暖簾を潜り昨今には久しい手動の引き戸をがらがらと音を立てて店に入れば、むわりと油や味噌を焦がした香りと、野太く大きな声の「いらっしゃいませ」で出迎えられる。「お好きな席へどうぞ」と告げられたので出入り口に近いボックス席に座るとタケルは目を輝かせながらメニュー表を広げた。
「焦がしミソ……ニンニクも良いな……」
あれも、これもと目移りしている表情はころころと変化する。ラーメンの欄を行ったり来たりしていた夕日の色はそのままサイドメニューまでたどり着き、「ギョーザ……チャーハン……」と選択肢を広げたようだった。
伊織は穴が空くほどメニュー表を吟味しているタケルを、ただ眺める。味を想像したのかじゅるりと涎を飲み込む顔は多彩だな、と微笑ましく想いながら、テーブルに置かれたウォーターポットで二人分、水を注いだ。
「むむむぅ」
未だに悩むセイバーの前にことりとコップを置く。周囲は見えていたようでちらりと一瞥した後、「ありがとう」と謝辞を貰った。
「どういたしまして」
そう返してから、そろそろかな、と伊織は軽く手を上げて店員を呼ぶ。
「イオリ! 決まったぞ!」
「ご注文は?」
タケルが顔を上げた瞬間、店員が会計表を構えて聞いた。彼は驚く事はなく指を指しながら、告げていく。
「焦がしミソのにんにくラーメンと、炒飯と、ギョーザと……」
トッピングメニューまで頼みだしたタケルの声に、懐がまた寒くなるなと伊織は困り顔を隠さない。タケルが気が付いていようといまいと、結果はさして変わらぬから、静止すら無駄である。
とはいえ。伊織がタケルを止めたことなど、少なくとも今生では一度もなかった。窘めることはあれど、最後には仕方ない、と溜め息と共に財布を取り出している。
それは初めての友であった伊織を斬ったタケルへの贖罪ではなく、かといって、剣のまま生を終わらせてくれた礼でもない。
ただ、伊織自身が、タケルの食を愉しむ姿が好きだから、そうしている。
「イオリはどうする?」
「同じラーメンを一つ」
「少々お待ち下さい!」
注文を確認して、足早に去っていく店員を背に、心踊る己を律しようと、タケルが水を飲む。倣って伊織も水を飲んだ。
冷たい水だ。氷が入った水道水とさして変わらぬ味にほんのり香り付いたそれに、タケルは目尻を下げた。
「ん! ここの水は柑橘がほんのり効いているな。油が多いとこういったさっぱりした水は更に美味しく感じる!」
「そうか」
水一つで言の葉をふんだんに使い感想を口にするタケルに、一言返すのみの伊織。
一目で男だと解る伊織と、片やその笑顔は少女にすら見える可憐なタケルは、男女の仲に見られがちである。だからたった一言しか反応がない伊織に非難の目を向ける者もいた。その視線に、二人は気がついている。
「ふふふ、はたから見れば、きみはトーヘンボクな恋人だな」
「笑ってくれるな。至らないのは重々承知している。それはおまえもだろうに」
「きみが気の利いた言の葉を紡ぐのは……どうも考えられぬな」
しきりに笑ったタケルが僅かに目尻を下げて伊織を見てから、ぼんやりと調理する店員に視線を向けた。手際よく麺を茹で、器に盛り付ける様は正に職人のようだ。器用にタケルの頼んだ大量のトッピングを塔のように乗せていく。持ち上げる振動にも微動だにしないそれが、伊織の前に置かれようとした所で、視線をタケルに向けて誘導した。店員は先程の、注文を取りに来た者とは別の人物であるから、その量に勘違いする者も少なくない。店員は少し驚くものの、笑みを崩さずタケルの前に、ラーメンを置いた。
箸を両手に挟みながら、そわそわと待ち焦がれる。タケルは伊織の料理が運ばれて来るまで、口をつけずにいるのだ。先に食べても良いと促しても、頑なに、首を横に振る。
僅か後に、伊織のラーメンと、タケルが頼んでいたサイドメニューがテーブルに所狭しと並べられた。
伊織も行儀よく掌を合わせた所でタケルも真似る。
「いただきます」
「いただきます!」
声を揃えて告げてから食べ始める。
トッピングを崩しながら少量蓮華に乗せ、ラーメンと汁を追加して、二回ほど、息を吹きかけた後タケルはそれをぱくりと口に放り込んだ。
しゃくしゃくと野菜を咀嚼するこ気味の良い音をたてながら、舌鼓を打つ。
濃い味噌の味ににんにくが香った。野菜は煮込まれているのか、硬さを保ったままであるがじわりとスープが染み出してくる。完全に煮込まれた野菜も良いが、こうして歯触り残るものも、また良い。咀嚼するタケルは、レンゲを置いて、頬に手を当てていた。子どものように、一口を大事そうに噛み締めて、こくりと飲み込む。
ネギ、メンマ、煮玉子に、ぶ厚いチャーシューを贅沢に乗せた蓮華が、小さい口に運ばれた。
「んっ、んー! 美味いな! ミソは焦がしてあるから風味が強い! 野菜の甘みもミソによって引き立つし、チャーシューは柔らかい。煮卵が暖かいのも良い!」
賛辞を並べつくすと、タケルはずるずると麺を啜る。コシがあり、少しばかり太めの麺はスープの味と良く合い、箸が止まらない様子だ。伊織よりも小さな口だというのに、既に半分以上が胃の中へ消えていった。
「イオリ」
「なんだ?」
微笑ましく、食事風景を観察しつつも麺を啜っていた伊織は、呼ばれて食事の手を止める。
ずい、と眼前に差し出されたのは煮卵だった。伊織は少しだけ腰を上げて、差し出された蓮華にパクリと喰い付く。乗せられた卵を口にしまって腰を落ち着けてから、ゆっくりと咀嚼する。暖かい卵に歯を入れれば滲み出てくる黄身。暖かく、煮汁の吸った卵は本来の味と見事に調和している。
「美味いか?」
「味はしっかり染みているな」
「そうか!」
伊織の一言に満足して、笑みのままタケルが餃子に箸を伸ばした。きっと彼が求める感想ではないだろうに、頬を綻ばせる姿に、伊織も胸が暖かくなる。
「平らかな日常とは、こういう事を云うのだなぁ」
タケルがしみじみと呟いた。
この国で見れば戦はなく、ひもじい思いをする子供も、随分と減った現代。
美味に溢れ、世界各国の様々が、この国で手に入る。
眩しいくらいに、平和であった。
「そうだな」
満たされずとも、乾くことのない心で、伊織が静かに、頷いた。
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