たかさき
2024-04-14 22:18:10
12261文字
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楽しいことしかない

FF7/ヴィンクラ/R-18
途中
8:クラウドが発情期で大変

 * * *

 翌朝になっても、クラウドの頭は依然としてぼんやりとしていた。
 体もまだふらついていて、じりじりとした熾火のような熱が中々去ってくれない。空腹感や、喉の渇きはあるものの、何かを食べようという気にはならない。食べ物を口に運ぼうとすると、逆に吐き気を感じるほどだ。妙なスイッチが入って一種のハイの状態のようにも思うが、だからといって爽快感だの高揚感だのがあるわけでもない。あるのはただ、ひたすら腹の奥でうねっている奇妙な熱の高まりだった。
 気は進まないが、WRO本部へ行くしかないようだった。 
 クラウドの体調管理はWROの専用のメディカルチームによって行われている。当然のことだ。クラウドの体には災厄と呼ばれる星外生命体、JENOVA細胞が埋め込まれており、体の組成も免疫機能も、生来の人体とは異なるものへと変じてしまっている。たかが発熱や吐き気といっても、普通の人間なら風邪の一言で済ませられようが、クラウドの場合はそうはいかないからだ。
 とはいえ、クラウドはWROに来ることを好んでいるわけでもない。メディカルチームといえば聞こえはいいが、実際に診療にあたるのは医療者ではなく科学者とか研究者と呼ばれる者たちである。だからか、ここに来るといつも患者というより、研究に使われる実験動物のような気分になるのだ。ただでさえ神羅の白衣を着た連中には散々な目に遭わされたクラウドである。神羅だろうがWROだろうが、白衣を見ると反射的に虫唾が走って仕方がなかった。
 苦虫を百匹ほどまとめて嚙み潰したような顔をしてWRO本部へと足取り重くやって来たクラウドは、受付から無機質な部屋に通されていつもの半袖ワンピースタイプの検査着へ着替えさせられるや否や早速採血検尿から始まり、何か器具をやたらと体に貼り付けられたり管を入れられたり気色悪い液体を塗りたくられて撮影されたり妙にでかい筒のような機械へ入れられたりと、各種様々な検査をまるでトライアスロン競技かのようにこなしていく。ようやく全てやり終えてそれでは検査結果が出るまで暫くお待ちくださいとこれまた無機質な部屋に放り込まれた頃には、神羅ビルの階段を一階から最上階までダッシュで駆け上がるくらいの精神的疲労がどっと押し寄せて、座り心地がいいとは言えない椅子にぐったりと深く沈み込んだ。
 それから間もなくしてドアをノックする音が聞こえたが、クラウドはぴくりとも動かない。やがて入って来たのは、白衣を着た人間ではなかった。
「失礼します。クラウドさん、お久しぶりですね」
 濃紺の長衣を着た壮齢の男、リーブだった。
 クラウドは椅子の上で放心したまま、顔も動かさず胡乱気に相手を見つめるのみだ。何でこの男がここに来るのか皆目見当がつかなかったが、それを問う精神力は残っていなかった。
 リーブは近くの椅子に腰を下ろし、警戒心を起こさせないようにするためか、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「お元気そうで何より、と言いたいところですが残念ながらそうでもないようですね。いや、先ほど医療班から報告を受けましてね、失礼かとは思ったのですが直接お話させてもらおうと伺ったんです。今、話をしても大丈夫ですか?」
「別に、大丈夫……だけど。何で、あんたが?」
「それは良かった。そうですね……これから検査結果の説明がありますが、少しデリケートな話になるでしょう。ですから、あなたのパートナーにも、同席してもらったほうがいいのではないかと思いまして」
……パートナー?」
「ヴィンセントさんがあなたの今のパートナーだとお聞きしていますが、間違いないですか?」
「ヴィンセントが今の……待て、何の話だ?」
「この部屋は電波も入ります。ここで電話してもらって結構ですよ」
 ぱちぱちぱちぱちと、クラウドは瞬きを繰り返す。
 言葉は優しくても押しが強いんだよな、こいつ。
 そんなことを思い出しながら考えようとするが、元々ふらついた体で更に神羅ビル全階制覇相当の疲労を伴う検査をこなした後とあっては、うまく頭が働かない。リーブは一体何を言っていて、何をしようとしているのか。訳が分からず、段々腹さえ立ってきた。
「検査結果を聞くだけだろ? 別にヴィンセントを呼ぶ必要なんかない。大体今仕事中だし、電話なんかかけたって出ないに決まってるし」
「クラウドさん、それというのはですね、」
 リーブが言い終わる前に突然白いドアが音も立てずスライドして開く。
「失礼。ああ局長、ここにいらしたんですか」
 白衣の男性(名前も知らない)が足早に部屋に入ってきて、机を挟んでクラウドの正面に座った。表情筋を人生で一度も動かしたことがなさそうな、のっぺりした顔の男だった。クラウドさん、と呼ぶ声も平坦で、まるでロボットが喋っているようだった。
 リーブは彼を遮るように右手を上げかけた。待て、と言いたかったのかもしれない。が、白衣の男はそれを無視して、クラウドに話しかけた。
「手短に言います。クラウドさんの体は今、哺乳類の雌体に見られる、発情期のような変化が起きています」
……何?」
「発情期です」
………………………………は?」

 長い沈黙が部屋を覆う。
 クラウドは口をぽかんと開けたまま、何も言葉を発しない。
 リーブは眉間を指で押さえ、俯いてしまった。
 白衣の男はクラウドの反応を待っているのか何なのか、無言を保ったままだ。
 俺か。俺が悪いのか。クラウドはフリーズしそうな頭を必死に動かした。いや動かしたところで何ができようかそして何が言えようか。いや俺が悪いわけないだろ。悪いのは宝条だ。今すぐこの手で殺してやりたいそれが例え死体であっても。あとJENOVA。もう一回トドメを刺して宇宙の塵にしてやりたいそして二度とこの星に戻ってくるな。
……クラウドさん」
 リーブの声は先ほどの穏やかなものから多少重みを増したものに変わっていて、クラウドはのろのろと顔を上げる。
「やはり、ヴィンセントさんに電話をしたほうがいいと思うんですが」
……したくない」
「話を聞いてください、あのですね、」
「うるさいな嫌だって言ってるだろ、」
「二人とも、私の説明はまだ終わっていません。よろしいですか」
 唐突に割って入って来た白衣の男に、クラウドとリーブの嫌悪を隠さない視線が集まる。しかし、その状態でも彼は表情を変えなかった。予め作られた原稿を読み上げる機械みたいに、彼はクラウドに向かって口を開く。
「最初に言いますが、なぜあなたにこのような性ホルモンの分泌異常が起きているのか、原因はまだ分かっていません。そもそも発情期とは雌体が妊娠を目的として起こる体の変化ですが、あなたの体に生殖臓器、つまり子宮や卵巣というものはない。念のため画像検査でも確認しましたが、臓器に異常は見られませんでした。従って、仮に性行為をしたとして、あなたが妊娠するということはあり得ません。あなたは雄体で、反対に雌体を妊娠させる機能を持つ側なんですから」
 こつん、と白衣の男は指で白い机を突いた。こつ、こつ、と音を立てながら、男は話し続ける。
「率直に言います。発情期においては、通常時に比べて感情のコントロールは脱抑制的になり、行動はより本能的になる。もしあなたが理性的な判断能力の低下した状態で、生物的な本能に従い女性と性行為をしたら? 分かりますね、JENOVA細胞を宿した子どもが生まれる可能性がある」
 う、とクラウドは呻いた。吐き気が喉元にこみ上げる。こんな話を聞かされること自体が不快だった。ましてや、可能性で話された内容のグロテスクさときたら。想像さえしたくない酷さに、口元を手で押さえて吐き気を飲み下そうとする。
 しかし、白衣の男はそんなクラウドの様子には構うことなく、今度はリーブのほうを向いて言った。
「局長、医療班の提言は先ほどお聞きになりましたね。至急、クラウドさんを当医療部門内で拘束願います」
……はあ!? 今、何て」
 思わず叫んで立ち上がろうとするクラウドを、リーブが肩を掴んで止める。
「それはまだ決定ではない。そして決定を下すのは医療班ではなく、私です。いいですね」
「しかし局長、」
――勝手に決めるな! 俺のことをあんたらがとやかく口出しする権利なんて――
 クラウドはリーブの手を振り払った、つもりだった。振り払おうとしたはずが、リーブの手の力が存外に強いと感じる。いや、リーブの力が強いわけではなくて……
 はあ、と苦しい息を吐いて、再び椅子に深く沈み込む。
「クラウドさん、大丈夫ですか。汗がひどい。横になったほうがいいのでは」
 心配そうに、白いハンカチがリーブから差し出される。
 それで初めて気付いた。呼吸が苦しい。喉が渇いて堪らない。喉に手をやると、汗で手がべっとりと濡れた。胸を上下させて浅い息を繰り返しながら、辺りを見回す。くらりと眩暈がして、景色が揺れる。どこだ、ここ――何で、こんなことになってるんだっけ。一体、何がどうなって――
 リーブはポケットに手を入れ、携帯端末を取り出した。画面を操作し、微かな通話音が響く。数秒もしないうちにその音がぷつ、と途切れて、
――リーブ? どうした」
 その声を耳にした途端、体中がぞわりと粟立った。は、と息がますます苦しくなる。指が震え始めて、――腹の奥がどろりと溶ける感触に襲われる。
 リーブは携帯端末をクラウドの耳元に寄せた。熱の昂りを感じて、右手で自分の胸元の服をぎゅう、と強く握りしめる。
「何だ。何もないなら切る――
――ヴィンセント、」
……クラウドか? どうし」
「早く、来て」
 それだけを言って、クラウドは椅子の上で膝を抱えてうずくまった。腕に顔を埋めて、こいつが来るまで何も話さない、となけなしの声で言い放つ。
 リーブは頷き、通話を終了させて、椅子に座り直した。
 白衣の男は何かを喋っていたようだが、クラウドもリーブも何一つ聞いてはいなかった。

 ヴィンセントが到着したのは、それから三十分もしない頃だった。
 息も乱さず部屋に入ってきたが、クラウドの様子に気付くと、目を険しく細めて他の二人を見据える。
 そばに寄って、クラウド、と耳元に小さく呼びかけると、顔を上げないまま彼の左手が宙をさまよう。その手を掴むと、ぎゅう、と痛いくらいの力で握り返される。その指は細かく震えていた。ヴィンセントはクラウドのうずくまる様子を眺めた後、
……寒いのか」
 そう言って自分の赤いコートを脱ぎ、クラウドの肩にかけた。まるで他の視線から隠すように、全身を覆う。クラウドはそれに気が付くと、両手でコートの端を掴んで、その襟元に再び顔を埋めしまった。
 ヴィンセントはリーブへと向き直る。
「で? どういう状況だ、説明しろ」
 リーブは先ほどの話をもう一度ヴィンセントに繰り返した。ヴィンセントは一度だけ目を大きく見開いたものの、それ以外は終始無言で話を聞いていた。
「というわけで――私の判断としては、クラウドさんを暫くの間、この医療棟でお預かりするのが最良と思っています」
 そう話が締めくくられた後、ヴィンセントはふん、と溜息を吐く。腕を組み、暫くの無言の後、口を開いた。
「リーブ、曖昧な言い方は止せ。預かる、と言ったな。では、クラウドの行動に制限は一切ないのか」
「申し訳ない。明確に言いましょう。移動の自由はありません。こちらが定めた区域のみを行動範囲として許可します。範囲内であれば、行動は自由です。ただし検査などを受けてもらうので、こちらの指示には従ってもらう必要があります」
「定めた区域とは、どの程度だ」
「今お住まいの広さと同程度と考えてください」
「他の人間との接触は」
「許可しません」
「私もか」
「ええ。あなたも許可の対象となりません」
「クラウドの生活の介助はどうする。体調が悪化した場合は」
「クラウドさんの行動は全てカメラ下で監視します。介助が必要と判断した場合や、体調に異常があれば男性スタッフが――
――嫌だ」
 くぐもった声が、しかしはっきりと響いた。ヴィンセントは振り向いて、クラウドの握りしめる右手にそっと触れる。
 顔を上げたクラウドの目は、怒りを顕わに二人を睨みつけていた。リーブは動じずにその目を受け入れていたが、白衣の男はびくりと身を竦ませた。
「お前らの監視なんて、冗談じゃない。俺は、家に帰る」
「クラウドさん、仰ることは最もです。しかし万が一の可能性を、」
「知るか! 俺を実験動物扱いするっていうなら、俺はお前らを殺してでもここを出て行く。――帰るぞ、ヴィンセント」
 ふらりと立ち上がるクラウドの後ろに、ヴィンセントが寄り添うようにして立つ。
 リーブも併せて立ち上がろうとしたところ、白衣の男が突然何かを叫んで、部屋のドアを開けた。途端、武装した兵士が靴音を蹴立てて部屋になだれこんでくる。その数、十人程度。
 ざ、と銃を構えた先にいるのは当然、クラウドとヴィンセントだ。ふらつく体だとしても、クラウドの目は一分の隙も見せることはない。少しでも銃先を動かせば、次の瞬間、やられる。その場にいる誰もが瞬時にそれを肌で理解していた。
 たった二人を前にして緊張を隠せない兵士達に、ふ、と呆れたような笑い声が響く。ヴィンセントだった。
「銃の構え方も知らない素人が、僅か十人か。リーブ、やるならもっと本気でやれ。それでセフィロスを倒した英雄の相手が務まると思っているのか」
「いやあ、面目ない。これでも前回のディープグラウンド戦闘経験者なんですよ。それに、あなたがたをどうこうしようなんて最初から思っちゃいません。もう少しだけ、話をさせていただきたいんです。――君たち、銃を下げなさい。相手は武器を持たない民間人だ。そもそも、私は入室を許可した覚えはない」
「局長、何を言うんです」
 場違いな甲高い声が割って入って、リーブは片眉を上げて白衣の男を振り返る。その男は、さっきまでの無表情とは打って変わって、興奮剤でも打たれたみたいに顔を赤くして声を荒げていた。
「相手はJENOVA細胞を埋め込まれた元戦闘員ですよ。こんなのを市街に放ったら一体誰が止められるというんです。一般人を襲って万が一妊娠でもさせたら、誰が責任を取るんです。私は嫌だ。ようやく宝条がいなくなってこれから好きな研究ができるってときに、もし第二のセフィロスが生まれでもしたら、」
――黙れ!」
 だんっ、と踏み出した足で、クラウドは前に立つ兵士の肩を踏み台に軽く飛び越える。
 そして白衣の男の目の前に着地するや否や、顎を片手で掴み上げ、そのまま壁に投げつけた。
 その間、動くことのできた兵士は一人もいない。
 崩れ落ちてごほ、と咳込みながら胸を押さえる男に、クラウドは憤怒の目を隠さなかった。
「俺を、何だと思ってる」
 低く響いたその声に、完全に目の前の相手を『敵』とみなしたのが分かったのか、兵士がはっとしたように銃を構え直した。先頭にいた者が発射の号令をかけようとしたところ、
「待て。撃つな」
 リーブの短く、鋭い命令が発された。動きかけた兵士が、戸惑ったようにまたも動きを止める。
 その中で静かに動く者がいた。ヴィンセントが、落ちた赤いコートを拾い、足音なくクラウドのもとへと歩み寄る。後ろからそっとコートをかけてやると、クラウドはびくりと体を震わせたが、コートをぎゅっと掴んで、襟元に顔を埋めるように隠した。
 リーブは兵士に下がるように言い渡し、再度クラウドへと向き直る。
「クラウドさん、さっきはひどいことを申し上げた。無礼をお詫びします。その上で、さっきこの者が言ったことのいくつかは、残念ながら私も懸念しています。それを防ぐためにも、あなたをここで保護させてもらいたい」
 言葉を区切って、クラウドの様子を窺うが、クラウドはコートの襟元に顔を埋めたまま、断固として顔を上げなかった。一息吐いて、リーブは淡々と続ける。
「監視はしません。行動もできる範囲で自由をお約束する。それから、望まれるならヴィンセントさんの接触も可能としましょう。あなたにとって影響が大きいのではと心配だったのですが、却ってその反動も大きいようだ。ここならスタッフも揃っているし、検査や治療の体制も整っています。あなたにもし何か異常があれば、すぐに対応できる。あなたの要望も可能な限りでお聞きしましょう。……いかがですか」
 ヴィンセントはリーブの言うことを無言で聞いていた。同時に、クラウドの反応を後ろから見守っている。クラウドは依然として顔を上げようとしない。コートを掴む手がやはり、細かく震えている。呼吸も浅いようだった。そっと、肩に手を置いてみる。ヴィンセントの手だと分かっているようで、払われはしなかった。小さな声で、耳元にそっと問いかける。
……クラウド、お前はどうしたい」
 は、と息を吐く音が聞こえた。苦し気だったので、肩に置いた手に少し力を込めてみる。その力に逆らわず、クラウドは身をヴィンセントのほうへと寄せたので、肩を抱き込むようにして、口の近くへと耳を寄せた。
……ここは、嫌だ。家へ、帰る」
 小さい声だったが、ヴィンセントにははっきりと聞こえた。これでやるべきことは決まったも同然だった。
 ヴィンセントは左手でクラウドの肩を抱いたまま、右手で愛銃ケルベロスをホルスターから抜き取り、ゆったりと構える。
 ざわ、と兵士たちに緊張が走った。それを制しようとするリーブも、戸惑いを隠せないようだった。
 ヴィンセントは構えたケルベロスの銃口を――自分の胸にぴたりと当てた。
「リーブ。これは取引ではない。通告だ」
「ヴィンセントさん、一体何を……
「クラウドが帰ると言っている。ならば、私はそれを果たす」
「いや――しかし、」
 兵士の中に銃を構え直す者がいたが、ヴィンセントは目を向けることもしなかった。
「お前の言い分にも理はある。要はクラウドをエッジ市街から隔離したいのだろう。それに反対するつもりはない。――私に心当たりがある。ここから遠く離れた場所だ。周囲に人も住んでいない。クラウドをそこへ連れて行く」
「そこは、どういう」
「詳しく教えるつもりはない」
「聞いてください、あなたもご存知でしょうが、JENOVAに関する研究データはその多くが既に破棄されてしまいました。そのことの是非は様々な見方があるでしょうが、少なくともクラウドさんにとっては大きなデメリットだ。彼に今後起こり得るJENOVA由来の異常に対応できないかもしれないからです。我々は、再びデータを集積する必要がある。今回のことは明らかにJENOVA由来の異常と考えます。これは、彼にとって重要なデータの一つとなり得るんですよ」
「分かっている。可能な範囲で協力は必要だろう。最も、クラウドが承知すればの話だが」
「ここが嫌というなら、他のスタッフと施設を用意しましょう。WRO管轄の施設がヒーリンの近くに――
「リーブ、これは取引ではないと言っただろう」
 ヴィンセントが故意に音を立てて、ケルベロスの安全装置を外した。リーブは尚も言い募ろうとしたが、口を噤む。
「私は個人としてのお前を信用している。が、WRO全体を信用しているわけではない。WRO管轄の施設にクラウドを連れて行くことを、私は許さない。――全員、武器を置いて床に伏せろ。そこの男も、それからリーブ、お前もだ。私とクラウドが部屋を出るまで少しでも動いたら、私はこの引き金を引く。するとどうなるか、分かるな?」
 うっそりと微笑んで、指を引き金にかける。
「ビーストか、怪物か、狂った殺人鬼か――それともカオスか。いずれが出てきても、お前たちが一瞬で消し飛ぶのは間違いない。いや、お前たちだけで済めばいいがな。今のクラウド以上の化け物がエッジを襲うことになるぞ」
「ヴィンセントさん、」
「私がこんなまだるっこしい説明をわざわざ口にしている意味が分かるな、リーブ。これは通告であり、警告だ。私たちを尾行して場所を突き止めようなど、夢にも思わないほうがいい」
 これで話は終わり。そういうようにヴィンセントは口を閉じて、視線で床を示す。
 リーブは暫く考えていたようだったが、諦めたように一つ頷いて、大人しく両手を上げて床へと伏せた。他の兵士も恐る恐るというように、銃を置いて右に倣う。白衣の男はそうするまでもなく、床の上に転がっていた。
 それを見届けて、ヴィンセントはクラウドを伴い、悠然と部屋を後に歩き去った。

 * * *

 陽が落ちて、空に星々の光が点滅し始めるころ。
 ヴィンセントの運転する一台の車が、ミッドガルから北方へと向かっている。周囲に車はおろか、人も獣も見当たらない。見渡す限り荒野の中、たった一本しかない道をかなりのスピードで延々と走り続けている。
 助手席で、クラウドは窓に頭を預け、じっと体を小さく縮こまらせていた。服はWROで着替えさせられた薄っぺらい検査着のままだし、足は靴さえ履いていない。ぎゅっと固く目を瞑り、上に羽織っているヴィンセントの赤いコートの端を、しがみつくように握りしめている。
 眠りに落ちることができれば、楽だろうに。ヴィンセントはそう考えて嘆息する。時折、苦し気に息を吐き出すのが聞こえた。汗もひどそうだ。高熱になっていなければいいが――今朝のクラウドの様子を思い出す。微熱がまだ続いていると言っていた。他は特に症状もなく、WROに行くと(とても嫌そうだったが)言っていたから、それ以上は気にせずに家を後にしたのだが、そうするべきではなかったのだ。そばについていれば良かったか……などと、後悔を巡らせていると。
「ぅ、あ…………っ」
 苦し気な吐息の中に呻き声が混じって聞こえてきた。目をそちらにやると、痙攣したように身体をぶるぶると震わせていたので、ハンドルを切って道から外れたところに車を停止させた。エンジンを切り、震える背中へと手を伸ばす。肩に触れ、顔を近づけた。
「どうした、苦しいのか」
 背中を擦ろうとしたが、クラウドは嫌がるようにしてヴィンセントの肩を押しやろうとする。そのまま逃げるようにドアのほうへ身を寄せて、片膝を抱えてしまった。
……クラウド?」
「だ、め……っ、こっち、来るなっ……」 
 身を守るようにしてコートで覆いながら、なおも肩を押しやろうとしてくるので、その手を掴んでみる、と。
ふ、ぁ、」
 瞬間、甘い蜜のような香りがむせ返るように広がって。
 かっ、と喉元が熱くなるのを感じて、ヴィンセントは瞠目する。喉を上下させて、何だこれは、と思う。酒を飲んだ時の酩酊感に似ているか。そんなもの、この体になってとうに感じなくなっているというのに。
 クラウドはまるで怯えたような目をしていて、安心させるためにその頬を撫ぜてやると、とろりと蕩けるように瞼が閉じそうになって、また甘い香りがふわりと広がって。
「い……匂い、」
……え?」
「さっきから――アンタが来たときから、匂いが、い……い匂いがして……
 苦し気に息を吐きながら、途切れ途切れに言葉を発する。ぎゅっと握りしめていたコートから指を外し、おずおずといった感じで、ヴィンセントの首へと指を伸ばしてきた。
「たまんなく……て、も、我慢、でき、な……っ」
 シャツの襟元を握りしめ、引き寄せようとする。しかし、その力は弱かった。いざ戦闘となれば誰をも圧倒する力を持つはずの指が、シャツを握りしめるだけで、その先に動こうとしない。
 ヴィンセントは自ら、クラウドのほうへと体を寄せてみる。くらりとする甘い匂いがまた、強くなった。クラウドは頭を振って逃げようとしたが、狭い車内でもう逃げる先はない。そのくせ、シャツを握る指は離そうとはしなかった。顔を近づけ、唇が触れ合う寸前で止め、その目を見つめてみる。群青の目を潤ませて、クラウドはひくりと喉を鳴らした。湿った吐息が頬にかかる。目の端から涙が一粒零れていって、それをきれいだと思う。
 涙を追って、ふと、目を下にやる。クラウドは先ほどから足の指を居心地悪そうにもぞもぞと擦り合わせていた。足の付け根に手を伸ばすと、びく、と足を大きく震わせる。だがもう、逃げようとはしなかった。ヴィンセントは確かめるように、検査着の上から手を這わせてみる。服の上からも分かるくらい、足の付け根はじっとりと粘るように濡れていた。
 ヴィンセント、と掠れた声で名前を呼ばれた。来るなと言って、さっきまで逃げようとしていた体が、もう力が入らないのか、シートに深く沈み込んだまま、足をゆっくりと開いていった。片膝を立てて、濡れた中を見せるように。
「はやく、」
 甘い匂いが車内に充満して、息が詰まるほどだった。クラウドの蕩けた瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちている。
「俺を、アンタのものにして、」
 食らいつくように、深く口づける。目をきつく閉じて、何も考えずに貪るように。そうしてようやく、シャツを握りしめた手はそのまま首の後ろに回されたので、ヴィンセントも両手でその体を抱きしめることができた。

 * * *

 冷やりとした空気に体が震えて、それで目が覚めた。
 クラウドは一人、ベッドに横たわっていた。しんとした空気が静かな部屋に張り詰めている。朝の空気だ。息を吐くと、白い息がふわりと上って消えた。
 体を起こそうとして、知っている自分の部屋ではないと気付く。天井も壁紙も窓も机も、何もかも見たことのないものばかりだった。
 くしゅ、とくしゃみが出る。見下ろすと、服どころか下着さえ身に着けておらず、全くの裸だった。どうやら毛布を巻き付けただけで寝ていたらしい。その毛布も見覚えのないものだったが。で、多分暑くなって毛布を蹴飛ばしたのだろう。よくあることだ。何か着るものを――と辺りを見回すが、残念ながら何もなかった。
 のそりと上半身を起こす。どうしたものかと思うが、他に方法がないのだからしょうがない。仕方なく裸の上に毛布を巻き付けて、そろりとベッドを抜け出した。
 素足が触れる床はひどく冷たくて、全身がぶるりと震える。寒かった。毛布をできるだけ隙間なく巻き付けながら、窓辺へと近寄る。
 そこから見える風景も、やっぱり見知らぬものだった。
 曇ったガラスに映る、寒々とした白い空。枯れた緑が地平まで広がっている。遠くにぽつぽつと羊の群れが見えた。山羊かもしれない。積み上げられた石の塀や、家らしき建物も見えたが、人の気配は茫洋として感じられなかった。
 ぺたぺたと歩いて、部屋のドアを開ける。廊下へ出ると、その先に下へと続く階段が見えた。
 古い石造りの家のようだった。神羅屋敷とまではいかないが、広くて薄暗い、時計の針が止まったようなお屋敷。
 きょろきょろと辺りを見回しながら、手すりを伝って階段を下る。L字型に曲がる階段の踊り場には窓があって、淡い光の中に埃がちらちらと舞っていた。
 静かな空間に、ぱち、と火の爆ぜる音がする。その音に引き寄せられるように歩いて行くと、応接間と思しき部屋に辿り着く。深緑の分厚いカーテンのかかった大きい窓があって、さっきまでと違った、柔らかな明るさが窓から差し込んでいた。窓のもとには座り心地の良さそうなソファが置かれてある。壁には立派なマントルピースと暖炉。その中で、火がぱちぱちと音を立てて温かそうに燃えている。それ以外の音は何も聞こえず、やはりしんとして静かだった。
 暖炉に近寄って、毛布の中から取り出した手を火にかざして擦り合わせる。ようやく得られた温かさにほっと一息ついたところ、マントルピースの上に何枚か写真が飾ってあるのに気が付いた。古い写真だった。色褪せて、セピア色に変色している。二つあった。一つは、二人の男性が正面を向いて写っている。壮年の男性が、もう一人の若い青年の肩に手を回している。雰囲気が似ている二人で、親子だろうかとも思うが、二人の立ち姿にはほんの少し距離があって、親密さよりもどことなく緊張感が漂っているようだった。
 もう一枚の写真は、先の若い青年が一人で写っていた。この家の中だろうか、窓辺に寄り掛かって、外を眺めている。短い黒髪。シンプルな白いシャツに、黒のスラックス。気怠げに手をポケットに入れて、目はどこか遠くを見つめていて、何を考えているのかよく読めない表情で――
 はっとしたように、クラウドはその写真を手に取った。巻き付けている毛布が少しばかりずれたが、そんなことはどうでも良かった。もう一度、その写真を近くでまじまじと見つめる。耳に流した前髪から覗く、切れ長の瞳。セピアにくすんだ写真であったとしても、その瞳の色が分かる。それはいつも見ているあの目と、同じものだった。

――クラウド?」
 不意に靴音がして、振り返るとヴィンセントが部屋に入ってくるところだった。
 黒のスーツ姿。いつも仕事で出るときに着ているものだ。見慣れない大きな革の鞄をテーブルにおろして、こちらへと歩み寄る。
「起きられたのか。体調はどうだ? 熱は」
 手袋に包まれた手が首筋に触れる。平気だと言おうとして、甘い匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
 昨日、散々酔いしれた甘い匂い。
 そわりと、熱が高まるような気配を感じる。目の前に温かそうな胸があって、触れようとして手を上げて――合わせていた毛布がほどけて、はらりと落ちた。
 何も着けていないクラウドの白い体が、淡い朝の光に晒される。よく見れば、首や、胸や、脇腹や、太腿――いたるところに点々とうっ血した痕があった。初めてそれに気付いて、あ、と思った瞬間、体の中で何かが溶けて滴り落ちる感覚がした。内股をつう、と白い液体が伝っていく。粘液のようにとろりとしたそれは、下肢をゆっくりと這うように流れ落ちて行った。