Ykanokawa
2024-04-15 22:28:20
6640文字
Public クリテメ
 

木いちごソーダとクアトロフォルマッジ

※エピローグまでクリア推奨
※エピローグ後にフレチャで同棲しているクリテメが料理を作って食べるだけの話

レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考になりません。

 書簡を広げたクリックは深く息を吸い込んだ。
 一文字ずつ、辛抱強く内容を読み込んでいく。机に向かいながら活字だけを眼で追う作業は、正直に言って苦手だ。しかし、疎かには出来ない。するわけにいかない。
 すべての書類に目を通し、ペンを持ち上げ署名する。いつもより注意深く、ゆっくりと丁寧に。
 書類を包んで隅に寄せ、ゆっくりと息を吐き出してから、クリックは机上に突っ伏した。
 複雑な感情が絡み合っている。嬉しいような。泣きたいような。怖いような。誇らしいような。高揚感もあるし、同じくらいの憂鬱が横たわっている。
 気を取り直すために何度も読み返した手紙を取り出した。ク国の王、大企業の社長、そして今や上級聖堂騎士の代表として奔走している親友。どの手紙にも用件とともに労いと激励の言葉が並んでいる。読む度に元気づけられてはいる。だが。
 ――本当はすごい人たちなんだよなぁ。
 本人たちは気さくな振る舞いでクリックを友人と呼んでくれるが、対外的には錚々たる顔ぶれである。自身の歩んできた道行きを否定する気はないが、ひとつまみの劣等感は拭えない。
 ――テメノスさんだって。
 恋人である彼だって権威ある立場だ。傍目からすると自由人に見えるだけで、裏では山積する仕事を熟していることをクリックは知っている。
 自分が恋人でいいのだろうか、と悩む時期はさすがに過ぎている。けれど、彼に甘えっ放しの一騎士のままでいるという選択はすべきではない。そう強く感じてはいる。
 ――でも、そのためには。
 隅に追いやった書類をちらりと見遣り、襲ってきた不安に目を伏せる。気弱になっては駄目だと理解しているのに。
 巡る不安を振り切るために首を振ったとき、呼び鈴が鳴った。


 届いたのは一通の封書とクリックの両手に収まる程度の大きさの木箱だった。
 宛名はクリックとテメノスの2人に対する連名、差出人は〝アグネア・ブリスターニ〟。彼女からの封書はとりわけ丁寧に開ける暗黙の了解がある。そうっとペーパーナイフを動かしてみると、美しい装丁のチケットが2枚、覗いていた。巷で手に入れようと思ったら相応に入手困難な貴重品である。
 ――テメノスさんが帰ったら日程と場所を確認しないと。
 破いてしまわなくてよかった。密かにほっとしながらクリックは木箱を持ち上げる。大きさはそれほどでもないが、それに見合わず結構な重さがある。蓋を外してみると柔らかな梱包材の中にいくつもの瓶と2つほどの何か塊を包んだ包装紙が見えた。
 小さな瓶には色彩豊かなジャム。ひとつだけ大きな瓶には見事な黄金色をした蜂蜜。包装紙の端を捲ってみるとチーズの香りが鼻腔を掠めた。ただし、羊乳のチーズが中心であるフレイムチャーチ産のそれとは少々異なる香りだ。色味も違う。
 同封されていた手紙を開いてみる。丸みを帯びた、しかし、真面目さを感じさせる筆致だ。
 彼女は変わらず各地を巡り、舞踏に乗せて希望を届けているようだった。かつてのライバルであったスター・ドルシネアが積極的に彼女を喧伝しているものだから、その効果は絶大である。
 休む間もない彼女を心配して、彼女の地元であるクロップデールの人々は彼女に宛てて大量に故郷の味を届けてくれたらしい。これらはその好意に感動した彼女からの裾分けというわけだ。
 落ち込むことも、故郷やあの旅が懐かしくなることも。たくさんのことがあるけれど、元気に過ごしています。
 最後の一文は実に彼女らしい明るさに満ちていた。
「落ち込むことや懐かしくなること……
 彼女の歩む道とクリックのいる道程では、何もかもが違う。進み方も、ぶつかる障壁も、乗り越えるために必要なものも。けれど。
……負けていられないな」
 何度、躓いても懸命に立ち上がる少女の姿を瞼に描き、それだけで励まされたような気がした。やはり彼女はスターの器なのだ。納得しつつ裾分けの中身を改めて検分する。
「蜂蜜とチーズ、か……
 ふと、いつかニューデルスタで初めて食べたとあるメニューが浮かんだ。赤ワインのお供にチーズを好むテメノスが、珍しく食い意地を発揮していて驚いたものだ。
 それそのものの正確なレシピは知らない。けれど、土台となるものなら何度か作ったことはある。味も知っている。
……よし」
 何事も挑戦だ。一歩を踏み出す足掛けとすべく、クリックは木箱を抱えて炊事場へ向かった。


 クリックが作ろうとしているのは4種類のチーズを使ったピッツァだ。以前に食べたメニューにはやや高価なブルーチーズが含まれていた。だが、名前に4つのクアトロという文字が入っているからにはチーズの種類が4種であることが重要なのだろう。
 なら、このクロップデール産だというチーズとフレイムチャーチ産のチーズを合わせてみるのはどうだろうか。
 送られてきた2つのチーズはどちらも黄色味を帯びたハードタイプのチーズだった。円形に整えられた表面を削って味を見る。ひとつはクセのないまろやかな味でわずかに酸味がある。もうひとつは口に含むと牛の乳の香りと深みが一気に広がる濃厚なもの。
 なるほど、確かにいつもテメノスが常備しているチーズとは違う。
 食材ストックの中から2種類のチーズを取り出す。サラダとともに食べる塩味が強いものと、表皮の白カビと中身のとろりとした食感が特徴のもの。ともにテメノスが好んで食べるチーズである。
 問題はピッツァの生地だが、実はこの家に於いてピッツァの生地を作るのはクリックの役目だった。
 まず単純に力仕事であること。そして、そもそもピッツァ生地の作り方をフレイムチャーチの酒場の主人から教わったのがクリックだからだ。
 今でこそ改善されたが、出会った頃のテメノスの食の細さと言ったらなかった。嫌いなものがない代わりに特別に好きだと言えるものもない。ただワインには拘りがあったので、付随するつまみや軽食はよく口にした。さくさくとした歯応えのクリスピータイプのピッツァもそのひとつだ。
 ぽろりと愚痴を零したクリックに、家庭でもできるピッツァ生地の作り方を伝授してくれたのがフレイムチャーチの酒場の主人だった。
 テメノス様が倒れでもしたら大変だ。そう気前よくレシピを教えてくれた彼には感謝しかない。
 釜戸にかけた小鍋に水を張って弱火にかけておく。
 大きめのボウルに強力粉と少量の塩を加えてよく混ぜる。火にかけたばかりの水がぬるま湯になっていることを確かめてから、粉の真ん中へ落とすように適量を注ぐ。オリーブオイルを垂らし、大きく一纏めにしたらいよいよ力仕事だ。
 とはいっても、特に難しいことはない。生地の粉っぽさがなくなり、艶が出るまで捏ねるだけだ。粘りが出るまで辛抱強く練る。この練る作業が足りないと、後で生地を伸ばすときに千切れてしまうし、焼いた後の食感も変わってしまう。自慢ではないがこれだけはテメノスよりもクリックの方が向いていると言える。
 15分もかけると艶々とした滑らかな生地が出来上がる。ボウルによく絞った濡れ布巾を被せて寝かせる。生地を乾燥させてもいけないので濡れ布巾の用意は必須だ。
 オーブンを温めるために早めに火を入れると手持無沙汰な時間が生まれた。
「ジャムは整理しておいた方がいいかな」
 梱包材から取り出したジャムは一つ一つが宝石のようだ。木いちご、桃、ブドウ、ブルーベリー、マーマレード。これだけあると何だかわくわくしてしまう。緑豊かな土地の果実は絶品でその味も推して知るべしだ。
 さて、あの人はどのジャムから手をつけるだろうか。やっぱり木いちごかな。それともマーマレードか。
 そんなことを考えていたら玄関の扉が開く音がした。あまりにちょうどよいので自分の予想が当たっているか、確かめたくなってしまった。きらきらとしたジャムに刺激された子供心が浮足立っているのかもしれない。
「ただいま戻りました……おや?」
「おかりなさい、テメノスさん」
 クリックを探してダイニングに入ってきたテメノスが、並べられた瓶に目を瞬いた。豊富な種類と素朴な包装にすぐ出所を察したらしく、アグネア君ですか、と返ってきた。
「ええ。またチケットが同封されていましたよ」
「頑張っていますねぇ。今度はどこで?」
「僕もまだ確認していません。一緒に見ようと思って」
 一瞬だけ言葉を詰まらせた彼が、かすかに目を逸らした。
 別にそんなもの待たなくともいいですよ。そう唇を尖らせた横顔の、銀糸の合間から覗く耳がほんのり赤い。素直じゃない恋人がかわいい。抱き締めたくなる衝動を抑えて、クリックはダイニングテーブルに並べたジャムを指差した。
「さすがにこの量を一度に開けるのは憚られて。どれにします?」
 翡翠の瞳がざっとテーブルの上を見渡す。細い指先が真っ赤な木いちごと夕日のようなオレンジ色のマーマレードを摘まんだ。知らず知らずのうちに口角が上がってしまう。
「何ですか、にやにやして」
「いえ、なんでも。お昼を準備していますから、着替えてきてください」
 そのまま見られていると心の裡で思っていたことを暴かれそうだ。子どもですか、と呆れられるのも嫌なのでもっともらしい口実でダイニングから退場を願う。不審そうにクリックを眺めながらもテメノスは寝室へ消えていった。
 その背を見送り頬の筋肉を揉み解す。彼が戻ってくるまでに表情をどうにかしておかなければ。
 気合を入れ直し生地に被せていた濡れ布巾を取り上げた。少しだけ膨らんだ滑らかな生地の塊が出来上がっている。突いて軽く伸ばしてみる。千切れることなく生地が伸びたら成功だ。
 カッティングシートの上に粉を振り、生地の上からも薄く粉を塗す。
 中央から円形になるように、なるだけ厚さが均一になるように伸ばしていく。最初は上手いこと円にならずに何度か酒場の主人に励まされた。厚さもまちまちになってしまい、焼いてから妙に焦げた箇所と美味しくないパンのようになってしまった箇所とが出来上がって凹んだものだ。
 ――あの人は焦げたところを食べても美味しいって言うんだもんな。
 どう見ても美味しくない部分を率先して口に入れたテメノスが、十分美味しいですよ、と小首を傾げるので何だか二重に落ち込んでしまったのを思い出す。
 出自の問題だとは思うが、彼は〝美味しい〟の範疇が広くて困る。どうせなら恋人には美味しいものを、というこちらの気持ちを汲んでくれない。
 生地が綺麗に広がったら天板に乗せてチーズのトッピングだ。フレイムチャーチ産のチーズは千切りながら食感が残るように。クロップデールから届いたチーズはグレーターで細かく削って散らすように。円の内側へ満遍なく乗せていく。
 天板を温まったオーブンへ送り出したところで、私服に着替えたテメノスが炊事場へ顔を出した。
「ピッツァですか?」
 疑問形なのは熱されたオーブンと材料に反して、ソースの匂いがしないからだろう。届いた2種類のチーズと思いついたメニューについて説明すると、翡翠の瞳が驚いてクリックを凝視した。
……レシピなしに挑戦するとは、成長しましたね、子羊くん」
「またその恥ずかしい呼び方を」
「冗談ですよ」
 半分はね。とおどけて見せる顔の目尻が下がっている。あからさまな感情を隠す恋人が、喜んでいるサインを見つけてしまうと、どうにもそれ以上は強く言えない。惚れた弱みとは厄介なものだ。
 上機嫌なテメノスはそんなクリックの葛藤などどこ吹く風で、何やらボウルに水を張り始めた。冷却用の精霊石を水の中へ放り込み、常備している炭酸水の瓶を突っ込む。
「君、木いちごとマーマレード、どちらがいいです?」
 少量の湯を沸かしつつ問われる。
「えっと、木いちご?」
 何をするつもりなのか。ついしげしげと手元を覗き込みながら答えると、フフ、と笑われた。
「なんですか」
「いえ、相変わらず甘いものが好きだなぁ、と思っただけですよ?」
 ――あ。
 むくれかけて気づいた。たぶん、先ほどのクリックと同じで、テメノスもどちらを選ぶのか予想していたのだろう。鍋を火から下ろす彼の口角はずっと上がっている。むず痒い温かさが込み上げて、そっと胸を抑えた。
「どうかしました?」
……なんでもないです」
 同じような問答が多い日だ。自覚はあったが本当のところは口にできない。
 不思議そうな顔をしながらも、恋人は食器棚からタンブラーグラスを2つ取り出した。ひとつに木いちごの、もうひとつにマーマレードのジャムをひと匙、落とす。ほんのひと垂らし蜂蜜を加え、ごく少量の湯を注いでマドラーで混ぜ合わせる。
 炊事場に瑞々しい果実の甘い匂いが広がった。なんとなく意図に気づいてクリックが喉を鳴らす。テメノスは小さく笑んでよく冷えた炭酸水を冷却水から引き抜いた。
 クリックも最後の仕上げをするべく、耐熱ミトンを手に嵌めて、チーズが香るオーブンに手をかけた。


 中央にはクリックの両手が収まってしまうくらいに大きなクアトロフォルマッジ。溶けたチーズがまだじりじりと沸騰している。風味の違うチーズの香りが混ざり合って、何とも言えないよい香りを立てていた。
 それぞれの小皿にセットされているのは送られてきた蜂蜜とメイプルシロップ。2種類の糖蜜で食べ比べてみる算段だ。
 グラスには果実が香るジャムのソーダ割り。クリックの手元には木いちご。テメノスはマーマレード。それぞれしゅわしゅわと立ち昇る色づいた泡が芳しい。
 ナイフで切れ込みを入れ、ピッツァをひと切れ皿に取り分けて、テメノスへと差し出す。ここまでがクリックの仕事だ。どうぞ、と差し出された皿を、テメノスは目元を和らげて嬉しそうに受け取った。期待に目が輝いているのを見てまた胸が疼いた。
 熱々のチーズにたっぷりと蜂蜜をかけるテメノスを見届けてから、自分の分を取り分ける。まだ形が残っている白カビのチーズの表面にティースプーンで蜂蜜を垂らす。薄く焼けたピッツァ生地の耳を持ち上げかぶりついた。
……!」
 コクの深いチーズ、ミルク風味が香るチーズ、塩味の強いチーズ、ねっとりとした口当たりのチーズ。食感も香りも違うチーズがぱりっとしたピッツァ生地の上で香る。ともすればクセが強くなりそうなその味を濃厚な蜂蜜が受け止めて、棘のない甘さと塩味を引き出している。
 材料は単純なはずだが、舌にどっしりと残るチーズと蜂蜜の風味がたまらない。
 ジャムで作った木いちごソーダを一口飲めば、爽やかな炭酸が口の中に残る匂いを洗ってくれる。ソーダの炭酸とジャムの甘みが鼻腔に抜けていき、またピッツァの一口が欲しくなる。
 今度は食べ馴れたメイプルシロップで一口。蜂蜜よりも若干さらりとした甘さが柔らかくチーズを包み込む。チーズひとつひとつの風味をしっかり味わうにはこちらがいいかもしれない。
 もう一切れと進む前に、クリックはテメノスの様子を伺った。
 小さめの口を大きく開けてピッツァを食む恋人の姿がそこにあった。珍しく口いっぱいに頬張ってしまったらしく、リスのようにもぐもぐと無心に口を動かしている。味の善し悪しについては淡く染まった頬と、噛み締めるように細められた目を見るだけで十分だ。
 一切れ分のピッツァを食べ尽くし、マーマレードのソーダを一口分、飲み下す。愛おしげにクリックの作ったものを味わう姿を眺めてしまった。
 ふう、と恋しい人が幸せそうな息を吐く。
「うん。あちらのチーズも美味ですね。さて、今度のアグネア君の差し入れには何を持っていくのが正解でしょうか」
……
 ――ああ、やっぱり。
「クリック君?」
 返事のないクリックの様子が気になったのだろう。優しいテノールの呼びかけに、クリックは唇を噛み締めて笑った。
「いえ、何でもありませんよ」
 何度目かになる返答をしつつ、心の中で静かに覚悟が決まるのがわかった。
 この日々を手離せそうにない。手離したくない。絶対に。
 机上に置き放しの書類を思い返し、深呼吸をひとつ。
 ――うん、今は。
 今は恋人とのこの一時を思いきり楽しもう。思考を切り替えて、クリックは目の前のピッツァに齧りついた。