。本来ならば防衛機制は人間のストレス対処のメカニズムとして自然なものであり、一時的なものに過ぎない。しかし、それが消滅しなかった場合は無意識的な欲求として残り、他の症状へと置き換えられる。つまり、アヤックスは本来昇華されるべきはずの不安や恐怖を戦闘への欲動へと置き換えてしまったと考えらえる。この場合、無意識化の願望や衝動を意識化することで症状は解消されるのだが、アヤックスにはそれが出来ていない。深淵から生還し海屑町に戻ったアヤックスは闘争に明け暮れた。終いには喧嘩で死人を出しかけ、父親の手でファデュイの徴兵団に送られてしまう。ファデュイでもその欲動を抑えられることの出来なかったアヤックスは、父親に完全に失望されてしまった。「彼の膨れ上がった自我も、強敵に勝った快楽で満たされていった(キャラクターストーリー5)」これは本当の意味での昇華なのだろうか。彼の穴の開いた自我は戦闘の快楽と言う代替品によって塞がれただけに過ぎないのではないのか。もしかしたらアヤックスに必要だったのは戦闘ではなく、父親に自らの不安や恐怖を意識化してもらう、認めてもらうことだったのかもしれない。
3.タルタリヤの葛藤
ここまでタルタリヤが抱え得る欲動について考察してきたが、タルタリヤという人間の非常に興味深い部分が自分を少なからず客観視している所である。言い換えるならば、タルタリヤは自らのこころに向き合う姿勢を見せているのだ。前途に挙げたようにタルタリヤは戦いを合理化させようとしている。さらに、伝説任務では意味深長なセリフを零している。
「子供の夢は壊れやすい。放っておいたら、知らないうちに壊れてしまう(伝説任務:空鯨の章)」
「与えた夢はちゃんと最後まで守る…(伝説任務:空鯨の章)」
これらのセリフがタルタリヤ自らの幼少期の経験を示唆していることは想像に容易い。アヤックス少年は、父親が語る冒険物語に出てくる英雄に憧れ家を飛び出したがそこで待っていたのはきっと思い描いた夢の世界ではなかった。父親はアヤックスに失望し、その手を離した。そして、親子の信頼関係というものも断ち切られてしまった。絶えず与えられるはずだった父性愛を14歳の少年は失い、少年期から青年期へ、護られる立場から護る立場への強制移行が行われた。アヤックスは「大人にならざるを得なかった」。この点でタルタリヤは、自らが経験した葛藤の二の舞をテウセルには演じさせないようにしている。さらに言えば、タルタリヤは自らに与えられなかった保護を、弟や妹に捧げることで自らのトラウマを乗り越えているのではないだろか。タルタリヤが家族を愛していることは疑いようのない事実だ。一方で、その愛情が度を越えたものであることは旅人からも指摘されている。実際、冒頭にも述べたようにタルタリヤが本当に家族を想うならばファデュイに居るべきではない。「嘘をついたら氷漬けにされる」、彼はテウセルに自分の正体を隠して首を絞め続ける。それでもタルタリヤは戦いとファデュイの両方を手放さない。この大きな矛盾を抱えつつも自らの葛藤に向き合おうとしている、そんな歪な姿が彼の魅力なのである。
結論、タルタリヤは女皇の兵器となることで自らが戦う大義名分を得た。彼にとって戦いは置き換えられた欲動の姿なのかもしれない。そしてタルタリヤはその意味を自らに問いながらも、自らの信念に基づいて役を演じ続けている。果たしてタルタリヤは本当の意味で自分に向き合えているのか、フォンテーヌで旅人と再会したタルタリヤは自らの不調を訴えながらこう発言している。
「もしかしたら俺も、自分のことをあんまり分かっていないのかも(魔神任務:第四章第一幕)」
タルタリヤが無意識の自我を意識化し仮面を外した時、我々はタルタリヤから抑圧された「アヤックスの部分」を見ることが出来るのだろうか。
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