mishiadd
2024-04-13 02:21:57
4786文字
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まどろむサンクチュアリ

【アレルゲン表記】表現は全年齢ですが伊織殿が「日銭を稼ぐ一環として男女問わず体を売っている」示唆があります。
レアルタヌア式魔力供給(肌を合わせて添い寝する)を試みる剣陣営の小話。性愛が理解らない伊織殿と独白を聞くセイバー。

きっと単純に、どうするべきかわからなかっただけだ。だからその方法は選ばなかった。
仮に選んでいたとしても、私の方は大して抵抗がなかったのかもしれない。でも、きっと私にとってのその「なんとなく」の決断が、イオリにとってはとてつもなく大きな出来事だったのだろう。

怪異に不意を突かれて思いの外私が戦闘で消耗した。
パス経由のなだらかな魔力供給では足りなくなり、より手っ取り早い方法での魔力供給を受けざるを得なくなった。
知識としては粘膜の接触が一番効率がいいことを知っていた。ただ、私とイオリで何をどうすればいいのかわからない。男同士のやり方がわからないというわけではない。ただ、イオリ相手にどちらが何をすればいいのか、そういうことが直感的にわからなかっただけだ。
なにも今すぐ退去してしまいそうな程に消耗しているわけでもなかった。であれば、次点で効率のいい方法――衣服を脱いで、同衾する――でも充分ではないか、という結論に至ったのだ。

イオリにそう伝えると、一瞬不思議そうな顔をしたあと、やがて「それだけでいいのか」と尋ねてきた。なんだか肩透かしを食らったような顔だった。
「なんだ、きみはもうひとつの方法の方が好みだったか?」軽口を叩くと、少し考えるそぶりを見せたのちに、「――いや」と感慨深げに漏らした。

「肌寒ければきみは胸元をゆるめるだけでもよい。ただ、私のことはきちんと抱き寄せてくれよ。肌が触れなければただ狭苦しいところにふたりで寝ただけの夜になるからな」
「わかった」

イオリは生真面目に答え、私に言われるままに着物の前をはだけさせる。そのまま布団に入って横になった。
「気が早いな」と嘯きつつ、私も外衣を脱ぎ肌着のみを身に着けたまま布団に入ろうとする。掛け布団をめくる際、一瞬気恥ずかしさが脳裏をよぎったが、軽く頭を振って敢えて考えないように努めた。

私に言われた通りに、イオリが私を自分のはだけた胸元に引き寄せる。
生活の無頓着さに反して、イオリには体臭がほとんどなかった。わずかに朝露のような涼やかな匂いがした気がするが、それもすぐに霧散する。
体温の低い、ひんやりと乾いた胸元の肌に頬を寄せていると、なんとなく気持ちがよくなってすぐに眠気を覚えてくる。サーヴァントの身で睡魔に襲われるなど噴飯ものだが、そもそもこの行為自体が魔力供給を目的としているのだから、魔力が巡って心地よくなるのもそうおかしなことでもないのかもしれない。
うとうととまどろんでいると、イオリがぽそりと零すように尋ねた。

「本当に、これだけでいいのか」
「うん? ――ああ、充分だ。存外落ち着くな、この姿勢は」
「本当に……

驚いたような、感嘆するような声を上げて、イオリがしばし沈黙する。その隙に私が寝てしまいそうになった矢先、イオリが再びぽろりと零した。

「こんなこともあるんだな、セイバー。……こうしていても、おまえは俺を触ってこないんだな」
――うん?」
「本当はいつも不快なんだ。でも皆決まって必ず触ってくるから、そういうものだと思っていた。でも、おまえは違うんだな」
……うん?」

失いかけていた意識が急速に覚醒する。反射的にイオリの表情を見ようとして顔を上げかけたが、頭に添えられたイオリの顎に阻まれてそれもできない。
普段着物に覆われて日焼けしていない胸元の白い肌に視線を落としたまま、「うん?」ともう一度促した。

「たまに――用心棒の仕事がなくて、銭が足りない時や――人に頼まれた時に、金を貰ってこうすることがある」
……なるほど」

イオリの普段の振る舞いを見る限りは極めて意外だが、別段責めることでも驚くことでもない。私の時代でもままあったことだ。それで生活ができるというならばそれもまた実直な職業だろう。

「相手は――若い男だったり、年上の女だったり――いろいろだ。
人に頼まれるということは、それもまた泰平の世の人々の営みの一部なのだから――それは正しくいいことなのだと思った。
少なくとも、それは人々の正常な欲の顕れなのだと。だから、頼まれればなるべく都合をつけて受けるようにしている」
「ふうん」

もぞ、と身動ぎする。少し肌寒いような気がして、イオリに体全体を押し付ける。もともと体温の低いイオリにすり寄っても私自身は少しも温まらなかった。イオリの、ゆったりした心臓の鼓動が聞こえる。

「触られるといつも痛いんだ。どこもかしこも。最初はそうでなくても、だんだん痛くなってくる。――相手の呼吸がどんどん荒くなって――どんどん体温が上がっていって、顔を真っ赤にして、全身湯あみしたように汗だくになって、まるで腕を引きちぎるみたいに手首を掴まれて、肉を抉るように体をまさぐられる。相手が男でも、女でも。
――うん、女の方が痛いこともあるかな。爪で引っ掛かれたり、噛まれたり……
「随分乱暴なんだな」
「最初は皆、ちゃんと人の顔をして『優しくする』って言うんだよ。皆決まって、だ。それが、一刻も経つともう人の顔をしていない

私の背中に回された伊織の腕が、ぎゅっと私を抱え直す。とく、とく、とゆっくり響く心臓の音が、より近くに聞こえる。

――暑かったから――
初夏の夜だった。何度か俺に頼んできた男で、それが三回目だった。
暑かったから――着物の襟ぐりを、今みたいにゆるめていただけなのに、首を――首のうしろの、うなじのところを、突然酷く噛みつかれたんだ。
俺が悪いんだそうだ。噛み痕がついて……膿んで、酷い目にあった。でも俺が悪いんだそうだよ。『そんなふうに誘うから』って」

抑揚もなく淡々と零れるイオリの独り言のような言の葉を、ただ静かに聞いている。

「噛みついてきたのはそいつだけじゃなかったし、噛みつかれたのもそこだけじゃない。鎖骨とか――首筋とか。ふくらはぎや……内腿、とか。手首とか、足の甲とかも。
噛まれたり、舐められたり、まるで獣だ。そうこうしているうちにもっと痛いことや不快なことをされたりさせられたりして、終わり。
その頃にはなにやら皆酷く昂っていて、なにか熱心に睦言のようなことを喚き叫んでいるんだが、――うん、いつも結局何を言っているのかはよくわからない」
「優しい人はいなかったのか? ひとりも?」

イオリの客層が極端に悪いのだろうか、と要らぬ老婆心を働かせると、イオリが「あー……」と考えを巡らせるように唸った。

「いたよ。最後まで痛いことをしなかったやつもいた。代わりに俺にあれこれしてくれたんだが、結局望む反応は一度も返してやれなかったな。それでも何度か頼んできてくれたんだが――いつの間にか来なくなっていた。あれは――悪いことをしたな。うん、悪いことをしたと思う。理解はできなかったが、でもあれは最後まで人だった。理解したかった」
「きみ、痛いのはそんなに苦手だったか? しょっちゅう斬り傷をつけているじゃないか」
「剣の痛みとは全然違うさ。この痛みからは何も得ないし――斬り傷を受けるときは、大抵俺の方も昂っているから。おまえに言われるまでもなく。だから正直、痛みもろくに感じない。――でも、これは違う。俺にはわけのわからないまま、相手だけがただ闇雲に昂って、その猛りのままに傷つけられる。――理解の及ばぬ獣に貪り喰われるみたいだ。いつも置いてきぼりを喰らったみたいな心持ちになる」

頭に乗ったイオリの顎がやや重くなったように感じた。イオリが私の頭に顔を少し埋めたようだった。
もともと独り言めいていた言の葉が更に囁くように小さくなり、珍しく弱気な口調で吐露される。

「俺にはわからない。理解りたくて仕事を受けるのに、結局いつも、いつまでたってもわからない。
『全部わかっていてわざと思わせぶりな態度をとっていたんだろう』、『こちらがおまえをどう思っているか知っていただろう』、『わからない筈がない』って、何度も何度も責められた。
男にも女にも。でも一度だってわかっていたことなんてなかったよ。俺にとってはいつも急だった。皆、急に怒り出すんだ。理解――したかったけどいつも駄目だった。そこだけはどうしても理解らない。
そうなったときの彼らはまるで人じゃないみたいに見えるんだ。唐突に、俺の理解が及ばない何かになる。――俺は、人は理解できても獣は理解できない」

きっとイオリの客は酷く虚しいのだろうな、と顔も知らぬ人々の心に想いを馳せる。
同じ熱量が決して返ってこないことを一刻毎に突きつけられながら、それでも彼に「頼む」ことをやめられないのであれば、尚更。
私がいくら頬を摺り寄せても逸ることのない心音も、上がることのない体温も。ああきっと、これに狂わされた者たちの末路が、すべてイオリに「痛み」となって却ってきてしまうのだ。
――それは決してイオリの「せい」なんかじゃないのだけれど。イオリが悪いわけでは決してないのだけれど。

「だから、セイバー。俺は、添い寝とは『痛いもの』だと思っていたのだ。でも、そうとは限らないんだな。おまえは触れてこないし……獣の顔をしないし……

ぎゅう、とお気に入りの犬猫を抱きしめるように無防備に抱きかかえられる。

「おまえは温かくていいな。――おまえはただ温かくて、ただここにいる。――なんだか眠くなってきた」
「きみが心地よくなってどうするのだ。私のための魔力供給だろう」

軽口を叩くと、まどろんだ声で「そういうものか」とイオリが呟いた。

「きみ、そもそもカヤとは添い寝していたんじゃないのか? なら、痛いばかりじゃないってわかっているだろう」
「カヤ? ――そうだな……幼い頃なら……。ああそうか、確かに。そんなこともあったな。――懐かしいな……俺はもう二度と添い寝などしてやれないし、カヤだって嫌だろうし――すごいな、もう誰ともあんなふうに過ごせることはないだろうと思っていた」

覚束ない呂律で答え、イオリがまどろむ。その心地よさを遮らないよう、できる限り柔らかな口調で囁く。

「ここは安全だよ、イオリ。きみの理解らないことは何も起こらない。このまま眠っても、嫌なことはなにも起こらない」



――きっと、私はイオリとは違う。

私には、イオリに熱を向けて、その熱を返してもらえないがために正道を踏み外してしまう人間の気持ちがまったくわからないなどということはない。
私自身、時々気の迷いのようにイオリに私のすべてを明け渡して、彼にこの身を委ねてしまいたくなるときがある。私自身のすべてをさらけ出して、彼にならば何をされても構わないのだと、そう体の奥底に火がついたように思い込む瞬間がある。
彼に何をされたいのかなんて、具体的には何もわからない。彼に何をしたいのかもわからない。それでも、「もっと彼の近いところにいきたい」と、本能の部分でそう思うのだろう。

でもきっと、イオリにはその「本能」が欠落しているから。その場所をきっと他の何かが占めていて――だからこそきっと、彼が剣を通して感じるものは、彼が剣を通して伝えてくる言の葉は、私たちにとっての「本能」の叫びに最も近い。



だからこそ、きっと永遠に交わらない。



――私は、ただここにいよう。ただきみの味方でいよう。きみが何にも違和感を覚えなくてもいい、きみの居場所として、ただここにいよう」

必要なら、隠し通そう。まるで存在しないことのように振舞おう。まるで何事もなかったかのように。
私ひとりが見ないふりをしているだけで、きみがまどろむことができるというのならば。

きみの聖域サンクチュアリでいようと、誓おう。