溶けかけ。
2024-04-13 20:11:22
1960文字
Public ほぼ日刊
 

キミの隣が一番の特効薬

天使病になったフリーナの話

――天使病ですね。
 
事務的な声で医者は言った。 

天使病。治療法も原因も解明されていない謎の病。患者の多くは成長する翼に体の栄養を奪われ衰弱死する。数例ではあるが完治したという例もある――医者はそう言っていたが、その数例に自分が入るという保障はどこにもない。まして、骨格に異常があり歪んだ翼では望み薄だ。歪みを直そうと多くの栄養を必要とするため普通の患者より衰弱が早いらしい。――それが数ヶ月前の話だ。
 フリーナはベッドの上で横になりながら、この数ヶ月を反芻した。軽い貧血から始まり、少し立ち上がるだけでも倒れるようになった。座ることすら辛くなり、あっという間に寝たきりに。抜ける羽根は積もり、室内が群青で埋め尽くされるのに時間はかからなかった。手の平サイズだった翼は成長し、今やフリーナの背を覆い尽くしている。こんな鳥がいたらさぞ綺麗だっただろう、と自嘲する。着られる服も背中の開いたドレスしかなく、寝返りすらうてない。――痛みのせいで睡眠すらまともにとれていないんだけど。カーテンの開閉すら困難になり、ベッドに磔の日々を送る。――家の扉を叩く音が薄暗い室内に響いた。
「どちら様?仕事よの依頼ならお断りだよ」
「私だ、フリーナ殿」
…………悪いけど、忙しいんだ。帰ってくれる?」
 一番知られたくない人物が会いにくるとは――フリーナは舌打ちをした。
「そうか。……事情は君の主治医から聞いている。君がこの扉を開けなくともかまわない。……管理人から鍵を預かって来ている。――開けるぞ」
……は?」
 無機質な解錠音に慌てて飛び起きる。冗談じゃない。こんな姿、誰にも見せられない。急に起き上がった体は貧血をおこして傾く。そのままベッド下に転がり落ちた。ああもう、失敗した。

 ――海だ。

 扉を開けたヌヴィレットの目に飛び込んで来たのは深海を想起させるような群青。その中で一際大きな群青を見つけて駆け寄る。
「フリーナ!」
 抱き起こした体は異常なまでに軽かった。ドレスから伸びる手足も枯れ枝のようだ。ヌヴィレットの再三の呼びかけにフリーナの目蓋がゆっくりと持ち上がる。
……やあ、久しぶり。淑女の部屋に合鍵を使って侵入するなんてマナーがなってないんじゃない?」
 よく通る声は掠れ、弧を描く唇は青い。ヌヴィレットは眉を寄せる。
「君を医者に連れて」
「必要ない。もう手遅れなんだ……悪いんだけど、ベッドに運んでくれないか?体が上手く動かなくてね」
 フリーナは薄っすらと笑みを貼り付けてヌヴィレットに言った。君が望むなら喜んで、と辛うじて答えた声は震えてはいなかっただろうか。
 彼女を横たえ、毛布をかけてやれば弱々しい声で、ありがとう、と返された。
「やはり、悪いのか?」
 ヌヴィレットが問えば、船を漕ぎながらフリーナは頷いた。
「ああ……僕のこれは奇形……らしくてね。……普通の天使病の倍は……
 そのまま眠り込むフリーナ。どうやら相当眠っていないらしく、目の下には深い隈が刻まれている。痩けた頬を撫でる。人々を魅了した彼女の面影は見る影もなかった。ヌヴィレットは毛布を捲る。群青の翼は形が歪んでいても息を呑むほどに美しかった。――彼女の命の輝きそのもののように。
 背筋をひやりとしたものが撫でた。そんなことを考えてはいけない、と暗い考えを奥へ奥へと沈める。深呼吸を一つ。ふと、思い立ちヌヴィレットは買い物へ出かけることにした。彼女が目覚めた時に食べやすいものを、と。

「なあキミ、やっぱり怒っているだろ?」
 フリーナはベッドの上でスープを口に運ばれながら言った。所謂、あーん、と言うやつだ。
「君がそうだと思うのならそうだろうな」
 目覚めたらヌヴィレットがキッチンで料理をしていた。そのまま何故か食事になり、現在に至る。野菜は煮すぎなくらい煮込まれてクタクタだが、病人の胃には丁度良かった。
「ん、もういいや」
 皿にまだ半分ほど残っていて申し訳なくなるが、これ以上入りそうにない。
「承知した」
 沈黙が落ちる。不意にヌヴィレットが口を開いた。
「君の翼だが……
 びくり、とフリーナの体が跳ねた。
――海のようでとても美しいと思う」
 ヌヴィレットの手が翼に触れる。労るように撫でられて泣きたくなった。
……ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「世辞などではないのだが……
 ヌヴィレットは不満げだった。分かってるよ、キミが本心からそう言ってくれてるのは。久しぶりの幸福感に口元が緩む。
「ふふ、分かってるよ。ありがとうヌヴィレット」
 彼は惚けた顔をした後、そうか、と表情を和らげた。


 症例報告
 患者の幸福感の増加により回復の兆しあり。