溶けかけ。
2024-04-17 23:37:37
2002文字
Public ほぼ日刊
 

海の涙

星涙病にかかったフリーナの話。
悲恋。仲のいい二人はいない。



 コロン、と雫が落ちる音がした。フリーナは緩慢な動作でそれを拾い上げる。淡い光を放つ雫型の石――星涙と呼ばれる――を暫く眺めたあと、無造作に口に放り込んで噛み砕いた。口いっぱいに濃縮された海の味が広がった。広くない室内を星涙を咀嚼しながら回遊魚のようにあっちへふらふら、こっちへふらふらとしたフリーナは最終的に姿見の前にたどり着いた。鏡に映る自身の色は白と黒。濃淡はあれど、その二色で構成されていた。……僕はどんな色彩だったっけ?……まあ、いいか。そんな些細なことは。

 星涙病と言う名の病をご存知だろうか?罹患した者は星涙と呼ばれる星を涙の代わりに流すようになる奇病である。星涙には様々な形や色があり、食べると塩辛いのが特徴だ。多少、涙の発作が起こって星涙を流すことがあったとしても本来ならその程度の病気で日常生活には影響がない筈なのだ、そう――本来なら。
 稀にいるのだ。視神経に異常を来し、色彩を判別出来なくなる者が。そうなった患者を診た医者は揃って首を横に振る。薬はありません。――片想いを何とかするしかないでしょう……とまあ、こんな感じで匙を投げるのだ。ああ、なんて愉快なんだろう――フリーナは床にのたうち回って笑い転げる。例え、その心がちっとも愉快だと思っていなくとも。
 一頻り笑い終えたフリーナは無表情に起き上がると虚空を見つめて制止した。否、彼女の目は天井の先――想い人の方を向いていた。
「      」
 形の良い唇が言の葉を紡ぐ。手を伸ばしかけて、すぐにその手が重力に従って垂れ下がった。会いたい、話したい、抱き締めて欲しい……一つ想えば、また一つ。欲望は湧き出る泉の如く増えていく。医者は言った。想いを伝えて両思いになればこの病は治ります、と。……優しい彼のことだ。星涙病のことを知ればきっと、フリーナの想いに応えてくれるであろうことは想像に難くない。だからこそ、この想いは墓場まで持っていこうと決めている。たとえ、世界が色彩を失ったとしても――



……
……
 紅茶を飲みながら、フリーナはヌヴィレットを見遣る。テーブルを挟んで向かい側、彼は考え込んだ顔をしながらノンビリラッコの形をしたケーキにフォークを入れている。そんな姿さえ様になっているように見える、なんて重症にも程がある。
「フリーナ殿」
 不意にヌヴィレットが顔を上げてフリーナを見た。なんだい?と返す。やっとこの茶会の理由を話す気になったのか、と安堵する。正直、彼とこれ以上一緒の空間に居たくなかった。いつまた星涙の発作が出るか気が気ではなかったのだ。
……何か私に隠していることはないか?」
 ヌヴィレットの質問に平常心を装う。
……なんのことかな?」
 はあ、と彼はこれ見よがしに溜息をついた。
「質問を変えよう……これが何色か分かるかね?」
 ずい、と差し出された食べかけのノンビリラッコのケーキ。
「白と水色だろう?ノンビリラッコの色だ」
 フリーナは自身満々に答える。ヌヴィレットは首を左右に振った。
「残念ながら不正解だ。……稲妻の菓子店とコラボしたこの商品は『桜ノンビリラッコくん』と言い、白と桜色をしている」
 どうやら、君は識別出来ていないようだがな?とヌヴィレットは続けた。フリーナの背中にひやりとしたものが落ちる。――失敗した!質問をされた時点で彼の意図に気づくべきだったのに!
 モノクロの世界で爛々と輝く朝焼け色の双眸だけが鮮明に映る。
……だからってキミには関係ないだろう?」
 ヌヴィレットが眉を釣り上げる。
「ほう?関係ない、ときたか」
 彼の言葉にフリーナは口角を上げた。
「そうだとも。僕とキミは無関係の赤の他人だ。僕のプライベートに介入する資格はないだろう?恋人ですらない……それともキミは僕の恋人になるとでも言うのかい?」
 挑発するようにフリーナが言った。ヌヴィレットは顎に手を当てて思案しながら口を開いた。
……星涙病は片想いの人間がなる病気だと聞いた。君が完治するのであれば喜んで恋人にだってなろう」
 ――ふざけるな、とフリーナは腸が煮えくり返る思いがした。ヌヴィレットに大股で近づき、胸倉を掴む。
「自惚れるなよ、ヌヴィレット。僕はキミの力なんて必要ない」
 ポロポロと涙の発作が起きて、次から次へと星涙が落ちて行くのが分かる。ヌヴィレットが目を見開いてその様子を見守っていた。ああ、終わりだ、今度こそ。フリーナは弱々しく彼の胸元から手を離すと星涙を掻き集め一気に口に入れた。じゃりじゃりと痛いほどの塩気が口内を犯す。無理矢理飲み込んで、何事もなかったかのように笑って部屋を後にした。

 一人残されたヌヴィレットは拾い忘れられた星涙を拾って口に運ぶ。味わうように咀嚼して飲み込んだ。
……しょっぱいな」