Ykanokawa
2024-04-13 19:57:45
9982文字
Public クリテメ
 

サンドイッチとコーンポタージュ

※エピローグまでクリア推奨
※エピローグ後にフレチャで同棲しているクリテメが料理を作って食べるだけの話
※ソリスティアの食事事情とクリック君の子ども時代を捏造しています。

レシピを紹介する作品ではありません。料理して食べる2人を眺めるだけ。むしろレシピを守っていないので参考になりません。

「ふぅむ?」
 荷に同封されていた封書を手にテメノスは首を傾げた。差出人は〝パルテティオ・イエローウィル〟。宛先はクリック・ウェルズリー。テメノス宛ての手紙は別添だ。
 以前もこんなことがあったような。あのときはヒカリだったので気に留めなかった。が、今回はパルテティオである。いや、別に彼を信用していないだとか、悪意がありそうだとか、そんなことは思っていない。そもそも彼のモットーは富と幸運を分け合う商売だ。ただ、とても単純な話。
「こう、どうも余計な世話を焼かれそうな」
 直近に会った際の挨拶が、夜がマンネリになったらぜひ相談してくれよ、だったと記憶している。その場で断罪したことは言うまでもない。
 クリックは若くして苦労したパルテティオを尊敬している節がある。歳だって近い。付き合いを咎めるつもりは毛頭ない。ないのだが、本音としては、うちの子羊に変な入れ知恵はしないで欲しい。
 ――マンネリ……マンネリ、ね。
 もしや、本当に相談していたのではあるまいな。つい考えがそちらに引っ張られる。
 そんな素振りはあっただろうか。なかったとは思うが、彼はまだ若く、何より体力がある。本当に不満はないだろうか。有体に言えば回数だとか、頻度だとか……内容だとか。
 ――一度、正面切って審問して訊いてみるべきか。
 そう思案しかけたところで、玄関の扉が開けられた。
「ただいま戻りました……と、ど、どうされたので?」
「おかえりなさい。君、私に何か不満はあります?」
「不満……?」
 勝手にドアを開けられるのは彼だけなので、さして驚くこともない。むしろ、開けた方が驚いていた。そんなに珍妙な表情をしていただろうか。
 突発的に口をついて出た質問に、クリックは顎に手を置いて考え始める。
「着替えるときの脱ぎっ放しはやめてくださいとか……休肝日はちゃんと守ってくださいとか……あ、水桶が空になったらきちんと補充してください! 多少の運動も必要で、いたっ」
「もういいです」
 一瞬だけでも悩んだ時間を返してほしい。
「あれ、それは……
「パルテティオからの手紙ですよ」
 差し出すとさっと顔色を青くする。何だかこんな反応もデジャヴを憶えるような。やはり疚しい何かでもあるのだろうか。
「あの、中身、は」
「見ていませんよ」
 露骨にほっとした顔をする。テメノスの手から受け取った手紙を、クリックは開封せずに懐へ収めた。この場で読む気はないらしい。不満はなくとも何か企んでいることには違いない。
 もうそろそろ探りを入れるべきだろうか。それとも様子見に徹するべきか。密かに思考を巡らせていると、クリックが玄関先に置かれた荷物に気がついた。
「それもパルテティオさんからですか?」
「ええ。何やら、また商売の匂いを嗅ぎつけたようで」
「商売の……。とすると、中身は試供品とかですかね」
「いいえ。それがですね……
 木箱の蓋を開ける。箱の中からひやりとした冷気が漂ってきた。底が特に冷えていたので梱包材の下に冷却材が詰められているのだろう。枯草の梱包材に包まれていたのは。
「これは……とうもろこし?」
 収穫されたばかりの状態のとうもろこしが幾本も詰め込まれていた。青々とした葉に包まれた黄金色が目に眩しい。粒も大きく、一目で良質だとわかる。
「ええと、商売のお話なんですよね?」
「はい。商売の話のようです」
 困惑するクリックにテメノス宛てに届いた手紙を手渡した。
 とうもろこしの利用方法は主に二択である。牛などの家畜に与える飼料となるか、製粉の後にパン生地やトルティーヤとなって人の口に入る。小麦粉の供給が十全な今、各地の主だった使い途は前者であり、後者は小麦の栽培に適さない地域で主食とされている。
 パルテティオの商人としての目には、その現状がもったいないものに映ったようだ。
 とうもろこしは作物として優秀な生産量を誇る。地域によっては小麦よりも生産コストは安く済む。もし、食用とうもろこしの需要が高まれば貧困層の労働者にも多くのパンを届けられるかもしれない。
 踊るような筆致でそんな考案が描かれていた。
「これは……さすがの発想力ですね」
「ですね。ただし、それには食用とうもろこしの需要が不可欠です」
 思いついて、直々にとうもろこしを主食としている農家に赴いて。初めて塩茹でのとうもろこしを食べ、その味に感動したらしい。
 ぜひ、試してほしい。そして、それ以外の新しい食べ方を知っていたら教えてくれ。との一言で手紙は締め括られていた。
「塩茹でのとうもろこしには興味がありますが、新しい食べ方とは。なかなか難題を吹っ掛けられたものです」
 それも暗に需要が高まるような、という条件がつく。とうもろこしとは穀物ではあるがライスや小麦に比べて特有の香りと甘みがある。主流になるような万人に受けるレシピ、というのは簡単ではない。
 まずは彼が味わったという、塩茹でのとうもろこしを食べてみるか。テメノスがそう結論づけようとしたときだ。
 手紙の文字を追っていたクリックの眉間に皺が寄った。ぐ、と目を閉じて少し唸る。何かを思い出そうとしているときの仕草だ。
「あの、テメノスさん」
「はい」
「その……とうもろこしのポタージュを飲んだことはありますか」
 問われてざっと記憶を洗う。食というものに対するテメノスの見聞はさほど広くない。
「いえ。初めて聞きましたね」
「やっぱり、そう、ですよね……
 ポタージュスープとは主に野菜を裏ごししペースト状にして作るとろみのあるスープのことを言う。ジャガイモ、パンプキン、カリフラワー、アスパラガス。バリエーションの多いスープだが、とうもろこしでというのは聞いたことがない。
 何故、クリックがそんなものを知っているのか。疑問は浮かぶが、それ以上にどこか浮かない表情が気にかかる。聞こえていないつもりで呟いたのだろう、やっぱりあれは、なんていう独り言も。
 ――やれやれ、別の審問聞き取りが必要になるとはね。
 恋人の心の影を看過できるほどテメノスは薄情者ではない。とりあえずは、彼に頼って甘えるフリで足元の木箱を炊事場に運ぶよう指示を出した。


 クリックの家が没落の一途を辿り始めたのは、彼がまだ幼い子どもの頃だったという。
 それまで貴族然とした豪華絢爛な暮らしをしていたかと問われたらそれほどでもない。だが、少なくとも執事と料理人、メイドがひとりずつはいたらしい。それで回ってしまう屋敷だったのだから、当時から権力も財力も痴れたものだったんでしょう、と彼は力なく笑った。
「今なら家の者が相当な努力を重ねて屋敷を維持してくれていたのだと理解できます」
 日ごとに財産は目減りしていくものの、彼の父にはそれを立て直す商才も慧眼もなかった。さっさと爵位を返上するなり近隣の他の貴族に売り渡すなりしていれば、小金持ちくらいの市民として生きていけただろうに。そう彼は振り返る。
「家の中は常に掃除されていましたし、着るものや食べるものに困ったことはありませんでした。たぶん、彼らが一日中、休みなく働いてくれていたおかげなんでしょうね」
 屋敷内の見える場所が雑然としていることはなかった。着るものも汚してしまったり破いてしまったりしたが翌日には綺麗な状態でクロゼットに置かれていた。食べるものにも困らなかった。ただ、父が何度か味が落ちていると料理人を𠮟りつけていた。
「手に入る食材の質が落ちていたんでしょう。金がないなら当たり前のことです。彼のせいではないのに、随分な職場だったと思います」
 理不尽に叱りつけられる料理人の姿は、クリックの良心を揺さぶった。料理人の苦労を理解していたわけではないが、少なくともクリックは彼がティータイムに出してくれる菓子の数々は大好きだった。
 だから、父親が書斎に籠った隙を狙って調理場に会いにいったのだという。せめて自分だけでも食事は美味しいよ、とそれだけ伝えようと思った。
 顔を出した調理場で、料理人が飲んでいたのが一杯のポタージュスープだったという。
 とろりとした黄色をしており、甘い匂いがする見たことのないスープに子どもの好奇心が刺激された。本来の目的を忘れ、そのスープは何なのかと料理人に尋ねた。
「目的を忘れるなんて、馬鹿な子どもでした。まあ、その後がもっと愚かだったんですが」
 これはクリック様に飲ませられるようなものではありません、と料理人は慌てた様子で固辞した。しかし、一度、意地になった子どもというものは厄介だ。欲求が果たされるまで自分の意志を曲げない。もちろん、悪い方向に。
 最終的に料理人は肩を落としつつ折れた。一口だけだと言い含め、このことはクリックの両親には内密にと固く約束を交わした。
「それがとうもろこしのポタージュだったんです」
 美味しいと声を上げてしまったのを憶えている、とクリックは語った。それに対して料理人が大層、冷や汗を流していただろうとも。
 そこまで聞いてテメノスはなるほど、とひとつ頷いた。
「それは君のご両親に知られるわけにはいきませんね」
「はい……なんというか、気の毒な我儘を言ってしまいました」
 項垂れた金糸の髪を梳き、テメノスは思考を巡らせる。
 とうもろこしが主食として食卓に並ぶのは一部の地域に於いての話だ。他の地域では家畜の飼料として栽培されていることが多い。クリックが子どもの頃の話というなら尚更。人も物も、そして文化も、今以上に流通が貧しかった頃である。貴族の食卓に、食用とうもろこしが出されるなんてことは万が一にもないだろう。
 おそらくだが、その料理人は飼料用の安価なとうもろこしをスープにして飲んでいたのだ。数少ない良質な食材を少しでも家人の食事に使えるように。善良で働き者であったと言える。そんな料理人でも家畜の餌から作ったものを子息に与えたなどと知れたら、大目玉では済まなかっただろう。
 それを理解しているからこそ、今、クリックはこれほどまでに苦い顔で悔いている。
「君の屋敷に勤めていた方々は?」
「わかりません。没落した際に父がきちんと紹介状を書いていれば、今もどこかの屋敷で働いているとは思いますが……
 ――ふむ。
 テメノスは炊事場に運ばれた生のとうもろこしの山を見つめる。
 過去のことはどうにもならない。ならないのなら。
「私も飲んでみたいですね」
「え?」
「君が飲んだという、とうもろこしのポタージュを」
「え、で、ですが」
「幸い、材料は手元にありますし」
 とうもろこしの髭と皮を剥く。とうもろこしの粒がぎっしりと詰まっている。粉にする前はこんな形をしているのか。少し新鮮だ。
「君は私に飲んだことがあるか、と尋ねました。君だって、飲んでみたい気持ちがあるのでは?」
「それは……
 眉根を下げていたクリックが唸る。図星ではあるらしい。子どもの頃の〝ただ一度だけ〟という郷愁は強いものだ。
「で、ですが、僕も一口飲んだだけで作り方なんて知りませんよ!?」
「そこはそれ、他のポタージュのやり方を試してみるしかないでしょう。駄目だとしてもお腹を壊すようなことはありませんよ」
「そ、そうでしょうか……?」
 悩ましげなクリックに、あえてからりと軽く笑う。
「それに、どちらにしろパルテティオに感想の返信が必要ですから」
 何事も挑戦ですよ。
 もっともらしく理由をつけてから、テメノスは手にしたとうもろこしに向き合うべく包丁を取り出した。


 パルテティオが馳走になったとうもろこしは1本丸ごと茹でられていたそうだが、テメノスの家にそこまで大きな鍋はない。なので、熱を通す前に可食部分を芯から離してしまうことにする。
 生のとうもろこしは粒が硬い。こそげ落とせないか試してみたが、なかなか芯から剥がれる気配がない。かといって固定して削ぎ落すには形状的に安定感に欠ける。
「クリック君、真ん中から折ってください」
「え、ええ?」
「大丈夫。結構、粒も硬いです」
 初めはこわごわと、粒の硬さが確認できると意を決して。両端を握ったクリックが少し力を込めると、真ん中から綺麗にぱっきりと折れた。
「生のとうもろこしってこうなってるんですね……
「これが知見を得た、というヤツなんでしょうねぇ」
 白っぽい芯を中心に黄色い粒が無数に張り付いている。小麦や大麦に対して1本という単位から採れる量が多い。これは確かにパルテティオの理想も遠い夢ではないかもしれない。
 折った箇所を下にして芯と実の間に包丁の刃を当てる。面白いように実が削がれ落ちていく。たまにざくりと芯を削ってしまうのは、まあ、初調理のご愛嬌。
「テメノスさん、こちらは終わりました」
「ありがとう。バターとミルクと……白ワインも少し入れますか。主菜は昨日の余りのスモークチキンを食べてしまいましょうかね。そちらは任せます」
「わかりました」
 オニオンを刻み終えたクリックが食材ストックを漁り始める。
 ポタージュ自体の材料はそう多くない。ポタージュに使う野菜、甘みを加えるオニオン、コクを出すためのバターとミルク、白ワインで風味をつけるか否かは好みだ。
 小鍋を火にかけ、クリックが出してくれたバターを少々多めに溶かす。削いだとうもろこしの実を投入すると、バターの香りとともにぶわりと甘く香ばしい匂いが立ち昇った。
「すごくいい匂いがします」
「これは小麦粉やライスにはない特徴ですね……。炒めただけでここまで香るとは」
 野菜をスライスしていたクリックが、思わず手を止めてこちらを覗き込んできた。バターととうもろこしだけなのにそれほどまでに香りが強い。
 みじん切りにされたオニオンも加え、木べらで混ぜながら加熱していく。黄色い粒がさらに黄金色に輝き始めた。クリックが言っていた〝とろりとした黄色〟というのはこの色を指すのだろう。
 塩と胡椒、香りづけ程度の白ワインを加え、ゆっくり掻き混ぜながらさらに炒めていく。
 木べらで押して、すんなり実が潰れるようになったら少量の水を入れて蓋をする。釜戸の火をなるたけ抑える。このまま少し煮込む。
 ちらりとクリックの方を確認すると、昨晩のスモークチキンの残りを骨から剥がしている最中だった。
「すぐ戻りますので、少しだけ火を見ていてください」
 声をかけるとやや不安そうな顔をした。彼にとっても初めての食材だ。勘が働かない分、懸念があるのだろう。
 焦げ付かなければ大丈夫、とだけ告げてテメノスは炊事場を離れた。
 ――さて。
 あまり時間はない。玄関先に出てサイン用に置いてあるペンと急用を記すための便箋を手に取る。
 ――よい結果を期待していますよ。
 胸を張り1リーフ銀貨を弾く仲間の姿を脳裏に思い浮かべつつ、テメノスはさらさらと用件を書きつけた。封筒に入れ、封蝋をしたところで、ちょうど炊事場からクリックの呼ぶ声が響く。
 返事をして、テメノスは壁にかけてあった外套のポケットに封筒を捻じ込んだ。
 午後の予定に配達屋に寄ること、と頭の片隅にメモ書きを残しながら。


 柔らかく煮込まれたとうもろこしは、さらに甘い匂いを発していた。やや甘すぎる気がするので最後に胡椒を足してもいいかもしれない。オニオンは既に融けてなくなっており、とうもろこしの実も木べらでつつくだけで形をなくす。
 ジャガイモやパンプキンのポタージュならば、このまま木べらで潰していくのだが。
「薄皮が多いですね」
「ですね……
 ジャガイモなどと違い、とうもろこしには実の一粒一粒を包んでいる薄皮がある。いくら柔らかくなった実を潰していってもその薄皮が邪魔をする。ポタージュの滑らかさとは程遠い。
「ふむ……
 料理店ならばそれなりの道具があるかもしれない。だが、ここは男が2人暮らしているだけの家宅である。手の込んだ調理器具などは置いていない。
 しばし考えた後にテメノスは茶器を仕舞っている戸棚を開けた。家の中でもっとも大きい茶漉しを手に取る。裏ごし、とまではいかないが近いことはできるだろう。
 別の鍋を用意し、茶漉しをセットするとクリックの手を借りて少しずつポタージュを漉していく。網目に転がった実はその都度、潰して中身だけを移していく。すぐに茶漉しに薄皮が溜まってしまうので何度も中断しては茶漉しを洗い直す羽目になった。
 正直に言って手間がかかる。1人だったら絶対にやらない。
「ちょっと、これは手が掛かりますね」
「急拵えの思いつきですからねぇ。料理店のコックなら、もっといい方法や調理器具を知っているでしょう」
 すべて漉すと黄金色のペーストが鍋の中に出来上がっていた。ミルクを少しずつ入れ、ペーストを伸ばすように混ぜながらとろ火にかける。熱を加える度に強くなっていく甘く香ばしい匂いに、クリックがすん、と鼻を鳴らした。
「この匂い……
「似ています?」
「似てる……気がします」
 曖昧な返答だ。まあ、10年は前の記憶なのだから、掘り起こすのも難しいだろう。とりあえず方向性は合っているようなのでよしとする。
 ペーストとミルクが馴染んで綺麗なクリーム色になったところで火から下ろした。用意されていたスープ皿にスープを移す。パセリは、と探したところで既に刻まれたそれが差し出された。
「どうぞ」
「ありがとう」
 要領が良くなったものだと感心してしまう。
 パセリと軽く黒胡椒を振る。甘いとうもろこしの香りと合わさって芳しい匂いが炊事場に立ち込める。
「こんなものですかね。クリック君」
「こちらも出来ました」
 スモークチキンのサンドイッチをカットしていたクリックが振り返る。口調はいつものままだが、目だけは雄弁でじっとテメノスの手元にあるスープを眺めている。苦笑を漏らしたテメノスは、手早く紅茶を淹れるべくポットを手に取った。


 シュレッドレタス、スライスされたトマトとオニオン、食べやすく骨から外されたスモークチキン。それらがたっぷり詰め込まれた分厚いサンドイッチが鎮座している。ほのかに香るマスタードが空腹を刺激する。
 ある意味で今日のメインであるスープ皿には濃いクリーム色のポタージュ。
 そわそわしているクリックのために口早に食前の祈りを済ませる。最初に手にしたのはやはりスープ用のスプーンだ。
 ポタージュにスプーンを差し込んでみると、思った以上にもったりとしている。例えるならオートミールだろうか。飲む、というより食べる、という感覚が正しい。これについては裏ごしが足りないだけかもしれないが。
 そっとスプーンを口に運び、広がった甘みに驚いた。匂いから甘みは感じていたが、想像していた以上に濃厚な甘みが舌を包み込む。しかし甘ったるいわけではなく、香味野菜をローストしたときのような香ばしさがある。同じ穀物の小麦やライスではこうはいかない。
 甘さと香ばしさが鼻に抜けていったと思えば、最後に加えた黒胡椒がきりりと後味を引き締める。これについては最後に足して正解だった。子どもの舌には辛いかもしれないが、大人の味覚にはちょうどいい。
 ひとしきり堪能してから対面のクリックを伺う。
 一口分のスープを含んだ彼はその味を噛み締めているようだった。目を伏せて、厚めの唇を閉じて、じっくりと味わっている。ほんの一瞬だけ、目尻が泣きそうに歪んだ後に目を瞑った。
……ありがとうございます、テメノスさん」
 何かを振り切るように笑ったクリックを見つめ、察してしまう。
「君が飲んだスープと同じものは作れなかったようですね」
「はい。でも、いいんです。これは、あなたが僕のために作ってくれた味です」
 だからそれでいいのだ、と彼は笑う。幼い記憶に蓋をしたまま。大人になるべく微笑んで見せる。
 どこがどう、ということはきっとないのだ。テメノスは料理人でもなければ、料理を得意としているわけでもない。材料の切り方ひとつ、熱の入れ方ひとつ、何より滑らかさを生む技術ひとつ。その料理人とはきっと何もかも違う。
 けれど、クリックはそれで十分だと笑ってくれる。二口目のスープを美味しそうに口にする。
 ならば、テメノスにできることは。
「あ、でも、その、お願いなんですが……
「わかっていますよ。このレシピ自体はパルテティオには伝えません。そもそも私の発想ではありませんしね。君にも、その料理人の方にも、失礼でしょうから」
 テメノスが答えるとクリックはほっと胸を撫で下ろす。
「フフ。では、サンドイッチもいただきましょうか。しかし詰め込みましたね……
「これくらいは普通です! ちゃんと食べてくださいよ」
 ――できることは、天命を待つこと、ですかね。
 分厚いサンドイッチに被りつくクリックを眺めながら、テメノスは静かに紅茶を啜った。


 それからしばらく経ったある日のことだった。
「君宛てにお手紙です」
 大聖堂から戻ったばかりのクリックに、テメノスは数日前と同じように封書を差し出した。違うところと言えば、先に封書を開けさせてもらったことだろうか。こればかりは許して欲しい。彼に渡していいものかどうか、どうしても確認しておきたかったのだ。
 心当たりが見つからないクリックは、戸惑いながらその封書を受け取った。言われるままに便箋を取り出し、開いて、目を通して。
 その青玉が見開かれるのを見て、テメノスはようやく満足感を得て笑った。
「て、て、テメノスさん! これって……!」
「ええ。過去、ウェルズリー家で働いていた料理人さんから届きましてね。私は〝レシピ自体は〟伝えないと約束しましたので」
 レシピ自体は伝えていない。テメノスがパルテティオ宛ての手紙に書きつけたのは、そういったレシピを編み出した料理人がいるらしい、という情報だけだ。その情報を死蔵するパルテティオではない。
 彼自身の人脈もさることながら、今の彼には貴族の中の貴族アルロンドや凄腕の商人ロックがついている。10年以上前とはいえ、貴族の屋敷で働いていた料理人ひとりの足取りを掴むことなど造作もないことだった。
 とはいえ、どう転ぶかは賭けに等しいものだった。結果が出るまでクリックに話すことはできなかった。
 テメノスからの手紙を受け取ったパルテティオの行動は迅速だった。わずか数日でとある貴族の屋敷の調理場で下働きをしていた料理人を探し出し、レシピの買取とパルテ&ロックカンパニーの食品開発部門で働かないかと持ち掛けたという。
 料理人はまずそのレシピに驚き、出所を尋ねたそうだ。そして懐かしい少年の名前を聞いて涙ぐんだらしい。
 現在もけして悪い待遇を受けていたわけではない。慎ましく暮らしていくには困らない給金をもらっていた。だが、子どもに良い教育を受けさせるには少し足りない。そんなところに訪れた転機は青天の霹靂だったそうだ。
 あんなものの味と自分のことを憶えてくれていたと知って驚いた。クリックが聖堂騎士という道を選んで歩いていると聞いてもうひとつ驚いた。自分の料理を美味しいと言ってくれたことは忘れていない。危険な仕事だとは思うが、どうかクリックらしく生きてほしい。クリックに宛てた手紙には、そんな感謝と希望が綴られていた。
「10年前も、今も、君は君だったんですね」
 震える手で手紙を読んでいたクリックにそう声をかける。揶揄も何も含んでいない、これはテメノスの心からの賛辞だ。
 世の中は理不尽だ。理不尽だが、その中で強く在れた者こそ一際、大きく輝くのだろう。
 ぽたり、と零れた美しい雫が丁寧な筆致で書かれた手紙を濡らした。
「テメノスさん」
「はい」
「テメノスさん……っ」
 ぼふり、と大きな身体で抱き着いてきた恋人を受け止める。ぐすぐすと肩口で聞こえる鳴き声も、その身体の重さも、まあ、今日くらいは許してやってもいいだろう。何故ならテメノスも、とても機嫌がいいもので。
 ――私は最初から自分の望みしか言っていないし、そのために行動しただけなんですがね。
 その料理人が自前の調理器具と材料を手にフレイムチャーチに向かっている、とはまだ黙っておこう。
 〝君が飲んだとうもろこしのポタージュを飲んでみたい〟。
 そう遠くない日に叶う自分の望みに思いを馳せながら、テメノスは頬をくすぐる金糸の髪を優しく撫でたのだった。