よつもり
2024-04-14 01:09:15
2007文字
Public 映画・本のはなし
 

映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)感想

2024年4月13日鑑賞。

ノーラン最新作オッペンハイマー、題材が「原爆を作った男」だったわけですが、この題材で描かれているテーマはもうちょっと抽象度が高くて「人は科学の追求の責任を引き受けることができるだろうか」「科学の追求は人の幸福、安定に繋がるか」というものなのでは無いかなと思いました。
「原爆を作った男」が題材なので広島・長崎の経験がある日本としてはどうしてもその具体的な被害について意識が向くと思いますが、あくまで題材が原爆関連であっただけで、具体的に原爆を描くことを目的とした作品では無い。テーマに沿った描写としてはあの内容で正しいと私は思います。

後年、原爆の危険性を感じ、原爆に続く水爆の開発に反対していたオッペンハイマーが、遡って原爆の実験が成功した段階では大喜びしていたシーンなんかは、なかなかの業を感じさせるシーンでしたね。彼は一貫して科学者として喜び、科学者として懸念していた。科学者としての彼と政治家としての彼がいた、などではなく、一貫して科学者として研究を重ね、研究を成功させ、研究の恐ろしさに慄き、自らの研究の成果に苛まれていたのだと思います。全ては一直線上にある。

人物としてのオッペンハイマーは決して好ましい人物として描かれてはいません。神経は細く、女性関係にだらしなく、人の意見に右往左往し、権力を得たら得意になり、研究の成功に喜ぶかと思えば、その研究の成果が実際に使われて慄き、その後は危険性を認識したから主張を変えたと言えば外聞はいいかもしれませんが実際は多分自分の行いへの態度を決めきれずにいただけなのでは?
というオッペンハイマーを描き出した狙いは、彼の選択を見ながら観客が「もしも私だったら」と考えることを目的としたシミュレーションを作ることにあったのではないかなと思います。

もしも私/あなたが天才的な頭脳を持っていたら?その頭脳を戦時中の国のために使って欲しいと言われたら?多大な権力を与えられて好きな研究をしていいと言われたら?その研究のための資金も資材も人員も潤沢に揃っていたら?自分の頭の中の理論を現実に出現させることができるとなったら?その結果が多くの被害をもたらすものであると頭で理解していたとして、止まることができると思いますか?と。そういう問題提起映画。

現実に原爆を作ったのはオッペンハイマーという人物でしたが、もし彼がこの仕事を引き受けていなくても、他の誰かがきっと同じように研究をして、原爆を完成させていただろうと思います。たまたまオッペンハイマーがその役回りをしていただけで、もしも彼でなかったとしても、歴史はそんなに大きく変わらないのではないでしょうか。そう考えると、これはオッペンハイマーという個人が世界の運命を変えてしまったという話ではなくて、人類の必然として到達する科学技術に、人は果たして付いていくことができるだろうかという、人類そのものに対しての問題提起なのではないかなと思います。

映像とか編集の話をしますと、ノーラン監督って自然やSF的な風景・画が得意な監督だと思っているのですが、今回はあまりその長所が活かされていなかったように思います。人物ばかり多くて、編集の切替えで動きを出そうとしていたように思いますが、その編集が面白かったかと言われると、ちょっとうーんといったところ。カットがどんどん切替わる様子は庵野秀明を思い出しましたが、庵野監督って飛び抜けて編集が上手いんだなと再認識しました。ノーラン監督の今回の編集は今ひとつ乗り切れていなかったような感じがします。
とはいえ、3時間ある映画を体感2時間くらいのものとして見せることができているのはやっぱり映画が上手いからなんだろうなと。

それとこの映画、日本人が観るにはちょっと予備知識が必要というか。日本はどうしても被爆国としての立場があるので、その前提でこの映画を見た時に、「もっと被爆地に寄り添ってほしかった」「もっとアメリカの反省が欲しかった」というような感想が出るかもしれないと思いますが、アメリカ的には「どれだけ叩き潰しても玉砕覚悟で突っ込んできて降伏しない日本を諦めさせて終戦に導いたのが原爆。原爆のお陰で戦地に行っていた男たちが故郷に帰ることができた」という認識だそうで、そういう認識が前提にある国で作られたのがこの映画だと思えばかなり見方は違ってくるだろうと思います。

初見の感想としてはこんなところです。
時系列をあえてばらばらにしてある映画でしたし、登場人物も多く、説明が親切というわけでもないものでしたので、けっこうわからないところが多かったですね。予備知識ありきで観るともっと面白かったかもしれません。配信される頃までにオッペンハイマーについて知って、それからまた観たら、もっと理解できて、もっと汲み取れることも増えるかもしれないと思いました。おわり。